商店街の天敵? 郊外型ショッピングセンターの命運
はじめに
中心市街地=中心商店街の活性化を考えるうえで、あまりにも強大なライバル、商店街が手も足も出ない存在であると考えられやすいのが、郊外型ショッピングセンター(以下、「SC」と略記)です。「中活法」の枠組みで中心市街地活性化に取り組もうという規模の都市のばあい、その郊外には必ずいくつかのSCが中心市街地へのお客の流入を阻むかのように交通要点付近に立地しています。
この郊外型SCについては非常に誤った認識があります。
まず、最初に結論を申しあげておくと、中心商店街が目指すショッピングモールにとって、郊外型ショッピングセンターは、いくら大きくても・いくら近くても怖くも何ともない存在だということです。
郊外のSCは中心商店街のライバルではありません。もう少し詳しく言うと、中心商店街は、同一商圏で郊外型SCを勝ち目のないライバルだ、などと考える必要のないポジションに変わっていくことが出来る、その結果としてSCなどは全く怖くない、ということです。
これは私が主張している中心商店街活性化の一番肝心なところですから、絶対に忘れないようにしてください。
一時期、中心商店街と郊外型SCとの間には激しい競合関係が生じ、ほとんどと言っていいくらい中心商店街側が敗北しました。郊外型SCへの敗北が現在の空洞化の一因となっていることも事実です。
それにはもちろん理由がありました。中心商店街と郊外SC、実は商圏で果たしている役割、中身はそれほど変わっていないのです。
商店街の全盛時代にはアーケードのなかに量販百貨店や百貨店が立地しており、専門店群とともに集積を作っていました。
喫茶店、レストランなどもいくつも立地して全体として「来街目的」を充実させていました。中心商店街は各業種の地域一番店が多数所属しているナンバーワン商店街だったのです。
現在郊外型SCといわれる商業施設がやっていることはかっての中心商店街をそっくりそのまま郊外の新しい立地、新しい建物でやっているのです。
業種構成も全く同じですね。新しいのは施設と立地だけですが、中身が同じ商売ならより便利、より新しいところが好まれます。
郊外型SCは立地(アクセス)、設備(駐車場)、いう二つの大切な要素で商店街が太刀打ちできない便利さを実現したわけですから、商店街がかなうはずがありませんでした。
「せめて、出来るだけSCに近づこう」という活性化=改良策では絶対にSCに勝つことは出来ません。こういう情勢になってから立地、設備という要素で商店街がSCと対抗することは不可能です。
間違っても街の核として量販店を誘致する、などということは成功するはずがありません。
しかし、郊外型SCの武器である立地の良さや売り場面積の広狭や駐車場の大小が即競争力となる時代はすでに過去のものとなっています。
それは商店街VS郊外という商業集積間競争が競争の中心だった時代のことであり、今日では売場の広さや駐車台数を競争手段に、と考えたとたん、その企業は消滅への道を突き進んでいることを意味します。
機会あるごとに主張しているように、中心商店街には新しい事業機会が生まれています。しかもこのチャンスは長く続いている消費低迷にも関わらず着実に拡大しており、現にこのチャンスをものにしている商店街があるのです。
このようなチャンスを迎えているときに、「郊外型SC全盛時代だというのに補助金で中心市街地を整備したからといってお客が帰ってくるはずがない」というような訳知り顔の関係者がおり、特に肝心の商店街のなかで声高く発言するようでは活性化を実現するための意欲・知恵が出てこないのは当然でしょう。
せっかくのチャンス、商店街にとっては文字通りのラストチャンスですがものにできないまま商店街は消没していくことになります。
現在、郊外型SCはどのような状況にあるのか、本当に全盛期なのかそれとも曲がり角にさしかかっているのか、郊外型SCの関係者ならよく分かっていることでしょうが、商店街関係者、TMO関係者で理解している人は微々たる数でしょう。
今回は、敵 (?)を知る、という意味で郊外型SCについて考えてみます。
1.郊外型SCとは
ここでいう郊外型SCとは、@いわゆる量販百貨店が核となり、A地域内外から集めた専門店等をテナントに加えて作られている B大型商業施設 というあやふやな定義
(?)の商業施設を指しています。従って、C特に郊外立地に限らない、中心市街地の再開発ビルなども一部含んでいる、と理解してください。
もちろん、これは当社独自の考え方です。他の人に「お前の郊外型SCの定義は間違っている、再開発ビルも入るんだぞ」などと言わないでください。
余談ながら、言葉の「定義」ってあまりこだわらない方がいいですよ。
いえ、自分で考えたり書いたりするときはきちんとしておかないといけませんが、他人と話すときは定義がずれていても問題はありません。ずれていることを確認して、どっちかの定義を(会話の間だけ)採用すればいいだけの話です。
(1)さて、まず、郊外型SCの核店舗について。
商業集積の「核」とは、「その集積が対応しようとする買い物の性格を体現している店舗」のことです。前回の講義で説明したとおり。
サブテナントの構成がいくら変わっても、テナントがどんなに入れ替わっても、ショッピングセンターにこの店舗がある限り、SC全体の性格は変わらない、という力を持ったテナントが核、キーテナントです。
どうして「核」なのかというと、もちろん、これはSCのお客がそういうようにSCを認識する、と言うことです。なかにはSCの愛称とキーテナントの企業名が同じ意味で使われたりしている。
ここから、SCの中心客相・来店動機を見るためには、SCの核店舗の中心客相とその来店動機を見ればよいという仮説が成立します。核店舗として量販百貨店を配置しているSCの場合は、量販百貨店の客相がSC全体の客相だということになります。
さらに、量販百貨店はもともとの出身である「スーパーマーケット」を必ず設置していますが、この部門はご承知のように「家庭内食事の献立材料をワンストップで提供する」というコンセプトの業態です。お客のほとんどが「主婦」という客相です。
スーパーマーケットのお客からみれば、このSCは「主婦」の顔をして買い出しに行くところ、と言うことになります。
そういう普段使いのスーパーにファッションのショッピングに行くのは楽しい、と考える人は少ないでしょうからファッション売場には足が向きません。
SCのファッション売場というのは、日ごろの買い物には自宅近場のスーパーを利用している人が土・日、祝祭日にショッピング目的で来るところです。
また、一階の一角にピンクハウス、コムサなどファッションの大型店が入店しているSCもあります。あるいは同じ位置に書店があったりする。
この配置は、SCには入っているものの自店独自の来店目的をしっかり作っており、お客はSCと言うよりもそれら特定の店舗めがけて来店、用事が済めばさっさと出ていく、したがって配置は1階の出入り口付近ということになります。
シャワー効果などを期待されて2階コンコース突き当たりなどに配置された書籍売場は悲惨ですね。たちまち撤退の憂き目を見ることになる。
このように考えてみると、郊外型SCの客相はきれいに3つに分かれていることが分かってきます。
さて言うまでもなく、ほとんどの郊外型SCでは核店舗として量販百貨店が配置されています。量販百貨店の特徴は、スーパー部門を核売場にしながら、日常・普段の生活領域について、「たくさん売れそうな商品なら何でも売る」というコンセプト?にあります。。
郊外型SCを理解するにはまずそのキーテナント、量販百貨店を理解することが必要です。
(2)量販百貨店の特徴
量販百貨店の業態としての特徴は、@スーパーマーケット部門を核売場にして、A日常・普段の雑貨・消耗品、B衣料 C家電・家具 など、日常生活に必要な多様な部門について、「中ぐらいの品質の商品を中ぐらいの価格で販売する=国民総中流の日本で最も大量に売れるであろうマーケットに対して、大量に売れるものならなんでも売る」という基本方針=潜在コンセプトにあります。
この「潜在コンセプト」は量販百貨店の創業以来の歴史のなかで育まれてきたものであり、社内的には余り自覚されていないかも知れません。
しかし、量販百貨店業態各企業を今日の規模まで成長させたのは、なんと言っても創業期(高度成長期)の戦略の正しさであり、それ以降もいわゆる「時流追随」という路線で成功を重ねてきたわけです。この成功体験と大企業化した己を存続させるためには、昨日と同じ商品を今日のお客に対して売り続けなければならない、変革と言いながらその方向も方法も分からない。一歩踏み出せばこれまでのお客が離れる・売上げが減ればたちまち行き詰まる、という進むも地獄、退くも地獄というのが量販百貨店の実態です。
そもそも我が国の量販百貨店企業のほとんどが同じ時期に同じ様な経緯で生まれ、それらが全てスーパーマーケット部門を核としている理由については、『日本型スーパーマーケット原論』(安土敏1990 ぱるす出版)を是非参照してください。
量販百貨店の成り立ち、特徴が見事に分析されています。ちなみに同書は、日本の商業に関わる人、とりわけ中心商店街活性化に関わる人にとっては必須文献です。
業態としての量販百貨店の各企業、各店舗の内容は、買い物客から見たとき看板を取りはずせば後は一緒、と評する人さえあるくらい、わずかな差しかありません。
今日、量販百貨店の主ターゲットである「中ぐらいの品質の商品を中ぐらいの価格で買う」購買基準を持つ消費者は激減しています。したがって一般消費財では「たくさん売れる商品」というものが極端に少なくなっており、同じような「売れ筋」に全部の量販百貨店が集中することになる。
みんな集中はしたくないのですが、あの巨大な店舗を他企業と差別化した「量販商品」で埋め尽くすということは不可能ですから、どこもかしこも似たり寄ったりの商品が山積みされることにならざるを得ない。
このように郊外型SCの核店舗である量販百貨店は、巨大化した自社の現在只今の存続のためには昨日と同じ売場作りを続けていかなければならず、将来を慮って業態改革などを考えようものならたちまち売上げダウン、たち行かなくなってしまいます。
どうしてもお客の生活・購買行動とのギャップを埋めていくことができない、というよりむしろ、日々ギャップを深めている業態であると言うことです。
量販百貨店は、高度成長期当時の我が国とこれからまったく新しく作られていく社会の狭間にある、という現在を象徴する存在です。
量販百貨店にはお気の毒ですが、このような時期にこれまで通りの業態を続けようとすれば企業はどうなっていくか、と言うことを自社の命運を賭けて教えてくれているようなものです。
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