もう一人家持の戀の相手として名を擧げておきたいのは紀女郎であります。この人は家持と知り合つた時既に年輩だつた樣で、おそらく年上の人妻でせう。且つ名門紀氏の出で貴人に嫁し、複雜な人生經驗を有してゐた樣です。従ひまして家持に贈つた歌も、笠女郎の奔放な、情熱的な求愛の調子とは對照的に、何か自分の心を解つてくれる聰明な男の友を求める、といつた心からであつたと讀めます。家持の方でも、自分の心をはつきり戀とは呼んでゐるのですが、何か女友達に心のたけを打ち明けて語り合ふといつた心境だつたのではないかと思はれます。
うづら鳴く古りにし里ゆ思へども何ぞも妹にあふよしもなき
ひさかたの雨のふる日をただひとり山邊にをればいぶせかりけり
ぬばたまの昨夜は還しつ今宵さへ吾をかへすな路の長手を
第二首は殊に一見戀歌といふよりは身邊雜記的心境の歌ともみえるくらゐです。因みに〈いぶせし〉〈いぶせみ〉は家持がよく用ゐた詞で、家持といふ人の人生における「魂の状態」の代表的な症状の一と看做せるほどでして、それは例へば、
隱りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば來鳴くひぐらし
といふ、一首に典型的に表れてゐます。これは『萬葉集』中には數少い、ひぐらし蝉をそれと名を擧げて詠んだ短歌であり、その點で貴重な作例なのですが、家持にとつての〈いぶせし〉がどういふ状況で出てくるのか窺ふによい材料です。それと相通ふ、雨の日の一人での籠り居の淋しさを訴へる相手は、戀人であるにしても、あまり色氣の混じらない、落着いた友情關係に近いものと思はせるのですが、しかし引用した第三首を見れば、家持は紀女郎にはやはり言ひ寄つてゐたのであり、女郎の方でも相應の戀のかけひきをしてゐたらしい樣子が窺はれて面白いことです。
家持と紀女郎との戀は十分に人生の分別のある者同士の成人の戀であつたでせうが、『萬葉集』には、昭和二十年代に川田順氏が「老いらくの戀」といふ表現でその存在の權利を歌ひ上げました老人の戀の歌も立派に収録されてをります。その一方の當事者は、他ならぬ家持の賢い叔母君なる大伴坂上郎女、相手はやはり一族の中でせう大伴宿禰百代といふ人です。
事も無く生び來しものを老なみにかかる戀にも吾はあへるかも
と百代が歌ひかけます。百代はこの時太宰大監としてありますから、着實に官途を歩んできた役人型の男で、おそらく自分の生涯にはもう戀などといふ經驗に遭遇することはあるまい、との諦觀の境に達してゐたのでせう。ところがその頃になつて、どういふ經緯かはわかりませんが、たぶん寡婦になつてゐた坂上郎女と識り合ふのです。女の方では、
黒髪に白髪交り老ゆるまでかかる戀にはいまだあはなくに
と、見事に返します。注釋によれば、坂上郎女はこの時いはゆる熟年とも稱すべき年頃で、まさかに白髪まじりの老婦人といふほどの年ではなかつたらしいのですが、この詞遣ひはもしかすると相手の老人意識に合せての、彼女の戀のいたはりであつたのかもしれません。
この二首の問答だけを見れば、自らの老をよく意識した男女の穩やかな好意の寄せ合ひ、といふほどに受取れるのですが、實は、それぞれの第二首目を見ますと、なかなかどうして、川田順氏も顔負けではないかと思はれるほどの熱い官能の情の吐露でありまして、日本人の戀の念力は、こんな古い昔から老若を問はずかくも旺盛であつたことを知り、感嘆します。
大伴百代の方では、先の歌に續けて、
戀ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ
と歌ひ、又眉がかゆいのは思ふ人に逢へる前兆だといふ俚諺に乘せて、
暇無く人の眉根をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ妹かも
と言ひ寄ります。これに對して郎女の方では、
山菅の實成らぬ事を吾によせ云はれて君は誰とか寢らむ
とやり返すのですから、裏から言へば相手を決して老人扱ひをしてゐるわけではない、そこばくの嫉妬の情をも見せてゐるのですから、このお二人、戀愛合戰では雙方共に立派に現役と見受けられます。