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Die Weblogtagesschau laut dem Kaetzchen
感情論で死刑判決を確定させて良いのか?
罪重いが生きたい 山口母子殺害の元少年被告 (共同通信) - goo ニュースについて。
寝る前にこのニュースが入ってきたので,ネットウヨどもから非難を受けることを覚悟して,あえてこの記事を書くことにします。
来週の火曜,20日に最高裁判決が出るこの事件だが,被告が当時少年法で死刑が適用される18歳になって約1ヵ月だったことから更生可能性を認め,1審山口地裁と2審広島高裁は無期懲役としていた。
最高裁第3小法廷の上告審で検察側は「動機,殺害手段,結果の重大性などを考えれば,死刑にすべきだ。2審判決は判例に違反し,著しく正義に反する。本村さんの処罰感情も峻烈を極めている」などと指摘しているが,果たしてそれは事実なのであろうか。
被害者の本村洋さんは未だ当時,25歳の若者であった。当然,法律や裁判手続きのことなどに精通しているわけではない。と,なれば,光市内の「誰か」が本村さんに「入れ知恵」をして,「組織的に」犯人の不良少年を社会から抹殺するように動いたと考えるのがごく自然な考え方であろう。つまり,犯人の不良少年は最初から「死刑になるべく,はめられた」のである。傍証になるうわさ話は光市の周囲からどんどん漏れている。
ところが,ネット上で「喜八ログ」が去る3月20日に 「安田弁護士を応援します」 なる記事をブログに載せた直後,300以上の感情的なネットウヨによる総攻撃を受けて,「喜八ログ」はコメント拒否という状態に追い込まれました。これを「言論テロ」と言わずに,他にどのような表現が見つかるでしょうか。恐らくは本村さんを経済的・政治的に利用している某団体(つまり死刑制度を温存したい政治団体)や,それに共鳴するネットウヨによる組織的な攻撃が行われたものとしか考えられません。 本来ならば「喜八ログ」さん自身がこのような攻撃に晒されたことに対して民事訴訟で対抗するべきだと私は思うのですけど,なかなか市民一人一人というのはバックに組織などがついていない限り,自発的に裁判費用や弁護士費用を自腹切って動くことは難しいようです。
確かに,犯人の不良少年の弁護を引き受けた安田弁護士は売名行為に走るので有名な,人格的にも優れた人ではありません。しかし,弁護士というのはあくまで事件を起こし「犯罪者」とされた「弱者」を代理人として弁護してお金をもらうのが仕事ですので,弁護士本人や「弱者」の支援者に対して嫌がらせを行うのは反対に犯罪行為だと断定しても良いでしょう。これが犯罪行為でなければ,すでに日本は法治国家ではなく,リンチ(私刑)によって,作られた世論によって(マスコミに洗脳された人々によって)犯罪者の量刑を支配する,野蛮国となってしまいます。そんな国に,裁判員制度なんか,危ない! いずれアメリカのようにヒマを持て余した老人ばかりが裁判員になって,裁判員が原告の弁護士に買収され,全員一致で法律通りの判決がひっくり返るようになってしまいます。
さて,皆さん,最高裁の裁判長の「浜田邦夫」さんという名前をよく覚えておきましょう。次の総選挙で,彼に「×」をつけるのは,あなたの良心にかかっています。
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保釈が非常に認められにくくなったのも,保釈が認められたケースについて,検察が必ず準抗告をするため,裁判所が根を上げたからだ…という経緯があったとも聞いています。
>日本は法治国家ではなく,………野蛮国となってしまいます。
と、おっしゃってますが、
国際社会からはすでに疑念が示されています。
社会権規約委員会・総括所見:日本第2回(2001年8月)
E.提案および勧告
41.委員会は、締約国(日本)に対し、「非嫡出子」という概念を法律および慣行から取り除くこと、婚外子に対するあらゆる形態の差別を解消するために緊急に立法上および行政上の措置をとること、さらに当事者の規約上の権利(第2条2項および第10条)を回復することを促す。
日本は「近代社会では受け入れられない」婚外子差別を法制度としていると、国連から厳しく指弾されています。
もうすでに、日本は近代以前の野蛮国です。
自分に残された身体的能力を使ってもう一度社会へ貢献しようと思い,弁理士試験の受験勉強をしながら,理科系の技術者として日本の法体系の矛盾に改めて気付いたという体たらく(笑)
そうした中で生の人権問題に触れ,こうした感情論ばかりがまかり通るようでは「法治国家」の看板を降ろすべきではないかという結論に到ったという話です。ヤメ蚊さんは弁護士ですから,毎日こうした矛盾の中で生きているのかと思うと,同情を禁じ得ません。
検察庁はどうしても保守的であり,行政機関である内閣府の使い走りになりやすい性質があります。そういう意味では検察官にも同情を禁じ得ない部分があり,言論の自由が保障されていないのではないかと懸念しています。
中学の公民レベルに戻れば,国会は「法律を作る」,内閣は「法律を行う」,裁判所は「法律を守る」,これが主権在民主義になります。ところが内閣の下で縁の下となって働く省庁をばらばらにし,官僚のやる気をなくさせ,検察庁に象徴されるように内閣のロボットとなっている状況は,明らかに内閣の暴走であり,独裁政権であると言っても良いでしょう。
私たちはスターリンや金日成を笑うことはできないのです。北朝鮮の姿はまさに日本の戦前,そして今の姿の鏡像なのだと私は考えます。
> 「喜八ログ」はコメント拒否という状態に追い込まれました。
コメント欄を閉鎖したことを、私はまったく気にしていません。
正直なところ、ずいぶん楽になりました。
まぁ,喜八さんもときどきこうやって書き込んで,うさばらししてみて下さいな。
# 今朝は100を越えるネットウヨがコメントつけてて,削除に追われてとっぴんしゃん♪
こんな弁護引き受けたとしても金になりませんしね。
オウム事件でもまともな弁護活動をされていたと記憶しております。
江川昭子さんも、もし自分が弁護士を頼むとしたらこの人しかいないと言われていた方です。
秋田県の水死少女の母親の、少年絞殺容疑での弁護士達の記者会見には驚きました。
マスコミで弁護士が、検事か警察官の仕事をしています。
信じられないことが何の疑問も無く進められています。
あまりに強引な、集団リンチのような事がマスコミによって行われています。
この事件をブログで調べたのですが、非常に少なく『観劇レビュー&旅行記と日記』『どん底あるいは青い鳥』などです。
冤罪の疑いが有るのでは、との記事ですがネットウヨなどの書き込みは現在ゼロです。
この事からも光市事件でのネットウヨ達の行動は組織的背景が考えられます。案外ほんの数人が一生懸命パソコンを操作しているのでしょう。
今頃腱鞘炎にでも成っているかもしれません。
秋田事件は「母親の供述」が二転三転して,訳わからんです。恐らく,精神的に不安定な状態で,精神科医の診断が必要な状態になっているのではないでしょうか。こういう場合,第一に考えられるのは「冤罪」です。弁護士が被疑者の弁護に回れないと言う状況は,まさに光市事件と同様の集団リンチが行われていると言って良いでしょう。
近所の老人達が子供たちを護ると称して見回りをしてたと言うけど,私個人はこういう連中が一番危険人物・不審者だと考えています。
私が住んでる公営マンションでも似たような現象が起こってまして,元々地元に住んでる老人を中心とする三世代家族と,あとから抽選で入居してきた私のような独居障害者との間には,回覧板以外の接点がまったくありません。
そのくせ,昼間は年寄りも地元民は働きに出てる(当然コネで仕事が回って来る)ので,夕方は小中高生が好き勝手して遊んでて,お菓子や飲料の殻を植木に突っ込み,自転車をエレベータに入れて遊んだり(危ないからやめなさいと注意しても効果なし),もうしつけなんてどこへやら。外出するたびにレジ袋持って,エレベータや玄関にまき散らされたゴミを拾ってますけど,視力が弱い身には幾らか辛い作業でもあります。
要するに,不審者によって傷害・殺人事件が起こってから,初めて騒ぎになるという典型的なパターンなんです。秋田事件の場合は一戸建の団地だから,余計に死角が多いので,実行犯が「毎朝,子供の登校を見守る老人」だったなんて,恐らく誰も考えもしないのではないかと思います。
貴方が指摘しておられるように、最高裁判所の裁判官は選挙で信認されます。
つまり、最高裁は世論に迎合して、あのような判決を出したのだと考える方が自然です。
非常に残念な話です。
情報や知識は一方通行で放出したり受け取ったりではだめです。情報の書き手が受け入れを拒否しない限りは,できるだけ相互に意見を交換しあうくせをつけて下さいね。
# 私もインターネットを使い出してもう20年ほどになりますけど,昔からネットというのは対話の手段として使われて来ました。情報の一方的な押しつけは私も拒否します(笑)
最高裁は世論に迎合というより,どちらかと言えば時の政権の命令によって判決を下したと見るのが妥当かと思います。同様に,憲法判断も時の政権の命令によって拒否する方向に動いています。となれば,現在の独裁政権を叩き潰し,できれば粛正して二度と政治の世界に出られないようにしてやるのが,本来の民主的な政治の方法でしょう。本人たちはこれを「人民裁判だ」と言うでしょうけど,自らが仕掛けた罠にはまっただけの話です(笑)
以前,このブログでもヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』(NHK出版)を取り上げました。この本はプラトンにはじまる西洋哲学の入門書ですので,これから読まれても良いかも知れません(ベストセラーだったのでブックオフには必ずあります)。あと同じ岩波文庫で,R.S.ブラック『プラトン入門』とかF.M.コーンフォード『ソクラテス以前以後』なんていう西洋哲学の入門書があります。
西洋哲学はプラトンに代表されるように,常に対話から作られてきました。先日表紙に取り上げた,なだいなだ『権威と権力』(岩波新書青版)や,吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)なども,高校生なら読むことができる対話形式の哲学書です。サブローさんもまず活字の本に親しまれてから,再び私のブログを覗かれてみると,また異なった印象を持たれるかと思います。
# 恐らく意見の相違の原因は読書量の違いかと……。私は貧乏だったので7年間の学部時代は寮に住んでたのですけど,大学院への引っ越しを手伝ってくれた同室の数学科の奴いわく,マンガや雑誌を除いて4万冊近かったと言ってました。古本屋が開けますね(笑)
私は保守系のブログをよく見ていましたし、それに対して共感もしていました。
マスコミによる世論の誘導に対して反論していたのも保守系が多かったです。
にもかかわらず、この件に関しては、マスコミの洗脳にひっかかっているのが保守系だったりしています。
もう少し日本人は冷静な民族だと思っていましたが、そうでもなかったようです。
正直、私の考えがリベラルに傾くことは無いと思いますが少し勉強してみようかなと思います。
差し戻し判決時もコメンテーターの「死刑だ」発言にそれ、もし間違ってたら、殺人行為じゃない?
と思ってました。
よく言われますが被害者の思いで量刑がかわるんじゃ、天涯孤独のひとを襲えばいいのかと思います。
ニュースをみていると少年たちの性犯罪などの残虐性と、中高年の痴漢行為やお金を使った性犯罪やお金に関わる事件の多さが目につきます。
このことは安易に少年たちを死刑にするべきではないということだと思います。
被害者の会,と称して,被害者の感情で量刑を操作しようとしている「秘密結社」があるようです。いずれ,この「秘密結社」の正体はこのブログにてばらそうと思っています。
性犯罪に関しては根本的に保護者に責任があります。保護者の放任主義が強姦や家出少女のAV女優化へと繋がっていきます。勿論,後者には「お金」が絡んでいることは明らかです。
中高年の痴漢行為は売春行為をゲリラ的に正当化させようとする暴力団が背景にあります。逆に言えば,暴力団と警察が共存共栄している限り,痴漢も売春も決してなくなることはありません。
先日,このブログで取り上げた東大阪大学の学生が起こした事件は,以外な所で阪大生の母親殺人事件と共通性があります。それは「お金」です。前者はお金のために暴力団とつるんだ不良少年と組んで殺人を犯し,また自分たちもその犠牲となってしまいました。
後者の阪大生は三男坊で兄たちと比較され,せっかく入った阪大でも落ちこぼれてしまい,パチプロでお金を儲けることに生きがいを見出してしまったのではないかと思われます。お金が儲かったら,何時の日か,ホリエモンのようになろうとでも思っていたのかも知れません。しかし,ホリエモンが東大をやめた理由はバイトでお金を稼ぐのが忙しかったからでした。所詮,ギャンブルで稼いだカネなど,微々たるものです。阪大生がもしバイトに熱中していたのならば,中退してもまた別の生き方を主張できたのかも……。
若者に下手に「お金」を与えると,ろくなことにならない。まず,そこから,犯罪防止の原点があるのではないかと,かつて警察官だった祖父から教わったことがあります。
本音は殺人を犯した子供をかくまって,テロリストとして養成したいというのが,いまの国家の「意志」ではないかと,裏側から読んでしまいがちになります。
若者にお金があるのは勉強をする必要がない(勉強に価値を見出せない)こどもたちが増えアルバイトをする、親がダメだと言ってもそれに追随するこどもがまた増える。
夜出歩くのは塾通いが増え、父母も仕事で忙しいので夜家にいてもつまらなくなり、友達が中心の生活になる。私も親ですが共働き中は特に男の子が、友達の影響を受け、言うことを聞いてくれずたいへんだったと思います。これは仕事を辞めたほうがいいと思って一時やめたのですが、いまはだいぶ変わってきました。なので、あまり親の責任にする社会通念も変わって欲しいと思っています。
少年が1999年犯罪当時、酒鬼薔薇聖斗の事件や西鉄バスジャック事件などがあり、それから少年が中学時代にはいじめによる自殺が多かったようです。
これはゲームやパソコンの普及や内申書重視による子どもたちのストレスなども原因にあるのではないかと思います。
青少年の犯罪の残虐性は、理性のあるおとなの犯罪とは違うので、安易に死刑にしてはいけないと思っています。
でも、どうすればみなにわかってもらえるのかがわからないです…。
勉強をする必要がない,勉強に価値を見出せない,と思えるのは,やはり大学進学が飽和状態になってしまったせいもあるのではないかと邪推しています。基本的に欧州のように大学入試は資格試験制度とし,国立大学のみに整理し(欧州で私立大学は神学校のみ),国家資格を得ることで卒業とみなすというふうに改革しないと,ますます米国のようにお金で卒業単位が買えるといういびつな構造が蔓延してしまいます。
# 私は医学系(理科系)なので,特にそう感じます。
長くなるので,塾屋の問題以降は次のコメントで……
ところが都市部の場合,進学をうたい文句にする私立中高一貫校や国立高校(よく誤解されてますけど,大阪教育大付属は天王寺だけが進学校で,池田や平野は実験校です)があるため,小学低学年から進学塾でがんがん鍛えるという風潮があります。逆に言うと,塾へ行く経費のためにパートに出るというだけではお金が追い付かない状態となり,自然とプロレタリアートは進学競争から脱落する構造になってしまっています。
当然,進学競争と関係ない子供たちは部活動などに生きがいを見出さない限り,夜の街をさまよい,悪い友だちと犯罪を犯してしまう,ということにもなりかねません。実際,ブックオフなどに持ち込まれる「新古品」のマンガや写真集などはほとんどが子供たちによる「万引き」品です。しかも彼らは犯罪意識がなく,楽しくて,友だちと同じ話題が作りたくて万引きを楽しんでいるという現実があるのです。
つまり,少年犯罪の背景は大人以上に多方面から観察・分析を行わないとなりません。この辺は hiro さんも恐らく同意されると思います。内申書重視もひどいですね。子供が教員の顔をうかがって,裏では何をしても構わないと誤解してしまうケースが多いようです。
そういう意味で,少年犯罪を安易に死刑にするのは,はっきり申し上げて司法の責任放棄だとしか言い様がありません。同じ例として,裁判員制度についてのトラックバックが入っていますから,hiro さんも一度ご覧になると宜しいかと思います。「小さな政府」「骨太の予算」は,実は「無責任な政府」「国が国民を棄てる予算」だということが良く分かります。
他のカテゴリにもいろいろと記事を書いてますので,hiro さんもあちこちにコメントをつけられてみて下さい。体調が許す限り,一緒に考えを交換しましょう。
お互いを思いやり、人間の命について、みながよく考え、死刑を廃止することが、犯罪を減らすと思います。
仕返しは仕返しを呼ぶと思います。
危険を感じたからと警察官が発砲することは間違っていたと思います。
法や警察が厳しくなれば、それに反発する心も芽生えてきそうです。
簡単に死刑を叫ぶ世の中では犯罪が増えると思います。
hiro さんは今,非常に大切な提案をされたと思います。私も少し,このテーマ「簡単に死刑を叫ぶ世の中では犯罪が増えると思います」について考えてみて,記事にしてみようかなと思います。
警察については(実は祖父が警察官だったのですけど)岩波ジュニア新書の原野翹『警察はなぜあるのか』をお薦めします。89年に書かれた古い本なので古本屋より図書館でないと見つからないと思いますけど,中学・高校生向けに行政機関の役割について分かりやすく書いた本の一つです。
体調と言いますか,慢性疾患が原因で合併症に苦しんでいます。若い頃に体力を過信したのが原因で,今では視覚障害者にもなっています。毎日5本の注射を射たないと生きていけず,まぁあと5〜10年生きられたら十分かな,なんて冗談を言っています。私は人間のドクターではないですけど,経験上だいたい分かります。今年は幸いに一度も入院してませんけど,熱中症で救急へ運ばれる可能性はあるかも知れません。
他にもたくさんの思いがあるんですが、言葉少ないのに解ってくださってうれしいです。
感情的な判決では公正でなくなり、差別感情が犯罪を増やすと思うんです。
犯罪がどうして起きているかをもっと調査研究して欲しいと思ってます。
いろいろいろいろ読んでみます。^^
適度に運動したり休養とったりして、直してくださいね。いまたいへんなんでしょうけどきっとよくなります。
私も先月,当て逃げに遭いまして,刑事裁判を起こしました。私自身は全治5日の軽症だったのですけど,被告側に道交法など多くの軽微な罪が重なっていたため,わざと地裁支部へ上告したのです。案の定,被告の家族は感情的になってキイキイだったのですけど(笑),物証や状況証拠では圧倒的に不利で,判決は執行猶予付きの有罪判決。最高裁や高裁レベルはどうしても政治の影響を受けやすいのですけど,地裁レベルは論理的に事を進めればきちんと法に基づいて処理をしてくれます。
# 弁護士から「君は敵に回したくない」と言われましたが(笑)
差別意識は隠されているだけ,やっかいなものです。先日取り上げた阿部謹也さんの近著『日本人の歴史意識--「世間」という視角から--』(岩波新書新赤版, 2004)でも,日本人は「世間」の中に位置づけられていて,個人の振る舞いを「世間」がどのような判定を下すかに興味を持っている,と断じています。つまり,「世間」の中の人間関係にしか興味がなく,「世間」の外側には全く関心がない。これが差別意識の始まりなんですよ。他の記事で書いた建設会社の犯罪に関しても,内部告発でようやく明るみに出た状態。「世間」に安住していては,犯罪はなくならないのです。
# 昨晩,あるネットウヨの若者と対話していて,どうして彼らが知ったかぶりの知識で到底勝ち目がないインテリを見下せるのか,面白く観察ができました。努力せずに成果だけが欲しい,甘えん坊なのですね。
なお,私の病気は医学的に治らない病気です。だから合併症を引き伸ばす以外に方法はありません。この季節は運動(コメを買いに行ったり)すると,脱水や熱中症で倒れたりするので,無理が効かないのが悩みです。外出する時は常に医療器具を入れたカバンを持ってますから,情けないブラックジャックです(笑)
付和雷同型なのは差別されたりいじめられたりするのがいやだからでしょうか。
TVのワイドショーや報道番組でのたたきかたはすごいですから。ニートさんとかTVばかりみていたら批判などできなくなるでしょう。
これからも時間のあるときはあちこち読んでます。
ゆっくり休んで合併症引き伸ばして、長生きしてくださいね。
実は3年前の時点では,M.D. であることを表に出すと色々と再就職活動に差し障りが出ると思い,わざと veterinarian の格好をしていたに過ぎません.でも,動物実験で大量のネズミやらウサギやらを飼ってましたから,一通りの獣医学も頭には入ってますよ(笑) 裏でこそこそ騒いでいる方々 (アクセス解析の結果判った IP やプロクシやプロバイダや所属などの個人情報を全部ばらしても良いのですけど) は結局,獣医師法に違反するだの医師法に違反するだのと,法律の条文を持ち出して,表向きの身分を批難して楽しんでいる「ホンモノのバカ」に過ぎません.
# 私は今は研究者じゃないし,単なるサラリーマンで,糖尿病の悪化のために常勤ができなくなっただけです.オペをする以外なら,まだ経験で何とかできますし,学生のカンファレンスくらいならやってます.
もうちょっと頭を冷やされては如何でしょうか.そして,もうこの「http://blog.goo.ne.jp/kaetzchen/m/200606/1」にアクセスされている方は,そろそろ引き上げられた方が賢明かと思いますよ.今晩から明日にかけてアクセスされた方の個人情報は近日中に公開するかも知れません.覚悟しておいて下さいね.特にアカデミックポジションにいる人 (博士課程以上の学生も含む) は本名も所属も全ての個人情報をばらして,二度と今のポジションにいられなくしてあげます.自分が教えている博士課程の学生が「ネットゴキ」であるという可能性もあるからです.(私は「鬼」教師ですから(笑) ラテン語でぺらぺら喋るあの人かと,既にばれているかも知れませんが)
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