八月の伯爵日乘&更新履歴

MMIX

伯爵日乘


●八月一日(土)・・・どうもここ数日朝方になってしまっている。非常によくない。
 ということで、五時間ぐらい寝てはいるのだが、九時過ぎには目が覚めた。
 三時過ぎに出発、直通特急で梅田へ。そのままベルエベルプロ校へ。今日はカットとカラーで予約していたのだが、担当してくれたにっしー君がやたら黒を勧めるので、茶髪の予定を変更して黒染めへ。まぁ白髪が増えてきてたから黒でもいいのだが。
 思った以上に黒くなったが、七時過ぎに終了。そのまま歩いて南森町の「208」に向かう。今日は嘗て僕も講演したイベント、「ショールーム」なのだ。今日の講師は女流AVライターの藩金蓮女史。代々木忠監督作品など上映しながらの滅茶苦茶濃いトークで、非常に面白かった。
 終演後も終電ぎりぎりまで盛り上がってしまった。国鉄東西線で新福島まで行き、阪神福島から休日ダイヤの終電に乗って帰宅。

●八月二日(日)・・・昨日は雷雨などあったが、今日はかんかん照り。さすがに梅雨明けが近いのだろう。堂でもいいが、今日も朝型。でも神戸女学院のオープンキャンパスに行くのはやめにした。暑そうである。
 二時半頃に出発、直通特急で高速神戸へ。そこでレンジャー君とその新しい彼氏(中国人留学生)と合流。アルファロメオを手放してから車なし生活があまりに不便なので、レンジャー君にマーチボレロを落札してもらったのだ。外観はぼろいが、この際動けば何でもいいww。
 ということで、西元町のファミレス「フレンドリー」でお茶してから、とりあえず試乗ということでぐるっと春日野道を回って三宮まで運転してみる。アルファロメオと比べると加速など非常に落ちるが、まぁオートマだししょうがない。
 そごう前で解散し、歩いて阪急三宮駅西口へ。先日知り合ったばかりのロミ少年と合流して、そのまま「ムジカ」へ。ロミくんは物凄い美少年である。
 ケーキセットを注文、そのまま二時間以上粘ってしまった。神戸ムジカのケーキは非常に美味しい。僕は桃のショートケーキを食した。
 七時半頃店を出て、旧居留地から波止場の小道を散歩して、三宮交通センタービルで解散。そのまま特急に乗って帰宅。

●八月三日(月)・・・今日も早々と目が覚めた。ようやく、やっと、近畿・東海地方の梅雨が明けたらしい。
 午後三時過ぎ、出発。梅田で地下鉄四つ橋線に乗り換えて本町で下車し、「オピューム」へ。うさぷーが先に来ていた。いよいよ迫ってきた「北夙川不可止プロデュース『オピューム古楽シリーズ』」第二回の打ち合わせと、そして第三回についても色々話し合った。
 五時には会議終了、滅茶苦茶暑いが、歩いて「ムジカ」へ。途中でバロック・ヴァイオリン奏者のペコちゃんも来て、なんと閉店まで粘ってしまったσ(^◇^;)。
 お腹が空いたので、軽く食事してから帰宅。
★今日の盆踊り

イヤホンで曲を聴く 愛知で「無音」盆踊り開催 8月3日21時5分配信 J-CASTニュース 
イヤホンで曲を聴く「無音」の盆踊り――!!  愛知県東海市の住民らが、こんな常識破りの試みをして反響を呼んでいる。
■騒音対策もあるが、地域振興を主眼に
  「こええよ…」
  「儀式に見えるぞ」
  「どこのカルト宗教か」
 ネット上では、無音盆踊りを想像して、こんな極端な声も漏れる。これらは、2ちゃんねるへの書き込みだ。
 この盆踊りを行ったのは、愛知県東海市の大田町住民ら。町内にある東海市青少年センター駐車場で2009年8月1~2日にあった地元の夏祭り「ザ・おおた・ジャンプフェスティバル」で、民踊団体などの50人がイヤホンを着けて実際に「炭坑節」など4曲を踊った。
 仕組みは、FM電波で曲を飛ばし、踊り手が携帯ラジオで受信するというもの。両日とも1回、15~20分間、ラジオを浴衣の帯に挟んだ踊り手が、静かな会場の中で耳のイヤホンを頼りにステップを踏んだ。
 地元では、市の玄関口として名鉄太田川駅前の再開発が進んでおり、2015年度にも駅前に広場ができる。住民らは、ここに移る夏祭りで無音盆踊りを本格的に始めることにしており、今回はそのリハーサルとして企画された。提案者である大会会長の化粧品店経営、森岡厚さん(47)は、動機をこう語る。
  「市民の一番の楽しみは、花火大会です。そこで、その日に駅前で盆踊りを披露しようということになりました。しかし、花火を見て帰ってきて、片付けをしていたら失礼です。病院にも近い駅前で、深夜11時や12時でも披露できるようにと考えたのが、無音の盆踊りということです」
 つまり、騒音対策もあるが、地域振興を主眼に考えたというわけだ。地元は、住宅密集地ではないので盆踊りの苦情はほとんどなく、病院からも騒音対策の要望は来ていないという。
■「『何か変』が訴えるものがある」
 とはいえ、大会会長の森岡さんは、無音盆踊りが、苦情を気にせずに踊りを楽しめるモデルケースになれば、と考えている。
 踊り手に感想を聞いたところ、「曲が聞こえているので、まったく違和感がない」とのことだった。しかし、見物していた人からは、「寂しいね」「何か変」という声が上がった。これに対し、森岡さんは、こう言う。
  「例のないことですので、いきなりうまくいくとは思いませんでした。ただ、踊り手が何百人にもなったとき、この『変』が訴えるものがあるとも感じました。例えば、炭坑節で手を叩く音が不思議に聞こえたり、草履の音が静かな盆踊りの中で違った音色になったりということです」
 また、見物の人も楽しめるには、踊り手と途中で入れ替えることも案だという。さらに、FM電波を飛ばす機械を複合的に使って民踊と同時にポップスも流すなど、若者も楽しめるようなこともできないか考えている。
 夏祭りのイベント委員長の米穀販売業、月東(がっとう)由典さん(34)も、「最初は不安があった」というものの、手応えを感じているという。
  「草履ではなく、カランカランと音がする下駄でもいいんじゃないかと思っています。完全に無音ではなく、音を微かに流すようにすれば、曲も分かるでしょう。また、盆踊りの最中でも、告知などをアナウンスできます。実際、迷子が出たときに利用できました」
 大会会長の森岡さんは、期待を込めてこう語る。
  「祭りでは、自分でラジオを持ってくる人もいました。また、わざわざ遠くから参加した人もあり、子どもたちも面白がっていました。ネット上のご意見は、ありがたいアドバイスだと思っています。これからは、クイズとか仕掛けるなどして、いろんなことの可能性を試したいですね」

 ん~~~、見てみたい気はするし、単発イベントなら面白いけれど、毎年やるようなものだろうか?
★今日の変態

男子高校生にわいせつ容疑も 画像強要の元小学教諭被告を再逮捕  産経新聞2009.8.3 13:10
元教え子の男子中学生らに裸の写真をメールで送るよう強要したとして、横浜市立荏田東第1小学校の元教諭、数野昭生被告(27)=横浜市都筑区、強要未遂罪などで起訴=が逮捕、起訴された事件で、神奈川県警少年少年捜査課と都筑署は3日、男子高校生への強制わいせつと児童買春・ポルノ禁止法違反の疑いで、再逮捕した。数野容疑者は7月16日に懲戒免職になっている。
 県警によると、数野容疑者は「高校時代にジャニーズ(事務所)に入りたいと思い、インターネットのサイトを見ていたら、ジャニーズ(事務所のアイドル)のような若くてかわいい男の子に興味を持つようになった」と供述しているという。
 数野容疑者の自宅から押収されたデジタルカメラからは少年の裸の画像など約3000枚が発見された。
 逮捕容疑は、昨年6月、2回にわたり、中学3年の男子生徒(15)の自宅などで、生徒にわいせつな行為をし、その様子をデジタルビデオカメラで撮影した疑いが持たれている。
 数野容疑者は「山梨県のナミ」という女子中学生になりすまし、インターネットでダウンロードした少女の裸の画像をメールで送りつけ、「私の送ったからあなたのも送って」と男子生徒に裸の画像を送るよう要求。さらに「(わいせつ行為を)数野先生にやってもらいなさい」と男子生徒が自分のところに来るように仕向けていた。

 まぁよっぽどもてなかったんだろうが、相当長期の実刑を食らわせるべきだろう。

●八月四日(火)・・・今日も八時前には目が覚めたσ(^◇^;)。天変地異が起こらなければいいのだが。
 死ぬほど暑いので、夕方まで書斎に篭もる。
 六時過ぎ、両親と妹が車でやってくる。久しぶりに妹が帰省してるので、家族で食事に行こうということになったのである。
 ということで、大阪へ向かい、予約した七時ジャストに「オピューム」に到着。まずは崎山ビルヂングを眺めてから、店内へ。今日はコースを注文したが、いつも通り素晴らしい料理であった。アンティパストのカルパッチョからドルチェのカッサータまで、全く非の打ち所がない。一同大満足の晩餐会であった。
 二時間以上ゆったりと食事をしたので、食後はまっすぐ帰宅。十時前であった。まだ気温が三十度近いσ(^◇^;)。
★今日の僻村

<横浜市教委>8行政区が自由社の歴史教科書採択(毎日新聞 - 08月04日 13:33)
 横浜市教育委員会は4日、10~11年度に市立中学で2年間使う歴史教科書に、「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)が主導し自由社(東京都文京区)が発行する教科書を8行政区で採択した。「つくる会」の分裂に伴い、扶桑社版とは別に執筆された自由社の教科書は08年度検定に合格したばかり。文部科学省は「(採択例を)把握していない」、同社は「全国初」としている。
 同市の教科書採択は、校長や学識者で組織する市教科書取扱審議会が候補を答申、市教委が市内18行政区ごとに決める。この日の市教委には今田忠彦委員長ら6人の教育委員全員が出席。18区ごとに無記名投票し、港南や青葉など8区で自由社が選ばれた。18区全体で市立中学は145校、1学年約2万5000人の生徒がいる。
 投票に先立つ審議で、今田委員長は「日本人に生まれたことを悲しませるような教科書は絶対、駄目だと思う。自由社の教科書は非常に理解しやすく、先人がどういう意識で生きてきたのか深みをもって書いている。日露戦争も愛情をもって書いている」と意見を述べた。【山衛守剛、木村健二】

 先日、ポピュリスト馬鹿市長が無責任に任期途中でいきなり辞任した僻地の漁村だが、さすが民度が偲ばれる、素晴らしい選択というほかない。極右偏向教育が日本最大人口の都市で実施されるんだから、こんな国もうそろそろ滅ぶだろう。全然構わんが。

●八月五日(水)・・・今日も早く起きた。
 昼過ぎ、出かける。特急で西宮まで行き、市役所で印鑑証明を貰う。そしてレンジャー君と合流、必要書類を貰う。車を買ったのだ。そのまま国鉄西ノ宮駅まで走り、運転交代。レンジャー君は電車で神戸へ。僕は借りた車で帰宅。土砂降りである。
 夕方、雨がやんだので甲子園警察へ行き、車庫証明の申請。これはすぐ済んだ。
 そのあと、日野君が再度来るので、書類を渡す。
 八時前に出発、特急で梅田に出て、そのまま阪急京都線特急に乗り換えて、河原町へ。
 物凄く暑い中河原町通りを歩いて、河原町三條のかっぱ寿司でアユと合流、一緒に食事。くら寿司の真似をしてタッチパネルになっていた。思ったほどは食べられず、わりとすぐに満腹になってしまった。
 自転車のアユと一旦別れ、お京阪で出町柳へ。僕の方が先にアユ邸に到着した。
★今日のジャニーズjunior

元ジャニーズJr.メンバーら4人窃盗容疑(読売新聞 - 08月05日 14:42)
 勤務先のパチンコ店で玉を不正に抜き取ったとして、ジャニーズJr.の元メンバーら男4人が窃盗容疑で埼玉県警に逮捕されていたことが5日、分かった。
 捜査関係者によると、4人は、元ジャニーズJr.メンバーの同県春日部市緑町、松本和希(26)、同市大場、小沢幹生(26)両容疑者ら同市内の同じパチンコ店従業員で、昨年12月25日夜、パチンコ台から約3300個のパチンコ玉を盗んだ疑いで、先月23日までに逮捕された。店内で景品に換え、景品交換所で約8000円に換金して山分けしたという。
 4人は、打たれた玉数を記録する装置を一時的に外すなどして玉を抜き取っていたとみられる。交換した景品の量が数年前から急増したため、店が県警に刑事告訴していた。年間数百万円の被害があるという。

 随分質の悪いガキの集団である。
★今日の品性下劣

通天閣困った!?ワッハ上方移転迷走でリニューアル工事できぬ 産経新聞 2009.8.5 13:47
大阪府からワッハ上方の移転先として打診されている通天閣=今年6月、大阪市浪速区(本社ヘリから) 大阪府立上方演芸資料館(大阪市中央区、ワッハ上方)の移転をめぐり、府と、入居ビルを所有する吉本興業の対立で、影響が出はじめている。府から受け入れ先として打診された新世界の通天閣(浪速区)が、正式な申し入れがないため、リニューアル工事のめどが立たない状態になっているのだ。このリニューアルは新世界100周年の記念事業。一大イベントなだけに、通天閣側は困惑を深めている。
 通天閣を運営する通天閣観光は当初、新世界100周年の平成24年に合わせて来年5月に通天閣の全階リニューアル工事を予定。ところが、昨年9月、府からワッハ上方移転の打診を受けた。いったん連絡が途絶え、今年6月、府から再び要請があったため、急遽(きゅうきょ)、予定していたリニューアルの内装イメージや関連イベント計画を白紙撤回した。
 7月23日、橋下徹知事や幹部が出席する府戦略本部会議で移転方針が正式に決まったため、7月中にもリニューアルの方針も含め、移転に関して府と協議を開始する予定だった。
 しかし、直後に吉本興業が、府に抗議文を発表。橋下知事と応酬が続いたため、府と通天閣側の協議は棚上げになっている。
 通天閣側は、当初の計画通り来年5月にリニューアル工事を開始する予定で、企画コンペを今月3日に開催。参加業者に事情を説明し、ワッハ上方が移転する案と移転がない案の2通りを9月中旬に提示するよう求めている。それでも関連イベントなどは早く決めないと計画に狂いが出る可能性もある。通天閣観光の西上雅章社長は「100周年事業の目玉としてワッハ上方を迎えるつもりだった。上方芸能のためにひと肌脱ごうと思っていたのに」と困惑している。

 これはハシゲが個人で賠償すべきであろう。
★今日の妄言

「資料保存に不安」 ワッハ上方移転 NPOが大阪府に意見書 産経新聞2009.8.4 07:35
 大阪府立上方演芸資料館(大阪市中央区、ワッハ上方)の通天閣への移転構想で、同館を運営するNPO法人「ニューウェーブ大阪」(理事長、西村嘉郎・朝日放送常勤特別顧問)が「演芸資料をきちんと保存できるか不安」など、懸念を示す意見書を府に提出していたことが3日、分かった。反対は明言していないものの複数項目の「懸案」をあげており、西村理事長らは4日に記者会見する予定。
 関係者によると、意見書は7月20日付で府民文化部長あてに提出された。通天閣に移転された場合、在阪各放送局が提供した約2700点を含む演芸関係資料を、保管庫を所持する現在と同じ環境で維持できるか不安-と指摘。ほかにも勤務する各局OBなどの協力態勢が維持できるか、資料寄贈者やその遺族への経緯説明などにも懸念が残る-としている。
 移転をめぐっては、賃料を含め経費節減を理由にあげる橋下徹府知事や府側と、「府の要請を取り入れて建設した経緯もあり、移転の場合、損害賠償請求も辞さない」とする吉本興業の間で対立が激化している。

 ふざけたことを抜かす。何が「各局OBの協力態勢」ぢゃ(-_-;)。資料館でありつまり研究機関であるのに正職員である学芸員が一人しかおらず、吉本興業やら在阪各準キー局やらのOBの天下り先と化しているのは誰もが知るところだし、そういう馬鹿なことをするからマントヒヒ橋下に付け入る隙を与えるのだ。
★今日のどっちもどっち

「橋下知事の発言は乱暴」ワッハ上方運営のNPO法人が緊急理事会 産経新聞2009.8.3 11:36
 大阪府が府立上方演芸資料館(ワッハ上方)を新世界の通天閣に移転させる方針を決めたことについて、同館を管理・運営する特定非営利活動法人(NPO法人)「ニューウエーブ大阪」は3日、ワッハ上方で緊急の理事会を開催し、対応を協議した。
 ニューウエーブ大阪は、ワッハ上方に映像や音声の資料を提供している在阪民放6社の社長らが理事を務める。副理事長の山本雅弘・毎日放送会長は、移転先での資料の扱いに関して府からの説明がないことに不満を示している。
 移転の方針をめぐっては、ワッハ上方が入居するビルを所有する吉本興業が「恒久的入居を前提にビルを建設した」と府を批判。「一方的に移転される場合には、当社に損害が発生することになるため、補償について府と協議を進めていきたい」としている。一方、橋下知事も「あまりにもお金にがめつい」と反発するなど、双方の応酬が続いている。
 また、山本副理事長も「知事の発言は乱暴。吉本興業はワッハ上方のために建物を建てたわけで、吉本の言い分も分かる」としている。

 出自の卑しい下品な馬鹿府知事に文化や芸術の素養が皆目ないのは当然としても、天下り先確保に汲々としている民放側にも同情できない。

●八月六日(木)・・・広島原爆の日。終日アユ宅で過ごす。途中、一人で出町枡形商店街へ。から揚げ屋にてから揚げ丼を買って帰った。
 終電で帰宅。
★今日の「マスゴミ」

松崎しげるや田中星児がパンクに! 昭和の名曲カヴァー『made in show-wa!!』発売(CDジャーナル - 08月06日 14:50)
 昭和60年代から70年代にかけての昭和の名曲を、メロディック・パンク&ハード・ロックにカヴァーした大胆なアルバム『made in show-wa!!』が発売!
 このアルバムには、田中星児のヒットで知られる「ビューティフル・サンデー」や、チェリッシュ「てんとう虫のサンバ」、松崎しげる「愛のメモリー」……などなど、誰もが聴いたことのある曲が英詞パンクに! YouTubeにて公開された「てんとう虫のサンバ」のプロモーション・ビデオは、ウェディングドレス姿の花嫁がノリノリで踊る胸キュンな仕上がりになっています!
 名曲をカヴァーしているのは、名古屋を拠点として活動しているアーティストを中心に結成されたバンド、D.L.P.。レースクイーンなどの経験もあるパワフルなヴォーカル、ayaをフィーチャーし、ドラムはSOUTH BLOWの寺本英司、ギターはiGOの野田昌吾など、それぞれにバンド活動をしているメンバーが集結。
 ちなみにバンド名の由来は、名古屋弁で“すごくパンク!”という意味の“でらパンク!”の頭文字から。そんな彼らに、地元名古屋にゆかりのあるアーティストからもレコメンド・コメントが到着しているので、こちらも要注目!
 一部のCDショップでは、特典として全曲分のカラオケ音源が入った、カラオケCDが付き。このカラオケCDには日本語の歌詞もあり、英語でも日本語でも歌えるナイスな特典に。特典対象店舗など、詳細はレーベル・サイト(http://jvcmusic.co.jp/dlp/)でチェックを。

 僕は程度の低いネットウヨクが使う「マスゴミ」という低劣な言葉が大嫌いだが、昭和70年代なんて馬鹿なことを書くメディアに対して使うには適切だと思う。

●八月七日(金)・・・物凄く暑い。
 夕方まで在宅。原稿など。
 七時に出発、梅田へ。久しぶりに「はがくれ」本店で生醤油饂飩を食してから、北新地駅から国鉄東西線に乗って京橋へ。環状線内回りホームに上って関空・紀州路快速に乗り換えて、一路和歌山へ。かなり混むが何とか座れた。
 国鉄和歌山駅でなんと接続が二十分余もあった。後続の天王寺発紀伊田辺行快速に乗るわけだが、停車時間が二十分あったのだ。それに乗って二駅、紀三井寺下車。駅にヒロポンとrjuka君が迎えに来てくれていたので、早速ヒロポン邸へ。今日は明日の講座に備えての和歌山入りなのだ。

●八月八日(土)・・・幸い、最近の朝型生活のおかげで、よく眠って早起きできた(笑)。
 九時二十分頃、ヒロポンの車で出発。南海和歌山市駅裏、無番地地区のすぐ近くのコインパーキングに車を停めたが、早くも死にそうに暑い。気象庁サイトによると和歌山市の最高気温は33.7度だったようだが、酷暑日だったように感じたσ(^◇^;)。ということで、コットンスーツを着ていたのだが上着と鞄は車に置いて出かけた。
 九時五十分には和歌山市駅前広場に到着。今日はNHK文化センターで僕とヒロポンが担当している講座、「関西モダン建築とおしゃれランチ」なのである。既に多くの受講生の皆さんが集まっていた。
 十時過ぎには全員揃ったので、まずはタクシーに分乗してじゃんじゃん横丁へ。全行程を歩くとえらいことになるからであるww。
 今期講座はずっと僕が主講師を務めていたが、今日は和歌山人であるヒロポンが主講師なので楽。しかし昨夜から喉の調子が非常に悪くなっているので、助かった。ヒロポンに貰ったノドヌールスプレーが吃驚するぐらいよく効いた。劇薬でも入ってるんじゃないかσ(^◇^;)。
 ともあれ、まずはじゃんじゃん横丁の路地を散策。ここは1955年に当時隣にあったストリップ小屋「八光ミュージック劇場」の客を目当てに建てられた飲食街で、戦後の建物とはいえ角にアールをとった戦前モダニズムっぽい雰囲気の鉄筋二階建て雑居ビル三棟からなる。往時はスナック、スタンドバーなどが殆どだったらしいが、ここ十年ほどのリノベーションで和歌山にしてはお洒落な店が集まるエリアとしてちょっとした名所になっているのだ。
 ぐるっと回ってから、親しくしている紅茶のお店「ペコーズ」の内部を見学する。
 そして、灼熱の炎天下、ウォッチング開始である。寺町通に出て、和歌山天文館址(日本で五番目プラネタリウムだった)、真砂浄水場と回る。浄水場の建物は大正末の鉄筋コンクリートで可愛らしい。寺町を通り、吹上のお屋敷街を通って浜病院へ。1955年、進駐軍用ホテルを目論んで建てられた旧樂長ホテルである。既にサンフランシスコ条約が締結されてしまったため、翌年から病院として使われている。実は看板建築で、しかも建てるにあたって棟梁を東京に派遣して西洋建築を見聞させている。昭和、それも戦後なのに明治初期の擬洋風建築とそっくりのエピソードである。和歌山は戦前のほうが現代よりはるかに栄えていた都市であり、もちろん戦前既に本格的なビルヂングは多数建てられていた。決して山間の僻村ではないのに、不思議なこと話もあるものだ。
 その後、予定を変更してちょっと遠いが紀州藩御典醫の末裔である郭邸を見にいくことに。暑い中ひぃひぃいいながら歩いて、何とか到達。もう殺人的な暑さになってきた。
 郭邸は明治六年という非常に早い時期に建てられた擬洋風建築で、コロニアルスタイルである。狭い路地に面していて、探すのが大変だが、こんな早い時期にこれだけの規模の洋館が建てられたこと、そしてそれが現存しているということは奇跡に近い。わざわざ相当遠回りしたが、受講生の皆さんには喜んでもらえた。
 再び炎天下、特に見るべきもののない裏通りを抜け、赤十字病院の手前で洋館付文化住宅と相当古い鉄筋コンクリートの洋風蔵を見た。
 そして県民文化会館横を抜けて、これも紀州藩御典醫の家柄である滋野醫院へ。隣の滋野邸共々、関東大震災より古い1921(大正10)年に建てられた鉄筋コンクリートの近代建築で、非常に貴重なものである。医院はゼセッション様式、それに対して屋敷のほうはさらにモダンなスタイルで建てられている。
 さすがに干からびそうになってきたので、この先歩くことは断念。1938年に建てられた県庁を正面から見て、県民文化会館裏まで戻り、ホテルアバローム紀の国からタクシーに分乗して西本ビルヂングへ。今日の講座の終点である。
 説明するまでもなく西本ビルヂングは僕ら銀聲舎にとっても拠点であり、勝手知ったるところである。早速皆さんを二階の茶室ゑびすに御案内して、ランチとなった。今日のメニューは黒米のオムライス、デザート、そしてソフトドリンクで、大変好評であった。
 食後、更に三階、屋上まで御案内し、講座終了。お土産を買ってる方が多い。
 そして、夏以外なら徒歩五分の和歌山市駅まで十分ほどかけて歩いて、解散。皆さん更に高島屋でお買い物。やはり和歌山となると京阪神の人からしたら小旅行になってしまうのだ。しかし、朝から炎天下歩き回ったのに、このあと淀川花火大会に行くと言ってる方も。お元気であるσ(^◇^;)。
 僕とヒロポンはオーカバ氏とその彼女と合流。市駅前から駐車場まで歩き、サウナと化している車に乗り込んで、出発。まずは紀の川を渡って、和歌山大学のある新興住宅地、ふじと台へ。「学園城郭都市」を謳っているのだが、意味が判らん。確かに戦国時代以前の山城のあとはあるらしいが、そんなものはお構いなし、もうハチャメチャの無茶苦茶状態なのである( ゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ。高度成長期にはこういう規模の大規模新興住宅地が多かったが、バブル後の現代に、しかも地元中小資本の開発としては破格の規模であるが、とにかくセンスの面でもう何とも絶句するほかない凄まじさ。゚( ゚^∀^゚)゚。ブェーッハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ 。
 山を切り崩しての造成である(山城の遺跡なんか破壊尽くされたのでは?)。よって段々になっているのだが、そののり面が全てちゃちなコンクリート製洋風城壁になっていて、しかも窓飾りまであり、全てがペンキで塗りたくられているのだ。程度の低い遊園地かテーマパークそのものとしかいいようがない。街のあちこちにプラスチック製のチープな彫像が林立していて、それも男の裸がやたらに多い。そしてその台座には誰が呼んだのだか、安物の新興宗教の教祖か糞右翼道徳団体の会長がひねったのかとしか思えない「物凄く下手糞な詩」のようなものが刻まれている( ゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒゴッ!!!ゴホッ!ゴホッオエェェェー!!! もう何をかいわんや、「悪趣味」という言葉でとても語りつくせるものではない。言語表現の限界を突破したシュールな抽象芸術と化している。「パルテノン公園」の入口にはエジプト風の彫像が立てられるなど国籍も考証も全くなし。しかも丘の上にはこれまた用途不明なパルテノン神殿が建っている……。
 大手住宅メーカー各社のモデルハウスも建っているし、基本は建売ではなく土地の分譲らしい。こてこての玩具のようなスパニッシュもどき住宅やら、デザイナーズ系っぽいものやら、全く調和なく好き勝手に建ち並んでいるが、幾ら取り澄ましたデザイナーズ系を気取っていても、その土台がペンキをこってり塗りたくった西洋風城壁なのだから、もはや「たちの悪い冗談」としか思えない。
 感想はといえば、「誰か止めるやつはいなかったのか?」に尽きる。社長がどれだけ悪趣味でも、これだけの大規模造成をするにあたっては行政も含め随分多くの人の関与があるはずである。それなのに、どうしてこの「中国の成金が思い立って作ったパッチモノテーマパーク」とでも形容するほかないとんでもない街が出来上がってしまったのか?!?!? そして更に不思議なのが、「こんなところに家を建てて喜んで住んでいる人が沢山いる」という事実である。事実は小説より黄色いとはいうが、それにしてもあまりにも信じがたい事実である。我々のような美的センスに優れたプロのアーティストだけが「変」だと思い、一般人は普通だと思う、というような水準の「変」さではない。突き抜けた、もう「誰が見てもこれは変だと思うだろう」という代物なのに、「変」だとは思わず、大枚叩いて購入して、住んでるやつらがいるのである。日本人の感性は、僕らが思っている以上に程度が低いのかもしれない(´ω`;)。しかもその一角に、国立和歌山大学本部キャンパスが立地しているのだ……。
 笑いすぎて喘息の発作が出かけてしまった(-_-;)。そのあと、今度は「バスが一日二本しかない」酷い新興住宅地、つつじが丘へ。高圧鉄塔が変電所でも発電所でも向上でもないのに途切れているという、これまた実にシュールなところである。
 そして住友金属工業和歌山製鐵所の企業城下町として栄えた界隈を回り、ひなびたポルノ映画館など見て、今度は一気に市内を南下して雑賀崎から和歌浦を巡る。貴重な観光資源であった廃墟が愚かな行政によってどんどん壊されているエリアである。
 そして不老橋の袂にある「旅田キューブ」ことアートキューブ内のカフェ・ドゥ・シーソーにてお茶。色々な出版計画を話し合えて楽しかった。
 その後中心部へ向かい、じゃんじゃん横丁、西本ビルヂングを見てから和歌山市駅でオーカバ君たちを降ろして、一旦ヒロポン本邸へ戻りrjuka君を拾い、かっぱ寿司にて夕食。そして移転した「ハミングバード」に寄ってから、和歌山市駅で降ろしてもらう。
 9時51分の特急サザンに乗って、難波へ。そこから阪神なんば線に乗り換えて、帰宅。なんば線は本当に便利である。

●八月九日(日)・・・昨日はさすがにばたんきゅーであった。ということで、今日も午前中には目が覚める。長崎原爆の日である。
 二時半には出発。「北夙川不可止プロデュース『オピューム古楽シリーズ』」の第二回なのである。特急で梅田に出て、地下鉄四つ橋線に乗り換えて本町で下車、三時には「オピューム」到着。リュートのうさぷー、バリトンのつぅ~じ~氏も既に来ているので、早速お店の西本さん、石垣さんも交えて打ち合わせをして、リハーサル。前回でもこのお店の音響のよさは実感していたが、男声が入るとまた更によく響く。
 腹ごしらえなどするうち、開場の四時半になり、三々五々お客さんがやってくる。雨が降り出したのに、ありがたいことである。
 さて、遅れてきた両親が到着して五時過ぎ、開演。まずは僕が挨拶して、そして僕の短歌「猫の目の丸く大きなこの夜をリュート奏者は調絃ばかり」にうさぷーが曲をつけた新作からである。今後「北夙川不可止プロデュース『オピューム古楽シリーズ』」のたびに一曲づつ新曲も発表していくことになった。一年後には「短歌組曲」の完成である。あとは後期ルネサンス・初期バロックを中心に、近代のカンツォーネやシャンソンも交えたプログラム。辻氏の演奏は日本語、フランス語、イタリア語全てを使っての歌唱である。コミカルな曲は特に日本語(辻氏本人の翻訳)だと客席の反応がじかに判って非常に面白い。クレマン・ジャヌカンの名曲「豚を市場へ」は傑作であった。
 休憩を挟んでたっぷり二時間余のコンサートも七時過ぎには閉幕。アンコールに「猫の目」をもう一度、別のバージョンで唄ってもらい、こちらも好評であった。僕はプロデューサー役であるが、やはりアーティストがプロデュースするコンサートとして、僕と演奏者のコラボ作品を一曲入れたのは大成功であった。また古楽のコンサートとしても、毎回新作を発表するのは非常に意義深いことである。
 終演後もお客さんたちとの交流が続き、これがまた楽しい。八時頃にやっと散会。奏者二人と僕、そして東京から来られたSさん、都市探険家倶楽部以来の旧友で、関西発紅茶を楽しむ會で二十年ぶりぐらいに再会したK君と共に御堂筋本町まで歩き、スタバでお茶。日曜日のこの時間、この都心のオフィス街ではスタバぐらいしか開いていないのだ。
 佐世保へ帰るうさぷのバスの時間があったので、九時過ぎには解散。本町駅から地下鉄御堂筋線に乗り、梅田から阪神特急で帰宅。怒涛の週末であったが、非常に充実していた。

●八月十日(月)・・・高知沖で熱帯低気圧からいきなり格上げになった台風九号の接近で、佐用町では大変な災害になっていた。同じ兵庫県南部ではあるが、しかし播磨の山奥と阪神間はあらゆる意味で非常に遠いので、こちらは時々雨が降る程度。
 夕方まで在宅。六時半には出発し、特急で梅田へ。牛丼を食べてから「ムジカ」に入ると、既に皆さん到着していた。今日は関西発紅茶を楽しむ會の幹事会なのだ。
 ようやく次回が10月11日に決定。その他細かいことを詰め、更に今後の方針など話し合って、九時には散会。更に閉店まで盛り上がった。
 10時17分の急行で帰宅。本当は今日は納車予定だったのだが、レンジャー君のほうの都合で一日遅れることに。その一日だけの代車を届けに十一時過ぎにレンジャー君来宅。ごついクラウンなのでガレージのシャッターが閉められないが、まぁ一晩だけである。同じ3ナンバーでもAlfa-Romeo156の方がちょっと短かったようだ。

●八月十一日(火)・・・十一時頃、ヒロポン来訪。そのまま代車のクラウンで一緒に出発、神戸へ向かうが、お盆だから空いていると思いきや、二号線は相当に混んでいた。
 今日は秋のNHK文化センターの講座「関西モダン建築とおしゃれランチ」の下見のつもりだったのだが、御影公会堂に到着してみたらなんと休館日(-_-;)。しかも食堂の貼紙には「体館日」となっていた( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \。
 仕方なくそのまま戻り、途中にあった「序利パスタ」で昼食。お昼時なのにたった四人で回していて、だからそれほど混んでもいないのに既にパニック的てんてこ舞い状態であった。この店、大丈夫なんだろうかと心配になるσ(^◇^;)。
 更に西進、西宮市の瓦木交叉点から中津浜線を北上し、元友人の某間抜けの旧実家を見物に。しかし「例のもの」はさすがに放置されていなかった。
 国鉄さくら夙川駅にてロミ少年と合流。ヒロポンに紹介してから、ヒロポンは国鉄に乗って梅田へ。今日は我々共通の友人である某小児性愛者と「ムジカ」へ行くらしい。
 僕とロミくんはそのまま甲麓庵へ。今度はシャッターが閉まった(笑)。しかしやっぱりぎりぎりではある。甲麓庵ではちはる姫も交え、暑いがのんびり過ごす。ハナちゃんは隠れて出てこなかったww。
 五時半にはロミ少年を乗せて出発、再度さくら夙川駅まで送って、まっすぐ帰宅。
 そこへレンジャー君が伯爵の新しい愛車、マーチボレロを持ってきてくれた。一日遅れの納車である。今月二日に試乗したときは「相当にボロボロ」だったのだが、綺麗に磨かれてぴかぴかになっていた。素晴らしい。これなら走行距離十万キロを超えたポンコツには見えないww。
 十一時までNHKでやってた「NHKスペシャル 日本海軍 400時間の証言 第3回▽戦犯裁判 “第二の戦争”」を見てから、早速ビストロで浜田温泉へ。久しぶりの湯治である。やっぱり車はないと不便だなぁ。

●八月十二日(水)・・・今日は結構暑いが、しかしまぁ去年までの猛暑と比べると、確実に冷夏だろう。昨日は静岡で震度六弱の地震があった。よりによって盆休みの帰省ラッシュなのに、東名高速がやられてしまったらしい。
 三時過ぎに出発、特急で梅田に出て、環状線で京橋へ。そこからお京阪の準急に乗って守口市で下車。まずは「文禄堤」を歩いてみる。豊臣秀吉の命で作られた安土桃山時代の淀川の堤防であり、同時に堤防上は京街道であったので、往時の守口宿の街並み、雰囲気が若干残っているのである。
 現在、はっきり堤防と判る形で残っているのは本町界隈の約六百メートル。糞暑いが端から端まで歩いてみたら、結構静かでいい雰囲気だった。特に「川東提灯傘店」が渋かった。
 文禄堤の端から国道一号線を渡り、市立守口小学校を見にいく。旧制守口尋常小学校だった鉄筋コンクリート造の立派な近代建築校舎なのだが、どうやらその本館は閉鎖され使われていない様子(´ω`;)。取り壊しにならなければいいのだが。
 更に古刹浄土真宗本願寺派難宗寺を見てから、京阪百貨店守口本店へ。デパートオタクではあるが、このデパートへ入るの、実は初めてである。売場を見つつ、エスカレーターで七階まで上ると、八階へのエスカレータが封鎖されている(´ω`;)。催しが今日は最終日で既に終わっていたのである。仕方ないのでエレベータで八階へ。NHK文化センターへ打ち合わせに来たのである。
 ということで、Mセンター長と秋からの「楽しい短歌入門」講座と「関西モダン建築とおしゃれランチ」講座について打ち合わせ。ついでに短歌講座に使う教室も見せてもらった。
 六時半頃に打ち合わせ終了。また店内を見ながら地下まで下りて、そこにあった「ピッコロ」にてふわふわ卵カレーを食す。なかなか美味しかった。
 七時過ぎには守口市駅から中之島行き快速急行に乗車。ところがうとうとしてしまい、気づいたら終点中之島駅であった(´ω`;)。仕方ないので折り返しの区間急行に乗って、大江橋で下車。歩いて「ムジカ」へ。
 いつもより早くついたので、朝刊夕刊をじっくり読んでもまだ九時過ぎ。閉店まで粘らずに甲子園に戻り、ダイエーに寄ってから帰宅した。
 12時過ぎに車を出し、上ヶ原の山下宅へ。「フォルクス」でお茶してから、軽くドライブ。彼は新しい車を非常に喜んでいた。
★今日のダメヲタ

ガンダム母に捨てられ暴走 29歳男が自宅に放火 2009.8.12 09:18極右産経新聞
 兵庫県警加西署は10日までに、ガンダムのプラモデル(ガンプラ)を母親に処分されたことを悲観し、自宅に火を付け全焼させたとして、放火の疑いで同県加西市の男(29)を逮捕した。男は大のガンプラマニア。「大切なガンプラを処分され、もう生きていけないと思った」などと供述しているという。
 東京・お台場の等身大像が話題を呼ぶなど、誕生30周年を迎えたガンダム。人気は不滅だが、ガンプラマニアによる“アツすぎる”放火事件が起こった。
 逮捕されたのは兵庫県加西市東横田町の工員、高部義文容疑者(29)。逮捕容疑は9日午後2時10分ごろ、自室に灯油をまき火を付け、木造1部2階建て約250平方メートルを全焼させた疑い。
 同署によると、高部容疑者は大のガンプラマニアで、ガンプラを自室に数多く飾っていたが、母親(55)にかねてから「年も年だからいい加減にしなさい」と自身の趣味を否定されていた。
 それでも収集をやめない高部容疑者に母親は業を煮やし、本人に無断でガンプラをゴミ袋に詰め、あとは捨てるだけの状態で自宅に放置した。
 その後、自室に大切なガンプラがないことに気付いた高部容疑者は、パニック状態。「自殺しよう」と自室に灯油をまき火を放った。
 その後、自身も灯油をかぶり火を付けようとしたが、隣室にいた母親に「何しとる?」と声をかけられ、われに返り、燃えさかる自宅から母親と脱出。同居する祖母と弟は外出中で無事、2人にもけがはなかった。
 この放火で家も全焼、ゴミ袋から“救出”すれば助かったはずの、大事な大事なガンプラも燃え上がってしまった。
 高部容疑者は同署の調べに「ガンプラがないことに気付き、生きていけないと思った。死のうと思った」と供述しているという。
 捜査関係者は「いい大人がプラモデルで放火なんて…」と完全にあきれていた。
“ガンプラ”オークションで135万円!?
 ガンプラの中には高額で話題になる逸品もある。2007年3月にオークションサイトに出品されたガンプラは、市販されているものを出品者がカスタマイズしたオリジナル品。定価7350円だったが、マニアが競り合い、ナント135万6000円で落札された。また、同年4月にスイスで開催された宝飾品の国際見本市では、プラチナを使用した、約3000万円のガン“プラ”が展示され、“セレブなガンプラ”として話題をさらった。

 ヒロポンなら嬉々として「貧困の再生産の見本」と指摘するだろう。時流も社会情勢も知らず、ガンプラの経済的価値など全く判らず「ガラクタ」としか思えない知的水準の馬鹿母と、親元を離れて自活すれば文句を言われずに済むのに実家に寄生しつつオタク生活を送っていた駄目駄目な馬鹿息子。これは「蛙の子は所詮蛙である」という寂しい事実を証明する事件に過ぎないといえよう。

●八月十三日(木)・・・昼前には起きて、身支度を整える。今日もかなり暑いようだ。
 一時前には出発、特急を待ってるときに限って快速急行がやってくる。次の特急を待っても同じなのだが、とりあえず近鉄車輛がまだまだ珍しいこともあり、それに乗って三宮へ。
 そこから後続の直通特急に乗り換えて元町で下車。マイミクのにゃんこさんと、彼女の呼びかけで参加した若い男女二人とも合流。今日はミニオフ會なのである。
 まずはトアロードの「杏花村」へ。僕の大好きなお店である。何しろ、物凄く美味しいだけでなく、「全てに於いて時間が止まっている」のである。はるか子供時代、高度成長期のハイカラな神戸を思い出させてくれるのだ。
 美味しい午餐のあとは、トアウェスト地区を散策。僕も老夫婦がやっているハイカラな雑貨屋で大田蛍一デザインのピンズを買った。更に高架下商店街を西進。西元町まで抜ける。更に松尾ビルを見てから、乙仲通を歩き、大丸を抜けて「ムジカ」へ。滅茶苦茶暑い日だったので、ようやくほっとした、という感じ。
 ゆっくりケーキセットを堪能してから、今度はサンプラザ、センタープラザを抜けたところで、解散。えらく早く、八時過ぎの帰宅であった。
 十一時頃、ようやくフィリップ女史がやってくる。もう浜田温泉は間に合わないので、車を出して元浜温泉へ。

●八月十四日(金)・・・頑張って九時前には起きる。んが、ロミ少年からまだ連絡が入っていない。ということで「起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ」というメールを五分間隔で何度か送るうち、ようやく返事が。ネボスケめww。
 ネボスケロミくんのため出発を三十分遅らせて、フィリップ女史と車に乗って十時過ぎに出発。十時半にさくら夙川駅で、ロミ少年を拾う。伯爵の新しい彼氏である。とても可愛い。フィリップなんか「美形過ぎて怖い」とかゆーてる(笑)。
 お盆休みのせいか、平日なのに無茶苦茶道が混んでいる。建石筋では埒があかなそうだったので羽衣橋を渡り、苦楽園から甑岩神社裏に抜けたが、結局そこからまた渋滞。磐瀧トンネルも「全線渋滞」と出ていたので、馬鹿馬鹿しいので無料の旧道を通って船坂入り。今日は船坂ビエンナーレの下見なのだ。
 船坂公会堂で実行委員長のS氏と事務局長のI氏と合流。まずは軽く打ち合わせ。そして蕨餅作りをする公会堂の厨房を下見。相当広いので、ワークショップにも使えそうである。
 それから車に分乗して、歌会とバロックダンスの会場である善照寺へ。善照学園の先生も交えて更に打ち合わせ。
 歩いて旧道沿いの茅葺民家群を見てから、今度は船坂小学校へ。ビエンナーレの屋外展示に使う棚田を遠望してから、解散。
 僕ら三人はS氏に教えて頂いたカフェ「ベルグ」へ。山荘風の洒落たお店である。ここでランチを食した。僕は茄子の肉乗せにしたが、なかなか美味しい。ステージにはピアノがあったから、コンサートも出来そうである。
 船坂峠を越えて西宮市街地に戻り、国鉄西ノ宮駅でフィリップ女史を降ろす。そしてロミくんと甲麓庵に戻ったのが三時頃。ちはるは早速大歓迎である。六時半頃までのんびりまったりと過ごした。
 車を出し、さくら夙川駅までロミくんを送って、あとはまっすぐ帰宅。

●八月十五日(土)・・・今日は敗戦の日である。ちなみにロミくんは8月6日、9日、15日が何の日か、ちゃんと把握していた。平成生まれの高校生としては上出来といえよう。
 夜まで在宅。九時過ぎにようやく「ムジカ」に到達した。
 涼しい夜だと思ったら、帰りがけに小雨が降ってきた。

●八月十六日(日)・・・今年は日曜日が五山の送り火となったが、上洛の予定はない。
 午後、新しい車で遠出をすることにして、出発。しかしお盆休み最終日ということもあり、結構道が混んでいる。阪神高速湾岸線と阪和道を通って、六時頃にようやく和歌山のヒロポン邸に到着した。
 しばらく寛いだのち食事に行こうということになり、ヒロポン、rjuka君と僕の車で出発。和歌浦漁港へ。最近移転した「からびな」へ行く。去年、南海摩登博覧会の打ち合わせでヒロポンや写真家の前北桂像氏とよく行った店なのだが、移転後は初めて。港に面して中に和風古民家テイストもある非常に面白い建物になっていた。
 ということで三人で食事ののち、丁度八時、店のバルコニーに出て、ポルトヨーロッパの花火を見る。十分程度だが毎日打ち上げられるとのこと。和歌浦からだと対岸なので小さく見えるが、それでもなかなか綺麗であった。
 花火が終わると、周辺の道がいきなり大渋滞(>_<)。ということで、ヒロポン邸に帰り着いたのは九時頃になっていた。ヒロポンだけ降ろし、そのまま本町温泉まで急ぐ。建物は古くないが、非常に素晴らしいかけ流し天然温泉のお風呂屋さんなのだ。和歌山県の一般公衆浴場は大阪府、兵庫県より十円高い420円だが、一時間以上のんびり温泉に浸かれるし、サウナも無料なので、十二分に元を取れる。
 ヒロポン邸には11時ぐらいに帰宅。その後一時ぐらいまで歓談してから、さすがにということで帰路についた。帰りはずっと一般国道26号線を北上。大阪市に入り、大正區で「中卯」によってから帰宅。三時になっていたσ(^◇^;)。

●八月十七日(月)・・・今日から世間では通常に戻るが、僕は久しぶりに夜型生活に戻った(笑)。ということで、昼頃に起床。結構暑いようだ。
 夕方出発、駅に行ったら、丁度高校野球の試合が終わったところのようで、人が多くて鬱陶しい。本当に、高校野球など「町内最悪最低の迷惑イベント」以外の何ものでもない。いい加減廃止するかよそでやってもらいたいものだ。
 ということで、特急で梅田に出て(地元民の利を行かして何とか座れた)、第三ビルをうろうろして買い物。そしてカツカレーを食してから「ムジカ」へ。哲子さんが東京から帰省しているので、久しぶりに会うのである。何だかますます太っていたがσ(^◇^;)、元気そう。閉店までお茶。
 梅田駅で解散して、特急で帰宅。

●八月十八日(火)・・・四時過ぎ、父来宅。「北夙川不可止プロデュース『オピューム古楽シリーズ』」第二回の動画をパソコンに入れてくれる。
 父の車で出発、国鉄西ノ宮駅にて母と合流し、そのまま仁川まで墓参りに。
 墓参後、両親と寿司屋に行ってから、帰宅。
★今日の巨星墜つ

<金大中氏>死去 韓国元大統領、心不全で 83歳(毎日新聞 - 08月18日 14:14)
金大中・元韓国大統領
 【ソウル大澤文護】朝鮮半島の緊張緩和や韓国民主化運動への貢献でノーベル平和賞を受賞し、滞在中の東京から拉致された、いわゆる「金大中事件」で日本との因縁も深い韓国の金大中(キム・デジュン)元大統領が18日午後1時43分(日本時間同)、心不全のためソウル市内の病院で死去した。83歳だった。
 韓国南西部・全羅南道の荷衣島(ハイド)生まれで、木浦商業を卒業した。日本の植民地支配が終わった後、商船会社などを経営しながら政治家を志し、国会議員に4度目の挑戦で61年に初当選した。直後に朴正煕(パク・チョンヒ)少将による軍事クーデターが起きた。
 後に民主化運動の同志でライバルとなる金泳三(キム・ヨンサム)氏を野党の党内予備選で破り、71年の大統領選に立候補した。現職の朴正煕氏に迫る予想外の善戦で政治家として名を上げた。しかし72年、朴大統領は戒厳令宣布で独裁的な「維新体制」の政治を始めた。このとき日本にいた金氏は日米を往復しながら反朴政権運動を展開。73年8月、韓国情報当局の手で東京のホテルから韓国に拉致され、自宅軟禁状態に置かれた。
 79年10月の朴大統領暗殺事件後に政治活動を再開したが、80年5月に逮捕された。この事態がデモ隊と軍部隊の衝突による「光州事件」の引き金となり、金氏は事件の「背後操縦者」として内乱陰謀罪に問われ死刑判決を受けた。その後、国際世論の支援で減刑・釈放され、82年に渡米した。85年に帰国し、再び自宅軟禁となったが、87年の民主化宣言で自由な政治活動が可能になった。
 同年の大統領選では金泳三氏との調整に失敗して2人とも立候補し、共倒れになった。92年には金泳三氏に敗れ、政界引退を宣言した。しかし95年には政界復帰し、97年、4回目の立候補で大統領に当選、韓国史上初の与野党間での政権交代が実現した。
 大統領就任前の97年末に韓国を襲ったアジア通貨危機に対しては積極的な外資導入と国際通貨基金(IMF)の融資導入で経済立て直しを実現、指導者としての力量を示した。さらに98年2月から5年間の在任中、対話と経済交流を優先する対北朝鮮包容(太陽)政策を実施。00年6月13~15日、平壌を訪問して、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記との南北首脳会談を実現した。同年12月、朝鮮半島の緊張緩和への貢献などによりノーベル平和賞を受賞した。
 しかし、首脳会談直前に財閥・現代グループによる巨額の対北朝鮮違法送金を認めた事実が発覚。02年には次男、3男が不正資金事件で逮捕されるなど、自身や家族、支持者の問題点が続出。さらに包容政策が北朝鮮のミサイル・核開発を結局、阻止できなかったと判断され、支持率は急落した。対日政策では、日本の大衆文化開放を段階的に進めるなど、日本側から評価を受けた。
 大統領退任後は政界の一線から身を引いたが、出身地の全羅道では強い支持を維持し、国政への影響力を行使していた。国内での研究活動の他、国内外でたびたび講演して、北朝鮮との対話の必要性を訴えていた。近年、腎臓を患い人工透析を受けるなど健康状態の悪化が伝えられていた。

 韓国も日本も、この世代の政治家までは存在感も実力もあったのだが。特に、独裁政権下でも命がけで民主化運動を続けた方だけに、非常に惜しい。また、「日本語に堪能な世代」としても最後の政治家であられた。

●八月十九日(水)・・・夕方まで在宅。結構暑い。
 六時過ぎ、家を出ると結構涼しい。やはり秋である。特急で尼崎に行き、そこから奈良行準急で桜橋下車。地上に上がるとそのまま南海電車の汐見橋駅なので、高野線本線であるのにローカル化している通称汐見橋線に乗り、岸里玉出へ。わずか八分だが、都会の中のローカル線の風情を楽しむことが出来た。
 そしていつも通り、鍼灸整骨院に行って、約一時間みっちり施術してもらう。
 帰りは地下鉄岸里駅から四つ橋線に乗り、肥後橋で下車。「ムジカ」には丁度九時に入ったが、水曜なのに貸切状態であった。
 十時で店を出て、まっすぐ帰宅。但し深夜に車を出して、食事に行った。
★今日の馬鹿

.盗品はキャバ嬢にプレゼント ひったくり容疑で妻子持ち少年逮捕 8月19日12時41分配信 産経新聞
 女性からバッグなどをひったくったとして、警視庁捜査3課は、窃盗の疑いで東京都板橋区に住むとび職の少年(19)を逮捕した。同課によると少年は「50件くらいやった。キャバクラに行く金や飲食費が欲しかった」と容疑を認めている。
 同課の調べによると、少年は8月7日午前5時15分ごろ、練馬区内の路上で、自転車に乗っていた女性に背後から原付きバイクで近づき、前かごから現金3万1000円などが入った高級バッグ(時価計27万2000円相当)をひったくった疑いが持たれている。
 同課によると、少年は盗んだブランド品をキャバクラで働く女性にプレゼントするなどしていた。その一方、自宅では両親、妹、妻、娘と同居していたという。
 同課によると、防犯カメラの映像などから少年の犯行が判明した。板橋区、練馬区、台東区などでは今年1月から8月にかけ、似た手口のひったくり事件が約50件発生しており、同課は現金など被害総額は350万円相当に達するとみて関連を調べている。

 文字通り、言葉通りの意味での馬鹿である。ヒロポンなら確実に「社会の不良債権」呼ばわりするだろうww。

●八月二十日(木)・・・夜まで在宅。
 日付が変わってから車を出して、五色湯へ。現地でユウシと合流し、カレー饂飩を食してから入浴。
★今日のニート

【ゆうゆうLife】高齢化するニート 中年層対策、国も模索 (極右産経新聞 2009.8.20 07:57)
若者自立塾の参加者には、荒井均さん(左)ら35歳以上の人たちの姿もちらほら=千葉県市川市のニュースタート事務局 さまざまな原因で求職活動をしないニートに、“高齢化”の兆しが見られる。両親に経済的な支援を頼りながら生活し続けるうちに30代後半~40代に突入してしまい、今度は両親が病に倒れ、家族が崩壊寸前に陥るケースも出始めている。厚生労働省は今春、ニート支援の対象年齢を35歳から40歳までに引き上げ、中年層ニートへの対策を模索し始めた。(清水麻子)
                   ◇
 千葉県船橋市の荒井均さん(41)は、ニート歴が約20年と長かった。
 「高校受験に失敗し、自分の部屋に引きこもるようになった」という均さん。戦車などの軍事関係には興味があるものの、友人はおらず孤立化していた。
 両親は均さんを心配し、何度も働くよう促してきた。しかし、均さんは生活を変えられなかった。両親は均さんに、部屋や3食の食事の提供など生活支援もし続けてきたが、母は平成4年にがんで死亡。18年には父がやはりがんで寝たきりになり、間もなく他界した。
 両親に代わって均さんを支えるようになったのは自営業の兄、敏夫さん(50)だった。「父の介護は辛(つら)くて、『今、死んでくれたら…』と思うこともあったほど。父が他界したら今度は弟の世話。音を上げそうになったのを助けてくれたのが支援機関だった」と、敏夫さんは振り返る。
 たまたま、ニートの若者に自立を促してくれる「若者自立塾」のことを放映しているテレビ番組を見た。3カ月間の集団生活を通じて生活のリズムを整えてくれるという。さっそく近くのNPO法人「ニュースタート事務局」(同県市川市)を探し、申し込んだ。
 入塾時、均さんはすでに37歳。「最初は若い人が多く、ほとんどしゃべれなかった」という均さんだったが、次第に人と接することに慣れ、現在は週に6日、配送会社で働きながら生計を立てている。
 ニュースタート若者自立塾の村上俊・実施責任者は「両親は何十年も子供の顔を見ないで食事だけ部屋に運び、将来の話すらしないため、子供はずるずると長くニート状態を引きずってしまう傾向にある。一方で、最近は派遣切りなどにあい職を失った中年層が、なかなか職を見つけられず、そのままニートになってしまうのでは、と心配した親御さんからの相談が増えている」と話す。
 ニュースタート事務局によると、35歳以上のニートは、若者自立塾の過去の入塾者の1割、通いながら就労意欲を身につける「地域若者サポートステーション」(サポステ)の参加者の2~3割という。
■35~40歳 15年間で1万人増加
 ニートの高齢化への対策は急務だ。総務省の就業構造基本調査(平成19年、男女計)によると、ニートの定義を超える35~40歳の中年の無就業者は全国で約16万3000人。この年代が20~24歳だった4年(約15万3000人)と比べると、15年間で約1万人増えたことになる。
 労働政策研究・研修機構の統括研究員、小杉礼子さんは、「バブル崩壊後、就職氷河期に入った5年に大学を卒業した人たちが40歳近くになったことが、数を押し上げている大きな理由。20代前半に、何らかの理由で働かない状態が続くと、自信を失い労働市場に入るのが難しくなる。また、企業側も20代から職歴がないまま中年になった人の採用には慎重になるので、ニートから抜け出せない悪循環にはまってしまう」と指摘する。
 小杉さんは「家庭内だけで抱えてしまっているケースは多いが、早いうちに支援機関に行き着けば希望が見つかるケースが多い」とも指摘。その上で、「最近は支援機関に出向けないような家庭に専門職などが出向いて援助をしていく『アウトリーチ』という手法が一部で進められている。こうした手法を全国に広げ、ニート問題を抱える家族の孤立化を防いでいくべきだ」と支援の拡大を呼びかける。
 また、「中年層ニートの中には一挙に自立できる仕事に就くのは難しい人も多く、アルバイトや社会参加的な働き方から始めることも必要。福祉施策との組み合わせが必要な場合もある」と話す。
                   ◇
 今年4月から全国の若者自立塾、地域若者サポートステーションでは、40歳前後の人も受け入れている。支援機関の情報は(http://www.jiritsu-center.jp/)。
                   ◇
【用語解説】ニート
 中学や高校、大学を中退・卒業した後、働かず、家事もせず、学校にも行かず、求職活動もしない15~34歳の若者。

 既にニートの定義に当てはまらなくなってる連中だがww。
★今日の「いずこの国も右翼とは馬鹿の代名詞である」

米国(の一部)が医療保険改革に反対なのは「クレージー」だからか――ニュースな英語 2009年8月17日(月)11:20
■本日の言葉「preexisting condition」(前からある状態、既往症)■
国際ニュースに使われる英語をご紹介するこの月曜コラム、今週はアメリカを席巻している「医療保険改革なんかいらない!」騒ぎについてです。国民皆保険を当然のものとしている日本人にはなかなか理解しにくい、あの人たちは何をあんなに怒って恐れているのか、についてです。(gooニュース 加藤祐子)
○アメリカの夏は怒鳴り合いの夏
アメリカの夏は、医療保険改革の夏になってしまいました。もっと正確に言うと、医療保険改革に反対する(主に)白人保守派が各地のタウンホール・ミーティングで激高し、議員を怒鳴りつけ、「オバマは私のお祖母さんを殺すつもりだ!」「みんなオバマが怖いんだ!」などと叫ぶという。
アメリカの保守派白人の極論ぶりを知っていたつもりの私でも、「なんなんだこれは……」と当惑するほど。「なんでこうなのか」の説明を探していたら、「それが分からないあなたは、アメリカが分かっていない」とやりこめられる記事を見つけました。
ジャーナリストで歴史家のリック・パールスタインは米ワシントン・ポストに寄稿し、「アメリカにはクレージーという既往症がある(In America, Crazy Is a Preexisting Condition)」のだと。そしてタウンホールミーティングで怒鳴りまくる白人たちは、保険業界や保守派組織に扇動されて演出されている部分もあるが、それだけでないのだと。
いわく、彼らは本当に自発的に「草の根」的に、オバマ政権が提案する「見知らぬもの」を恐れて怯えて怒鳴っているのだと。アメリカでは真の政治的変革が起きるとき必ず、こうやって「扇動された自発的な怒り」が噴出するものなのだと。アメリカという国では「リベラル政治が台頭するたびに、クレージーな木が満開の花を咲かせ、エリートたちは自分たちの利己的な利益のために、クレージーな連中を悪用する」のだと。アメリカはそういう国なのだと理解できなければ、アメリカは理解できないのだと。
……なるほど。ではその「クレージー」の噴出をいったん乗り越えないと、医療保険の中身の話はアメリカでは出来ない。この8月の暑い最中でのこの騒ぎは、ある種のガス抜きだったのか——と考えるのはうがちすぎでしょうか。それくらい、アメリカでの医療保険議論(議論と言えるのかどうか)は日本人には、とても理解しにくいもので。
○4600万人が無保険のアメリカ
国民医療保険制度は国家の財政を圧迫するから自己負担率を上げるべきだが、上げすぎると医療費が払えない人が出てくる。あるいは保険料すら払えない人たちはどうすべきか。保険適用となる治療、あるいは適用除外になる治療の違いは誰がどう決めるべきか。保険点数の高い治療や投薬ばかり患者に押し付ける医者はどうしたらいいのか———。
医療保険制度について日本人になじみのある議論というのは大体こういう内容だと思うのです。国民全員が収入のいかんを問わず、健康維持に必要な医療を受けられるようにするには、社会がどうやって負担を分担すべきか。これが、議論すべきことだと。日本のように、(ILOによると失業者の77%が無保険状態だという問題がありつつも)国民皆保険が当然のこととして社会に組み込まれている国では。
けれどもアメリカは違います。そもそも国民保険制度がなく(公的保険に加入できる高齢者と低所得者は例外として)、ひとりひとりが保険会社と契約しなければ病院に行くたびに全額負担だというのが、アメリカのいわば「伝統」です(医療ドラマ「ER」にはたびたび、保険会社に治療の支払いを断られたとか、医師が勧める治療法ではなく別の治療法を保険会社が要求してきたとか、そういうやりとりが出てきますが、あれです)。
そしていまアメリカでは、4600万人が無保険状態だと言われています。理由は保険料が払えなかったり、失職と同時に医療保険も打ち切られてそのままだったり、既往症(preexisting conditions)があるから加入が認められなかったり、既往症の治療費が限度額を超えるから加入が認められなかったり。あるいは加入後に病気にかかり、契約を打ち切られたり。
こういう問題だらけの状態を変えなくてはとアメリカではたとえばクリントン政権が医療改革に乗り出したものの、保険業界や製薬業界ロビーの強力な抵抗にあって頓挫。そして医療保険改革を公約して大統領になったバラク・オバマ氏も、保険業界と製薬業界と保守派の強硬な抵抗に遭っています。
冒頭で書いたように、8月に入り民主・共和両党の議員が各地で開いているタウンホール・ミーティングが、実に派手な侃々諤々の非難中傷と怒鳴り合いの場になっていて、「town hall」ではなく「town hell (地獄)」だと言われるほど。
○「死の委員会」というフレーズが
オバマ政権の医療保険改革に声高に反対しているのは、おそらく自分は医療保険に入っているだろう白人高齢者だったり、まだ健康保険の必要性がそれほど身にしみていないのかもしれない白人の20代~30代。そういう人たちが中心となって、声を荒げているのです。
民主党による説明がこれまであまりに分かりにくかったということもありますが、反対派が問題にしているのは財政への影響や個人負担率のことよりもまず、「私のアメリカを壊すな!」と。あるいは「ガンにかかった年寄りや、先天的な障害を持つ子供は治療しないんだろ。それを決める政府の『死の委員会(death panel)』を作るんだろ!」などと。
オバマの「death panel」が私の祖母やダウン症のある私の息子を殺すのよ——などと演説でまくしたてたのは、あの(私は何かを途中で投げ出したりしないと言いながら知事職を任期1年以上残して辞めた)サラ・ペイリン前アラスカ州知事その人でした。
政府が「死の委員会」を作るなど、そんなことはありません。「そんなことはありません」とオバマ大統領自ら語り、ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿しなくてはならなかったほど。オバマ氏の説明によると政府が目指す改革案は、(1)無保険の人に安価な公的保険を提供し、(2)今ある公的保険の非効率を解消し、(3) 保険会社の取り分を減らすことで高齢者の長期的治療を可能にし、 (4) 保険業界への監督を強化し、既往症があるからといって保険加入を断られたり、病気にかかったからといって適用除外にされたり、医療費が払われないなどの問題が起きないようにし、(5) 健康診断、がん検診も保険適用にするためのものです——と。
オバマ氏が自らこうやって分かり易く説明しはじめたことで、今までの騒ぎは少しは静まるのでしょうか。ペイリン前知事やフォックス・ニュースのコメンテーターたちがまくしたてている誤った情報が、おそらく保守派の思惑通りに一人歩きして、法案を読んでいるはずもない人たちを激高させ、そういう人たちが保守派組織のお膳立てにのってタウンホール・ミーティングに乗り込み、「お前たちは私を殺す気か!」と議員に怒鳴ったりするという、そういう今までの騒ぎは。
なぜ保守派はこうなのか。もちろん保険業界・製薬業界の巨大利権にからんで巨額のロビイストマネーが背後で動いているのでしょう。でもそれだけではなく。「私のアメリカをめちゃくちゃにするな!」「この国を社会主義にするな」「オバマ政権はまるで(優生政策を実施した)ナチス・ドイツだ」「私のアメリカを返せ!」と繰り返されるスローガンはいったい何なのか。ただ「クレージー」なのか。それとも、クレージーだからこそ、ともかく大きな政府に自分の生活を邪魔されたくないという頑ななまでの「小さい政府主義者」には、生々しく響くのか。
○「ほっといてくれ」と言って他人の権利を侵害
ペンシルベニア州で民主党のアーレン・スペクター議員が開いた集会で、ある白人のお年寄り男性が議員にこう言っていました(怒鳴りわめいているほかの人とは違って、静かに。でもきっぱりと)。「Just leave us alone(もうただ、ほっといてくれ)」と。
自分の面倒は自分で見るから、ほっといてくれ。ワシントンは自分たちの生活に土足で入ってくるな、と。
独立独歩の自立心溢れるフロンティア精神もかくや、と言えば聞こえはいいですが、ワシントンは別に、この男性が公的保険を必要としないなら決して押し付けようとはしていません。そのことに目をつぶって「ともかくほっといてくれ」と反対している。おまけに自分が良くないと信じることは、他人にも良くないはずだから、他人がそれをする権利にはとことん反対している。
去年の大統領選終盤にやはり保守派が騒いだから騒ぎになった、「オバマは社会主義だ!」騒動にも似ていて。ともかく政府が自分たちの生活に介入するのがイヤだと。だから政府に助けてもらいたいと思っている他人にも「そんなことさせるわけにはいかない!」と。
これは保守派の中絶反対議論にもとてもよく似ています(「中絶は殺人だから、私がそれをしないだけでなく、全ての女性にそれをさせない」というのが、アメリカの中絶反対派の議論)。だから医療保険改革案に反対する白人保守層の多くが、医療保険改革は「中絶を認めている」と騒いでいるのも(実は適用外なのに)、なるほど同じ論法だからで、腑に落ちます。
法案を読んでもいないし、実際にはそういう内容ではないのに、「あんたが病気になったら、治療法を政府が決めるんだぞ。あんたの母さんはもう年寄りだから、死なせた方がいいって政府が決めるんだぞ。あんたに障害児が生まれたら、助からないから死なせた方がいいって、政府が決めるんだぞ。これは陰謀なんだぞ」という毒と誤りに満ちたプロパガンダを保守派コメンテーターや保守派有名人に洗脳されて、「とんでもないぞ!」と怒っているのです。
去年の大統領選のサラ・ペイリン騒動といい、オバマに対する根深い反発といい(「オバマはケニア人だ」とか「オバマはムスリムだ」とか「オバマはアラブだ」とか)、いったいこれは何なのかと。
○繰り返される陰謀論
どうしてこうも陰謀論が繰り返されるのか。
英フィナンシャル・タイムズのワシントン支局長の記事に、ヒントを見つけました。記事中に紹介されていたリチャード・ホーフスタッター(著作『アメリカの反知性主義』が有名)の本『The Paranoid Style in American Politics(アメリカ政治のパラノイア的方法論)』によると、アメリカという国はそもそも陰謀論を受け入れやすい、そういう傾向があるのだというのです。そもそも移民国家で根無し草的なアメリカ社会において、経済的な不安あるいは自分の社会的立場について不安を抱いている人は(そして経済的に困窮する白人家庭がこれにあてはまる)、スケープゴートを作り出して攻撃する政治手法にだまされやすいのだと。
なるほど……! つまりは、「オバマはナチスだ!」と騒いでいる人たちこそ、ユダヤ人をスケープゴートにしたナチスドイツに扇動されたドイツ人と同じだという。何という皮肉。
フィナンシャル・タイムズのエドワード・ルース支局長はこの記事で、「医療制度に関するパラノイアは、アメリカの文化戦争の一部だ」と分析しています。ここで「文化戦争」と強引に訳した「culture war」というのは、大統領選でも話題になった、「主に東岸・西岸や都市部に住み、高学歴・高収入で国際的視野を持つリベラル」vs「主に南部・中西部や農村部に住み、学歴は高くなく、海外渡航歴もあまりない、熱心なキリスト教徒の保守派白人」との価値観・ライフスタイルの対立のことです。
そして後者の保守派白人がなぜ怒っているかというと「非アメリカ的 (un-American)な価値観によってアメリカの伝統的な価値観と、アメリカの憲法がボロボロにされているから」だと。
そしてこうした保守派白人の怒りを前になぜ高学歴リベラルが途方にくれてしまうかというと、オバマ夫妻にしろクリントン夫妻にしろ、そうしたリベラルたちは、「議論の勝ち負けを決めるのは、優れた理性と道理だと信じてきたからだ」と。しかしどんなに理性ある冷静な議論を尽くしても、怒れる保守派を納得させることは不可能だと。「どんなに反対の証拠を並べ立てようが、オバマ氏が『死の委員会』を作るつもりだという考えは、決して消えてなくならない」「どんなに理性的に説明しようが、国民保険制度のあるカナダやイギリスは決して、治療の優先順位の最後尾に弱者を押しやったりしていないと、そんなことはないのだと論駁できない」のだと。
確かに。どんなに証拠を突きつけられようと、月面着陸はなかったと信じたい人は信じるし、9/11の同時多発テロは米政府の陰謀だったと信じたい人は信じるし、オバマ大統領はハワイではなくケニア生まれのケニア人だと信じたい人は信じる。陰謀論というのはそういうものです。しかし、医療保険までがその陰謀論の世界観に染まってしまうとは、私はうかつにも予想もしていませんでした。
自分たちの信じてきたライフスタイルが(なんだヨーロッパ的な、社会主義的な訳の分からない)ものに、とっかわられようとしている。しかもよりによって、ケニア生まれでアメリカ人ですらない黒人大統領のせいで! そう恐れて怯えて怒り狂っている、手負いの動物みたいな状態の人たちに、オバマ的な、あるいはクリントン的な繊細な理性で反論していっても届くはずがない。だからこそ、ルース記者の提案は的を射ていると思いました。
オバマ氏はもっと、ガンと戦って亡くなった(白人の!)母親について語るべきだと。自分の母親は保険会社に治療を拒否されて、死んでいったのだと。こんなことはあってはならないことだ、これは「un-American」(アメリカらしくない)ことだと、もっともっと強調するべきだと。いわば泣き落としにかかればいいのだと。
きわめて理性的で理屈っぽい今の大統領はそういえば、きわめてエモーショナルに「Yes, we can」と呼びかけることで大統領になったのですから。泣き落とし、いやかもしれませんが、やってみる価値はあると思います。白人保守派は、正義感はむやみやたらと強いので。泣き落としで、彼らの義侠心を駆り立てるべきです。でないと、必要な、中身の議論がいつまでたっても始まらない。

 底辺の下流層が訳もわからず「特定アジア」とか言ってるのと全く同じ。いずこの国も下流は下流になるべくしてなっている、としか言いようがない。
★今日のヨウツベ
http://www.youtube.com/watch?v=4rID32fpJ0w&feature=player_embedded

 全く意味不明。何なんだこれは?
★今日のヨウツベⅡ
http://www.youtube.com/watch?v=yztoaNakKok&feature=player_embedded

 これは「聴けば聴くほど不愉快になる」タイプの曲というか音。容子ちゃんが好きそうだ(笑)。

●八月二十一日(金)・・・連日そこそこ暑いのだが、それでも大阪で33度ぐらいなので、この辺りはせいぜい31度程度だろう。特に日が沈むと涼しくなる。
 朝十時半に出発、直通特急で御影へ。旨水館市場へ入るが、その手前、旧御影マーケット遺跡が手ひどく傷つけられていた。阪神が文化不毛な阪急の傘下に入れられてしまったせいだ。全くもって、阪急などろくなことをしない。
 まず「安政堂」で鶯餅を購入。神戸では珍しい和菓子の老舗である。
 市場を端まで歩いて、今度は北上。神戸市御影公会堂へ。地下の食堂は昭和8年創業の老舗である。今日はNHK文化センターの僕の講座、「関西モダン建築とおしゃれランチ」の下見なのである。
 ということで、オムライスセットを食してから、十月の予約を入れる。当日はAセットを注文することになろう。
 公会堂を出て、国鉄六甲道駅まで歩くが、途中の見所は六甲道灘温泉ぐらいなもの。あとは大和公園になにやら古い構造物の遺構のようなものがあったが、説明は全くなかった。
 んで、滅多に乗らない国鉄に乗ろうとしたら、「四分遅れ」の表示が出て、そしてどんどん更に遅れて、結局快速がやってきたのは定刻の10分遅れ(-_-;)。これだから国鉄なんて、全く当てにならないのだ。しかも高いし汚いし臭いし、本当に酷い。北朝鮮の国鉄でももう少しましであろう。
 ともあれそれに乗って、国鉄芦屋で下車。講座の下見の続きである。まず南口から出て芦屋川に至り、芦屋仏教会館へ。天井川を見て→重信醫院→天理教→芦屋幼稚園前洋館(ここから山邑邸とその背後の洋館がよく見える)→開森橋→裏通の洋館→阪急ガードをくぐる→真如苑北隣の洋館→国鉄芦屋駅と歩いた。
 さすがに暑くなったので電車に乗ることにして、そのまま国鉄東海道本線の快速で尼崎へ。更に東西線の快速に乗り換えて、京橋で下車。暑いが銀橋まで歩き、更に大川沿いを天満橋まで下る。旧松坂屋で涼んでから、お京阪に乗って渡辺橋で下車、八時ごろには「ムジカ」に入った。
 そのまま閉店までお茶して、帰宅。

●八月二十二日(土)・・・終日在宅。夜、車で「鈍器」へ行ったのみ。

●八月二十三日(日)・・・夕方、車で出かけると、滅多にないことなのに西宮市内どこへ行っても大渋滞(´ω`;)。しかも「岩手県交通」の観光バスがあちこちでうろうろしている。どうやら今日は甲子園の準決勝で、東から大応援団が駆けつけていたらしい(-_-;)。甚だしく迷惑旋盤の極みである。
 ともあれ、寿司屋で両親と合流。少し早めの夕食を済ませたのち、帰宅。両親も来て、父がパソコンに新しいソフトを入れてくれた。
 あとは外出せず。

●八月二十四日(月)・・・頑張って早起きして、10時半には出発、直通特急で御影へ。改札で担当のN嬢と合流し、連載の取材へ。
 そのあと歩いて御影公会堂に行き、一緒に食事。ここは本当に落ち着いていい雰囲気。今日はオムハヤシセットにした。
 随分涼しいが、それでも日差しはまだまだきつい。六甲道駅まで歩いて、一緒に快速で梅田に出て、解散。さてどうしたものかと丸ビルを見上げると、なんとまだ昼の三時半なのに30度なく、27度であった。道理で爽やかなはずである。今年は本当に秋の訪れが早い。酷暑日も殆どなかった。
 何だか眠くなったので、ちょっと立ち読みしただけで、「ムジカ」には寄らずに帰宅。
 深夜、出発準備をして車で出かけ、上ヶ原の山下の家へ。そして山下の車に乗り換えて出発。今津まで南下し、西宮インターチェンジから名神高速へと入った。運転は僕である。

●八月二十五日(火)・・・殆ど僕が運転して、米原からは北陸道へ入る。途中尼御前パーキングで仮眠。
 十時過ぎには黒部インターチェンジを下りて、富山県下新川郡入善町の町立発電所博物館へ。この旅の第一目的地である。大正14年に立てられた北陸電力の元の水力発電所がその内部空間を活かして美術館となっているのだ。国の登録文化財である。ここでエヌガール女史絶賛の塩田千春展「流れる水」が開かれているので、ちょうどいい機会だと富山まで出向いたわけである。
 塩田女史は大阪出身、京都精華大卒、ベルリン在住の現代美術家で、今回の展示は病院の古いベッドを大量に天井から吊り下げて、そこにシャワーでこれまた大量の水をかけ続けるというもの。古い赤煉瓦の発電所の雰囲気とあいまって、非常に迫力のある作品となっていた。
 それから、美術館が位置する「下山(にざやま)芸術の森」を散策。この発電所は高低差23メートルの河岸段丘を利用した、平地にある珍しい水力発電所である。つまり発電所の建物は崖の下に位置していて、そこから急な石段を昇ると段丘の上に出て、そこはまた広大な水田地帯なのである。崖の真上の部分にも同時期に建てられたと思しき赤煉瓦の小屋があって喫茶店「HABA」になっているのだが、なんと火曜定休(>_<)。運転を殆どしていないくせに早くもヘロヘロになってきている山下は置いて、僕だけ展望塔に昇ってみた。崖の上に更に塔が立っているので、物凄く景色がいい。北アルプス連峰、そして雄大な日本海の光景を楽しむことが出来た。
 車に戻り、今度は高速を使わず国道八号線で富山市へ。「糸瓜句会」の一泊吟行で訪れたことのある富山湾の幸が美味しい居酒屋は閉まっていたので、そのまま路面電車の線路に沿って中心市街地の総曲輪地区へ。車を停めて散策するが、名建築である北陸の名門百貨店大和が閉鎖され、移転していたのには吃驚。旧館も破壊せず、活用してほしいものだ。また、西武百貨店富山店も廃墟ビルと化していた。
 移転した大和から路面電車通付近はまだ賑わいがあるが、中央通商店街をどんどん進むと、奥の方は見事なまでのシャッター通り化が進んでいて、和歌山のぶらくり丁並みに大変なことになりつつある。ぶらくり丁は「路面電車を廃止したのが致命傷」だと言われているが、総曲輪の場合駅前からの路面電車は健在である。ということは、別の問題もあるのだろうか。中心市街地の活性化、いずこもなかなか大変そうである。
 結局中央通の外れにあった居酒屋のようなお店で、チキンカツカレーを食べた。これはそこそこ美味しかったが、デザートに注文した「冷凍プリン」は」は期待外れ。
 そのあと、大和百貨店富山店を見てから、車に戻り、富山インターチェンジから北陸道に乗って、もう一度黒部へ。紺のでゃ今度は黒部峡谷鉄道に乗ろうということになったのだ。
 黒部インターチェンジで下りて、そのまま宇奈月へ向かう。旧宇奈月町は悪しき平成の大合併のせいで黒部市に侵略され、今では黒部市の一部になってしまっている。三時過ぎに宇奈月温泉中心部に到着。富山地方鉄道宇奈月温泉駅から黒部峡谷鉄道宇奈月駅までは少し離れているので、宇奈月駅すぐ上の駐車場に車を停める。有人で、おじさんたちは親切だったが、今時900円は高い!! 大阪や東京の都心のコインパーキングのほうが安いではないか(>_<)。
 そして宇奈月駅へ行くと、なんと終電が三時四十分!! あと10分ほどである。ぎりぎり、ちょうどいい時間についたわけだ。ということで、切符売場でゆっくりルートを考える余裕がなく、仕方ないので「初回だしまぁ終点まで往復しよう」ということで欅平までの往復乗車券を買う。懐かしい硬券である。しかし片道1660円で、往復割引なし(-_-;)。
 ホームに下りると、既に最終列車は入線している。というか、旅客列車用ホームは一面二線、二番線までという小規模なターミナルだが、構内は広く、あちこちで貨物列車の入れ替え作業が行われている。軽便鉄道といっても馬鹿には出来ない、かなり本格的な鉄道である。しかも観光鉄道ではなく、あくまでも実用がメインで、悪の関西電力の発電所群の保守のための鉄道ということがよく解る駅の様相であった。しかも、僕らがホームを歩いているうちに関電専用列車が到着、作業服にヘルメット姿の関電の手先や手下が大量に降りてきた。なかなかに面白い。
 旅客列車は重連の電気機関車が牽引する13両編成の長大なもの。僕らは機関車に近い三号車を指定されていたのだが、終電だけに乗ってみたら貸切であった。窓も壁もない、吹きっ晒しの展望列車である。
 元々、黒部峡谷の電源開発のための資材運搬専用鉄道として敷設され、宇奈月~猫又間が古く大正15年に開通、欅平まで全通したのが昭和12年という非常に歴史ある鉄道で、ゲージは非常に珍しい762ミリゲージ、よって機関車も客車も非常に小さく可愛らしい。発車してすぐ、黒部川を渡る。いきなり絶景が展開して、なかなかいい。しかもナローゲージなので窓から手を出しているとトンネルの壁とか触れるぐらい近い。終点の欅平まで二十キロ余、なんと一時間二十分もの軽便鉄道の旅である。自然の造形である仏石、猿専用吊り橋、インターチェンジ脇のラブホテルのような悪趣味な建物である新柳河発電所など、次々面白いものが見えた。しかし、録音案内放送の室石ゲル女史がいささかやかましい。鉄道としてはかなり近代化されていて、コンクリート枕木、ロングレールの区間も多い。
最初の旅客駅である黒薙駅までが結構遠い(途中観光客扱いをしない駅は通過する)。そして、ここから徒歩二十分で、宇奈月温泉の源泉である黒薙温泉があるそう。今日は「とりあえず終点まで往復」を選んだが、次は秘境の温泉を訪ねるのもいいかもしれない。それにしても、本数が多い。殆どの駅で、満員の下り列車と行き違った(単線なので駅ですれ違うのだ)。終電を選んで正解だったかもしれない。終電以外はかなりの乗車率であった。
 猫又駅という可愛い名前の駅のまん前に、モダニズムの近代建築である黒部川第二発電所が見えた。1936年竣工、山口文象設計の名品である。文化財と見ると壊さずにはおられない厄介な悪の関西電力だが、この発電所は富山県の建築百選に入ってるとのこと。
 いくつもの絶景やダム、発電所を見つつ、トロッコ列車はかなりゆっくり進む。最高速度は原付バイクと同じぐらいだろう。岩肌むき出しのトンネルなど、ゆっくり進んでくれるほうが風情があってよい。しかし、高度を上げるにつれ八月とは思えない寒さになってきた。
 二番目の旅客取り扱い駅は鐘釣駅。売店や食堂などもある、大きな有人駅であった。旅館があるほか、自分で河原を掘っても即席露天風呂が出来るそう。すごい。
 そして五時に、ようやく終点欅平駅に到着。途中下車した人が多かったので、下車したのは僕らとあとは数えるほど。折り返しの下り終電まで二十分ほどしかないので、慌しい。
 既に山下は本気でヘロヘロなので、僕一人で駅周辺を散策。祖母谷(ばばだに)温泉というところまで「通行止だが自己責任で通行可能」と書いてあったのには笑った。早速携帯で写メを撮り、ヒロポンに送る。
 帰りは七号車。吹きさらしなので当然寒い。結構凍えてしまったが、山下は半袖、短パンで缶ビールを飲んでいる(-_-;)。殆ど寝ずにほぼ一人で運転してきたので、僕もさすがに疲れてきて帰路では少し眠くなってしまった。でも「折角なのに勿体ない」と根性で宇奈月まで目を開けて下りる。それにしてもこの最終下り旅客列車、観光客より通勤客のほうが多い。発電所の事務職のおじさんだろうか、普通に新聞を広げている。全くの日常の世界が広がっていて、結構面白い。黒薙駅の駅員さんも発車ベルを鳴らしたあと、乗り込んできた。ただ、まだまだ業務用列車は各駅には関西電力の構成員が沢山いた。茶髪のギャル男などがヘルメット、作業服姿でうろうろしていたが、彼らも正社員なんだろうか? 
 宇奈月駅に着いたらもう七時前。かなり暗くなっている。そのまま僕の運転で出発、再度八号線で富山市へ向かう。夕ラッシュ時とはいえ、渋滞というほどではない。八時半頃には富山駅前に到着、居酒屋「金剛」にて夕食。白海老のお造りが美味しかった。
 さすがに疲れたので、後は高速に乗って金沢へ。金沢にしインターチェンジ前の、かつても泊った健康ランド的天然温泉「テルメ金沢」(かけ流しでとてもよかった)に行こうと思ったのだが、もう一軒「ゆめのゆ」というのが出来ていたので、そっちに泊ってみた。


●八月二十六日(水)・・・十時にチェックアウト、またまた僕の運転で出発。北陸道を西進し、福井インターチェンジで下りてみる。適当に市内を走るが、福井鉄道の路面電車が走っていていい感じ。足羽川のほとりに車を停めて、福井刑務所を見た。
 そこからは八号線を敦賀方面へ。越前海岸で寄り道してから、敦賀市内へ。しかし、以前来た時より更に寂れている(-_-;)。もう、和歌山のぶらくり丁どころではない有様である。しかも、カツ飯を食べようと携帯で名門「ヨーロッパ軒」を検索しても全く出てこない(>_<)。有名店なのになぜだろうか(´ω`;)。
 食事は断念し、161号線で滋賀県に入り、旧安曇川町から旧朽木村を通り、大原から静原に抜け、貴船神社の高級料亭群を抜け、「とんでもない山道」である府道361号線芹生峠を通って旧京北町へ抜けた。怖道と呼ばれているらしいww。その後、同じく「酷道」区間の多い477号線(とても国道とは思えない狭隘区間が沢山ある)、府道362号線などを通って亀岡へ到達。そこからは僕らが学生時代から定番ドライブルートにしている423号線で池田まで下り、伊丹のくら寿司にて旅の〆の晩餐を食した。
 九時半ごろには上ヶ原の山下邸に到着。そのまま解散し、僕は自分の車に乗り換えて帰宅。さすがに疲れた。

●八月二十七日(木)・・・今日はロミくんとデートなので、頑張って早起き。ロミくんからもちゃんと起きてるとメールが入ってる。
 ということで、九時四十分には車で出発、約束の十時にはさくら夙川駅に到着した。のだが、ロミくんが「セットに手間取ってしまって遅刻します」とのことσ(^◇^;)。
 結局三十分遅刻でロミくん登場(-_-;)、でも可愛い♪ 早速車を出して、ドライブ開始。「火垂るの墓」の舞台であるニテコ池、松下一族の豪邸群を見て回り、甲陽園の「ツマガリ」へ。何しろロミくんの最初のハンドルネームは「スイーツらぶ(´Д`)」だったのだww。
 ということで、一緒にケーキを買って、今度は県立甲山森林公園へ。車を停めて、僕にとっては子供の頃からの遊び場だった懐かしい園内を散策。まだ八月とは思えないぐらい涼しいので、全く平気である。
 随分歩き回って、軽登山道のベンチでケーキタイム。「津曲」のケーキとシュークリームはすごく美味しくて、ロミくんも大喜びしてくれた。嬉しい。
 ケーキを食べ終わってから、公園の入り口まで戻って、ボレロに乗り込む。今度は路面電車を見にいこうということで、一路大阪方面へ向かう。43号線で市内に入り、大正區の船町でまずは市営渡し舟を見る。火を噴く煙突を横目に新木津川大橋を渡り、南港通りを東へ。
 帝塚山で阪堺電軌の路面電車を見た。最新型から相当古いのまで色々見れたのでよかった。但し、昭和初期製造の古豪電車は冷房がないので夏季はおやすみである。よって一番古いのでも戦後の電車であった。
 さすが、平日の昼間、大阪市内はかなり車が多い。43号線に出て、帰宅。あとは一緒に西瓜を食べたりして、七時前まで二人で過ごした。なんか、今まで以上に絆が深まった、非常に思い出に残る一日となった。
 最後に車を出して、夙川方面まで送ってあげた。

●八月二十八日(金)・・・終日在宅して、仕事。
 ロミ少年から「会いたいです」とメールが入るので、八時前に車を出して、浜で合流。一緒に砂浜を散策してデート。一時間半ほど一緒に過ごせた。昨日からロミくん、ちょっと泣き虫だが、とても可愛い。
 解散後、鈍器で牛乳を買って、浜田温泉に湯治に寄ってから帰宅。
★今日のミクシィ

mixiアプリ「ワタシのドレイちゃん」に批判集中 公開当日に削除 ITメディアニュース 2009年08月25日 19時15分 更新
25日の「mixiアプリ」PC版正式サービス開始に合わせて公開された「ワタシのドレイちゃん」というアプリがユーザーからの批判を受け、開発元によって削除された。
 「mixiアプリ」PC版が8月25日に正式公開され、130以上のアプリを自由に選んで使えるようになった。多くの企業や個人がアプリを提供して盛り上がっている一方で、公開されたアプリがユーザーからの批判を受け、開発元がアプリが削除するという事態も起きた。
 削除されたのは「ワタシのドレイちゃん」。ユーザーがマイミクシィを「ドレイ」として買い取るという設定のソーシャルゲームで、マイミクに勝手にニックネームを付けたり、自由にせりふを言わせたり、アプリ内で“強制労働”させてお金を稼がせる――といったことが可能。開発元のコミュニティーファクトリーによると、Facebookの人気アプリなどを参考に構築し、ミクシィの審査を経て公開したという。
 このアプリには公開当初から、「ジョークとしても笑えない」など批判が集中。コミュニティーファクトリーはミクシィと協議した上で、「当社の社内判断で」25日の夜までに削除した。同社は、ミクシィがアプリ開発企業を支援する「mixiファンド」第1号企業でもある。

 全く、企業としての見識云々以前、単に「知的水準が疑われる」事例であった。問題になると全く思ってなかったところが重症である。痴呆だな。
★今日の変態教授
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/suisou/1251452682/
http://bakusai.com/areatop/acode=7/

 世に変態の種は尽きまじ。
★伯爵の新しい彼氏
http://www.youtube.com/watch?v=vOwcBbon5Vo&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=1_gf4r1xZZA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=7-RsG__khAg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=MntW1oq9z_A&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=C3wV9LLUbUY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=PfppkWiwNFg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=2oczfsDh7Rc&feature=related

 丁度よいイメージ映像があったので。
http://www.youtube.com/watch?v=uRRrSYwVcMc&feature=related

 これなんかレン君と初音ミクでバッハであるww。
http://www.youtube.com/watch?v=kY-e-c3DP7c&feature=related

 レン君の四重唱でバッハのカンタータ!!

●八月二十九日(土)・・・あまり寝た気がしないが、昼前には起きて、すぐに出かける仕度をする。
 特急で梅田に出て、ミキティと合流。そのまま地下鉄四つ橋線に乗って本町で下車、二時過ぎには「オピューム」に到着した。二人で美味しいランチを。今日のパスタも絶品である。
 三時過ぎ、パリから一時帰国中のtzangがようやく登場。もう食事は無理なので、彼女はエスプレッソのみ。
 その後「ムジカ」に移動。今日もあまり暑くないので、三つ揃えでも上着を脱がずに歩き通せた。
 結局八時頃まで延々とお茶会。藤井一男という変態クラリネット奏者をどうやって叩きのめそうか色々相談した。

●八月三十日(日)・・・今日はロミくん、午後から部活になってしまったのでデートできず。よって夕方まで在宅して過ごす。
 五時過ぎに出発、特急で梅田へ。そのまま北新地駅から国鉄東西線に乗って一駅だけ、大阪天満宮駅で降りて、「208」へ。今日は月例イベント「ショーケース」なのだ。今回のテーマは「住み開き」。非常に面白かった。甲子園の歴史と文化を守り育てる会でもやってみたい。甲麓庵とかはまやん邸とか、面白いイベントが出来そうである。但し大掃除しなければ、だがσ(^◇^;)。
 終了後も終電ぎりぎりまで盛り上がって、帰宅。
★今日の悲報

<旧日本亭>九州の“花街の象徴”取り壊しへ 熊本(毎日新聞 - 08月30日 10:34)
遊郭跡の「旧日本亭」=熊本市二本木で、和田大典撮影
 明治から昭和にかけて、九州最大規模の花街として栄えた熊本市二本木で、唯一残る遊郭跡「旧日本亭」の取り壊しが、9月1日から始まる。浄瑠璃や長唄などの伝統芸能を育てた遊郭文化の名残を今に伝える建物の解体に、地元の人々や民俗学の専門家から惜しむ声も上がっている。
 旧日本亭は、米相場で財を成した地元の相場師が1896(明治29)年に建てた。1階は宴会場や遊女が客を迎える部屋。2階は4~10畳の個室が長屋のように並び、花やあでやかなしま模様を凹凸で表現した明治時代の型板ガラスなども現存する。戦後の遊郭廃業後は、アパートなどとして利用されていた。
 昨年8月、老朽化が激しい旧日本亭を保存しようと有志が集まり、地元財界などに協力を呼び掛けたが、不況で十分な資金を集めるめどが立たなかった。また、明治期の建物を移築・保存する「博物館明治村」(愛知県犬山市)にも声を掛けたが「遊郭の性格上、小中学生の見学者に説明がしにくい」と断られたという。
 所有者の竹本健治さん(66)は「レトロな居酒屋に改装する計画もあったが、建築基準法の防火対策が必要で断念した。これも時代の流れ」と話す。
 かつて「紅燈の街」と呼ばれた二本木を象徴する建物が姿を消すことについて、熊本大の鈴木寛之准教授(民俗学)は「二本木は、芸妓たちが伝承してきた浄瑠璃や長唄、三味線など、芸能の拠点の一つ。旧日本亭は地域の芸能史を考えるうえでも重要だった」と惜しんでいる。【門田陽介】

 明治村の見識、姿勢が大いに問われるところである。

●八月三十一日(月)・・・夕方まで在宅。
 鍼灸にいこうかとも思ったのだが、結局「ムジカ」に行ったのみ。


更新履歴

「イベント案内」を更新。(8月5日)

●「骨董建築写真館」に「弐千九年関東下向記Ⅱ(銀座・川越)」を追加。(8月7日)

●「イベント案内」を更新。(8月17日)

●「骨董建築写真館」に「猫篇Ⅳ」を追加。(8月18日)

●「骨董建築写真館」に「猫篇Ⅴ」、「猫篇Ⅵ」を追加。(8月19日)





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