FIV 陽性
7月15日、深夜1時、私は、野良猫さんたちの給食に車で出発しました。
そしてすぐ、路上にいつも見かける猫達2匹が見えました。どうしたのかしら?この2匹は他の場所で毎日お世話されている子達、給食がおくれているのかしら?車を止め、危険な道路から離れるように追い払うようにするけれど、2匹の猫はその場所から離れない。何か異様な動き? 薄暗い中を見回すと、道路脇に茶トラの猫が横たわっていた。事故?誰?死んでる? まだ、暖かい。でも既に息が止まっていることはすぐにわかった。損傷が酷くて顔からは判断できなかった。 この場所に、茶トラの猫はいない。 もしや・・・ 走ってマンションに戻って、カマタを探した・・・いない。 ダンボールとタオルを持って急いで戻った。 大きさ、色、違いない。背中の一部にほんの少し白い部分があった。去勢手術がしてあった。 もはや、疑うところはなかった。カマタ君、どうしてこんな所にきたの。 この日は、マンションの植栽で消毒が撒かれていた。猫達は、マンションの敷地から出ていた。 何かの小さな偶然が重なって、マンション猫は、交通事故で突然に命を奪われた。 車にひかれた後、道路の脇まで自力で歩いたのだろうか。 私があと30分早くこの場所を通ったら、この子は死なずにすんだのでしょうに。 カマタ、お家に帰ろう。九年間、ずっとお外の子だったけど、うちの子になってね。 カマタ、あなたを初めて見たときから、ずっと、あなたの幸せを願ってきました。ずっと愛してきました。 どうか、安らかに、安らかに、眠ってください。 やはり、九年間、可愛がってくださったマンションの方達にお伝えに行ってまいりました。 ベッカム君と呼ばれていたそうです。寂しくなりますねと・・。 いつも、寄り添っていた三毛猫ちゃんが、今日、ずっとないていたそうです。 探しているのでしょう。 |
★ マッチ
2009年06月28日 (日) マッチ、永眠。
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病院へタクシーで搬送中に息を引き取ったとの報告です。 私は、マッチの最後を看取ってあげらず、マッチにとても申し訳なく思います。 前日、高い所に上らないので気になっていたそうです。 スタッフはその前の日までは、普通に見えたと言うのですが、元気がないのを見落としていたかもしれないと謝っておりました。 年令もわからず、口内炎の酷さやらで食べなくなることを繰り返していましたので、いつも体調は良好とはいえなかったのでしょう。 なついていないがために、いつもどこか不調のまま暮らしてきたのではないかと思いますと、やはり幸せ薄い子でした。ただ、スタッフがマッチの大好きなカニカマいっぱい食べさせてあげていました。 そんなことだけがマッチにしてあげられたことでした。 こうした恵まれない子の養い親となっていただきましたフォスター・ペアレント様には、深く感謝致しております。 あの子にも、あの子を思ってくださるフォスター・ペアレント様をつけてあげられました。 ひとりぽっちじゃないよ。マッチ。皆に愛されていたんだよ。 寂しいけれど、また天国であえるから、マッチ。待っててね。その時は、仲良くしてね。 |
★ チャメちゃん ★ マミちゃん
2009年06月22日 (月)
チャメちゃん、マミちゃん死亡 サビのチャメちゃん、キジトラ白のマミちゃん、相次いで亡くなりました。
外に暮らす子は、人間の残り物を食べて、水は何日もなかったりと健康に悪い環境の中に暮らしますので、腎臓の悪い子が多いです。チャメちゃんもマミちゃんも保護された時にはやせ細り多飲多尿で見るからに健康状態の悪さを物語っていました。 食欲があったのが幸いで、もう、好きな物を食べさせてあげた方がこの子達の幸せと考えいろいろ与えてきました。スタッフやボランティアさんに甘え、毎日が本当に幸せそうでした。 数回、食べなくなってうずくまり、点滴を受け元気になりを繰り返しましたが、末期症状となり、覚悟をしなければならなくなりました。 最後は私の家で見守り、日に日に少しづく歩くのもだるそうになり食べなくなり、そして静かに眠りにつきました。出会ってからこの日迄を、おそらく幸せを感じて暮らしてくれた事と思います。 「チャメちゃん、マミちゃん、出会えて良かったね。会いに来てくれてありがとう。」 食べることが楽しみで、まだ元気だった時のチャメちゃん 河川敷のホームレスさんのところに現れ、数ヶ月、皆に甘えて楽しく暮らしたマミちゃん |
★ 恋ちゃん
2009.05.07 恋ちゃん、やすらかに眠りに付きました。
最後の1ヶ月の恋ちゃんは、日々にいろいろな変化がはっきりと見られました。 ケージを開けてあげると自分からぴょーんと飛び出し、とても元気で調子が良さそうにも見えます。 でも何かが変です。 人が大好きな恋ちゃんは、私のベッドで一緒に寝るようになり、私やスタッフが動くと付き歩くようになりました。 「恋ちゃんが変!」スタッフの声に驚いて恋ちゃんを見るとハーハーと凄い速い呼吸をして目を見開き、もう駄目かと。 呼吸を楽にしてやろうとして口を開け舌を出させると、わづかの間に呼吸が落ち着き10分後には何事もなかったかのようにゴロゴロと喉をならします。「何か詰まっちゃってたの。」 でも確かに何かが変なのです。 1週間ほど前から動きに異常がみられるようになりました。 動きが多くなり部屋のあちこち隅をぐるぐると右へ右へと回りだします。 脳に何か問題が?昨日より今日と症状は進行して、部屋をグルグルと回りながらも誰かの側にいたいのでしょう。人や他の猫に擦り寄って生きます。他の猫はびっくりしてしまいますがそれでも恋ちゃんは寄っていきます。 ぐるぐる回って、物やケージ、壁の間に挟まってしまい動けなくなってしまいます。ケージに入れても動き回って顔を網目に挟むような姿勢で動けなくなってしまいます。 水の器の中に入ってしまったりします。目が離せません。 抱いていてあげると大人しくしています。恋ちゃんにもう時間があまりないことは明らかでした。食べなくなって三日目、私のベッドで、恋ちゃん、静かに息を引き取りました。やすらかでした。 大変な猫生だったと思います。 ただ、不幸な暮らしの中で優しい男性に出会い愛情をもらえたこと、その男性が自分では助けられないと思ったとき「もう食べることもできなくなって、でも生きているんだ。食べさせてやりたいんだ。生きさせてやりたいんだ。」と言って私に託してくれたこと。 皆様に、応援していただいたこと。 愛に包まれて、安らかな眠りにつく事ができました。 何年も、お外の猫さんたちのお世話をされている男性ボランティアさん、恋ちゃんのご報告を致しました。 「僕ではどうにもできなかったからこれでよかった。」と何度もお礼を言っていました。 皆様、恋ちゃんは、命ある限り幸せに生きようと頑張りました。 私達、皆の気持ちに応えてくれました。 恋ちゃんを応援してくださって、本当にありがとうございました。 合掌 |
2009.04.03 恋ちゃんが保護されて三ヶ月になります。 わづかづつ、鼻の横の穴が大きく広がってきています。悪い方へ向いているように感じます。 一時は食欲も出て体重も増えましたが、このところ食欲も低下しています。 抗生物質を使用していますが、右目の上が大きく腫れてきてしまいました。 4月2日、病院で診ていただき目の上を切開して膿を出し洗浄していただきました。 この子の救いは、野良ちゃん暮らしの中でも心優しい男性に出会え、食べ物をもらい優しくしてきてもらったこと、人間が恐くないことです。 好きな食べ物とブラッシングと、恋ちゃんの小さな喜びを少しでも見つけて与えてあげたいと思います。 |
2009.02.19更新 恋ちゃんの体重測定 引き取った時の恋ちゃんの写真です。体重は、1、5キロ。 ハーちゃん基金での応援もありがとうございます。 あれから、1ヵ月半。補液、栄養剤、ミルクやa/d缶の強制給仕、恋ちゃんは食欲を示してくれて一緒に頑張ってきましたよ。 そして、今日は、恋ちゃんの体重測定。 ジャーン!やったね。ついに3キロだ。体重倍になった恋ちゃんです。 ふっくら、まあるくなったでしょ。 瘠せて骨がゴツゴツしていたので最初から厚めの敷物で体が痛くないようにしてきました。 皆様から送っていただいた洋服です。 当会の写真のあちこちに「アラ〜、私の送った衣類がこんなところに〜。」とお気づきの方も多いでしょう。 お陰さまで、動物たちもいつも清潔で暖かなベッドでくつろがせて頂いております。 鼻の横の大きく開いてしまった穴は塞がることはありませんが、薬を毎日塗って化膿しないように気をつけています。恋ちゃんも、機嫌よさそうですし、まずは、体重が増えて体力が戻ってきたことを喜んでいます。 |
2009.01.10UP
年末の12月30日の夜のこと、TNRを終え、帰路に向う車の中で電話がなりました。 男性の個人ボランティアさんで長年野良猫の世話をして下さっている方でした。 「8年前に結さんに不妊手術をして貰った猫が衰弱してもうダメかもしれないけど、辛そうで、食べさせてあげたいし生かしてあげたいけど自分のてにおえないんだ。病院が休みになってしまってみてもらうこともできなくて・・・・」「すぐにそっちに向うから見ててあげて」 老猫、恋ちゃんでした。歯も1本もないおばあちゃん猫です。 「どんななの?」「目も潰れてしまった様だし鼻がガビガビに塞がっていて酷い状態だから1週間前に病院に連れて行ったら風邪でしょうということで注射と栄養剤を打って貰ったんだけど、そのあと鼻のかさぶたがとれたら穴が開いていて骨が見えるし、もう2週間以上食べられなくてやせ細っててしまったんだよ。食べようとするのにたべられないから、食べさせてあげたいし1日でも生かしてあげたいから、結さんなにか栄養付けさせる方法ないかと思って。」 男性ボランティアさん、数年前にも、フクちゃんという顔が腫れ上がった猫で助けを求めてきたことがあります。 「もっと早く、言わなきゃ、駄目だよ。助かるかどうかわからないよ。」そう言ったけれど、沢山の犬猫を保護している私に頼むはとても気が引けたのでしょう。 恋ちゃんですが、引き取ったときは力なく動かず、体重1.5キロ、内臓が機能してくれている事を祈り処置に入りました。 恋ちゃん、頑張って新年を迎えました。 埋没しているように見えた右目が開き眼球が確認できました。見えているようです。 鼻の横の大きな穴は腐って骨が見えていますが汚れをとり薬を注入しています。 縫うにもこの場所では、それより麻酔に持ちこたえられないでしょう。 先生と相談しながら見守っています。 シリンジでの流動食が程ほどの量、飲み込めるようになりました。酷かった下痢も治まり、栄養も吸収されているようです。しっかり顔を持ち上げるようになりました。 トイレにも歩いて自分で入れるようになりました。 ただ、顔の穴は、少し広がってしまったように見え、心配です。また、診察です。 男性ボランティアさんには現状を報告しました。 「助かったら、お家の中で余生のんびり暮させるからね。」 『頑張れ!戦士たち』に恋ちゃんが加わりました。 応援してくださいね。 |
2009年05.03 ミーナちゃん 急死 三毛の老猫でした。 保護されたときから、よだれが出たり鼻水だったり、保護しなければならない健康状態で当会のファミリーに加わりました。 臆病な子で、発砲スチロールハウスからめったに出る事のない子で、写真はみんな発砲スチロールハウスの穴から顔が見えるだけのものでした。少し調子の良いときは美味しい臭いに反応して要求して鳴き声もきかれました。 良いとき悪いときを繰り返し、こんな状態が続くのかと思っていました。 ボランティアさん達も、そんなミーナちゃんの健康状態をいつも気にかけてくれていました。 3日ほど前からまた元気がなくなり食べなくなりましたが、まさかの急死でした。 最後を診てあげられず、とても残念です。ミーナちゃん、ごめんなさい。やすらかに・・・ 合掌 |
コンペイ
フォスターペアレント:久松様
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コウジ君、永眠(犬猫救済の輪)
2009年1月10日 コウジ君、永眠
大田区の神社の境内で生まれ保護したコウジ君。 兄弟のにゃすこちゃんは、今も里親様宅で幸せに暮らしています。 コウジ君、臆病で触れない子で、でも可愛くて愛しくて抱っこしてあげたかったよ。 よだれが出たり、やせてきたりしてなんとか検査をしたらFIV猫エーズ陽性。 負けないで生きて欲しかった。 食も細いけれど美味しいもの食べたいよとキッチンから1メートル離れて貰えるのを待っていたね。 コウジ君のために買った我が家にしては豪華な食べ物も冷凍庫にいっぱい残ってしまいました。 随分瘠せてきたのが気になっていたけれど、急に大量の血を吐いて、胃壁が剥がれた物までドッと吐いて、体の中で何が起きているのか、何度も繰り返し吐血して今までの猫エーズの子にも見たことのない症状でした。 すっかり元気を消失してしまったコウジ。痛み止め、止血剤、ステロイド、補液、先生の治療に祈りを込めたけれど・・・。 翌朝、力つきて息を引き取りました。 まだまだ若かったのに、人間が恐くて、病気と戦い、幸せ薄い子でした。 私には、そんなコウジが愛しくて、コウジ君の写真をパソコンの壁紙にしたりもしました。 なつかせてあげる事ができなくて、ごめんね、ごめんね、コウジ。 |
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センターよりの老犬チーズちゃん死亡/多摩川のコロ君(20才)死亡
川崎市動物愛護センター 担当者様、職員一同様
ご報告申し上げます。 譲渡していただきましたマルチーズの老犬ですが、 1月9日の早朝、病院にて亡くなりました。 元気に楽しく暮しておりましたが、心臓、肝臓、腎臓と非常に悪く、年明けより肺水腫もあり入院の末、残念ながら回復させてあげられませんでした。 短い期間でしたが、ボランティアさんの深い愛情と献身的なお世話でおそらく幸せであっただろうと思われる時間をすごさせてあげられましたこと、引き取って本当に良かったと思っております。 ありがとうございました。 犬猫救済の輪 結 昭子 チーズちゃん、小さな小さな体で精一杯生きました。老犬で足はヨロヨロしてもころんでも、すぐに起き上がって楽しそうに走りました。いつも嬉しそうな顔をしていました。 もう少しは、チーズちゃんの幸せな日々が続いて欲しかったけれど、残念でボランティアさんは泣いたけれど、チーズちゃんは、「楽しくて嬉しくて幸せだったよ。ありがとう。」と言って旅立ったと思います。 チーズちゃん、やすらかに。 不幸な経過を辿り最後はセンターで孤独な死を迎える動物たち、みんなみんな、どんなに短い日々でも一瞬でも、最後の最後は「楽しくて嬉しくて幸せだったよ。」を知って欲しい。感じて欲しい。 多摩川河川敷でホームレスさんのお父さんに可愛がられ一生をおくりましたコロ君。 初めて目にしたとき、ホームレスさんは「コロは13才位になるな」といっていましたので、それから年をとり今は18才位かなと思っておりましたが、亡くなった時、ホームレスさんのお父さんが言うには、「コロは平成元年に子犬で来たから20才に間違いないんだ。」ということです。 病気ひとつせず、20年。 フォスター・ペアレント様 K様のご支援を頂き、毎年のワクチン、フィラリア予防、ノミダニ予防もやってもらうことができました。 コロ君が亡くなったのは正月でしたので、k様には今日、電話でご報告とお礼を申し上げました。 k様は、最初、当会から猫の里親になって下さった方です。その後犬猫たちと暮す中で、ワンちゃんの散歩中に捨て猫の乳飲み子を発見したりしてはまた家族に迎え入れたり、里親探しをしたりもされているそうです。 こうした一生も珍しいですが、コロ君なりには、ホームレスさんのお父さんに可愛がられ、おだやかでほんのりした一生を過ごせたのではないかと思います。 コロ君、やすらかに。 2008年12月11日 富士見公園シェルターのペロちゃん 永眠 富士見公園にホームレスさんと共に長く暮し、その後は富士見公園シェルターでボランティアさんたちのお世話になり余生を過ごしたペロちゃんが、静かに眠りにつきました。 公園では、何度も何度も子供を産んだそうです。 出会ったときのペロちゃんは小さな瘠せたボロボロの体で子猫を抱いていました。 保護されてからは、栄養状態も良くなり見違えるほどぴかぴかになりましたが、壊れてしまった内臓は治りませんでした。 元気消失から私の自宅に移り、数日、私のベッドで頭を擦り付け甘えながら寝てくれましたが、黄疸もすすみ末期の状態になり、とうとう力つきました。 でも、寿命と考えていいと思います。 もっともっと、普通の家庭でゆったりと甘えて暮させてあげたかったけれど、 ボランティアさん達がいて、フォスター・ペアレントさんがいてくれたから、ペロちゃんもシェルターで小さな幸せがあったと思います。 今ここにある命は、ボランティアさん、フォスター・ペアレントさん、富士見公園150匹猫救出活動当初から支援してくださった全国の皆様のお陰で、救われた命です。 一人ではどうすることもできなかったあのときの事を思い出します。 シェルターの猫達も、保護されてから2年半、年をとっていきます。 「みんなが助けてくれたんだよ。もっと幸せにならなくちゃね。」 普通の家庭へ、家族を探してあげたいという思いはつのります。 なついていなくても、若くなくても、「家に来てのんびり暮してちょうだい。」そんな、お声がかからないかなと待ち続けています。 週末、大きいけれど内弁慶のドナちゃんに会いに来てくださる方がいるそうです。 ボランティアさんが立ち会ってシェルターでお見合いです。 どうか、良いご縁になりますように。 みんなを里親様に送り出すまで、まだまだ、時間がかかります。 仮設シェルターは、2年がたち何箇所もひどい雨漏りです。 近日、修繕をと思っております。 皆様へ、ペロちゃんが大変お世話になりました。 ありがとうございました。 |
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2008年10月08日 (水) 2008年10月07日 (水)
2008年10月7日、12時15分、ピット君が、静かに永遠の眠りにつきました。
2006年川崎市動物愛護センターから引き取りました。 引き取る時には既に腰が弱く、尻餅をついてしまったりしましたが、穏やかな性格の子で、毎日、嬉しそうに嬉しそうに河川敷に行っての散歩を楽しみました。 2007年5月には、いよいよ、歩けなくなり、立てなくなり、寝たきりになりました。 私の自宅で一緒に暮らしボランティアさんにも大切にしてもらいました。 お腹すいた、オシッコしたいと、ワンワンと夜中でも要求した日々もわづか、声も出せなくなくなりました。 2008年寝たきりになって1年が過ぎ、自力では食べられなくなり、強制給仕も難しくなり、一口食べるのもやっとになり、飲み込む力もなくなりました。 8月頃からは、お腹もペッタンコ、瘠せて骨しかないような身体で生きているのが不思議なほどでした。少しでも栄養を入れなければとあれこれ工夫してもミルクも飲み込めず、好んでいたボランティアさんが探してきてくれたカロリーわんの液体をシリンジで少しづつ与えても殆ど口の横からこぼれてしまうようになりました。 身体も首が下を向いたまま固まってしまい、時間をかけて少し上に伸ばすようにして、ミルクをたらし、ピーちゃん、ピーちゃんと話しかけながら、コクンとしたらまたたらし、コクントしたらまたたらし、生命を維持してきました。 ピーは、ずっときれいな可愛い目で私を見ていました。たぶん、見えていたと思います。 意識もしっかりあるようでした。それなのに仕事と動物救済活動でピーちゃんの側にいてあがられない毎日でした。 寝たきりで寝返りもできないでいるピーに手をかけてあげられないのはとても辛いことでした。 わづかな睡眠をとる時間だけは、狭いベッドに毎日、ピーを抱いて寝ました。 最後最後の今日は、もう何も食べられないピーに、飲み込めなくても美味しい味のするものを口に含ませてあげたいと一番好きそうな缶詰を少しだけ含ませてみましたがもう口は数ミリも動きませんでした。 ピーを抱いて少しの時が過ぎ、ピーは、静かに静かに眠りました。 一生懸命、一生懸命、 一分一秒、生きられる限り生きました。 命、大切なものなんだよ。 無駄にしちゃいけないよ。 与えられた命、精一杯、生きられるだけ生きたい、生きるんだ。 ぬくもりをもらい、ぬくもりを与え一緒に生きるんだ。 ひとつしかない、大切な命、奪ったりしないで。 命は大切に、大切に、守ってあげて。 僕は、生きたよ。最後まで。 僕を生かしてくれて、ありがとう。 養い親となって支えて下さいましたフォスター・ペアレント様、ありがとうございました。 優しくしてくれたボランティアさん、ありがとう。 ピット・結 昭子 |