虹の橋へ

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里親さんからの手紙



★ カマタ

可愛がられて九年、マンション猫、突然のお別れ
2009年07月16日 (木)
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どうして、どうしてなの。
まだ大人になりきっていない茶トラの臆病猫が、マンションの敷地に現れたのは、平成12年9月でした。
数えたら9才を過ぎました。
ずっと、マンションの敷地を住処にして仲良しの三毛ちゃんといつも一緒に歩き、一緒に寝て、住民の方達に可愛がられて、私の部屋の小さな専用庭にも毎日来てくれて、何処にも行かず九年間ずっと平和に暮らしてきたのに、どうしてなの。

名前は、みんなからいくつももらっていたね。
私は、カマタ君と呼んでいた。

  IMG_1029.jpg IMG_1033.jpg

7月15日、深夜1時、私は、野良猫さんたちの給食に車で出発しました。
そしてすぐ、路上にいつも見かける猫達2匹が見えました。どうしたのかしら?この2匹は他の場所で毎日お世話されている子達、給食がおくれているのかしら?車を止め、危険な道路から離れるように追い払うようにするけれど、2匹の猫はその場所から離れない。何か異様な動き?

薄暗い中を見回すと、道路脇に茶トラの猫が横たわっていた。事故?誰?死んでる?
まだ、暖かい。でも既に息が止まっていることはすぐにわかった。損傷が酷くて顔からは判断できなかった。
この場所に、茶トラの猫はいない。
もしや・・・  走ってマンションに戻って、カマタを探した・・・いない。


ダンボールとタオルを持って急いで戻った。
大きさ、色、違いない。背中の一部にほんの少し白い部分があった。去勢手術がしてあった。
もはや、疑うところはなかった。カマタ君、どうしてこんな所にきたの。

この日は、マンションの植栽で消毒が撒かれていた。猫達は、マンションの敷地から出ていた。
何かの小さな偶然が重なって、マンション猫は、交通事故で突然に命を奪われた。
車にひかれた後、道路の脇まで自力で歩いたのだろうか。
私があと30分早くこの場所を通ったら、この子は死なずにすんだのでしょうに。



カマタ、お家に帰ろう。九年間、ずっとお外の子だったけど、うちの子になってね。
カマタ、あなたを初めて見たときから、ずっと、あなたの幸せを願ってきました。ずっと愛してきました。

どうか、安らかに、安らかに、眠ってください。




やはり、九年間、可愛がってくださったマンションの方達にお伝えに行ってまいりました。
ベッカム君と呼ばれていたそうです。寂しくなりますねと・・。
いつも、寄り添っていた三毛猫ちゃんが、今日、ずっとないていたそうです。
探しているのでしょう。







★ マッチ

2009年06月28日 (日)
マッチ、永眠。
    

病院へタクシーで搬送中に息を引き取ったとの報告です。
私は、マッチの最後を看取ってあげらず、マッチにとても申し訳なく思います。
前日、高い所に上らないので気になっていたそうです。
スタッフはその前の日までは、普通に見えたと言うのですが、元気がないのを見落としていたかもしれないと謝っておりました。
年令もわからず、口内炎の酷さやらで食べなくなることを繰り返していましたので、いつも体調は良好とはいえなかったのでしょう。
なついていないがために、いつもどこか不調のまま暮らしてきたのではないかと思いますと、やはり幸せ薄い子でした。ただ、スタッフがマッチの大好きなカニカマいっぱい食べさせてあげていました。
そんなことだけがマッチにしてあげられたことでした。

こうした恵まれない子の養い親となっていただきましたフォスター・ペアレント様には、深く感謝致しております。
あの子にも、あの子を思ってくださるフォスター・ペアレント様をつけてあげられました。
ひとりぽっちじゃないよ。マッチ。皆に愛されていたんだよ。
寂しいけれど、また天国であえるから、マッチ。待っててね。その時は、仲良くしてね。



★ フジタ君

2009年06月23日 (火)
フジタ君、永眠。
検査からたった1日、フジタ君、永眠。
フジタ君も、ボランティアさんも、私も、精一杯だったね。

フォスター・ペアレント様、沢山沢山、フジタ君を思ってくださったこと、よく伝わってまいりました。
言葉少なで申し訳ございません。本当にありがとうございました。
富士見公園シェルターの、フジタ君です。
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急激に痩せ始め異変がはっきりとわかるのですが、シェルターの中でも一番の恐がりさんでしたから、ボランティアさんも誰もフジタ君に触ることはできませんでした。
衰弱がはじまりやっと箱に入ったところを私の自宅に移動しましたが、何も食べません。
衰弱が進んでいるのはわかりますが、恐がりますし怒りますし思うような治療を受けさせてあげられません。

1週間が経過して衰弱も更に進み、辛い苦しいままの延命は、この子のためにも望みませんが、原因がわかれば、もしかして何か助かるものかもしれないと、鎮静をかけての血液検査を受けました。
けれど、1週間も食べていないフジタ君は、もう血が採れません。わづかに採れた量で、エーズと白血病の検査をしましたが、FIPや内蔵機能を調べるための血液はとることができませんでした。
エーズ・白血病は、陰性でした。
先生は、おそらくFIPではないかとおっしゃっておられました。
鎮静で、もうろうとしているフジタ君を初めて抱いて・・・



        ★ チャメちゃん   ★ マミちゃん
2009年06月22日 (月)
チャメちゃん、マミちゃん死亡
サビのチャメちゃん、キジトラ白のマミちゃん、相次いで亡くなりました。
外に暮らす子は、人間の残り物を食べて、水は何日もなかったりと健康に悪い環境の中に暮らしますので、腎臓の悪い子が多いです。チャメちゃんもマミちゃんも保護された時にはやせ細り多飲多尿で見るからに健康状態の悪さを物語っていました。
食欲があったのが幸いで、もう、好きな物を食べさせてあげた方がこの子達の幸せと考えいろいろ与えてきました。スタッフやボランティアさんに甘え、毎日が本当に幸せそうでした。
数回、食べなくなってうずくまり、点滴を受け元気になりを繰り返しましたが、末期症状となり、覚悟をしなければならなくなりました。

最後は私の家で見守り、日に日に少しづく歩くのもだるそうになり食べなくなり、そして静かに眠りにつきました。出会ってからこの日迄を、おそらく幸せを感じて暮らしてくれた事と思います。
「チャメちゃん、マミちゃん、出会えて良かったね。会いに来てくれてありがとう。」

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食べることが楽しみで、まだ元気だった時のチャメちゃん

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河川敷のホームレスさんのところに現れ、数ヶ月、皆に甘えて楽しく暮らしたマミちゃん

★ 恋ちゃん
2009.05.07 恋ちゃん、やすらかに眠りに付きました。

最後の1ヶ月の恋ちゃんは、日々にいろいろな変化がはっきりと見られました。
ケージを開けてあげると自分からぴょーんと飛び出し、とても元気で調子が良さそうにも見えます。
でも何かが変です。
人が大好きな恋ちゃんは、私のベッドで一緒に寝るようになり、私やスタッフが動くと付き歩くようになりました。
「恋ちゃんが変!」スタッフの声に驚いて恋ちゃんを見るとハーハーと凄い速い呼吸をして目を見開き、もう駄目かと。
呼吸を楽にしてやろうとして口を開け舌を出させると、わづかの間に呼吸が落ち着き10分後には何事もなかったかのようにゴロゴロと喉をならします。「何か詰まっちゃってたの。」
でも確かに何かが変なのです。

1週間ほど前から動きに異常がみられるようになりました。
動きが多くなり部屋のあちこち隅をぐるぐると右へ右へと回りだします。
脳に何か問題が?昨日より今日と症状は進行して、部屋をグルグルと回りながらも誰かの側にいたいのでしょう。人や他の猫に擦り寄って生きます。他の猫はびっくりしてしまいますがそれでも恋ちゃんは寄っていきます。
ぐるぐる回って、物やケージ、壁の間に挟まってしまい動けなくなってしまいます。ケージに入れても動き回って顔を網目に挟むような姿勢で動けなくなってしまいます。
水の器の中に入ってしまったりします。目が離せません。

抱いていてあげると大人しくしています。恋ちゃんにもう時間があまりないことは明らかでした。食べなくなって三日目、私のベッドで、恋ちゃん、静かに息を引き取りました。やすらかでした。

大変な猫生だったと思います。
ただ、不幸な暮らしの中で優しい男性に出会い愛情をもらえたこと、その男性が自分では助けられないと思ったとき「もう食べることもできなくなって、でも生きているんだ。食べさせてやりたいんだ。生きさせてやりたいんだ。」と言って私に託してくれたこと。
皆様に、応援していただいたこと。
愛に包まれて、安らかな眠りにつく事ができました。

何年も、お外の猫さんたちのお世話をされている男性ボランティアさん、恋ちゃんのご報告を致しました。
「僕ではどうにもできなかったからこれでよかった。」と何度もお礼を言っていました。

皆様、恋ちゃんは、命ある限り幸せに生きようと頑張りました。
私達、皆の気持ちに応えてくれました。

    

恋ちゃんを応援してくださって、本当にありがとうございました。
                                              合掌

2009.04.03
恋ちゃんが保護されて三ヶ月になります。
わづかづつ、鼻の横の穴が大きく広がってきています。悪い方へ向いているように感じます。
一時は食欲も出て体重も増えましたが、このところ食欲も低下しています。

抗生物質を使用していますが、右目の上が大きく腫れてきてしまいました。
4月2日、病院で診ていただき目の上を切開して膿を出し洗浄していただきました。
  koi53.jpg  koi55_convert_20090403150543.jpg 
 この子の救いは、野良ちゃん暮らしの中でも心優しい男性に出会え、食べ物をもらい優しくしてきてもらったこと、人間が恐くないことです。
好きな食べ物とブラッシングと、恋ちゃんの小さな喜びを少しでも見つけて与えてあげたいと思います。
2009.02.19更新
恋ちゃんの体重測定

引き取った時の恋ちゃんの写真です。体重は、1、5キロ。
ハーちゃん基金での応援もありがとうございます。
あれから、1ヵ月半。補液、栄養剤、ミルクやa/d缶の強制給仕、恋ちゃんは食欲を示してくれて一緒に頑張ってきましたよ。
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そして、今日は、恋ちゃんの体重測定。
ジャーン!やったね。ついに3キロだ。体重倍になった恋ちゃんです。
ふっくら、まあるくなったでしょ。
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瘠せて骨がゴツゴツしていたので最初から厚めの敷物で体が痛くないようにしてきました。
皆様から送っていただいた洋服です。
当会の写真のあちこちに「アラ〜、私の送った衣類がこんなところに〜。」とお気づきの方も多いでしょう。
お陰さまで、動物たちもいつも清潔で暖かなベッドでくつろがせて頂いております。
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鼻の横の大きく開いてしまった穴は塞がることはありませんが、薬を毎日塗って化膿しないように気をつけています。恋ちゃんも、機嫌よさそうですし、まずは、体重が増えて体力が戻ってきたことを喜んでいます。

2009.01.10UP
年末の12月30日の夜のこと、TNRを終え、帰路に向う車の中で電話がなりました。
男性の個人ボランティアさんで長年野良猫の世話をして下さっている方でした。
「8年前に結さんに不妊手術をして貰った猫が衰弱してもうダメかもしれないけど、辛そうで、食べさせてあげたいし生かしてあげたいけど自分のてにおえないんだ。病院が休みになってしまってみてもらうこともできなくて・・・・」「すぐにそっちに向うから見ててあげて」

老猫、恋ちゃんでした。歯も1本もないおばあちゃん猫です。
「どんななの?」「目も潰れてしまった様だし鼻がガビガビに塞がっていて酷い状態だから1週間前に病院に連れて行ったら風邪でしょうということで注射と栄養剤を打って貰ったんだけど、そのあと鼻のかさぶたがとれたら穴が開いていて骨が見えるし、もう2週間以上食べられなくてやせ細っててしまったんだよ。食べようとするのにたべられないから、食べさせてあげたいし1日でも生かしてあげたいから、結さんなにか栄養付けさせる方法ないかと思って。」

男性ボランティアさん、数年前にも、フクちゃんという顔が腫れ上がった猫で助けを求めてきたことがあります。
「もっと早く、言わなきゃ、駄目だよ。助かるかどうかわからないよ。」そう言ったけれど、沢山の犬猫を保護している私に頼むはとても気が引けたのでしょう。
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恋ちゃんですが、引き取ったときは力なく動かず、体重1.5キロ、内臓が機能してくれている事を祈り処置に入りました。

恋ちゃん、頑張って新年を迎えました。
埋没しているように見えた右目が開き眼球が確認できました。見えているようです。
鼻の横の大きな穴は腐って骨が見えていますが汚れをとり薬を注入しています。
縫うにもこの場所では、それより麻酔に持ちこたえられないでしょう。

先生と相談しながら見守っています。
シリンジでの流動食が程ほどの量、飲み込めるようになりました。酷かった下痢も治まり、栄養も吸収されているようです。しっかり顔を持ち上げるようになりました。
トイレにも歩いて自分で入れるようになりました。

ただ、顔の穴は、少し広がってしまったように見え、心配です。また、診察です。
男性ボランティアさんには現状を報告しました。
「助かったら、お家の中で余生のんびり暮させるからね。」

『頑張れ!戦士たち』に恋ちゃんが加わりました。
応援してくださいね。
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2009年05.03 ミーナちゃん 急死

三毛の老猫でした。
保護されたときから、よだれが出たり鼻水だったり、保護しなければならない健康状態で当会のファミリーに加わりました。
臆病な子で、発砲スチロールハウスからめったに出る事のない子で、写真はみんな発砲スチロールハウスの穴から顔が見えるだけのものでした。少し調子の良いときは美味しい臭いに反応して要求して鳴き声もきかれました。
良いとき悪いときを繰り返し、こんな状態が続くのかと思っていました。

ボランティアさん達も、そんなミーナちゃんの健康状態をいつも気にかけてくれていました。
3日ほど前からまた元気がなくなり食べなくなりましたが、まさかの急死でした。
最後を診てあげられず、とても残念です。ミーナちゃん、ごめんなさい。やすらかに・・・      合掌


コンペイ

フォスターペアレント:久松様

■病気等 
■性別   オス
■特徴   白黒 推定2才(H19現在)

■経緯
 東京都大田区で保護。
 野良猫さんの不妊手術のため駐車場で20匹の猫の捕獲をしていた時、異常に気付きました。

 近付こうとするとパニックになり、ころげるように倒れながら逃げました。交通事故の後遺症でしょうか。神経に問題がありそうです。

 とても外で生きていくには無理がある。
 なんとか捕獲器に入るように、時間をかけてやっと捕獲できました。こんな不自由な体で外でどれほど恐い思いをしてきたことでしょう。
 人に対する恐れ方は、今まで見たこともないほどで本当にかわいそうです。
2009年04.01 コンペイ君、永眠 やすらかに眠ってください。

4月1日、13時30分 コンペイ君が亡くなりました。

4月1日、母が去年の今日亡くなりました。
朝から1年前を思いだしながら、1日が始まりました。
何があっても動物達がいて、やる事をこなしていく毎日です。

昨日、31日早朝に突然、コンペイ君に異変が起こりました。
早朝で、どうしていいかわからず先生に送ったメールです。
動物が具合悪くなると何度経験を積んでいても焦ります。
コンペイ君、たぶん♂とか書いてしまいました。


「先生、猫具合悪いです。コンペイ君たぶん♂4年ほど前捕獲。事故の後遺症か見たとき上手く歩けず左右にグラグラ倒れながら逃げた。

今もそのままフラフラ逃げる。すごい臆病で人を見ただけでパニック、逃げる。
> 朝、5時半、動かない、触れると連絡あり、引き取り。呼吸がすごく速い。6時40分おしっこ出ているか解らず、真黄色のが少しでて

シーツが汚れている。
> 私が今日検査で朝9時から病院.。8時まで見て落ち着かなかったらボラさんに病院にいってもらいます。なんとか顔をタオルで隠して見えなければ膀胱や触診可能と思う。血液検査とかできる限りのことお願いしたいです。宜しくお願い申し上げます。          結 昭子」

「おはようございますk体的に症状を教えていただきありがとうございます 結さんも体の調子が悪いのですか?お大事にして下さいね 結さんを頼りにしている犬・猫が沢山います その弱い動物達の為にも健康に留意して下さいね むろん私も健康に気をつけます では又 Mailします」

「先生、ありがとうございます。時間構わず連絡して申し訳ございません。
今、ボラさん、出発しました。私も出かけます。どうぞ、宜しくお願い申し上げます。」


衰弱して触れるほどでしたが検査は鎮静をかけなければできませんでした。
検査の結果は、心臓と腎臓 非常に悪くて危険な状態ですができるだけのことをやりましょう。とのことでした。

コンペイ君入院。


そして、今日、昼に病院からコンペイ君が息を引き取りましたとの連絡がありました。

昨夜と、今、お世話になっておりましたフォスター・ペアレントのH様へご報告のメールを送信いたしました。



「フォスター・ペアレント H様

残念なお知らせとなりました。
助けられませんでした。申し訳ございません。

本日、13時30分、病院にて息を引き取りました。
特別な中でも特別な子でなんともいいようのない悲しい気持ちです。
 
H様には、明るい近況報告もできないままに悲しいお知らせとなりまして本当に申し訳ございません。
これから、病院にコンペイ君を迎えに行って参ります。
犬猫救済の輪 結 昭子」



コンペイ君を、スタッフと共にお見送りいたしました。
不自由な体で、怖さの中で、一生懸命生き抜いたコンペイ君。
言い表せない思いです。

フォスター・ペアレント様から、コンペイ君の好きだった食べ物を沢山入れてあげてくださいとメールを頂きました。これが私達がやってあげられるすべて、フォスターさんのお気持ちはよくわかります。

一生を幸せいっぱいに過ごす子と、生まれたときから不幸を背負う子と、同じ命にこんな不平等があってよいのでしょうか。
私達は、1匹でも多くの命を救い、幸せに生きる権利を守ってあげたいと活動しています。

コンペイ君のために支え続けてくださったフォスター・ペアレントH様、
そして、応援していただいた皆様に厚く御礼を申し上げます。





2007.11
 この子の過去に何があったのか、発見した時は倒れながら逃げる姿にびっくりしました。
 生まれつきなのか交通事故の後遺症なのかよほどの恐怖を経験したのでしょう。

 思うように走れない身体で人間から隠れ逃げ、よく生きていてくれました。
 捕獲ができて良かったです。


 異常な恐がり方はなかなか治りません。
 食べることに不自由なく、安全な住む場所を与えてあげられました。もっと楽しく暮せるようにコンペイ君の恐さを取り除いてあげたいです。
 どの子よりも時間がかかりそうですが。



2007.07.06
 まだまだ逃げますが、少し距離を置いて静かに見つめますとコンペイ君も「大丈夫かな」といった顔つきで、じっとこちらを見つめています。



2007.01.07
 まだまだ恐がりますが、気持ち顔から不安さが薄れてきたように見えます。まん丸に太っています。





      ☆ エミちゃん   三毛  メス

フォスターペアレント:栃木県・蜂須賀様

 
  
■経緯

 富士見公園保護猫です。 懐いてます。
2009年03月14日 (土)
エミちゃんが亡くなりました。
エミちゃん、今日、午前、入院しておりました病院にて息を引き取りました。

3年前、富士見公園改修工事で行き場を失った150匹猫の1匹でした。
保護しました時点で高齢で、狭いシェルターでは若い猫達との中で落ち着かず、また、口内炎の治療もあったりで、富士見公園シェルターから出て、私の自宅やスタッフの所でのんびり過ごしました。

過去の恵まれなかった環境はエミちゃんの健康をおかし、腎臓機能など治してあげきれない部分がありました。
お家で大切に飼われてきた猫さんに比べたら高齢とはいえやはり短命であったと思います。
保護されたあとはボランティアさん達の愛情を沢山もらい、フォスター・ペアレント様にもいつもお気遣いを頂き、日々、食べ物も気を使ってまいりました。

病院での最後は迎えさせたくありませんでした。
でも、元気になってくれる事を願い入院を選びました。病院に着いて処置を終えた後、エミちゃんは、少し食べました。
末期症状と見られる黄疸などもありましたが希望を捨てず祈るばかりでした。
とてもとても残念ですが、今日、エミちゃんが息を引き取ったとの連絡が病院から入りました。

せめて、入院中のエミちゃんにずっと付き添ってあげる事ができたならと、最後の時にそれができないことだけは、本当に動物たちが可哀そうで申し訳なく思います。

エミちゃん、天国に行きます。小さくて、お口の先がちょっととがっていて個性のある可愛いお顔は、お世話したみんな、ずっと忘れられないでしょう。

最後に、フォスター・ペアレント様に、改めまして厚くお礼を申し上げます。

ご連絡を頂いてもお返事も返せない状況のときばかりでした。
エミちゃんの為にできる事を遠慮なく言ってくださいとお気遣いを頂きました。
甘えさせていただきエミちゃんにもっともっと幸せな日々を過ごさせてあげたかった。
けれど、今までエミちゃんが確かに幸せであったでしょう猫生の尊い日々を、私と当会のボランティアさん達と一緒に安心して過ごさせていただけましたことは、紛れもなくフォスター・ペアレント様のお陰でございます。

エミちゃんのために、本当にありがとうございました。                合掌

                             2009年3月14日 犬猫救済の輪 結 昭子




2009.03.12
エミちゃん、今日、緊急入院致しました。

入院させることも、細い腕に点滴を流すことも可哀そうですが、検査の結果は予想通りの腎臓肝臓の数値で、生命も危ぶまれる状態です。
迷う時間はありません。改善されて今の危機から脱出できる可能性があるのなら、やれるだけの事をと先生にお願いいたしました。

「エミちゃん、どうだろうか。」深夜、祈りながらブログを書いています。

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3月に、お世話になっておりますフォスター・ペアレントさんに、元気に幸せそうにしているエミちゃんの写真を添えて近況報告をしようと、写したものです。

スタッフが、給食の準備を始めると、毎日、この椅子の上にちょこんと座って自分の食事を待っています。







今、エミちゃんがいつもいる一番暖かいお部屋は、いつからか、「エミちゃんの部屋」と呼ばれています。

富士見公園にいたときはどんな暮らしだったのでしょう。
想像するに、やはり食べ物はお弁当の残りやらを貰ったりが殆どでお水もあったりなかったりのようでした。腎臓肝臓を壊し、長生きできた子は少なかったようです。

150匹の保護された猫達の中で、エミちゃんと数匹の猫が老猫と思われましたがあとは皆、2才くらいまでの若い子達でした。

フォスター・ペアレント様からもメールを頂きました。
やっと掴んだ幸せな時間を、少しでも長く生かしてあげたい。

同じ思いで、祈っています。

2008.8

エミちゃん、薬を使ってですが口内炎の痛みを取り除くことで沢山食べるようになりました。

身体もふっくらまーるくなりました。
そして何よりスタッフに甘え上手になりましたよ。

楽しそうです。
2008.4.22

暖かくなりました。遊び場でスリスリしながら気持ち良さそうに過ごしています。
ボランティアさん達に甘えています。

口内炎の治療も上手くいっています。
2週間持続する抗生物質と、やむを得ずステロイドも使っていますが。

今を、幸せに生きて欲しいと思っています。エミちゃんがスリスリしてなついてくれると、ボランティアさんも嬉しそうです。


2007.11
 外暮らしの猫は環境に恵まれず短命です。
 富士見公園150匹猫さんも若い子・子猫が殆どで、老猫はわづかしかいませんでした。

 多分エミちゃんはかなり高齢のようです。口内の炎症が酷く完治は難しいようです。強い薬を使うしかありません。
 毎日ボランティアさんがエミちゃんの様子を気にかけて見てくれています。



フォスター・ペアレント 2008年 清水様(岡山県)
p−10 しっぽちゃん キジトラ
<多摩川河川敷に暮らす>

 (2006年8月撮影のしっぽちゃん) 
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2009年2月28日
 

多摩川河川敷の 「しっぽちゃん」 死亡。

突然のお知らせになりました。
私が始めて多摩川のホームレスさんと捨てられた猫達に出会ったその時から、すでに「しっぽちゃん」はホームレスさんと一緒に河川敷に暮していました。確実に老猫ではありましたが、突然の死に、ホームレスさんも私達も呆然としてしまいました。

昨日、28日は他の老猫の緊急手術で遅くなり、多摩川の河川敷の猫達の世話に辿り着いたのは夜8時になっていました。
先に、当会のスタッフが動物たちの世話をしてくれています。
暗い中を猫達のいる小屋に向うと小さく揺れるあかりが・・・。
・・・・もしや。

やっぱり、ろうそく。    「誰か、死んだの。」    「しっぽ。」
「いつ。」    「今朝、ホームレスさんが一緒に寝ている布団の上で死んでたって。」

全身キジトラの長いしっぽの「しっぽちゃん」
ダンボールの中には、痩せて小さくなりましたがきれいな寝顔の「しっぽちゃん」が布に包まれておりました。

誰もが、無言でした。

でも、それぞれに自分を納得させました。
みんな「しっぽちゃん」を想っていました。

「しっぽちゃん」もまた、河川敷の暮らしを受け入れざるを得ず、仲良しの猫との別れ、気に入ったホームレスさんの小屋に住まわせてもらいました。

すべてを飲み込んだかのような2007年台風9号の恐ろしい濁流に襲われたときもホームレスさんに中州の一番高い所に上げてもらって助かりました。
後からわかったことですが、あの時ホームレスさんは非難せず3匹の猫を抱いて一番高い所でじっとしていたと聞き驚きました。

しっぽは、大好きだったホームレスさんの布団の上で静かな眠りにつきました。

老猫になって、口内炎の治療に何度か病院に通い、昨年からは、フォスター・ペアレント様がついてくださり暖かいご支援のお陰で、この一番の不況の中、今となっては最後にいろいろ美味しい物も食べさせてあげられたねと、私達の気持ちは救われております。

フォスター・ペアレント S様に厚く厚く御礼を申し上げます。
しっぽちゃんが、お世話になりました。本当に本当にありがとうございました。

多摩川の動物たちを応援して下さっている皆様、ありがとうございます。みんな不妊手術も終っていますがまだまだ数は多いです。高齢の子達が多くなりました。寿命をまっとうさせてあげたいと思います。

なぜか、亡くなった時は、結構冷静にできるのですが、1日2日としてから、突然、悲しみに襲われ涙が止まらなくなります。

少しだけ泣いてまた深呼吸してみんなを守らなくては。
おそらく一番、二番目の高齢のツルちゃんが、膀胱ヘルニアの緊急手術を受け生死をさまよっています。

ひとつひとつ、尊い命です。

2009年1月5日 UP
(現在のしっぽちゃん)

初めてシッポちゃんを見たのは8年ほど前です。そのときもう成猫でしたから、しっぽちゃんはもう10才以上になると思われます。

最初にお世話してくれていたホームレスさんは、病気の為施設に入所しました。
そのあと、周辺のホームレスさんたちと当会のボランティアさんたちとで猫達の給食などのお世話をしていました。

当時、ドラちゃんというオスのキジトラ猫と仲良しでドラちゃんがたよりで一歩も離れないほど一緒でした。
そのドラちゃんも亡くなったときはシッポちゃんは本当に寂しそうで可愛そうでした。
私達の通いのお世話だけではたまらなく寂しかったようです。

しっぽちゃんは、すぐお隣のホームレスさんのおうちに居つく事になりました。
台風の災害からも守られ、現在もそこに暮します。

年もとってきたこともあり、口内炎で食べられなくなったり、小さな怪我をしたりしたときだけホームレスさんが私達のところへ連れて来て預かります。ですから写真もあまり撮れません。
シッポちゃんは頼りにしている人がいないとダメなようです。ちょっと回復してくると「帰りたい帰りたいとなきます」ので、すぐにホームレスさんの元へ返してあげます。

ホームレスさんは3匹の猫のお世話してくださっています。フードはなくなるととりに来てくれますので安心しています。
フォスター・ペアレントが決まり、最近は一寸美味しさや健康も配慮してあげられるようになりました。
どんな環境でも頑張って生きている子達に少しでも喜びを増やしてあげられて私達も嬉しく思っております。
しっぽちゃん、穏やかに長生きさせてあげたいです。
 
コウジ君、永眠(犬猫救済の輪)
2009年1月10日 コウジ君、永眠

大田区の神社の境内で生まれ保護したコウジ君。
兄弟のにゃすこちゃんは、今も里親様宅で幸せに暮らしています。

コウジ君、臆病で触れない子で、でも可愛くて愛しくて抱っこしてあげたかったよ。

よだれが出たり、やせてきたりしてなんとか検査をしたらFIV猫エーズ陽性。
負けないで生きて欲しかった。
食も細いけれど美味しいもの食べたいよとキッチンから1メートル離れて貰えるのを待っていたね。

コウジ君のために買った我が家にしては豪華な食べ物も冷凍庫にいっぱい残ってしまいました。

随分瘠せてきたのが気になっていたけれど、急に大量の血を吐いて、胃壁が剥がれた物までドッと吐いて、体の中で何が起きているのか、何度も繰り返し吐血して今までの猫エーズの子にも見たことのない症状でした。

すっかり元気を消失してしまったコウジ。痛み止め、止血剤、ステロイド、補液、先生の治療に祈りを込めたけれど・・・。
翌朝、力つきて息を引き取りました。

まだまだ若かったのに、人間が恐くて、病気と戦い、幸せ薄い子でした。
私には、そんなコウジが愛しくて、コウジ君の写真をパソコンの壁紙にしたりもしました。

なつかせてあげる事ができなくて、ごめんね、ごめんね、コウジ。

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センターよりの老犬チーズちゃん死亡/多摩川のコロ君(20才)死亡
川崎市動物愛護センター 担当者様、職員一同様

ご報告申し上げます。

譲渡していただきましたマルチーズの老犬ですが、
1月9日の早朝、病院にて亡くなりました。
元気に楽しく暮しておりましたが、心臓、肝臓、腎臓と非常に悪く、年明けより肺水腫もあり入院の末、残念ながら回復させてあげられませんでした。

短い期間でしたが、ボランティアさんの深い愛情と献身的なお世話でおそらく幸せであっただろうと思われる時間をすごさせてあげられましたこと、引き取って本当に良かったと思っております。
ありがとうございました。                               犬猫救済の輪 結 昭子


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チーズちゃん、小さな小さな体で精一杯生きました。老犬で足はヨロヨロしてもころんでも、すぐに起き上がって楽しそうに走りました。いつも嬉しそうな顔をしていました。
もう少しは、チーズちゃんの幸せな日々が続いて欲しかったけれど、残念でボランティアさんは泣いたけれど、チーズちゃんは、「楽しくて嬉しくて幸せだったよ。ありがとう。」と言って旅立ったと思います。
チーズちゃん、やすらかに。


不幸な経過を辿り最後はセンターで孤独な死を迎える動物たち、みんなみんな、どんなに短い日々でも一瞬でも、最後の最後は「楽しくて嬉しくて幸せだったよ。」を知って欲しい。感じて欲しい。




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多摩川河川敷でホームレスさんのお父さんに可愛がられ一生をおくりましたコロ君。
初めて目にしたとき、ホームレスさんは「コロは13才位になるな」といっていましたので、それから年をとり今は18才位かなと思っておりましたが、亡くなった時、ホームレスさんのお父さんが言うには、「コロは平成元年に子犬で来たから20才に間違いないんだ。」ということです。

病気ひとつせず、20年。
フォスター・ペアレント様 K様のご支援を頂き、毎年のワクチン、フィラリア予防、ノミダニ予防もやってもらうことができました。
コロ君が亡くなったのは正月でしたので、k様には今日、電話でご報告とお礼を申し上げました。

k様は、最初、当会から猫の里親になって下さった方です。その後犬猫たちと暮す中で、ワンちゃんの散歩中に捨て猫の乳飲み子を発見したりしてはまた家族に迎え入れたり、里親探しをしたりもされているそうです。

こうした一生も珍しいですが、コロ君なりには、ホームレスさんのお父さんに可愛がられ、おだやかでほんのりした一生を過ごせたのではないかと思います。
コロ君、やすらかに。



2008年12月11日 富士見公園シェルターのペロちゃん 永眠

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富士見公園にホームレスさんと共に長く暮し、その後は富士見公園シェルターでボランティアさんたちのお世話になり余生を過ごしたペロちゃんが、静かに眠りにつきました。

公園では、何度も何度も子供を産んだそうです。
出会ったときのペロちゃんは小さな瘠せたボロボロの体で子猫を抱いていました。
保護されてからは、栄養状態も良くなり見違えるほどぴかぴかになりましたが、壊れてしまった内臓は治りませんでした。

元気消失から私の自宅に移り、数日、私のベッドで頭を擦り付け甘えながら寝てくれましたが、黄疸もすすみ末期の状態になり、とうとう力つきました。
でも、寿命と考えていいと思います。

もっともっと、普通の家庭でゆったりと甘えて暮させてあげたかったけれど、
ボランティアさん達がいて、フォスター・ペアレントさんがいてくれたから、ペロちゃんもシェルターで小さな幸せがあったと思います。

今ここにある命は、ボランティアさん、フォスター・ペアレントさん、富士見公園150匹猫救出活動当初から支援してくださった全国の皆様のお陰で、救われた命です。
一人ではどうすることもできなかったあのときの事を思い出します。
シェルターの猫達も、保護されてから2年半、年をとっていきます。
「みんなが助けてくれたんだよ。もっと幸せにならなくちゃね。」
普通の家庭へ、家族を探してあげたいという思いはつのります。

なついていなくても、若くなくても、「家に来てのんびり暮してちょうだい。」そんな、お声がかからないかなと待ち続けています。

週末、大きいけれど内弁慶のドナちゃんに会いに来てくださる方がいるそうです。
ボランティアさんが立ち会ってシェルターでお見合いです。
どうか、良いご縁になりますように。

みんなを里親様に送り出すまで、まだまだ、時間がかかります。
仮設シェルターは、2年がたち何箇所もひどい雨漏りです。
近日、修繕をと思っております。


皆様へ、ペロちゃんが大変お世話になりました。
         ありがとうございました。

2008年10月08日 (水)

 ピーちゃんからのメッセージ
2008年10月07日 (水)

2008年10月7日、12時15分、ピット君が、静かに永遠の眠りにつきました。


2006年川崎市動物愛護センターから引き取りました。
引き取る時には既に腰が弱く、尻餅をついてしまったりしましたが、穏やかな性格の子で、毎日、嬉しそうに嬉しそうに河川敷に行っての散歩を楽しみました。

2007年5月には、いよいよ、歩けなくなり、立てなくなり、寝たきりになりました。
私の自宅で一緒に暮らしボランティアさんにも大切にしてもらいました。
お腹すいた、オシッコしたいと、ワンワンと夜中でも要求した日々もわづか、声も出せなくなくなりました。

2008年寝たきりになって1年が過ぎ、自力では食べられなくなり、強制給仕も難しくなり、一口食べるのもやっとになり、飲み込む力もなくなりました。
8月頃からは、お腹もペッタンコ、瘠せて骨しかないような身体で生きているのが不思議なほどでした。少しでも栄養を入れなければとあれこれ工夫してもミルクも飲み込めず、好んでいたボランティアさんが探してきてくれたカロリーわんの液体をシリンジで少しづつ与えても殆ど口の横からこぼれてしまうようになりました。

身体も首が下を向いたまま固まってしまい、時間をかけて少し上に伸ばすようにして、ミルクをたらし、ピーちゃん、ピーちゃんと話しかけながら、コクンとしたらまたたらし、コクントしたらまたたらし、生命を維持してきました。

ピーは、ずっときれいな可愛い目で私を見ていました。たぶん、見えていたと思います。
意識もしっかりあるようでした。それなのに仕事と動物救済活動でピーちゃんの側にいてあがられない毎日でした。
寝たきりで寝返りもできないでいるピーに手をかけてあげられないのはとても辛いことでした。
わづかな睡眠をとる時間だけは、狭いベッドに毎日、ピーを抱いて寝ました。

最後最後の今日は、もう何も食べられないピーに、飲み込めなくても美味しい味のするものを口に含ませてあげたいと一番好きそうな缶詰を少しだけ含ませてみましたがもう口は数ミリも動きませんでした。

ピーを抱いて少しの時が過ぎ、ピーは、静かに静かに眠りました。


一生懸命、一生懸命、
一分一秒、生きられる限り生きました。

命、大切なものなんだよ。
無駄にしちゃいけないよ。
与えられた命、精一杯、生きられるだけ生きたい、生きるんだ。
ぬくもりをもらい、ぬくもりを与え一緒に生きるんだ。
ひとつしかない、大切な命、奪ったりしないで。
命は大切に、大切に、守ってあげて。
僕は、生きたよ。最後まで。
僕を生かしてくれて、ありがとう。


養い親となって支えて下さいましたフォスター・ペアレント様、ありがとうございました。
優しくしてくれたボランティアさん、ありがとう。

                                     ピット・結 昭子



ミータロー君
FIV 陽性
2008年
9月13日8(土)
★ミータロー君

2008年9月13日(土)正午、静かに息を引き取りました。
ハーちゃん基金でお世話になりました。皆様、ありがとうございました。

最後は、1.5キロまで瘠せた本当に骨の形がはっきり見える体系になってしまいましたが、とにかく誰より食べたがる子でした。キャットフードは欲しがらずお肉が好物でした。

我が家ではお肉は使いませんが、具合の悪い子だけには食べさせています。
11日(木)の夜も近くのヨーカドーエスパで負傷の猫の捕獲器を設置して、その間に急いでミータローのためのお肉と他の具合悪い子の好物のカニカマなどを買って、喜んで食べてくれるのを楽しみにしていました。

でも、負傷猫ちゃんの捕獲に予想以上に手間取ってしまいました。
自宅に帰ったとき、ミータローのペッタンコの身体は体温が下がっていました。あんかを敷いて急いで温めました。体温はだいぶ上がってきましたがそれからもうミータローは立とうとしてもヨロッと倒れてしまい寝たきりになりました。
大好きなお肉ももうまったく反応せず今もそのまま冷蔵庫に残ってしまいました。

ミータロー、大変な猫生を1日でも長く生きたいと頑張った子でした。
捨てられても人に寄り添い,富士見公園のホームレスさんの元で暮らし、タカトリ公園に移り、病気になり、重症を負い、何度も死にそうになっても生きたいんだと頑張って大手術も乗り越え、最後わたしの家に来て目も鼻も口も皮膚もボロボロで治らず苦しいはずなのに、甘えて一緒に寝かせてと布団に来たミータロー。あなたの幸せはなんと小さな幸せだったことよ。

やすらかに、やすらかに、おねむり。ミータロー。
2008
.08.03(日)

保護してから1年以上になりますが、食の習慣は後まで影響が残り、いまだに猫フードは殆ど食べず、人間の食べ物を欲しがります。写真はお風呂に入って二日目。目やに、鼻水、よだれで1日で酷く汚れてしまいます。バリカンでカットしていますがそれでもベタベタに汚れてしまいます。どうみても病的に見えますが食欲が減退しないように気をつけて体力を保つよう心がけています。




2007.
10.10(木)

ミータロー君、食欲旺盛です。まだまだ痩せていますが毛も伸びてきて手術の後も覆われました。目やにや鼻炎で顔がすぐ汚れます。なついていたのですが薬が嫌いで逃げるようになってしまいました。部屋から一歩でたら生きていく力のないような弱々しい子達が沢山います。それでも食と住と毎日少しの支えで小さな幸せにつつまれて暮らさせてあげられます。
2007.
7.30(月) 
富士見公園から飼い主と共に他の公園に移ったミー太郎君。老猫で元気がないと何度か預かったこともありました。今回は、背中がぱっくり開くほどの傷を負い虫が湧いて奥までいってしまっていました。手術後、半月ほどの入院の末、今日、退院する事ができました。血液検査で猫エーズ陽性であることも判明しました。すごく痩せています。背中は、上から下の方まで縫い合わせた跡があります。入院中食欲がまったくなく、首の横からはカテーテルで直接胃まで流動食を流していました。少し缶詰を食べられるようになりましたが、今日からは、少しでも多く強制給仕です。皆様からの「ハーちゃん基金」へのご支援金が10万円に達しました。手術入院代、今後の処方食等に使わせていただきます。ミー太郎君がお世話になります。頑張れ!戦士たち!で経過をご報告させていただきます。宜しくお願い申し上げます。
    



小判ちゃん フォスターペアレント:奈良県・高川様

■病気等 猫伝染性腹膜炎・好酸球肉芽種
       慢性のひどい下痢
■性別   メス
■特徴  

■経緯
 ホームレスさんのところで、野良猫が生んだ子です。ウンチだらけのこの子をかわいそうに思った、ホームレスさんがずっと世話をしてくれていました。
008.09.05 15時 小判ちゃん、息を引き取りました。

二日前から、食べなくなりました。回復すると思っていたのですが、薬の効果がまったく見られず、棚に上れなくなりそれからまもなく息を引き取ってしまいました。

小さな身体でしたが、いつも食べ物を要求して大きな声で呼ぶ可愛い子でした。
その姿がもうなくなってしまうことは寂しくてなりません。

常にウンチが垂れているので一番大きなケージの中で暮して、たまに部屋を自由にさせてあげたりしていましたが、もっと広いところで猫らしく暮させてあげたいといつも思い、それができない環境で小判ちゃん、かわいそうでした。

こうした病気の子達もできる限り自由に広い所でのびのび暮させてあげられるような施設が欲しいです。

ごめんなさい。ちょっとめそめそしてしまいます。
小判ちゃん、やすらかに。




2007.11
 FIPのための慢性の下痢は治ることなく、いつも身体が汚れ可哀想なのですが、出来るかぎりお風呂に入れたり、毛を少し短くカットしたりしています。
 食欲旺盛で、大きな声で要求されるのでなるべく好きなものを食べさせてあげるなど喜ばせてあげたいと思っています。


2007.01
 小判ちゃんは元気な可愛い子です。どうにも下痢症状がひどく何をしても治りません。
 ここまでひどかった子は今までにも経験が無く、私の部屋に連れて来て、せめて少しでもきれいにして暮させてあげたいとボランティアの協力で世話しております。

2007.6.10
 暖かくなりましたので、少しバリカンをかけてさっぱりしました。すぐウンチだらけになってしまうので、時々お風呂にいれますが大鳴きします。
 お風呂好きになってちょうだいね。小判ちゃん。

2006.12.10
 下痢症状変わらずですが元気です。処方食腸管アシストが少々、効果があるようです。

2006
 高川様には、何匹も老猫のフォスター・ペアレントになっていただき天国にいくまでお世話になり見送っていただきました。
 若い小判ちゃんには、少しでも良い環境で長生きして欲しいと願っております。


ボブ君 フォスターペアレント:横浜市・半澤様
■病気等 フィラリア(+)治療中
■性別   オス
■特徴   茶 推定15才(H19現在)

■経緯
 H17の秋、3日間ほど放浪している姿を見かけ、捕まえようとすると逃げましたがやっと保護できました。捨てられたのか、保護した後もおどおどしたり、近寄ると逃げようとしたりします。


 2008.09.04 早朝
老犬ボブ君、亡くなりました。


前日の3日はずっと側にいましたが、いつもと変わりなくやっと起き上がり少し食べ少し水ものみ、少し歩いて倒れて寝てと老犬の1日の時間が流れておりました。
もう少ししたら立ち上がれなくなってしまうねと見守る日々でしたが、こんなにあっけなく逝ってしまうとは予期しておりませんでした。
こんなことなら昨日もっと美味しいもの食べさせてあげておけばよかったとか後悔も残ります。最後についていてあげられなかったのがとてもボブに申し訳ないです。
でも、とてもやすらかな顔でした。
可愛かったね、ボブポン、2年間一緒に過ごせて楽しかったよ、ありがとう。


2008.08

暑い季節は老犬にはこたえます。クーラーの部屋で寝る時間が多くなりました。立ちあがるのも容易ではなくなりました。

滑り止めのこのシートは今までいろいろ使った中で一番効果があります。

食べるのも水を飲むのも支えが必要になりました。

スタッフは先日、ボブ君を抱いて、食べ物と間違えられたのか鼻をかじられていました。


2008.05


ボブ君、チョコチョコと歩いて、やっぱりお散歩が楽しみ。ボブ君がゆっくり歩くので猫さんがついてきます。
多摩川お散歩の穏やかなひとこま。

このあと、歩き疲れたボブ君を抱いて帰ろうとした当会のお散歩係りさん、ボブ君に唇咬まれたって、それはうかつでした。

食べ物と間違えられたんだね。
しかたないです。ボブ君、お歳ですから。


2007.11
 ボブ爺、めっきり足腰弱くなって、耳も全然聞こえてないけど、若い子と遊ぶと気が若くなるのかな。
 ちょっと一緒に走ったりする姿はとっても可愛い。

 いつか歩けなくなる日が来てしまうのは悲しいけど、1日1日穏やかな楽しい日々を積み重ねてくれたらいいと思っていますよ。


 2007.03
 世話のしてくれる人には少し甘えたり、積極的な要求をするようになってきました。
 フォスターさんは、自身もわんちゃん達の世話をされている方とのことで、ボブくんのこともとてもよく理解してくださり嬉しく思います。


2006.04.03
 色々言いたいこともあるようで、時々大きな声で要求しています。
 咳が少し気になりますが、元気で可愛いボブ君です。


☆まりちゃん  
フォスター・ペアレント
愛知県    佐藤様

■性別  メス
■特徴 ミケ10才以上(2008.春時点)

■性格・暮らし
  野良猫生活でしたが他の猫とあまり仲良くなくいつも一匹は慣れていました。
歯も無く、老猫です。
保護されてからは、食べ物の心配なく穏やかに暮していますが、まだ警戒心が残っています。
2008..8.05
まりちゃんの近況です。やっと触れる程度の子ですので、お部屋を自由にさせておきますと、健康状態の把握ができません。先日一寸油断しましたら元気が無く食べないので触ると逃げる元気もありません。

急いで補液をして、改善しましたが、おばあちゃんですので気をつけなくてはと反省です。
しばらくケージに入ってもらい栄養をつけています。

いったい何才になるのか背中は骨がごつごつしていて老猫の体型です。
やっぱり美味しいものあげることくらいしかしてあげられませんけど、そんなでも喜んでくれているみたいです。

 2008年8月22日、早朝、静かに息を引き取りました。
 お陰さまで寿命をマットウさせていただきました。ありがとうございました。

★みやびちゃん
2008年8月19日 5時30分   最後は薬も効きませんでした。ちどりちゃんと同じ公園から保護し、やはりウィールス性の伝染病を持っていましたので、少しでも楽しい日々を過ごさせてあげたいと、スタッフもみやびちゃんお名前を毎日呼び大切にしてくれました。やせ細り、食べられなくなり力尽きましたが、最後、愛されたことを感じ取ってくれたと思います。

★ちどりちゃん

2008年8月09日 15時30分     ちどりちゃん、小さく小さくなった体で一生懸命いきました。
                      静かに、永遠の眠りにつきました。
                      皆様、ありがとう。

2008年7月26日



陽気な性格で元気に過ごしてまいりましたが、今月に入ってから動きが少なくなり、食欲も減退、黄疸も強くなりやせ細り、すっかり身体も小さくなってしまいました。
ここ数日はトイレの砂の上にずっと座ったまま過ごし、ときどき食事と水を自分からとってはいます。

末期症状とみえます。身体もだるいのでしょう。苦しまないでほしいと願うだけです。
外では人の食べ物をもらっていたのでしょう。そうしたものを欲しがり腎臓も悪いのですが、白血病も発病と考えられるここまできては何でも好きなものを食べて少しでも多く喜びを感じて欲しいと思っています。


2007年保護 三毛猫 メス 若そうです。

公園猫 不妊手術と背中の傷の為保護。なついていたので不妊手術後に里親に出してあげたいと思っておりましたが、背中の傷がいつまでたっても塞がりません。ウィールス検査の結果、猫伝染性白血病陽性とわかり里親は難しいと判断し、当会にて暮しております。とっても甘えん坊でいつもゴロゴロスリスリするので、よけいに背中の傷に触れ完治しません。エリザベスカラーや洋服を着せたりしています。傷が小さくなり、無くなり、やっと治ったと思っても、エリザベスカラーをはずしてあげるとちょっと舐めただけですぐにまた皮が剥がれてしまいもとの状態に悪化してしまいます。

   


   

★ドロシーちゃん

2008年7月26日明朝、ドロシーちゃん、病院にて息を引き取りました。
お世話になりましたフォスター・ペアレント様、富士見公園シェルターの猫たちを応援して下さっている皆様に、ご報告申し上げますとともに、大変お世話になりましたことにお礼を申し上げます。

7月24日、午後6時半、シェルターに行きますと、ドロシーちゃんが床に横たわっていました。
暑くて伸びてるのかなと思いましたが動かず、まさかと・・
ぐったりしています。

瞬間、長毛のドロシーちゃん、暑くて熱射病ではないかと思いましたが、それなら熱いはずの体温は冷たく感じるほど低く、急ぎ自宅へ連れ帰り必死で温め処置しましたが一向に低体温のまま上がりません。

他の異常はと言うと、便がいっぱいに詰まっているのがはっきりわかりましたが少し上から下へと促してあげると比較的楽に2回ほどで出し切れました。

尿が異常でした。出ているのですがその中に肉眼ではっきり見える黄色の石のような粉のようなものがいっぱい出ます。見たことのないものです。

改善がみられないまま、25日、午後9時9分、呼吸停止、瞳孔が開く・・・・・・心臓は動いています。心臓の動きを弱めない薬が使われ酸素が送られ9時27分、自発呼吸開始。
点滴にはブドウ糖で低血糖の改善。保護時、32度だった体温は平常の38度に。瞬きしている。
でも呼吸は苦しそう。

ドロシー、酸素室で入院しています。
でも、今夜も危ういと先生の説明。
ドロシー、苦しんでいないだろうか。生きていてくれるだろうか。

血液検査からは、エーズ(−)白血病(−)

あとは、異常すぎて・・・
白血球3800 グルコース7 
腎臓は末期の状態、外部から触っても固いのがはっきりわかる。貧血は腎臓からきているのでしょう。 
尿には上皮細胞がでている。腎臓や膀胱の炎症もひどいのでしょう。
こんなに低血糖になるには何日食べていなかったのでしょう。
多飲多尿もずっと前からあったでしょうにこんなにまで腎臓が悪くなっている事に気づいてあげられなかった。

シェルターでは、1匹1匹の状態をみるのは難しい。
曜日でシフト制のお世話のため、ボランティアさんが日々の変化をつかむのは難しすぎる。
私がもう少し仕事を減らし保護している動物たちに接する時間が増やせるようにしなければと真剣に考えています。

ドロシーちゃんは、とっても可愛い子供顔をしているけれど、前の上の歯が2本あるだけ。
かなりのおばあちゃんなのかもしれません。

助かっても長くはないと。1ヶ月ももたないでしょうと。
でも助かって欲しい。

富士見公園から保護してシェルターに入り2年、やっと、ほんの少しだけ触れたドロシー。
甘える事を知らずいってしまわれたら、悲しすぎます。

ドロシー、ドロシー、死なないで。


■病気等 猫エーズ
■性別   メス
■特徴   推定4才(H19現在)

■経緯
 猫エーズキャリア・口内炎治療継続。

 生後8ヶ月くらいの時お腹に子供がいたこともあって、お腹を空かしゴミ捨て場で鳴いていました。
 捕獲後手術をし、食べ物の無い場所へ戻せない為保護しました。

 触れるようになりました。
 口が痛く、食べれない為、沈静をかけ口内治療。毛繕いができず、バサバサの被毛をさっぱりカットしました。

2008.06.02 19時30分  ひまわりちゃん、永眠 フォスター・ペアレント 愛知県 紅谷様

5日ほど前から食欲がなくなりました。
瘠せてきました。
ステロイドの治療でも、今回は効果が出ず、それでもなでてあげると気持ち良さそうにゴロゴロいって首を伸ばしました。こんなに早く逝ってしまうとは思いませんでした。前日の深夜に嘔吐して、それから立てなくなりそして今日、静かに息を引き取りました。

保護してから約5年間、猫エーズと戦い、私達の側で人間にも少し距離をおき、少し甘え、ささやかすぎる小さな幸せの中で目立たずに生きてきました。

ひまわりのように明るくおおらかに生きられますようにと願い付けた名前でしたが、そんなふうにしてあげられず、ひまわりちゃんごめんなさい。

フォスター・ペアレント様には、いっぱいの愛情をいただきました。
本当に、本当に、ありがとうございました。





2008.04.13
口内炎の治療を受けながら、のんびり暮しています。


2007.05.05
 特に悪化している様子は見えませんが、口内炎は繰り返し治療が必要です。

2007.1
 20日間効果が続く抗生物質が出たお陰で、猫エーズ特有の口内炎も今までより良い状態を保っています。

 発見時、お腹が大きく捕獲した子です。
 生ませてあげることはできませんでした。その為か分からないのですが、何故か子猫をみると無性に世話をしたがります。
 でも、あまり近付けられなくて可哀そうに思います。


2006.12.10
 定期的に、口内炎の注射を打っています。

2006.11
 これは、どうでしょう。


2006.10.07
 口内炎は治りません。でも元気に過ごしております。週に1度、薬を投与します。

 やはりステロイドを使わないと、口内炎が酷くなるようでよだれが出てきます。食欲は旺盛。発症しませんように。

 太ったわけじゃありません。写真の撮り方が下手なだけ。



2008.4.23 午前8時 よっちゃん 永眠 フォスターペアレント:東京都八王子市 今井様
■病気等 
■性別   メス
■特徴   キジトラ 老猫

■経緯
 もう15才位になるかと思われます。
 こんなになって飼い主放棄されたよっちゃん、人を信じきっていていつも布団にきて寝ます。

 人の側にいつもいていよっちゃん、運良く里親さんに恵まれると良いのですが、慢性鼻炎もあり当会のファミリーとして穏やかに暮らさせてあげる事が今できることです。
2008.4.23 午前8時 よっちゃん 永眠

前日の夜より、歩かなくなり呼吸が小刻みになりました。静かに横になったまま動かず、朝8時、静かに息を引き取りました。

よっちゃん、私達のところに来てくれてありがとう。おとなしくて手のかからない子でした。何もしてあげられなかったけれど一緒に暮せて良かったよね。

フォスター・ペアレント様、ありがとうございました。なかなか、フォスター・ペアレントが決まらなかったよっちゃん。一生の最後は、フォスター・ペアレント様に巡り合え、沢山の愛とご支援を頂き、ボランティアさんと私と、仲間のわんにゃん、みんなに愛されて寿命をまっとうすることができました。

2008.03
よっちゃん&ピット君
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ピットじいちゃんは、川崎市動物愛護センターからきました。足腰が弱り、寝たきりになったのが去年の5月、もうすぐ1年です。今までの寝たきりになってからの子では最高に長生きです。長年、いろいろな子達の世話をしてきてやけに強制給仕など上手になってしまいました。口を開けさせて上手に缶詰を食べさせ50ミリのシリンジでお水もたっぷり飲ませられます。
たっぷりのオシッコもシートに上手に押して出してあげられます。首を持ち上げて抱くようにしてあげると嬉しそうです。

猫のよっちゃんは飼い主放棄のおもいきりの老猫、高齢が進んだ瘠せ方でここ2か月ほど前からは食も細くなってきました。人間が大好きで、私の母90歳の枕元で母にぴったりくっついてずっと寝ていましたが、母が突然救急で病院へ運ばれてしまい寂しいのでしょう。今度は寝たきりのピーじいちゃんにいつも寄り添っています。静かに穏やかに時間が流れています。


2007.11
 飼い主放棄による引き取りで当会のファミリーとなったよっちゃん。
 15才で放棄するなんて信じられません。

 高齢のせいでしょう。ベッドで寝てばかりいます。安心していい夢いっぱい見て下さい。涙目と鼻水は慢性で薬もあまり効きません。食欲はあります。




2008.1.22AM3:00死亡   フォスターペアレント:山形県新庄市・多賀部様

■病気等 アレルギー(重症)
■性別   メス
■特徴   推定4歳

■経緯
 飼い主放棄。保健所より依頼があり引き取ることができ、殺処分を免れました。体にほどんど毛が無く、皮膚もひどい炎症で常に体を掻き毟っています。

 検査を繰り返し、薬も使いましたが食べ物やチリ・埃ほとんどの物にアレルギー反応が出てこれ以上薬を使うことは内臓等に副作用がでるため続けられません。
2008.1.22AM3:00死亡


エリーちゃん、突然のお別れです。1月19日急に身体がふらつき歩けなくなり食べることもできなくなりました。脳卒中と思われます。今までにも後遺症は残ったものの助かった子達を見てきました。エリーちゃんの寿命はまだまだあるはず。治療はしたものの次の日も次の日も回復せず、結局、助けてあげられませんでした。ずっと、アレルギーがひどかったために処方食で過ごしてきました。臆病で甘えることも下手で散歩も下手で、食べることだけが楽しみの子でした。こんな事になるなら好きなものを何でも食べさせてあげたかったと心残りです。長く過ごしたのに幸せ薄い子でした。フォスターさんの願いにも十分こたえられず申し訳なく思っております。ずっと、エリーちゃんの健康と幸せを願い支えて下さいましたことに深く感謝致しております。スタッフと共に見送ります。

2006.11
 アレルギーを抑える食事療法と害の少ない痒み止めの薬を使っていますが、良くはなりません。
 元々ひどい臆病で外に出るのも嫌がり散歩も上手にできず、楽しみが無く可哀相です。

 せめてゆっくりと相手をしてあげられるボランティアさんの手が欲しいところです。多賀部さんには2匹のワンちゃんのフォスターペアレントになっていただきました。


2008.3.05
チビタロー君、急死。
(フォスターペアレント:東京都練馬区・桑野様

申し訳ございません。私の油断です。4日ほど前から、兆候があったのを大丈夫と思ってしまいました。尿に粘膜状の出血が混ざりました。ベッドに、よじ登る元気もあったのでまさか生死にかかわるとは思いもせず、やはり油断です。5日、早朝元気ないのを見守りました。さすがに深夜なので夜が明けたら病院へと思っていました。私が2時間眠ってしまった間に、チビタロー、逝ってしまいました。後悔しています。何があっても、頑張って強い子だったのに、もっと注意していたらきっとまだ何年も生きられたはずの子なのに。
チビタロー、ごめんなさい。もっと一緒にいたかった。あなたを抱っこした感触が残って、もういないことが辛くて辛くて。チビタロー、まだ、3才半。




■病気等  交通事故後遺症・下半身麻痺
         自力での排尿困難
■性別   オス
■特徴   キジトラ白 H16年春生まれ

■経緯
 川崎区の公園で生まれ、ホームレスさんが飼っていました。道路に出た所を車にひき逃げされホームレスさんが助けを求めてきました。

 命はとりとめましたが脊髄をやられていた為、下半身麻痺となり排尿は人の手で絞ってあげないとできません。
チビタロー君の経過

  2007.12.04(火)
退院です。元気です。新たに手術の傷が少しありますが治りそうです。


2007.11
 16年に富士見公園で事故に合い、保護してから膀胱炎や排便排尿の問題が繰り返しおきて19年には後ろ足切断手術となりました。
 このときは身体も痩せて生命的にも大変心配されましたが、見事な回復力で現在また以前のような元気で良好な状態を保っています。

 と思っていました矢先、07.11.08またもや入院、手術。オシッコの出口が周りの炎症(傷)が治ったのと同時に一緒に塞がってきてしまいました。
 何度目の手術でしょう。頑張れ、チビタロー。



2007.10
 まだ若くて元気な男の子なので、前の手を上手に使って移動したりします。
 自分が臆病なために他の猫が近付いて来るのが怖く、反対に手を出してしまうことがあります。

 排便・排尿をさせるのが難しく、いつも膀胱に尿が貯まっている状態で絞りきれません。いっぱいになるとポタポタと垂らしながら歩いているのですが、健康が心配されます。

 桑野さんには他の猫の里親にもなっていただき、この子もフォスター・ペアレントとして支援していただき大変お世話になっております。



2007.09.06
 両足の断脚手術から退院したのが7月初旬。体重2.5キロしかありませんでした。
 今日、9月6日体重測定、3.8キロ。ベスト体重回復!がんばったね、チビタロー。

 ボランティアさんが洋服を作ってくれたよ。全国の皆様からの支援物資の中に入っていた子供服で作ったものです。おしっこはいつも出たままなので炎症を起こしやいので油断はできず、厚めのパットを挟んでいます。断脚はとてもかわいそうに思えましたが先生のおっしゃるとおりにして良かったです。
 物につかえることがなくなってス・ス・ス・スーと歩きます。



2007.07.04
 3才になりました。

 07.01 退院時体重2.5s
  1時間おきにわずかづつ強制給仕
 07.04 体重2.64s
  自力で少し食べます。少し鳴くようになり、顔つきも元気を取り戻してきているかのように見えます。

 07.05 体重2.9s↑
 07.06 体重2.97s↑
 07.10 体重3.05s↑

 自力で食べるようになり、体重が順調に増えています。両脚の断脚手術により今まで引きずって酷い炎症を起こしていた部分も壊死した皮膚が取れてきて新しい皮の部分が再生してきそうに見えます。



2007.07.01
 今日、退院させました。
 経過はよくありません。食欲なく一段と痩せました。

 交通事故で半身不随となったチビタローはいつまでたっても臆病なままで、ストレスを考えこれ以上の入院はマイナスと判断しました。
 今回も大手術で助かるかもわからなかったチビタローを覚悟してのお迎えでしたが、やはり両足を断脚した姿を見たときはショックでした。

 H16年生まれのまだ若いチビタロー。元気になって欲しい。
 強制給仕やお世話しっかりするからね。チビタロー、一緒に頑張ろうね。



2007.06.15
 急変。緊急手術。
 神経麻痺で排尿困難だったチビタロー君は、尿が自然に流れ出るように手術をしていました。その為、石ができるということを考えていませんでした。

 ですがペーハーは最高値を示し、石ができていたのです。普段なら流れていたものが、固くなった皮膚で塞がれ詰まってしまったのです。併せて、両足の断脚手術も行うとのことです。助かって。チビタロー。



2007.06.10
 昨日元気で安心すれば、今日は何も食べず動かないといった繰り返しでやはり心配です。とにかく油断せず具合の悪い時は早い手当てをと気づかっています。



2007.05.25
 良いと思えばまた悪化、ちょっと具合が悪くなると急激に痩せます。約1週間食べず強制給餌と補液等で過ごす日々でした。今日は、少し好きな物を自力で食べ鳴き声も。



2007.05.05
 子分のコージ君は、チビタローから離れません。

 チビタローは、元気になりましたが、厚手の毛布にペットシーツを敷いていますが、炎症はひどく痛々しいです。



2007.02.23
 すっかり元気を取り戻し、体重もしっかり以前と同じになりました。油断すると炎症がおきます。洗ってあげてふかふかの敷物での生活で、かなり良い状態が保てそうです。



2007.01.27
 入院などして性格が穏やかになったのか、喧嘩をしなくなりました。体調が悪いということではなさそうです。



2007.01.24
 ときどき血尿が見られます。油断はできません。
 多くの時間はケージにフカフカ厚めの毛布などを敷き、引きずって歩いても炎症がひどくならないようにしています。炎症の方は、少しよくなりました。
 体も痩せているという感じはなくなり、食欲もありますので、もう大丈夫と言えそうです。



2007.1.3
 毎日、便を出してあげています。
 わずかに血尿がありますが、だいぶよくなり抗生物質ももう少しかなと思われます。まだ少しやせていますが、安定はしています。

 オシッコは垂れ流し状態なので、どうしても周りの炎症がおさまりません。
 毎日、お湯で流してあげます。
 前ほど嫌がらず、おとなしく洗わせます。

 以前より気が弱くなったというか、前はかなりきかない子だったので、調子が悪いのではないかと少し心配です。前は他の猫に喧嘩をうったりしていたのですが、最近そういう迫力がなく、大人しい子という感じです。本来の姿ではないように思われます。



2006.12.18
 血尿が心配で病院に電話。指示に従い、経過をみます。
 自分で食べて、便も上手に出してあげられました。お尻の周りの毛をバリカンで刈って、洗って、薬を塗って……を繰り返しています。



2006.12.17
 退院。

 入院中の処置は便がつまり、膀胱炎を起こす原因になったり、食欲減退の原因ともなるため、かきだしてやったところ食欲がでてきたそうです。
 血尿はしばらく続くとのことですが、自宅で抗生物質を続けながら、経過をみることになりました。今まで以上に細やかな注意が必要ですが、退院できてうれしいです。
 チビタローを頼りにしている、子分のコウジ君も嬉しそうの側に寄っています。



2006.12.14
 入院。

 数日でみるみる痩せ、体の中で何が起きているのかわかりません。ひどい血尿に驚き、病院へ。
 排便困難。膀胱炎から、血尿。食欲なし。急激に痩せ、背骨がでるほど。
 先生の言葉……若いし、希望有り!


 チビタロー、頑張って!



2006.12.10
 オシッコを流したまま這い歩いてしまうので、このように固くなったり、炎症を起こしたり、今はただれて痛そうです。いろいろ工夫はしています。

 少しやせて、元気もないようにみえ心配です。



2006.10.1
 仲良しのノンちゃんがいなくなってしまい、淋しいかな。相変らず麦ちゃんとは仲が悪く、子分を引き連れ威張っています。
 なぜか、子猫には頼りにされています。

 昼は、オムツ。夜は外してケージで寝ています。


★ ニーナちゃん  

2008.2.27 ニーナちゃん、永眠

ニーナちゃん、フォスター・ペアレント 愛知県佐藤様

小さな小さな子だったね。まるで子猫のようだったけどいったい何才だったのでしょう。小さなお鼻はいつも鼻水でつまっていてお薬もあまり効かなかったね。調子がいいときはいっぱい食べてくれたね。そんな時があったから、保護してあげられて良かったと思っています。もっと長く生きて、もっと幸せに、楽しく暮させてあげたかった。もっと精密な検査をしたら何かがわかったかもしれない。でもそこまでしてあげれれる力がなくてニーナごめんね。たったひとつしかない命なのにね。十分なことをしてあげられないばかりにみんな、はやくいってしまう。
頼りない私の変わりに、ニーナちゃんに幸せを下さったフォスターさん、本当にありがとうございました。


★ ポストちゃん

2008.1.8 ポストちゃん、永眠

ポストちゃん、フォスター・ペアレント佐藤様
ご心配下さいました皆様、大変お世話になりました。

ポストちゃん、本日、スタッフと共に見送らせて頂きました。
安らかな顔で眠る小さな体は、まるで天使のようでこのまま羽をつけて天にのぼっていくかのように見えました。瘠せたからだでも最後の日まで食事をとり大きな口を開けてパクッと食べる姿に喜んだものでした。
 一度は捨てられた不幸な境遇の子でしたが、保護されフォスター・ペアレントの様の暖かいご支援とスタッフの愛情で幸せな時間を感じさせてあげられたのではないかと思っております。
猫エーズによる免疫力の低下の中でもっともっと生きていたかったであろう小さな命の願いを叶えてあげられるすべはなく、悲しいことですが命あるかぎり共に精一杯生きている時間を大切にしてまいりました。
2007.10.10(木)
10月8日より突然、お腹が脹らみました。腹水が溜まっているようです。急になのでなぜかよくわかりません。数年前ウィールス検査をした時にエーズは陽性、腹膜炎抗体柯400でしたが、もしかしたらFIPによるものかもしれません。食欲は、ミルクや缶詰をいつもと同じ位の量を食べています。深めのトイレに入れなくなり、ペットシーツにするようになりました。今更ケージに入れたりせずに今まで通りに自由にさせて注意して見守っています。
2007.7.6
大きかったポストちゃん、今は、半分以下のやせた体になってしまいました。
でも、退院後食べています。美味しいものいっぱいあげています。少しでも取り戻して欲しいから。


ポストちゃんposuto.動画
2007.6.8 FIV(+)ひどい貧血です。ヘマトクリット値9.7パーセント。
身体は半分以下に小さくなってしまいました。輸血はしないことにしました。スタッフにベッタリの子です。側で、安心して食べています。甘えてもいます。ごめんなさい。治してあげられない。

ポスト メス 推定2才?(H18現在)
病気 FIV

フォスター・ペアレント
埼玉県川口市
佐藤様
大きな団地内にある郵便局の前に捨てられた子です。人間には、べったりで、里親もみつけてあげたいのですがなかなかです。体は、大きいです。が、臆病で、他の猫にいじめられてしまいます。守ってくれるのは、人間と信じているのがいじらしいです。

2006.12.10
よく食べ、元気ですが、毛並みがパサパサになるのであれこれ検査。猫エーズ陽性でした。


★がんちゃん キジトラ ♂ 推定1才 虐待

12.14
AM11:30
ガンちゃん、もうさよならですか。
退院から10日、苦しむ時間など短いほうがいいと思いながらも生きていて欲しいと思う。
発病の症状が出てからの時間は短かった、エーズと腹膜炎と虐待のストレスと、頑張ったね。ガンちゃん。
元気でいたづらで可愛いしぐさが頭の中にいっぱい焼きつきました。ガンちゃん、今度生まれて来た時のこの世は人間はきっと優しくなっているように、そうなるように頑張りますね。

最後は可愛い顔のままの寝顔でした。
ガンちゃんを応援して下さいました皆様、本当にありがとうございました。
12.10
(火)
悲しくて、悲しくて、やりきれません。
ガンちゃん、FIP猫伝染性腹膜炎発症、もう助かりません。

退院した12・4は優しい顔で眠っていました。
傷口もだいぶ綺麗になってもう入院はこれが最後と、普通の暮らしができると喜びました。
次の日、動きが悪い、食欲が無い、背中が痩せてきているのに気づく。気のせいか、お腹が大きい。まさか。そして、一日一日悪夢のような時間。まったくFIPの症状そのもの。
いままでに腹膜炎の猫を何十匹と見てきました。そして、発症して助かった子はいません。まさにそのままの症状でそれもじわじわというようり昨日より今日はっきり進行がわかるほどいっきに悪くなっている。
なんてことでしょう。
今年1月27日タカトリ公園で見るも無残な虐待を受け、大手術を乗り越えずっと一緒に頑張ってきたガンちゃん。猫エーズキャリアでもあったけれどその回復振り、元気ないたづらぶりにまさか生命の危険は感じられませんでした。

どうしても、自分の判断がまちがいであると思いたくて、ガンちゃんをそっとキャリーバッグに入れ、山口獣医科病院へ向った。車で片道約40分の道のりは気が重くめいっていました。
院長、腹膜炎発症していますと。
いたづらに手をやくほどだったガンちゃん、虐待の目を背けたくなるような写真も撮ってきました。それは、回復の強い希望が持てたからでした。でももう助からないと知ったがんちゃんの写真を撮ることはできません。
弱っていく姿を写すことは私にはできません。
あと何日あなたを抱いてあげられるのでしょう。小さな命、なんのために生まれてきたの、野良猫の不幸は、人間が作り出したもの、その責任をなんとも感じない人間達、そんな社会も悲しいです。
2007.12.06 ガンちゃん、やっぱり元気ない。食欲もないし背中の骨もあたる位痩せてきたように感じる。傷口はきれいで薬は効いているよう。薬の副作用かな。明日、先生にきいてみましょう。
2007.12.05
(水)
ガンちゃん、元気ないような、気のせいかな。足が痛いだけかな。
お腹が脹らんでいるようにも見えるけど、気のせいかな。お水が溜まっているようにも。まさか腹膜炎ではないでしょうね。おかしい。おとなしすぎる。大丈夫かな。とても心配。
2007.12.04
(火)
あいてしまった傷口は治っていませんが、入院したときよりきれいになりました。
ガンちゃんは、猫エーズ陽性と出ました。あまりに元気な姿は「ボク、生きるんだ。」と体中で言っているように思えます。生かしてあげたい。皆様、ガンちゃんを応援してくださいね。
暴れん坊なので傷が当たらないように軟らかい所に。寄せられた支援物資の掛け布団の上で気持ち良さそうに寝ています。
 
2007.11.13 傷は最後の少しのところまで来ているのですが完治しません。傷が広がってしまいました。これ以上広がってしまったらどうしてよいかわかりません。入院させました。
2007.9.6 左手の傷だけを残し元気いっぱいです。でも、この少しの傷のところの皮膚が再生しません。元気すぎるので傷口を広げないように注意です。
 
5.27(日) ガンちゃん、里親募集に入ります。皆様、宜しく御願い致します。

2007.1.27 公園で保護された虐待の猫。

元気すぎるガンちゃんと、ガンちゃんのお部屋。
ガンちゃんの居場所は、蛍光灯より高いすぐ上は天井。保護猫は年寄り猫や病気の猫達でどちらかといえば静かなおちついた猫が多い。虐待を受けて大怪我をしたガンちゃんもちゃんと歩けるかなんて心配したのが嘘のよう。ケージの中など3分も我慢できずに「ここから出たいー。」と出すまでなきやみません。部屋中を所狭しと走りまわり、その勢いがすご過ぎて老猫達はおちおち寝てもいられません。そこで・・狭い部屋をアスレチック風にしてみました。大きなケージ3段が老猫用。その上、天井までの空間に2段の棚をたっぷり遊べる広さに作った。かなり気に入った様子。ねずみが天井にいるかのようにすばしっこく走りまわります。手術後の足の皮はまだ薄い。どこかにぶつけて傷を広げたらと思うと一寸心配。でも、止められないほど元気なので好きにさせてあげましょう。想像していなかった回復ぶり、里親さんを探してあげましょう。ひとつ問題が・・けっこう、 ニャゴニャゴ、ギャーギャー鳴きます。そんなこと気にしないと言って頂けます方、宜しく御願い致します。

 
4.24(火)  

応援してくれたみんな、ありがとう。虐待の「ガンちゃん」本日、退院で〜す。
山口獣医科病院、先生、スタッフの皆様、なが〜い入院、お世話になりました。安かった〜。ホッ。
「そうさ、おいら、生きるんだ。」
これから、動物たち、おいらの仲間にいっぱい光がさしますように。


2007.4.10 入院中のガンちゃん、手術経過良好。


2007.3.25 入院中の虐待猫『ガンちゃん』に面会。
 今日、3月25日の写真
 
後ろ右足の皮膚を破り外へ飛び出してしまった骨の手術の経過は良いそうです。そしてこの左前足の皮膚が広範囲にない部分ですが、昨日24日、また大手術を受けました。こんなことができるのかと思うほどきれいに縫合されていましたが、これは、まだ術後すぐの状態です。上の方から皮膚を持ってきているそうです。自然ではないわけで、かなり引っ張られているわけですから半分でもこのままついてくれたらというところでしょうか。
何より嬉しかったのは、昨日手術をしたばかりというのに、ガンちゃん超ご機嫌で、先生に甘えてきて、顔もとってもいい表情になりました。頑張れ!ガンちゃん!
ガンちゃんのお部屋に「結 ノラさん」て名札があったので「ちがうでしょ。」って言いましたら「いや〜。」
先生のお名前の一文字を頂いてガンちゃんという名前にしたので、きっと自分の名前を呼ぶみたいで照れくさいんですね。
頑張れ、ガンちゃん!
 

 


タカトリ公園で虐待を受けたと思われる「ガンちゃん」山口獣医科病院に入院して、一ヶ月が経過しました。山口院長、担当獣医、スタッフの手厚い看護で少しづつ回復に向かっています。手の先の腫れは、今もひいていません。皮膚の再生には長い時間を要しますので痛々しく見えますが、でも、ガンちゃん、すごい食欲で、ケージを開けると頭から突進してくるのでケージから落ちないかと心配するくらい元気だそうです。
タカトリ公園の方には、26日に不妊手術を施した猫の術後の経過も順調なので、近日、戻しがてら新たな異常が起きてないかなど見てまいります。
2007.1.27

猫の虐待事件発生!川崎区タカトリ公園。2006年9月25日(月)にも切断された猫の足、2本が置かれるという事件が発生しています。その2本の足は、同一の猫の足かはわかっていません。今回も、同じ場所です。
所轄警察署 川崎臨港警察署 生活安全課

 

 
 
 
昨日、発見された猫は、富士見公園から移った猫ではなかった。富士見公園から移った猫13匹の内の1匹も不明だったため心配して探したが夜になって確認された。
虐待を受けた猫は、キジトラ 約1才
富士見公園から移動した人の隣に位置するホームレスさんが飼っていた親子猫の子猫の方とのこと。べったり人間になついていた。
飼い主のホームレスさんは、3ヶ月?程前から体を壊し、病院にはいったらしい。
ホームレスさんのいなくなった後は、物が少し残された状態で、飼い主を失った猫親子は、富士見公園から移動した人がその場所に餌を運んでいた。
ホームレスさんの建物は数件あり、飼い猫野良猫含め合計25匹位と見られる。2月に当会にて不妊手術を予定している。富士見公園から移動した人が他にも住んでいたが、最近になっていなくなったようだ。
公園に住んでいる人の数は、数え切れる範囲。ほとんど、付き合いはないそうだ。

昨日、川崎臨港警察署生活安全課より担当伊勢さんと警備から1名の応援が事件の場所に立ち会った。去年9月25日に起きた猫の足2本が置かれた事件の時は、私は、すぐに行くことができず川崎臨港警察署に行っていただき、電話で聞き込み等、捜査をお願いした。が、結果は何も聞いていない。警察は、何をしてくれたのだろう。猫の足は、保健所が引き取りに来たと聞いた。変な話だ。事件なのだから、警察が引き取り調べるものではないのか。虐待は続くケースが多く、エスカレートする可能性が高い。人に被害が及ぶ前兆とも考えて過言ではないと思う。この時、結果だけみれば、南部公園事務所か保健所により、ひっそりと公園の内側に向けて動物愛護法の一部が書かれた立て看板が設置されただけ。この看板、表は大きく「不法投棄は犯罪、不法投棄をするな!というもの」裏は、小さく「動物をみだりに殺さないようにおねがいします」お願いすることか、動物を虐待、殺すことは犯罪ですでしょう。不法投棄はするなで、動物はころさないでくださいとお願いするなんて、犯罪者には優しく、弱者、被害者には冷たく厳しい行政、理解に苦しみます。現場に立ち会った警察の伊勢さんに、状況を説明したあと、「何か、調べることができるでしょうか。」と問うと、返ってきた言葉は、「調べようがありませんね。」よく言えたものだ。人間が、足を折られ骨が飛び出していても、手の皮全部はがされ放置されていても、調べようがありませんね。」と言えるのか、言ったら大変ですよ。動物でも、同じ、大変なことを言っているのですよ。少し、強く言いましたら、「そういう、つもりでは・・すぐ犯人を捕まえろと言ってもできないという意味で・・」と弁解。誰が、そんなことを言ったか、懸命に捜査しても犯人があがらないことだってある。そんなことは誰だって知っている。犯罪が起きているという認識があまりにも薄すぎる。もうひとりの方に言うと、「他の行政機関にも連絡をとらないといけないので・・」「保健所ですか。南部公園事務所ですか。動物のことは、保健所へ、公園のことは、南部公園事務所へですか。連携したり、協力を得るのは結構ですが、犯罪を扱うのは、警察でしょう。捜査をするのは警察の仕事でしょう。これ以上、話していたら猫の生命がわからないので、私はとにかく猫を引き取って帰ります。病院と連絡をとらなければなりません。今、動かすことは生命にも危険があるかもしれませんので見える範囲で写真を撮ってください。後は、私が、写真を撮ってメールで送ります。」「メールは、受けれないので、後で連絡をとって受け取るようにします。」「えっ、なんで、メールが受けれないの」警察にメールアドレスないそうです。いまの時代に、警察に?信じられない。
2007.11.18
多摩川のキジトラ君
あー、助けられない
今朝、また、小さな命が消えました。悲しすぎます。

二日前、河川敷の猫達に給食を運んでくださっている方が二匹の猫が涙と鼻水とよだれでご飯をたべないんだよ。」と言ってきました。
なついていない猫達は、捕まらないことには治療のしようがありません。
美味しい缶詰に薬を入れて近くに置くくらいがやっとです。行って見るとやはり逃げました。
そして、次に入った報告は「死んでいた」と。悲しいです。
2007.11.17 ゆう君 永眠 突然でした。前夜まで普通に散歩し、食事もできました。心臓が悪く、散歩の途中で倒れた事が数回ありました。大きなわんちゃんで老犬です。
私達に何の手をかけることなくいってしまいました。
朝の散歩に行こうとしたら、もうすでに、ゆうの身体は冷たく・・。
心臓の発作でも起きたのでしょうか。苦しまなかったかと・・ごめんね、ゆう。
ゆう君のフォスター・ペアレントさんは、当会のボランティアさんです。そして、今日、動物のお世話に来て下さる日で、優しい方で涙もろいので告げるのも辛かったです。
でも、ゆう君の最後を告げますと、ちょうど昨日、ゆう君の1年分の生活費を振り込んだところだったそうです。ゆう君、また1年元気でと願っている皆にさよならして、「ボクはもういいよ。ありがとう。あとは、ボクの仲間たちをお願いします。」と言って行ったような気がします。見送る度に思います。天国で本当にみんなに会いたいと。
2007.11.5 ピース君 永眠 台風被害から2ヶ月以上たって体調を崩す犬猫が続いています。1ヶ月ほど前から痩せてきたのが気になっていました。姿が見えなくなって捜索のポスターを出したところ長年のテリトリーから外れてホームレスさんに発見され弱っていた為他のボランティアさんに連絡、入院先の病院で亡くなっていました。みんなに愛されたピース、みんなに平和を与えてくれたピース、ありがとう。

ピース
オス
茶トラ白
推定3才

病気等
口蓋裂・慢性鼻炎

フォスター・ペアレント
神奈川県海老名市 小柴様
経緯

川崎市平和公園の野良猫たちの不妊手術を実施した際、保護しました。平和公園から来たのでピースと名づけました。上あごに穴が開いている為食べ物や水が穴から鼻の方に入ってしまい、いつもクシャミをして鼻を飛ばしている状態です。捨てられたのかあまりに懐きすぎているので公園では嫌いな人などの虐待等も心配され保護することになりました。
現在

思いっきり人懐っこく誰が来ても膝の上に飛び乗り鼻を飛ばしていますが皆から可愛がられています。
今は多摩川河川敷に生息する多くの猫たちの為に作られた猫舎で出入り自由で楽しく暮らしています。
小柴さんには他の猫の里親さんにもなっていただき、ピース君もフォスター・ペアレントとして支えていただいております。
2006.12.10.
マイペース、元気です。他の猫を押しのけて膝の上にのってきます。かわいがられています。
2007.6.1.
一寸だけ、クシャミが減りましたよ。調子いいですね。ピース君。
2007.7.6
身持ち良さそうに昼寝中のピース君。体調も良さそうです。
2007.10.2 20:30 ビッキーちゃん 永眠
癌再発、首の方に大きな穴が開き手術の予定で病院へまいりました。けれど、メスを入れたとき癌は大きく広がっていて言葉を失いました。
めっきりやせました。仮に1ヶ月手術で延命したとしても、人に甘える事を知らないビッキーはその1か月を苦痛無く、どんな小さな幸せでも感じる事ができるだろうか。
数年前に突然給食場所に姿を見せた時から耳に大きな癌があり保護するまで命が持つかどうか心配した。ひどい恐がり方で捕獲器に入るまでに何ヶ月もかかった。2度の大きな手術を乗り越えたけれど、一度も抱いてあげることのできないまま、今日、私は、獣医ともよく話し合った後にこの子の安楽死を選びました。ビッキー、愛してたよ。甘える事を知らず、人間は恐いものと思ったまま暮した一生を思うとき、人間の罪を詫びずにはおれません。
2007.5 ビッキーちゃん 癌再発 以前手術をした耳より後ろ側の部分がぷっくりと大きく脹らみ、手術を受けました。細胞検査結果は、扁平表皮癌です。顔面ではないため手術はきれいにできましたが再発しない事を祈るばかりです ビッキー 病理検査結果
野良猫ちゃんだったのかな。河川敷の餌やり場に姿を現したときは、左耳の周りが腫瘍のようにえんしょうして炎症を起こし腫れ上がっていました。保護したくても、なんとしても、捕獲器に入らず、数ヶ月もひどい状態のままでした。警戒心が強く、すごい勢いで逃げます。保護するまでに、半年かかりました。捕獲器に入った時、そのまま、病院へ。すぐ、手術をしました。癌の可能性が高いとのことでしたが、手術はきれいにでき、再発しないことを祈るだけです。猫同士は、仲良く、手術後の状態も安定しています。目が合ったら、逃げまくっていた日々でしたが、やっと、逃げることはなくなり、食事を楽しみに待ってくれているようです。

2007.9.8
まりも ちゃん
台風9号による多摩川氾濫で、多くの猫達が犠牲となりました。
当会のファミリー未として暮した「まりもちゃん」幸せ薄い短い生涯でした。
言葉に言い表わせない悲しいさです。 
台風の犠牲となった多くの命。安らかに眠ってください。合掌

2007.8.25
あんぱんちゃん
飼い主が逮捕されたことで東京都動物愛護相談センターに入った十数匹の猫達のうち、当会で引き取った4匹のうちの1匹。
一番小さく痩せていて老猫に見えました。約5年を当会で暮らし最後の1年やっと人に触らせ甘える事ができました。何もしてあげられないけど、1番に食べ物を欲しがる子でしたからそれに応えてあげられることが私達の楽しみでもありました。老衰です。トイレの高さもやっとになり最後は静かに息を引き取りました。こんなところだけど少しはいいこともあったかもしれない。とっても一生懸命生きたあんぱんちゃん、ありがとう。

 

2007.8.8
ゴンちゃん

飼い主の離婚で当会に引き取られたゴンちゃん。人間大好きで里親会にも参加したけど幸せをつかめないうちに病気になってしまった。猫伝染性腹膜炎。大きくて強かったゴンちゃん。飼い主を失った子は、他の猫と馴染めない子が多い。猫に対してはいつも怒っていた。きっと、すごいストレスだったんだろうね。それで発病しちゃったんだね。まだ若かったのに、ゴンちゃん、ごめんなさい。
河川敷ボス君の猫生

2007.7.1
多摩川の河川敷に暮す100匹ほどの猫達の世話をする毎日。不妊手術は全てに施し、今は、捨て猫もめっきり減って、猫達もホームレスさんたちのもとで老後を穏やかに暮している。数年前に出会ったボス君。ベージュ色の見たこともないほど大きな重たい猫は、今日、病院で最後の検査を受けたあと、天に召された。ホームレスさんに飼われている猫に会うときは、病気や怪我で助けが必要な時だけ。ボスには何回も出会った。なぜなら、喧嘩をするのかやられてしまうのか、顔に、頭に、背中に、首に、何度も傷を負ってそれが化膿して大きく腫れ上がりホームレスさんが何度も連れてきた。その都度、病院で手術を受けた。するとすぐ元気になってケージ暮らしは1日として耐えられず「帰るー」と大泣きする。普段会っても挨拶もしないホームレスさんだが、ボスが具合悪くなった時だけは走ってくる。可愛がられて年月が流れた。3ヶ月ほど前からやせ方がはっきりわかった。虫歯の治療と、また腫れた傷の化膿の手術を受けた時は、水を多くのみ、腎臓が悪いかなと思われた。飼い主の元が1番、またすぐに戻ったけれどそのあとは思わしくなく食欲は落ちていった。2日ほど帰ってこなくてもう帰って来ないかと心配して探していた所へボスは帰ってきた。もうふらつく状態でホームレスさんもどうしてよいか辛かっただろう。このままなら藪の中で死んでしまう。私達ももしも何か見落としていてボスが命を落とすのだったらと思うともう一度だけ検査をして覚悟を決めよう。結果は予想通り、腎不全。そして、まもなく息を引き取った。やらくてよい検査だったかもしれない。でも、これでよかったと思う。親孝行なボス。ボスはホームレスさんの元へ帰った。ホームレスさんは泣きっぱなし。ボスの猫生。


幸せにしてあげられずごめんなさい。(富士見公園の猫さん)

キジ白 死亡1番ー駐車場脇にて
大怪我です寂しているのを発見保護
治療しましたが助からず
クロチビ FIP可能性大死亡 プーマ(クロチビちゃんの
兄弟と思われる)
FIP可能性大死亡
桃太郎 2007.6.25死亡原因不明
肺炎考えられる
クロちゃん 2007.6.27死亡 
FIP腹水溜まる


★みいちゃん
(亡くなりました。お世話になりました。ありがとうございました。)





2006年は、何度も、歩けず食べれずの危機を繰り返しましたが、皆様に正月の挨拶をしたいと頑張りました。顔も念入りに洗ったし、では、ご挨拶を・・みいちゃんです。クイックしてね。


みいちゃん ♀ 三毛猫 年令不明老猫
歯がほとんどない
蓄膿症
(平成16年冬保護)
フォスター・ペアレント H17・11・2
愛知県 佐藤様

野良さんのえさやり場の近くにお腹を空かした子猫のような声が・・それが、鼻をたらしたみいちゃんでした。成猫でした。側には、これもまた保護しなければ寒さの中死んでしまいそうのガリガリ、鼻水、よだれのひどい白猫が。捕獲器は、何度やっても入らず、凍えるような寒さのある日、公園の枯れ葉の上にじっと2匹で寄り添っているところを捕獲用に作ったネットをかぶせ、やっと生きているうちに2匹とも保護する事ができました。

私は野良猫さんがご飯と暖かい寝床で安心して暮らせるだけでも有難いと思っていますので、どの子でもOKです。そんな、嬉しいお申し出を頂き、写真の掲載もしていなかったみいちゃんですが、こちらで決めさせていただきました。最初は、子供かと思われたみいちゃんですが、歯もほとんどなく、蓄膿症などでいまひとつ元気もないように見え、年令は、まったくわかりません。蓄膿症の手術は、難しい手術と過去の経験もあり、治してあげたいけれど、やらない方が良いのではとも思っています。
2007.2.23
すっかり痩せてしまいましたが、時々、端って見せてくれたりします。繰り返しですが、穏やかに日々を重ねています。
2007.3.5 15時25分。

みいちゃん

みいちゃんとのお別れ。寒い寒い冬に、公園でやっと保護した2匹の猫。ペロちゃんとみいちゃん。天国でまた、寄り添って寝てください。腎臓も悪く、何度ももう食べられない、もう立てないと繰り返したけれど、いつも乗り越えてくれました。顔も体も半分になってしまいました。病気ではなく、本当に、寿命でした。弱くなっておとなしく抱かれるようになって最後にはすっかり安心できた様子で、最後まで、小さくゴロゴロと喉を鳴らしてくれました。フォスター・ペアレント様、多くの皆様に応援していただき、みいちゃん、幸せだったよ、みんなありがとう、ありがとう、時々思い出してね。と言って旅立ったように見えました。

Mi3Mi2_1












みいちゃん、最後の写真です。可愛かったです。愛しかったです.


★ホームズ君
ホームズ
2007年2月 4日 (日)
AM12:30 ホームズが亡くなった。具合が悪くてホームレスさんに保護されやってきたホームズ。男の子なのに2キロもない小さな体でガリガリに痩せて皮しかないような体でスリスリ、よろよろと甘えたがる。甘える子は、過去に人間に甘えることを経験した子でしょう。その人間に裏切られ、今がどんなに悲惨でもそれでも人にすがりたい。甘えたい。鼻水がいつも止まらないから苦しい。美味しいものを食べさせてあげたくてもホームズは、カリカリしか食べない。部屋を暖かくしていてもいつもストーブの前から離れない。どうすることもできないまま、体力が落ちていくのを見守って、10分ほど目を離した間にホームズは逝ってしまった。それぞれの小さな命との別れ。もっともっと普通でありたい。普通に生きて、寿命をまっとうして、そして、楽しかったこの世にお別れしてほしい。

★さち





さち メス 老猫
フォスターペアレント
神奈川県川崎市 西尾様

野良猫不妊手術の為、捕獲器をかけたところ捕獲されました。
見るからに健康状態が悪そうなので、保護することにしました。
痩せて毛づやが悪く、腎臓も悪そうです。












2006.10.23
いつも固い表情です。人手不足なんとかしなければ・・
恐がりですが、少し触れるようになりました。
なつかせてあげて、穏やかに長生きさせてあげ
たいと思います。






2006.12.10
いまいち恐がりなおっていません。もっとなつかせてあげなくちゃ。ボランティア、人で不足です。さっちゃん、ごめんね。
Sati1_4













Sati2_5

2007.1.24  腕の中の、小さな幸 

サチ、空腹で、わづかな力を振り絞って、捕獲器のえさを食べたいと思ったんだね。捕獲器の中のあなたを見たとき、びっくりしましたよ。ガリガリの痩せた体。私のところにおいで。頑張って生きたら、幸せになれるから。だけど、今まで、辛すぎたんだね。ケージの中で、険しい目をして少しも動こうとしない。お水ばかりいっぱい飲んで、内蔵も壊しているんだね。それから、数ヶ月、サチは、頑張って生きたのに、お母さんは、何もしてあげられないで時間ばかりが過ぎてしまったね。サチ、もう行くの。そうだね。サチは、頑張って生きたものね。精一杯だったね。22日、23日、24日、サチがもう生きられないと感じました。1ヶ月ほど前から、ボランティアさんに、サチを集中的に手をかけてくださいとお願いしました。そして、手をかけた分だけ、サチがリラックスしてきているのがはっきりわかりました。ケージを開けたままにしてみました。サチは、しばらくケージから出て、初めて部屋の中を歩きました。そしてまたしばらくすると、自分からケージはいりました。美味しい食べ物には身を乗り出し、ニャニャと鳴いて、要求できるようになりました。22日、既に食べられなくなって3日目、ボランティアさんに電話しました。サチを少しの時間、抱いてあげて欲しいと。こんな時さえ、サチを抱いていてあげられない私に代わって、サチに気持ちいいよと感じさせてあげたい、嬉しいと感じさせてあげたい、愛されていると、幸せと感じさせてあげたい。ボランティアさん、深夜12時も過ぎているのに来てくれました。さっちゃんのこと、好きだからと言って、ずっと、抱いて優しく撫ぜていてくれました。次の日も、次の日も。なまりやささみを潰してあげるとほんの少しだけ食べました。今日は、さしみを潰して口のところにもっていくと、それは、もう一口にも満たない量ですが食べようとしてくれました。頭を、喉をなでてあげると、小さく、ゴロゴロと喉を鳴らしてくれました。サチがゴロゴロ言ったのは初めてです。サチ、言葉に言い表わせない想いが一杯です。サチ、ボランティアさんの腕の中で初めて知ったなんと小さな小さな幸せだったでしょう。サチ、後どれだけの時間一緒にいられますか。その間、幸せな気持ちでいられますように。
サチ・・・1月25日 永眠


★ハル

ハル

2007年1月25日 (木)

サチ、AM4:25 旅立ちました。最後に、一瞬苦しかったのでしょう。世話してくれたボランティアさんがくれたセーターに包み、寝かせていたのですが、セーターの袖をギュット咬んで放さないままでした。小さな小さな顔は、苦しみから逃れ、静かに優しく可愛く眠っているようでした。サチをセーターに包んだまま見送りの支度をしました。どっと、スイマーにおそわれました。朝7:30寝ました。8:30河川敷の猫、ハル君が死にそうとの連絡で飛び起きました。ハルは、まだ2才、兄妹のユキちゃんは、小麦ちゃんは元気なのに、ハル君だけいつもなんとなく元気がなく痩せていました。ハル君は、ハッポースチロールのお家の中で、動けなくなっているところを発見。黄疸もひどく、呼吸も苦しく、体温も低い。耳から血が出ている。口の中を見ると、歯がボロボロに腐っている。一寸拭くとポロっと歯が抜け落ちた。もう、ダメだろうと思うが、意識はある。助けてあげたい。病院は、院長は、今日、京都で救済活動のため出張と聞いていた。メールを打つ。すぐ、返事を頂いた。午前中なら、病院にいると。車を飛ばし、病院へ。歯を更に2本抜いて、口の中をきれいにしてもらった。処置をしていただいたが、これ以上は、苦しむのが長くなるだけということだった。病院で死なせたくはなかった。苦しまないように、先生のアドバイスを受けて帰る途中、ハルは息を引き取った。高速運転中、涙をこらえて走った。懐いていない、触れない子は、治療もできず、助かるものも助からない。捨てた人を恨みたい。なぜ、この子達が、こんな不幸を背負わなくてはならないのか。捨てた人間は、平然と暮しているのに。ハルをサチの隣に眠らせ、仕事に行く。悲しんでなんていられない。あなた達の仲間を一生懸命に助けますね。今日は、富士見公園の成猫さん、3匹、千葉までお届けに行きます。あなた達の分まで、幸せになってくれるように頑張ってきますね。
ミッキーちゃん2006.12.5(火)
午前9時
12.2に、3日も前から公園で苦しんでいる猫がいるという通報を受けて、緊急保護しました。公園で世話をしていた人は、ミッキーちゃんと呼んでいました。癲癇で、ひどい痙攣が続いていると説明を受けましたが、あまりに弱っていすぎて、もう、暴れる力もありません。あまりに苦しむようなら、助からないなら安楽死もと考えましたが、静かに寝かせると呼吸が落ち着き痙攣も治まったようなので、奇跡は起きないかと願いつつ見守りました。けれど、助かりはしませんでした。毛並みもきれいでした。痩せてもいませんでした。それまでは、元気だったそうです。舌が紫色だったのが気になります。本当に、病気だったのでしょうか。わからないままです。生きていた間に、いいことはあったのでしょうか。やすらかに、やすらかに眠ってください。
ダンちゃん
2006.12.2(土) 
午後死亡


2006.10.23撮影
ダン 
クリーム色
オス
老犬 推定16才
フォスター・ペアレント 神奈川県横浜市 鴻様

6年前、川崎市動物愛護センターから引き出した老犬ダン君、
ぷーさんみたいな、可愛い特徴のある顔をしています。食べることが生きがいのような子で、とにかく食べます。性格は、温厚です。
だいぶ、高齢のようです。足が弱くなり、散歩の距離も控えめにしています。食欲は、相変わらずですが、もともと、ぽっちゃりですから、足の負担を考えるとこれ以上、太らせるわけにまいりません。もっとあげたいけど、こちらが、我慢です。



フォスター・ペアレントさんの支援を受けながら、毎日、他の老犬たちと散歩を楽しみ、穏やかな日々を過ごしてまいりました。
12月1日、夕方、元気がなく、お腹が大きくはっていました。病院へ急ぎました。。腹水がたまり、腫瘍から出血もあり、血液検査では、以前から悪かった腎臓肝臓の数値も悪すぎて、もう、わづかしか生きられないと告げられました。この子を見ながら、ひとつひとつの生、大切に尊く扱われなけれがいけないと改めて思いました。少しでもと祈って、2週間分の薬を頂き、帰りました。ダンは、ゆっくりと歩きました。翌日12月2日(土)夕方、犬の散歩をしてくれるスタッフから電話が入り、「ダンが、今死んだ。」老犬も老犬、1時間前の少しの散歩の途中でジャーキーを三かけら食べたそうです。大往生でした。ダンのフォスター・ペアレントさんは、他の保護猫の世話に週1回来て下さいます。連絡が入った時、ちょうど、私の近くで、掃除をしていました。その場で、あまりに急なダンの死を告げることになりました。心ある方で、何かの度に涙ぐむので気の毒に思いますが、お陰さまで、ダン君は、幸せだったと思います。どうやら、癌にも侵されていたようですが、これは天寿でしょう。ありがとうございました。


★フクちゃん

2006・8月20日、緊急保護致しました。

2006.8.20 この野良猫、フクちゃんの余命に、良い情報がありましたら、どうか、どんなことでもご連絡下さい。抗がん剤や、放射線治療も聞いたことはございます。高額の医療は受けられませんが、できる限りのことは致します。今まで、多くの場面を見てまいりました。おそらく、癌でしょう。なついていないので触れません。症状がひどく、手術も無理かと・・。今日、全身汚れですごい異臭でしたので、麻酔をかけていただき、全身のカット、ノミ・耳ダニ駆除、抗生物質の注射をしていただきました。口内は、奥の方は、まだ、比較的きれいでした。安楽死を考えました。けれど、今は、痩せていますが食べたがります。ですから、せめて、食べられるうちはとも思います。でも、痛みは、どれほどでしょうか。幸せな時間を、わづかでも、与えてあげることはできないものでしょうか。美味しい食べ物に、薬を入れることはできそうです。どうか、良い情報がございましたら、メールにて、ご一報のほど、お願い申し上げます。
2006.9.3 皆様から、良い情報を沢山頂きました。試しております。来た時より、腫れが引き、少し楽になったのではと思われます。
2006.9.18 多くの情報を頂きまして、ありがとうございました。只今、フラワーレメディ・アロエベラジュースなど、いろいろと、試しております。フクちゃん、次は、何にする。安定しています。食欲が、あることが何より嬉しいです。
2006.9.20 掃除をするのも、怒って、シャッと、パンチが飛んでくるので、大変。でも、最初よりずっと落ち着きました。熟睡している時、さっと、背中に触ったりしています。繰り返しているうちに、触れるようになるのでは・・そんな、気がします。フクちゃん、仲良くしてね。
2006.9.30 ついに、フクちゃんに、さわっちゃいました。ペットシーツの裏に手を隠して、ペットシーツを耳の後ろ、顔にそっと当てたら気持ち良さそう。これで、ベタベタの汚れも少し落としてあげられる。フクちゃん、気持ちよくて、怒るの忘れたかな。もう少しで、顔を拭いてあげられるようになりそう。そしたら、写真とろうね。
2006.10.03 前日の夜、とうとう、フクちゃんの顔を拭いてあげられました。一生懸命、撫でてあげました。とっても、気持ち良さそうに、首を伸ばし時々、ニャー、ニャーと声を出します。安心したんだね。フクちゃん。嬉しいです。
2006.10.4(水)

フクちゃん、やすらかにHukusaiki2 Hukusaiki3img_6123        
10月4日午後、フクちゃん、永眠。

日に日に、怒らなくなって、10月3日、やっと、撫ぜてあげられるようになりました。    5分、10分、もう、怒らないね。安心したんだね。気持ちいいね。初めて撫でてもらえたのかな。明日は、抱っこもできそうだね。フクちゃん、ウレシイって、こんな感じだよ。もっとしたら幸せもわかるよ。フクちゃん、いっぱい、教えてあげるからね。

4日、昼、ケージの棚から、フクちゃんが、落ちました。すべったのかなと思ったら、体が、ヨロヨロと。まさか、  アー、フクちゃん。 それから、何度も、可愛い声で、ニャー、ニャー、ニャーと。あまり、苦しそうにはしませんでした。初めて抱いたフクちゃん、腕の中で、自然に、体が冷たくなっていきました。

皆様、お世話になりました。高価な薬、フクちゃん、飲んでくれましたよ。フクちゃんの顔には、口と、鼻の上にピンポン玉ほどもある大きな肉腫がありました。怯えながらの路上暮らし十年以上、駐車場で餌をもらい、生きてきたフクちゃん。ボランティアさんが気付いてから1ヶ月ほどで、どんどん顔が膨らんできたそうです。見たからに痛々しい姿でしたが、すごい食欲で安心させてくれました。覚悟はしていたものの、まさか、あっという間の急変、急死でした。口の中、歯は、たった1本だけでした。そんな口で、腫瘍から何度も出血しながらもいっぱい食べていたフクちゃん。生きるのが精一杯で、初めての、ご馳走だったんだね。よほど、美味しかったんだね。ふくちゃん、もういいの。あげたいものが、いっぱいあったのよ。



★きらりちゃん

2006.10月12日(木)

こんにちは、よろしく

Img_6173 Img_6179        老犬かな。きらりちゃんです。ボランティアさんが、川崎市動物愛護センターから引き出しました。もう1匹の老犬と一緒に、私に会いに来てくれました。見えないね。聞こえないね。歩けない?少し、食べられるって。こんなになって捨てるなんて。先生が、往診に来てくれるからね。きらり、もう一度、輝かなくちゃね。頑張れ!

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2006.10月13日(金)

がんばってます!

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きらり・・耳掃除完了

あらっ、いいお顔になりました。

その調子、頑張れ!

2006.10月15日(日)

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行動開始!


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きらり・・立ちましたし、お水も少し頂きましたし、次は、何をやって見せましょか。

2006.10月16日(月) きらり、食べます卯。便も異常なし。ほんの少し歩きます。同じ方向に、少し傾いて回る。だるい?苦しい?一寸歩くと、ハアー、ハアー、ぺタッと座って、すぐ寝転んでしまう。呼吸が、自然ではない。
先生に、診ていただきました。心臓は、そんなに悪くないそうです。肺が悪いようです。今日から、抗生物質の投与を始めます。
2006.10.20(金)

きらりの輝いた日

Img_6238  Img_6235_1                                            








12日、きらりに出合ってから、1週間。センターでは、立つ事もできない、軟らかいものなら少し食べられるという状態だったそうです。13、14、15きらりの目は、澄んで輝いていた。全身で輝いていた。あげるものを、ドライも缶詰も美味しそうにいっぱい食べた。13日は、夜中に20分位、歩き続けた。散歩に連れて行ってあげられる。いろいろ、準備した。16日、急に、呼吸が速くなるときがある。食欲はある。先生に診ていただいたら、心臓は、さほど悪くないが、肺が悪いという診断。抗生物質投与を始めた。17日、18日、立つのはだるそう。病院。ステロイド投与。19日、朝、デビフの好きな缶詰をいっぱい食べた。仕事と、野良猫のえさやりで、時間を空けてしまった。きらり、だるそう。顔も、もちあげられない。ときどき、小さなあくびをする。ゆっくりと呼吸をして眠り続ける。

2006.10.22(日)       きらり 動画   

    
きらり、命のかがやき、まぶしく! 
20日のぐったりした姿を見たときは、もう、だめかと思うほどでした。ステロイドが、よく効いたようです。食べた瞬間、嬉しくて、思わず動画を撮影。おしっこをしたいと少し歩きます。可愛い顔で、見つめます。でも、このお口を開けた可愛い表情は、本当は、苦しいのです。呼吸が苦しくてハー、ハー言っているのです。病院。利尿剤を少し使うことにしました。苦しさを取り除いてあげたい。

2006.10.23(月) きらり、今日も、呼吸が苦しい。美味しいものに食べる意欲をみせる。苦しいのが少しでも紛れる様に、おやつを与える。少し落ち着いた。急ぎ、病院へ。今日は、詳しい検査をする。血液検査、レントゲン。全て、予想通りの結果が出る。きらり、肺がんです。先生に、詳しい説明を聞く。転移したと考えられる。小さいけれど、乳腺腫瘍もいくつかある。肺がんの手術は、この状態では、リスクが大きすぎる。貧血も進むだろう。やってあげられることは、薬に頼るしかない。苦しくないように、強い薬を使う。どこまで、効くだろう。 
2006.10.26(木)
薬を強くしても、きらりの呼吸は、楽にならない。付き添える限り付き添う。病名、度合いもはっきりした以上、苦しさだけなら、きらり、辛すぎる。昨日より今日の方が苦しい。先生に相談。楽にしてあげられる方法は他にないのでしょうか。酸素の部屋に入れてあげることで少しの期間なら呼吸は楽になる。私でもできることですか。できます。明日、病院へ行きます。やってみます。
2006.10.27(金)
きらり、やすらかに。苦しさを取り除いてあげたかったけれど、酸素のお部屋を用意する前に、きらりの呼吸は、もう、呼吸とはいえない速さになり、苦しさを通り超えたあまりのその状態に、安楽死をお願いする結果となりました。永遠の眠りについた、きらり、きれいな顔でした。きらりがずっとまぶしいほどに、輝いて見えたのは、たぶんきらりはまだ若かったのではないかと思われます。歩けない、視線もはっきりしない、だから、老犬かと最初は思ったけれど、体も、毛の色もきれいで、白内障もない。病気の悪化で動けないほど苦しかったのだと、辛かったのだと思います。あまりに、短いきらりとの時間、いっぱい、食べてくれてありがとう。可愛かった、きらり。あの世に行ったら、本当に、会えるのかな。本当に、会いたいよ。あなたたちに。そしたら、あの世も悪くないね。みんなと一緒なら、私には、本当の天国だね。でも、もう一寸、みんなの仲間たちのためにこの世で頑張らせてね。じゃあね。きらり。

のんちゃん
2006.9.15(金)
am1:30 死亡

へんびちゃん
2006.9.15(金)
 am11:30 死亡
 
ノンちゃん メス キジトラ白 平成13年生まれ 交通事故後遺症 下半身麻痺で排便・排尿が自力でできません

フォスター・ペアレント 静岡県 生田様
経緯
生後3ヶ月頃路上で車に轢かれ苦しんでいるところを後続車に乗っていた女の子に助けられ入院しました。
安楽死を勧められましたが可哀相でできずに当会に相談してきた為引き取ることになりました。最初は生活費を送ってきましたが続かず、その後は生田さんのお世話になり安心した日々をすごしています。

病気をすることもなく、順調です。
今でもあどけない顔で愛らしさを振りまいています。
おとなしい子で排便・排尿も上手にやらせてくれますのでそれ程手は掛かりません。記憶が残っているのか外を怖がり病院などに行くときなどには、しがみ付いて鳴き続けます。今の暮らしに程々幸せを感じているように見えます。食べ物は缶詰よりカリカリが好きでちょっとだけ太っています。甘えん坊で、寝るときはベットに乗せてとカワイイ声で鳴いて要求します。

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点滴等で、少し元気を取り戻したり、また、具合悪そうだったりと、繰り返してきましたが、二日前からは、へんビちゃん、回復見られず、心配しながら見守っていました。野良猫ちゃんの給食を急ぎ終わらせ、am1:30 のんちゃん、すでに、私を待っていてくれたかのように、わづかに意識もあるように私を見つめて、眠りにつきました。のんちゃんは、生後3ヶ月、交通事故で半身不随になり、私のもとに来ました。毎日、おしっこ、ウンチを二度、出してあげ、私だけを頼って甘え、可愛くて可愛くて、6年を一緒に暮してきました。突然、激しい下痢に襲われ、入院後も、完治せず、やせて、一度は、もうダメかという時もありましたが、乗り越えて小康状態の日々が続いていました。のんちゃんが生きていてくれること自体が幸せな私に、一日でもと頑張って親孝行してくれたのんちゃん。のんちゃん、一緒に暮せて、幸せでした。


へんびちゃん ♂ 推定4才(2006年現在)
事故の後遺症と思われる神経麻痺。断尾。巨大結腸症で3度の手術。結果、おしっこ、ウンチが思うようにできないため、絞ってあげなければなりません。

フォスター・ペアレント 川崎市 西谷様
地域の野良猫さんの不妊手術や保護をされていて、捕獲のお手伝いをさせていただいたことがきっかけで、このような良いお付き合いをさせていただいております。

経緯
当会、ボランティアの住まいの近くのご高齢の女性に世話をされていました。事故で、神経が麻痺したのでしょう。いつも、下痢便が、ポタポタ垂れ、尻尾がウンチでべったりでした。女性の家に毎日、ご飯をもらいに入ってきて、部屋は、すごい臭さだったそうです。それでも、可愛そうと面倒を見ていたそうです。この話しを聞き、治らないものか、とにかく診察をとボランティアに連れて来てもらいました。
手術の結果もいまひとつで、結局、おしっこ、ウンチは、いっぱいになれば少しは出るものの出してあげないとよくないとのことで、引き取ることになりました。もともとは、飼い猫だったのでしょう。べったり甘える子でいっときも、人から離れず、膝の上へ、布団の中へですから、どこにでもウンチがついて大変です。こんな、体になって捨てられてしまったのでしょうか。ウンチを出すのは、痛いようでとても嫌がります。自然の排尿排便でないためか体系も健康そうではなく痩せ気味です。なんとなく、元気がないような、おとなしい子です。でも、「ここなら、安心だよ。へんび。」

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へんびちゃん、膝の上が大好きで、一緒に布団で寝たくて、人間に甘えて暮したかったはずの子なのに、事故でしょうか。排便が正常にできなくなって、いつも、ウンチだらけで、捨てられたのでしょう。いつも、健康状態とは、程遠く、やせて、元気もイマイチでした。神経の異常か、巨大結腸の手術をしても完治せず、ウンチがついたまま、膝にのりたくて、ここに来てからは、ボランティアさんにも、可愛がられて、最後まで、人間不信にならず人と寄り添って暮らすことができたのが、この子へのせめてものおくりものでした。フォスター・ペアレント様、また、応援して下さいました皆様、お世話になりました。ありがとうございました。


ユキちゃん
2006.8.29 
癌のため死亡
 ユキ、やすらかに

ユキ、29日、未明、息を引き取りました。とても、残念です。でも、やれることは、私も、ユキも、頑張りました。すごい大手術でした。最後になるかもしれない、でも、このままでも死ぬまで苦しいだけ。覚悟を決めてのぞみました。麻酔を入れるまで、ずっと、抱いていました。3人のベテランの先生がついて下さいました。立ち合せていただきました。前回の手術で、どれほど悪いか解っていました。骨盤の中に大きな癌がある。メスが入りました。出血は、瞬時止められていく。骨盤の骨を切る。癌は、大きく風船のように膨らんで、あちこちを圧迫している。便の通り道も圧迫され塞がれている。骨が溶けている部分、腐っている部分もある。癌は、きれいに取り除かれた。1時間の大手術が終わる頃、ユキは、麻酔からさめかかり口を動かした。あとは、体力がもってくれるのを祈り、待つだけです。今夜が、峠ですと先生がおっしゃいました。私は、助かると信じていました。けれど・・・
ユキの一生を思い起こしています。自分で決められない動物たちの一生。その中で、関わった人間、その度に、人に幸せを与え、ユキ自身も、小さな幸せを掴もうと一生懸命生きているように見えた。ユキ、今日で、お別れですけど、忘れません。

ハーちゃん
2006年7月27日 (木)

7・21 皆様の応援に励まされ、ハーちゃんを手をかけてなつかせて頂ける、預かりボランティアさんを呼びかけてみようかとしておりました。それから、1週間後、ハーちゃんが、食欲が落ちて、毛艶が悪くなってきました。そして、急激に痩せ、今日、朝、好きな食べ物も殆ど食べず、背中の大きな傷口も黄色く変色し、かなり、状態が悪いことがはっきりわかりました。しかし、無理して触ろうとすると、恐くて手がでます。夜になると、更に、目も輝きを失い、呼吸も正常でなく怒る力もあまりなさそうです。考えたあげくケージの中に、布製のキャリーバック、前、後ろ、上が開くものを入れるとその中に隠れました。すっかり、弱っています。その状態で、上から頭の部分にタオルをかけ見えないようにして背中から、首の方へゆっくり時間をかけて撫でてあげることができました。こんなに弱って、初めて触れました。ハーちゃん、恐いながらも、少しゴロゴロと喉をならしました。とはいえ、詳しい検査を受けることはできません。できる処置をして見守っておりますが、わづかな時間での急激な悪化と今の状態を見ると、かなり、厳しいように思われます。何とか、希望を持って、治療にのぞみたいと、フォスター・ペアレントさんを募集し、暖かいご支援に励まされこれからという時でした。フォスター・ペアレントの皆様に、ご報告する時間がありません。急ぎ、ここに、現状報告させていただきました。1分でも、ハーちゃんを、そっと、撫でていてあげたいと思います。

7.27
はーちゃん、天国へ。

皆様、はーちゃんに愛をありがとう。ハーちゃんは、息を引き取った瞬間、顔が変わりました。それは、緊張のとれた猫らしいとても可愛い顔でした。いつも、恐くて、どこか険しい顔だったのですね。ずっと、恐くて、甘えることを知らないまま、いってしまいました。はーちゃん、ごめんなさい。フォスター・ペアレントになって下さいました皆様、ハーちゃんを、助けてあげられませんでした。本当に、ごめんなさい。


ジャスミン
2006年5月28日(日)
AM3:30 死亡

センターから来たジャスミンちゃん
ジャスミンに、春を
   

 ジャスミンのそれから



 ジャスミンとクローバ

ジャスミン

ジャスミン、静かに静かに、天へ。いま、どのあたりかな。もう、仲間に会えたかな。2006年5月28日(日)AM3:30本当に静かに息を引き取りました。二日前から、少し、食べ方に力が入らないようにみえました。相変わらず、ジャスミンのそばにいてあげられず、夜、11時半、帰宅した時、ジャスミンは、もう、体も冷たく、かすかに呼吸していました。そのまま、静かにとも思いました。でも、3月24日、初めて、ジャスミンを見たとき、今日か明日かと思われたのに、あんなに頑張ってくれたから、もしかしたらもう一度と思ってしまいました。急いで処置をしました。30分後、体が温まってくると、弱いながら鼻から息を感じました。1時間後、体温が戻ってきたように感じ、呼吸がはっきりし、鼻も、スースーと鼻息をしています。それから少しすると、まるで、いつものように、いつものポーズ、片手を持ち上げて、ちょっと、ちょっと、というように手を振ります。ジャスミン、すごい。信じられない。いつもと同じじゃない。目も瞬きして。嬉しくなってしまいました。私は、疲れてしまっていました。眠気に襲われて、ジャスミンを抱いてジャスミンのしっかりした寝息を聞きながら眠ってしまいました。気付いた時、ジャスミンの寝息が、聞こえない。ジャスミン、もう、呼吸が止まっていました。ジャスミンへの、思い、今は、とても、これ以つづれません。親孝行な子でした。一度、冷たくなりかけた体が、なんで、私が眠る一瞬でもまるでいつものように元気になって、手をあげて振ることができたのだろう、そんな、不思議な力があるのだろうか。みんな、ありがとう、バイバイね。と、手を振ってくれたのだろうか。ジャスミン、もっと、もっと、一緒にいたかった。