本書は平成十四年五月に刊行されました同じ明成社版の『平成新選百人一首』の姉妹篇乃至は補遺篇といふ性格を持つてをります。同書の端書に編者の宇野精一先生が書いてをられます如く、平成の百人一首を新たに編纂するに當つては、先づ候補歌の選出を、甚だ廉い範囲に亙る多勢の方(二十三名)にお願ひしたのですが、その結果、この詞華集に入集の榮を享くべき候補歌人は約二百人、歌は千首近くが集まりました。この多數の候補作の中から題名通り百人の歌人とその作品各一首・計百首の歌を選定するのですから、その作業は容易なものではなく、文書による候補歌の「投票」や意見具申、選者達が一堂に會しての討議・檢討の會合などを度重ねて行ひ、最終的な百首の採用が決定するまでに一年半餘りの月日を費しました。
選定作業の或る段階が過ぎたところで振り返つてみますと、候補歌人が約百五十名、歌は八百首くらゐにまで絞り込んだ状況だつたやうですが、この中から百人と百首を選び抜いたあとに殘る數十の歌人と數百の秀歌を、そのまま捨て去つてしまふのは惜しい、といふ聲が一部の選者達の間に上つた由であります。
確かに、二千年に垂んとする日本人の和歌の歴史の中には、古代における敕撰の和歌集(二十一代集まで)、大小の個人の家集も數多く、歴史書や物語に記載された登場人物の口に上る作があり、近代に至れば結社や同人の歌誌・詞華集の點數は大へんな數に上るでせうから、それらを總合して考へてみますに、凡そ文獻に記載された限りの我が國人が詠じた和歌の總數は一寸想像するのが難しいほどの彪大な分量になると思はれます。『平成新選百人一首』は編纂に取りかかるに當つて、原則として現存の歌人の作は採らない、との方針を決めてをりましたから、選擇範囲には時代的な下限といふ或る程度の枠を設定できたわけですが、それにしても想像を絶する數の全日本人の和歌の歴史記録の中から約八百首の秀歌の選出が成就したといふことだけでも、これは一箇の記念的な事件といつてもよいかもしれません。
さうなりますと、この約八百首の選出といふ成果をそのままむざと放置してしまふのは惜しい、といつた氣持が生じたのも至つて自然のことであります。『平成新選百人一首』は各篇の解説の中で「參考」としてそれらの選外歌や歌人達にもふれた所があり、そこで同書に名前を擧げられた歌人は索引に記載された限りで百三十名、引用の形で掲載された和歌は計三百首に上りました。それでもなほ、選外となつた數十人の歌人や、百人のうちに入りはしたものの、一人一首の約束故に紹介されるに至らなかつたそれらの歌人の別の多くの作品についての未練の如きものは多分に殘りました。
そこでこの「百人一首」に取り込むことのできなかつた、多くの選外歌を中心に、同書の補遺の如き一書が書かれたらよいのではないか、といつた著想が編纂委員會の中心として苦心された選者達の念裡に生じたらしいのです。
本書の著者は、その委員會の中心的存在であつた明成社々長の石井公一郎氏、國語問題協議會常任理事の新井寛氏の御兩人から、その補遺篇執筆の御依頼を受けたわけですが、このお申し出に少々驚きました。著者は確かに中學一年生の時から數へて六十年に近い歌歴を有するものではありますが、現在でも或る同人誌(窓日短歌會『窓日』)の一常連寄稿者であるといふだけのことで、歌人として名乘りを揚げたこと、揚げようと思つたことはついぞありませんし、著者が或る歌誌の同人であることをも多くの知友は御存じないはずでした。文獻學の一學徒として古典と近代の和歌についての研究論文は幾つか書いてをりますが、歌學者として歌壇に向けての發言を試みたこともほとんどなのです。それだけに、殊に石井公一郎氏の熱心な御慫慂は少しく意外でありましたが、又一方このおすすめは著者にとつてはかなり有難く、嬉しいことでもありました。と申しますのは、文獻學に著實に立脚した上での「精神史」といつた研究分野に著者は多年心を傾けてきたのですが、その途上で、日本人の精神・感情生活の歴史を辿り、分析を加へ、その實相と意味とを明らかにしてゆく、といつた作業に際して、最も正直な、それ故に信頼に値する文獻は「歌」ではないか、といつた感想を懷くことが屡々あつたからです。歴史上の個人の日記・書簡・自傳・囘想録等は、言ふまでもなく所謂「精神史」といふ研究分野の好箇の材料であり、又一見個人の感懷などは根柢から無視した上で成立してゐると思はれる官撰の歴史書、或る事件の警察的立場からの公式調査書、官廳等の人事案件處理記録の類ですらが、研究者が文獻の行間を讀み抜く眼光を具へてゐる場合には、その奥に潛んだ當事者連の「心」の動きや感情の反映を微妙に看て取ることができるものです。その解讀の機微については多くの文獻學者が知つてをります。
しかし和歌は、その種の散文的な記録の文字を以てしてはなか/\傳へ難い、人間の心の奥深くに潛んだ心底の本音とでもいふべきものを、さらりと言つてのけてゐて後世の研究者を驚かせる、といつたことがよく起ります。それは同時代の人から見れば所詮作者の詠嘆であり、抒情であつて、あまり深く穿鑿すべきものではないと思はれてゐるかもしれません。さうであるが故にそこに潛む眞實が看過されることがあると同時に、他方作者の方でも世人の軽視・默過を前提としてゐる故にこそ、一種の安心感を以てひそかに本音を吐露することがあるのでして、それも和歌といふ表現形式にひそむ一つの不思議であるといふことができませう。
そんな一種の暗號通信の手段としての不思議な役割を果すことがある故に、歌は一箇の歴史の裏資料であり得るのですが、一方抒情詩としてのその表の顔を見れば、和歌こそは日本人の感情生活の最上の記録であり、和歌の歴史こそ即ち日本的情感の歴史である、と言ふことができるのです。それと、やがて本文でふれてゆくことになると思ひますが、何しろ歌は三十一文字の嚴密な表現形式を二千年間守り績けて揺がない「言葉」の精妙な構築物であるといふのがその基本的性格なのですから、歌は日本人の「知性」の活動の指標でもあります。作者の思考が緻密であるか粗笨であるかは、否應なく歌を構成してゐる言葉の精粗に直接に反映してしまふのです。
もう一つ言つてみれば、歌といふ表現形式は、漢民族に於ける詩の役割と同樣、作者の強い意志表明の手段、述志の具といふ性格をも有してをります。さうなりますと、歌は、それは必ずしも文章作品としての價値とは一致しないことになるかもしれませんが、時代思潮や時の輿論を代表する發言の一端と看做し得る例が多く生ずるであらうことが豫想されます。
その樣にして、それぞれの時代を代表する樣な力量のある歌人達の作品を概觀してゆくことを通じて、日本人の知・情・意の營みの跡づけと、作品解釋を以てしてのその再現が、或る程度までは期待できるのではないか。さう考へてみると、精神史・思想史を專攻分野とする著者にとつて、和歌に見る日本人の心の歴史を書いてみないか、とのお誘ひは文字通りに誘惑的でありました。文藝學としての歌學については全くの素人である著者が、自らの淺學を顧みることもなく、本書の試みを直ちにお引受けしたについては、上記の樣な平生の思惑に動かされた所が大きいのです。
撰述に當つては、本書がどこまでも『平成新選百人一首』の補遺篇であるといふ前提を外さない樣に心がけました。一應和歌の歴史を述べるとの脈絡を踏むのですから、直ちに時代區分をどうするのか、との問題が浮上するのですが、これも『平成新選百人一首』のそれを踏襲し、各時代でとり上げてゆく作品も、なるべく前記の選外の作と歌人とを復活させてゆくといふ約束を念頭に置いて論ずるつもりであります。
しかし、衆智を集めての共同作業とは異なつて、所詮は個人の著作でありますから、そこにどうしても著者の私的な趣味や好惡や時には偏愛が影を落してしまふのを避けることはできません。各時代の枠の中で取り上げる歌人の顔ぶれにつきましても『平成新選百人一首』のそれとの間に適切な平行關係を保てるとは限らないでせう。ただ『平成新選百人一首』の端書で宇野先生が述べてをられます編纂の基本方針、〈和歌の本来あるべき姿〉に絶えず思ひを致し、〈傳統文化の遺産を次代へ引繼ぎ、永く繼承させるよすがともして頂きたい〉といふ念願は、同書の姉妹篇である本書に於いても、常に念頭に置くつもりです。和歌を材料にして精神の歴史の略述を試みる、といつても、それは決して和歌を叙述の材料の位置に貶しめるといふ意味ではなく、すぐれた、美しい歌の背後には必ずそれに見合ふだけのすぐれた知性と美しい情感がひそんでゐるはずである――と考へ、この假説の實證のために、初めに述べました約八百首の歌とその周邊の再評價を試みる豫定であります。この企てをそんな風に御理解の上で著者の以下の試みにおつき合ひ頂くことを願ふものであります。