然しながら茲に一言し置かざる可らざるは,支邦兵自身は日本軍入城前に全然掠奪を為さざりし訳にはあらず,少なくともある程度には行い居れるなり。最後の数日間は疑なく彼等により人及財産に対する暴行犯されたるなり。支邦兵が彼等の軍服を脱ぎ住民服に着替える大急ぎの処置の中には、種々の事件を生じ、その中には着物を剥ぎ取るための殺人をも行ひしなるべし。 (中略) |
然るに日本軍が南京に入城するや、秩序の回復及び既に発生し居りたる混乱の終止どころか、市の恐怖政治がいよいよ本式に初まりたるなり。12月13日の夜及び14日の朝までに暴行は既に起こりつつありたり。先づ第一に日本軍の分隊は派遣され城壁内に残された軍人を一網打尽に掃蕩することとなれり。市内の街路及び建物に慎重なる捜索おこなはれたり。総ての全軍人及びその疑いある者は着々と銃殺せられたり。 詳細なる記録は入手し居らざるも、悠々二万以上の人々が斯して殺されたりと計算せられ居れり。前軍人と実際に支邦軍に働きしことなき人々の区別については殆ど考慮せられざりき。ある者が軍人たりしならんとの疑いが僅かにてもあれば、その者は殆ど例外なく連行せられ銃殺されたり。 東京裁判速記録第59号(エスピー報告書)「日中戦争資料集」P151-P152 |
12月14日附委員会の手紙の中に(同封物第3号の1)−之は日本官憲への最初の公式の通信にして南京の日本軍司令官に宛てられたるが、委員会は其の主たる目的が『安全地帯』にある中国常民の世話にあることを説き居れり。即ち住民達を此地帯の建物および収容所内に収容し、暫くの間住民達を養はんがため米或いは麦を貯蔵し、其の地帯の警察を監督する事に付責任を取り居る旨を述べたる後、委員会は次の要求を為せり。 (以下略) 東京裁判速記録第59号「日中戦争資料集」P161 |
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