否定派の主張

紅卍字会の死体埋葬報告には虚偽が含まれている。

紅卍字会は1937年12月から埋葬活動をしていたことになっているが、ラーベのヒトラー宛の報告書には、2月1日まで死体の埋葬が禁止されていたと記されている。日記にもこれを裏づける記述がある。つまり紅卍字会の埋葬作業は1938年2月1日から始まったものであり、12月と1月の埋葬記録は水増しのための偽造なのである。

また、南京特務機関に勤めていた丸山進によれば埋葬は3月15日で終了したそうなので、それ以降の埋葬も水増しである。
(東中野修道『南京大虐殺の徹底検証』pp295-320)

反論

ラーベの上申書や日記は彼が体験した範囲内のことを述べているに過ぎない。すなわち彼の家の近くに放置されていた中国兵の死体についての話である。これはラーベの目の届かない場所ですでに紅卍字会が埋葬活動にあたっていた可能性を排斥するものではない。

南京特務機関の1938年2月の報告にも以下のようにある。
紅卍字会屍体埋葬隊(隊員約六百名)は一月上旬来特務機関の指導下に城内外に渉り連日屍体の埋葬に当り二月末現在に於て約五千に達する屍体を埋葬し著大の成績を挙けつつあり
(『華中宣撫工作資料』p153より。片仮名は平仮名に修正)

このように紅卍字会が1月から埋葬に従事していたことは明記されており、2月1日に活動開始したというのは事実に反する(12月分の作業については別の問題になるのでここでは触れない)。

次に3月15日に活動を終了したという話であるが、これも間違いである。
紅卍字会の4月4日付の南京自治委員会に向けた書簡では、現在までに3万数千体を埋葬しなお続行中(『南京事件資料集 2』p273)とある。これは3月末までの累計が3万8780体になる埋葬記録と一致する。
また8月下旬に督弁南京市政公署社会処(南京市自治委員会の後身)に提出した書類では4万と少しの遺体を埋葬となっており、やはり埋葬記録(7月末までに4万2997体)と一致する。
つまり3月15日以降も埋葬活動が続けられていたことは事実であり、その数字の正確さも当時の資料で裏づけられているのである。

したがって、紅卍字会の埋葬作業が2月1日から3月15日までの間しか行なわれなかったという説は間違いだと結論できる。

紅卍字会 死体埋葬数統計表
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/m...
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