TBS報道特集「カルデロンのり子さんは、今」 その2
前記事の続きです。
8月、フィリピン・マニラの空港。
カルデロンのり子さんは、4ケ月振りに両親に会った。
再び両親が、日本に入国できる日を待つことが出来ず、
自らフィリピンにやってきたのだ。
のり子さん 「これ納豆」
父 「ありがとう。
冷蔵庫に入れないとダメだな。」
親子一緒の安心感。
だが、のり子さんの表情がどこか硬く見えた。
「うれしいし、また離れたくないって気持ちがあります。」
両親は、まだ仕事を見つけられずにいる。
自宅のすぐ近くには、スラム街。
のり子さんは、父母の国の貧しさを初めて目の当たりにした。
のり子さん「第一印象が、なんか日本の道路とかと全然違うし、
なんか"お金をください"って言ってる子供達がいて、日本じゃありえないなって。
・・・もし、4月13日に一緒に帰っていたら、こうなっちゃうのかなーとか・・・」
のり子さんは、およそ二週間、夏休みが終わるまで両親のもとで過ごした。
帰国したのり子さんは、フィリピンと日本、自分の中にある二つの国を、更に強く意識するようになったと言う。
のり子さん「お父さんたちは、フィリピン人なんだって、やっぱり自分でも分かったし、
で、自分がフィリピン人っていう実感が強くなったってのは、なかったです。
逆に、自分だけそういう風に、皆と話せなくて、やっぱ"心は日本人"っていうか・・・」
心は日本人。
のり子さんはそう繰り返した。
3年前、フィリピンに強制送還されたマヌエル。すっかり地元の子供達に溶け込み遊んでいる。
今でも忘れられない日本での思い出がある。
マヌエル「友達と一緒にドッジボールがしたくて、心の中では"遊びたい"って言ってたんだけど、口では言えなかった。(日本語吹き替え)」
だが、"一緒に遊ぼう"という一言が言えた時、初めてたくさんの友達が出来た。
マヌエル 「僕はフィリピン人だし、日本人じゃなくなることは・・・ないよ。
本当はフィリピン人かも知れないけど、僕は日本で生まれたんだから。」
強制送還された子供達の心には、日本で過ごした時間が生き続けている。
-VTR終わり-
女子アナ「不法滞在者が、強制送還されるのは通例だったわけですが、
その中でどれくらいの子供がどんな状況で送られたかっていうデーターはなくて、こうしてみると様々なケースがありますよね。」
田丸氏「はい。様々なケースがありますので、一律に決め付けられない難しい問題です。
あの、様々なご意見はあるかと思うんですけれども、間違いなく言えるのは、この子供達に罪はないわけですよね。ですから一人一人の子供に寄り添って、きめ細かく柔軟に対応していく必要があるんじゃないでしょうか。
あの、今日ご覧頂いた問題っていうのは、日本の入管行政をどうするっかってだけではなくね、今日登場した子供達のあの表情や言葉、そして、どうしてあげたいと私達がどう思うかって、
日本人に向けられた大きな問いかけであると思います。特集でした。」 おわり
これ見てて、フィリピンの生活の悲惨さを、改めて知ったと同時に、
正直、日本人に生まれてこの上なく幸せー と神様・仏様に感謝しました。
で、日本人に向けられた大きな問いかけ・・・というので考えてみた。
どこかの国では、外国人が妊娠したら国外退去というのを以前、何かで読んだ記憶がうっすらあります。
出来たら、某国のように、妊娠したら国外退去。もしくは何年かに一度、一斉捜査して、なるべく子供が小さいうちに祖国に帰してあげた方が、子供の為にいいと思いました。(マヌエルも十分、順応できたし。)
やっぱり10歳位まで日本にいたら、いくら祖国でも、その後のフィリピン生活は、出だしキツつぎます。誰だって帰りたくないですよー。
で、反日思想の外国人とか居座ったら、それこそテロの危険とかあるし、カルデロン母の妹のように、日本人と結婚したら在留許可が下りるなら、そっち系の闇ビジネスが横行しますよね。みんな日本からどんな手を使っても帰りたくないから。
かわいそうだけで、手心加えてたらキリがなく、日本が滅んでしまうと思いました。まずは不法滞在者の一掃だと思います。
それにしても心配なのが、民主政権の法務大臣です・・・・手ぬるいことすんなよっ!と思います。
私って、鬼ですかね?!
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