生命哲学の掲示板
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本音の発言 投稿者:てとらぽっと 投稿日:2009/09/05(Sat) 13:43 No.1837  
私は学会員だが公明党の進める政策すべてに賛同してはいない。その最たるものが死刑廃止である。私は存置派である。次に今回の定額給付金もあまり誉めたものではないと思う。何年か前の地域振興券もしかり。しかし選挙のときは消去法で考えれば公明党に入れることになる。ただ学会が嫌いだからといって公明党を悪く言う人には腹がたつ。公明党が学会員の利益になることだけをやろうとすると言う輩に一つだけ言いたい。何十年か前に義務教育の教科書が無償にされたが、今は亡き柏原ヤス参院議員(元教師)の尽力である。当時公明党は野党であったが、実現させた。教科書無償が学会員の子弟だけに適用されたか?携帯電話の通話料を値下げさせたのも公明党だ。学会嫌いの人は値下げ分相当を割り増しにして料金を払ってるのか?たとえて言えば、散々親に苦労と心配をかけて育ててもらっておいて、大人になってから親の悪口ばかり言ってるのに似てる。与党になってからは主張することを通しやすくなった反面、自民党の都合を考えてやらねばならなかったこともあろう。ともかく選挙のときは各党が、これまでどんな実績があるかをよく思い出して投票すべきなのに、そこは忘れて(知らずに)耳あたりのいいことばかり言う候補に、気分で投票する人が多いのは嘆かわしい。


Re: 本音の発言 ちょっとご意見 - 2009/09/05(Sat) 20:01 No.1838  

私、学会員で公務員を定年退職したものです。よく、公明党が尽力したとか、自民党がやったとか、国会の質問で、いい回答を引き出し、政策に尽力したとか・・・・よくおっしゃるんですが。これはそのほかの与党・野党の支持者も同じようなことをおっしゃるんですが・・・・実際は官僚側が準備している政策なんです。国会の本会や各委員会での質疑は、答弁調整ということをやって、何をしゃべるか決まっているんですね。国会でも地方議会でも、議員の先生方は、政策の細かいことはあまりわからないんで、答弁の中身を説明しながら、勉強されるんです。私は思うんですが、学会員でも学会員でなくても、国会や地方議会の実態をしっかり見据えて、政党への支持を考える・・・そういう時代にきているんだと。義務教育の教科書の無償化は、残念ながら共産党も当時の社会党も、公明党と同じくらいというか、同じレベルで尽力していましたね。携帯電話の通話料は、実際には、業界間で話も出ていた経過もあるし、今回、公明党が残念な結果になったのは、医師不足にボンヤリしていたこと、派遣切りにも対処が遅いこと、大きいのが財源問題の根本問題である天下り先への膨大な予算を、きることがなく、国民をだましていたということが、有権者が気づいたということだと思います。どうしても身内を贔屓したい気持ちはわかるんですが、それじゃ公明党は成長しない。支持者自らが
厳しい注文・政策論議をぶつけて、しっかり対応できない議員であれば、票を投じないということも、新しい公明党をつくる道ではないかと思うこのごろです。「心して政治を監視」というのは、他党だけではなく自らの支援したい党にも言えることでしょう。


Re: 本音の発言 ちょっとご意見 - 2009/09/05(Sat) 20:17 No.1839  

ちょっと追加です。
公明党がひとり立ちできないこと。これこそが大きなことであると思うのです。組織票でなく、浮動票がしっかり入る、一般国民も、公明党はしっかりやっているなという票が必要なんじゃないでしょうか。ほとんどの学会員は、テトラポットさんのように、公明党の政策に全て賛成ではない、でも消去法で行けば公明党しか残らない。けっこうそれらしい、自分を納得させる、いいフレーズなんです。また、官僚が持ってきた政策に対して、国会での答弁書いわゆるQ&Aと言うものを政府の担当者が、議員控室に持ってきて、すり合わせした内容。これは与党として実績になるのは当然ですが、本当に考えたのは誰かと言うと、官僚なんですね。
はじめから公明党を応援しなければいけない状況を、消去法で公明党なんて、カモフラージュするんじゃなく、本当に国民が納得して、学会員に頼まれて投票するんじゃなく、公明党に入れないと、国は大変だと言わせるには、妄信で投票はやめ、育てるために厳しく議員に接していくことこそが大切だと思います。
小選挙区全敗は、当たり前の結果だと思いますよ。仏罰ともいえるし、末端で苦しめられている学会員の祈りだったかもしれません。私は選挙のときの組織のなかの雰囲気は、負けるなという感じは充分にあったと感じています。政策の根本が欠けていたと思います。学会員の末端は派遣社員多いんですよ。障害者も多いんですよ。病人も多い。なのに、こういった福祉を必要としている人たちへの負担は増えているのに、東大卒の官僚エリートの天下りは実質容認。天下り先(財団や公的法人、公的な株式会社)への発注額・・・ご自分で公文書公開請求してお調べください。そして電卓たたいて計算してください。充分お分かりになると思いますよ。選挙でこうなったとうことが。なぜ天下り制度が必要なのか・・・高級官僚のプライドを潰さないためだけなんですよ。都道府県庁も政令市も普通の市も、東大京大で入庁しても、定年まで働きます。同僚が早く偉くなっても、みな辛抱しています。高卒でえらくなって下に同世代で東大・京大・阪大卒も存在しているのが、地方なんですから。こういった人たちのためだけに、国民が無駄な税金を負担している・・・構造を改革するのが政治家じゃないですか。携帯電話の料金を下げるのは政治家の仕事なんでしょうか。企業では担当者レベル、官僚でも企業に下げさせるのは、専門官レベルの仕事です。実際にはそういうレベルの仕事を、党の実績に入れたこと自体、小さくなった・・・・むしろ大きな、解決すべきことをカモフラージュさせた・・・これが選挙の結果だと、恐ろしいことだと。ほかに、民主党にも言えることですが、公明党には比例区で官僚出身者が結構いますよね。内実を知る人を、抱え込むことは必要なんですが、自民党と同じスタイルになっているって感じです。以上ですが・・・ちなみに私は天下りはしていません。




Re: 本音の発言 シリウス - 2009/09/07(Mon) 22:53 No.1845  

死刑については、過去ログを読んでもう一度考えてみてください。


Re: 本音の発言 Jonathan - 2009/09/12(Sat) 13:57 No.1852  

てとらぽっとさんへ
「わたしは学会員だが死刑制度賛成」というのはありえません。仏法は釈迦以来「不殺生」を説いてきました。池田先生も当然死刑制度廃止で、これは先生の明言から出てきた政策でしょう。浜四津さんは代わりに終身刑の創設を主張しています。21世紀への対話では不殺生の精神を尊重して、家畜の飼育環境の改善まで議論されています。死刑制度とっている先進国は極めて少ないです。またアメリカなど死刑制度あっても何十年も処刑を行っていないケースがあります。
ちょっとご意見さんが言われるような国の大きな立場としてやった宗教政党らしい唯一のことは、ハンセン病訴訟を終わらせたことでした。

ちょっとご意見さんへ
まったくご意見に賛同です。公明は学会票で手玉にとって自民ものを言えた立場でした。解散さえも伸ばしたのだから、それだけの時間があれば、国民から支持を得られるような政策をひとつや二つ実現できたと思います。でも実際はおっしゃるように、官僚が出してきたものすべてに全員賛成するだけで終わったのが実態でした。
時間と発言権があってやらない。官僚と一緒に国民をいじめる。これはもう国政レベルの仕事ができる党ではなかったのということです。
自公連立の不条理のなかで、最後まで何か期待した学会員さんの落胆ははなりしれないでしょう。
先生が言うように、これは公明党が生まれ変わるチャンスでもあると思いますが、元凶である信濃町がこんな状態であるなら、当面光は見えてこないでしょう。現場の試練は続くのが残念です。
あと、今回の選挙で目立ったことは福田エリ子さんような存在が当選したことです。本当に「人の生命の大切さ」を訴えて当選したのは、国がいかに生命がないがしろにされているかということの裏返しだと思います。
またおっしゃるように、公明も一人立ちして、社民党くらいの大きさで行ったらいいんじゃないかと思ってます。ちなみに私は今回比例で、民主大勝で消えてしまいそうな社民に入れました。


無題 投稿者:ROM魔 投稿日:2009/09/02(Wed) 00:54 No.1823  
ざこばがMBSの選挙報道で言ってましたな。
「これは信心が足らんということですかいな。そういうことでしょう。」
横に芸術部なるみ・・・沈黙・・・
学会員や仏子である国民を派遣切り、財源むさぼりの天下り許し、障害者自立支援法の不備、等々でいじめた・・・これは仏罰以外考えられない。


Re: 無題 Jonathan - 2009/09/02(Wed) 14:55 No.1829  

「信心」の中身は人々の幸福を願う平和・人権であるわけです。
足りないどころか逆さまなことをやったから、おっしゃる通りの仏罰です。


公明党は猛反省を! 投稿者:vol de nuit 投稿日:2009/09/01(Tue) 02:09 No.1817  
 ごぶさたしております。

 今回の選挙戦、実際のところ会合に行くのも気が重い戦いでした。行けばかならず民主党の悪口ばかり。内部討議資料を見て丸暗記する姿に、「みんな、自分の頭で考える力を失ったのか?こんなん、武器にもならんのに!」と愕然とする日々でした。

 ある意味、われわれは壊滅的打撃をうけ、あたかも昭和20年8月15日の「敗戦」のような状況にあります。そういう現実をまえに、いままで連立与党の10年間でやってきたことを総括せずに、また次なる戦いをやろうというのでしょうか。これでは、民のことより国体護持を考え責任を回避した昔の大本営となんらかわりません。

 いいかげん、学会員を将棋の駒のように考えることをやめてもらいたい。われわれにも日々の生活があり政治的意思を有しています。民主主義の国で議会活動をするのであれば、そのような個々の政治的意思を大事にし、時局講演会やタウンミーティングを分県単位でとるくらいのことはやってあたりまえ。とくに青年部世代はみな、政治のひずみのなかで血を流しています。青年部をたきつけている姿は、特攻で死ねといってるのと同じようにすらみえ、怒りを感じます。

 ぼくが公明党にやってもらいたいことは、1999年以降の連立政権内で行ったことと今回の敗戦の「総括」を文書にして党や学会組織の末端に報告することです。そして、学会員も公明党の政策について物申していかないといけません。

 今回は、自民党に操を尽くしてことごとく裏切られました。20年くらい前には大石寺に操を尽くして捨てられました。いい加減、「学習」してほしい。これ以上、怒りの文書を書きたくありませんが、どうか、学会員をこれ以上だますことは、やめてもらいたい。

 信心がないとお叱りを受けるかもしれませんが、いたたまれず書きました。


Re: 公明党は猛反省を! シリウス - 2009/09/01(Tue) 22:03 No.1821  

ごく普通の感覚。
娘が本部幹部会に一人で行くと満面の笑顔で話してくれた。その時に私は学校のことで忙しくて平日は徹夜と4時間くらいの睡眠、休日は何もかも放り出してただひたすら眠る、を繰り返していて、本幹行ける状態ではなかったので連れて行けるはずもない。その中で娘は先生に会いたくて決心していったのだ。どんな素晴らしい発展的な話が聞けるのだろう。Drがこれだけ素晴らしいのだからさぞかし、本部幹部会は数倍素晴らしいだろう。そして帰って来た娘の開口一番は「人の悪口や悪いとこばかり言ってる、もう二度と行かない」無理もない話だ、娘はいやというほど教師に欠点ばかりを指摘されてきた。人のけてんばかりを指摘して罵ることに、夢も希望も打ち砕かれた。娘は信じられるのは御本尊のみで、あんなに信頼していたDrに対しても不信感を抱いてしまっている。
素晴らしい仏法の話を聞きたくて参加したものが、その状態では希望なんてありはしない。
もう一つ思い出したことは、新会員の方が本幹に来た時に大声でうれしさを周りの人に語っていた。その方はやはり党批判ばかりが目立っている状態の後、言葉を一言も発せすに下を向いたまま帰られてしまった。
ほかの党の批判ばかりが目立つ本部幹部会に参加して、痛快に思うこと自体が普通の感覚を失っているように見えます。

また、誤解を招く書き込みをしてしまったので訂正個所をつけたします。
人間革命の中で大阪での戦いの時に先生は「座談会は普通にやるのです」と書かれていたと記憶します。


Re: 公明党は猛反省を! Jonathan - 2009/09/12(Sat) 14:22 No.1853  

自分で自分を変えられないなら、もう民主党にでも、カルト規正法(過度な政党支援を含む)でも、つくってもらうしかないですねw


公明大敗! 投稿者:Jonathan 投稿日:2009/08/30(Sun) 20:17 No.1806  
冬芝・北川落選、万歳!!!
政権交代で、比例定数が削減されれば、衆院で公明の出番がなくなる。いったい公明党は何をしたかったのか。国民を苦しめてただけではないか! こんな計画性のない場当たり的な政治とはおさらばだ!


Re: 公明大敗! シリウス - 2009/08/30(Sun) 21:42 No.1807  

福祉の公明党。
この何年間か、見聞きして来た福祉を受ける人の声と福祉に従事する人の声、自立支援法その名のもとに何が起きているかを目の当たりにしてきました。作業所はそこにしか行くところがない人もたくさんいます。その人たちから使用料とって何がしたいの?障害者も老人もひとくくりでそれでは生かせる力が発揮できないような状態。
国民の怒りが爆発した結果ですね。
学会が大好きで、学会がよくなってもらいたい願いはそれだけです。この結果をどのように受け止めるか?で全ては決まるのでしょう。政党=仏の命を表せる人の集団とは思っていません。


Re: 公明大敗! Jonathan - 2009/08/30(Sun) 23:04 No.1810  

 公明党の選挙区と比例区の候補者をみてみると、これは勝てると見込んでの大誤算としか思えない。小選挙区は全敗する勢いで、要人の重複立候補がないのだ。そのうえ、比例での順組みが悪く、若手要人は落選確実。
 カルト化する宗教は、得意だった選挙に対しても、現実認識を失っている。
 まじめな学会員が築いてきた歴史をぶっ潰す信濃町。会員利用する私利私欲の権力闘争は所詮、滅びの道でしかない。


Re: 公明大敗! ラーメンマン - 2009/08/31(Mon) 10:38 No.1811  

ご無沙汰しております。

公明党がどうなろうと今は関係ない。信濃町首脳がいま何を考えていようと関係ありません。

今回の支援活動で、必死に祈り、勇気の対話を繰り返した学会同士の皆さんに胸を張っていいんだと、激励して自信をもってもらいたい。どれだけの人材が立ち上がったか。どれだけの友人が私達の話しに耳を傾けてくれたか。自分達のやってきたことの偉大さを知って、自信を持ってもらいたい。いま考えることはただそれだけです。師匠の考えも同じです。組織ではなく、常に会員第一です。





Re: これで、いいのだ! syunchan - 2009/08/31(Mon) 13:34 No.1814  

選挙最優先の学会運営?が多少は、反省されるかな?
民衆のなかに、人間のなかに、大衆のなかで、死んでいったのなら、落選議員も本望でしょう!熱心な地方の市町村議員の振る舞いを国会議員の先生方も見習え、という民意でしょう!

選挙結果は、民意です!


Re: 公明大敗! ROM魔 - 2009/09/02(Wed) 00:47 No.1822  

通りすがりです。
冬柴落選おめでとう。学会員として恥ずかしいひとやな。こんなに学会員苦しめて。
でも気持ちいいぐらい全敗。小役人的施策で政策・政策と言い張り、ほんとなさけない。マル公の政策実績という内容・・・小役人の通常の業務内容だよ。


Re: 公明大敗! ななし - 2009/09/07(Mon) 16:31 No.1843  

>師匠の考えも同じです。組織ではなく、常に会員第一です。
これは妄想です。
会員第一なんていってるから選挙に負けるんです。
これが妄想でなく事実であるならば、F活動は到底できません。


冬芝大敗! Jonathan - 2009/09/12(Sat) 14:38 No.1854  

サンデープロジェクトは、冬芝の選挙区の特集をやってたので、どうもそこに私のカットを入れる予定みたいでした。でも、私の兵庫からの引越しと、落選もあり、私の出番が無くなくなったようですw 私はTVや新聞に呼ばれないことは、とてもよいことです^^


煩悩即菩提 投稿者:シリウス 投稿日:2009/08/18(Tue) 23:14 No.1779  
ものすごく低い次元の話だとは思うのですが、この意味は、煩悩は全て菩提に変わる。
煩悩は消したり、無理に引っ込めたりするものではないと思っていますが?それで正しいのでしょうか?


Re: 煩悩即菩提 ホープL - 2009/08/19(Wed) 13:09 No.1781  

決して低い次元の話ではないと思いますよ。

隣の掲示板との関連もあるのかと思い、少しふれますと、三法印、または四法印は小乗の法印であり、大乗経においては、ただ「諸法実相」の一印があるのみと説きます。

以下、参考になれば・・・

即身成仏(凡夫がその身のままで仏になること)の法理を別な角度から表わしたのが「煩悩即菩提」「生死即涅槃」です。
小乗教の考え方では、凡夫は煩悩(貪・瞋・癡など、心身を悩ませる心の働き)を断じて初めて悟り(菩提)を得て成仏するとされています。しかし、煩悩はあくまでも生命そのものに、もともと具わっている働きであり、煩悩を断じ尽くすということは現実の生命活動を消滅させることにほかなりません。
また、権大乗教では、一応、煩悩即菩提を説きますが、九界を離れて初めて仏になると説くので、実質的には小乗教と同じ悟りの考え方になってしまいます。いずれにしても、小乗も権大乗も、仏とは現実世界の存在とは異なる何かであるということになってしまいます。
これに対して法華経では、凡夫のもっている煩悩を断ずることなく、直ちに仏の菩提(=悟り)が得られることが明かされました。
もちろん、この煩悩即菩提とは悩みや迷いがそのまま悟り(=菩提)に等しいということではありません。
「御義口伝」に「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(御書710ページ)とあるように、悩みを避け、逃げるのではなく、信心を根本に煩悩に真っ向から取り組んでいくとき、煩悩を縁として悟りの智慧が現れて、煩悩をコントロールしていけるのです。
また、生死即涅槃とは、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えていけば、生死によってもたらされる苦しみの境涯にある生命に、悟りによって得られる安穏な境涯(涅槃)を開き現していかれることを示しており、煩悩即菩提とともに即身成仏を表す法理です。
この「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の法理に立脚するとき、あらゆる苦悩を自身の成長と幸福の因に転じていく積極的な生き方が可能になるのです。


Re: 煩悩即菩提 シリウス - 2009/08/20(Thu) 06:09 No.1784  

ホープLさん、レスありがとうございました。
とても分かりやすくよく分かりました。
悩みを避け、逃げるのではなく、信心を根本に煩悩に真っ向から取り組んでいくとき、煩悩を縁として悟りの智慧が現れて、煩悩をコントロールしていけるのです。>
実際に私は依存症という煩悩に振り回されてきましたが(今だに悩まされています)自分を見つめ成長していくことでコントロールできるようになることが分かってきました。依存症は早く言ってしまえば現実逃避であり、その現実に向き合うことで成長する実感を味わっています。
生死によってもたらされる苦しみの境涯にある生命に、悟りによって得られる安穏な境涯(涅槃)を開き現していかれることを示しており、>
お題目を唱えながら、現実の問題と取り組んでいると妙なことに、どうすればよいかが自分の内側から答えが出てきますね、



Re: 煩悩即菩提 凡人 - 2009/08/22(Sat) 22:57 No.1787  

煩悩即菩提についてですが、私独断=主観としての話をしたいと思います。
では、煩悩その性質ついてまとめました。
肯定的判断例

1=原始仏教においては、煩悩を滅することに主題がおかれ、それにより悟りが得られる。
2=ブッタは、菩提樹の木の下で煩悩を取り除き悟りを開いたと言い伝えられている。
3=悟りを開いたブッタの言葉とは=すでに真理を見た!しかし、それを説くことは出来ない!
真理は説かれるべきものではない!したがって、言葉や概念をもって説くことは出来ないものと説いたと言われている。

否定的判断例

1=煩悩とは、生命活動に必需品であり、無くては生命活動の機能が成り立たない!
つまり、人間の肺や各器官と同様であり、無くてはならないものである。
2=悟りとは、煩悩とは違い、異質の概念であり、言葉や概念をもって説くことは出来ないもの

結論

ブッタは煩悩を消したのではなく、煩悩に気が付いたと、説くことが出来る。
悟りとは、人間の思惟を超越したものであり、限界意識である。


Re: 煩悩即菩提 シリウス - 2009/08/24(Mon) 20:28 No.1791  

私の信ずる悟りとは、釈尊が煩悩に気がついたことでなく、釈尊以前の仏教は9界までが、人間の持てる境涯であり「仏」は超越した存在だった。釈尊によって9界に仏を足して十界とし、生きているうちに命の奥にある仏の命を表すことができる。それはすべてのものが持っている。
自分に仏の命があると悟れた時から、自分を仏と信じ切り、決して自分を卑下せず、誰かのモノマネでなく自分という命の仏らしく生きていけること。
釈尊からの仏法は大乗教であり、どんな人でも仏の命を容易く表すことができるが、とても難しいことである。
変に知識の私は時に自分を卑下する言葉が飛び出してしまう。
心のままに、純粋でいる(知的障害など)方は素直に受け止められたりする。
知恵第一のシャリホツも信によって仏門に入る。
知識や知恵では、悟れないと私は信じています。

私の教学では、難しいことは語れません。
様々な体験から、私はそう信じられたのです。


Re: 煩悩即菩提 Tamaki Hosoe - 2009/08/26(Wed) 01:39 No.1793   HomePage

凡人さん、皆さん、

凡人さんのおっしゃる意味はよく汲み取れます。非常に実践的・大乗的見解と思います。

即の字はいろいろありますので、科学者を自認すると認めがたい教義がいろいろあって困ります。
煩悩、欲望の本然的昇華として初めて人間の生はある訳で、これを、小乗教のように消し去る事など、決してできないでしょう。
イド、エゴ、スーパーエゴという心理分析、あるいは、小我、大我といっても良いですが、これらは、子供からの発達過程にも当てはまります。成長過程は、心理制御の深まりとも取れるからです。

煩悩・欲望が大きくても、大我、あるいはスーパーエゴがきちんと無意識から制御していて、

凡人さんおっしゃる
・煩悩に気づいて
・欲望も現れどころ、働きどころを生かせるものならば、益のみあって害はないはず。(実践的に、従って唱題による生命浄化、大我・スーパーエゴ強化が重要)
・性欲も強くなければ、インポかも知れませんし、子供も生まれず、人類の子孫繁栄はありません。

言葉の深い意味には全く頓着なく、実践的にどう読むのか? どう問題解決するのかを、考えたいです。観念的に物言うのは、やめています。


Re: 煩悩即菩提 凡人 - 2009/08/27(Thu) 20:35 No.1798  

精神分析学で言うと(エス・自我・超自我)は分析方法であり、無ければ、精神分析学そのものが否定されます。
 
煩悩はエスであり、それを押さえようとする超自我そして抑圧と葛藤と複雑な問題化生じてきます。

私の場合はフロイトの精神分析学は正しいものとして見ていますが、以降ユングは、虚構性のあるものと見ています。

しかしながら、完全と言える精神分析学はいまだ無いと解釈しています。

>釈尊によって9界に仏を足して十界とし、生きているうちに命の奥にある仏の命を表すことができる。

9界って何のことでしょうか?難しいです。


Re: 煩悩即菩提 凡人 - 2009/08/27(Thu) 21:01 No.1799  

病の根本とは何か。

対象をとらえることが根本です。対象としてとらえられたものがあるかぎり、
そのものが病の根本であります。

何をとらえるという(病の)根本を知るとは何か。

それはとらえないこと、見ないことであります。

見ない(不可得)とは対象をとらないことであり、何を見ないのか、

それは内にある主観と外にある客観を見ないのであって、それゆえ見ないといわれることです。

維摩経より、煩悩について

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