ハウルの動く城
題名;生涯を彩る「幸福」の可能性を示した
アニメーション映画『ハウルの動く城』
宮崎駿監督の長編映画は本作含め全九本だが、その三分の一にあたる題名に「城」のキーワードが入っている。城塞が登場する作品を加えると、半数を軽く超えるだろう。城は大得意のモチーフなのだ。また、宮崎駿のミリタリー趣味満載の漫画エッセイ「宮崎駿の雑想ノート」(「紅の豚」の原作)では、多砲塔戦車が大暴れする幻のアニメ企画が紹介されている。だから永く付きあって来たファンとしては、宮崎アニメの新作が「ハウルの動く城」という題名な上に予告編で「魔法使いが戦争を遂行する世界」という映像を提示されたら、条件反射的に半球形の砲塔から褐色とオレンジに彩られた爆炎が噴出する様が、脳内にまざまざと浮かぶ。
というわけで、タイトルロールの城が、まさかただの一発も砲弾を発射しないまま映画が終わってしまうとは夢想だにしなかった。宮崎監督はそうした戦いに、すでに関心をなくしてしまったのかもしれない。それに従来の「宮崎城」とは、縦横に拡がる構造と各種「からくり」を擁して物語のハラハラドキドキ感を紡ぎ出す装置だったはず。ハウル城も縦方向の構造は使ってはいるものの、「高みから見渡す自然が綺麗」とソフィーの幸福感が優先している。城の魅力は、むしろ外部の複合的な建造物がウネウネとうねる生物感の方から放出されている。やはり確実に「なにか」が変節しているのだ。
だからと言って、これは決して期待はずれな映画ではない。あまりに脱宮崎アニメ的でありながらしっかりと宮崎アニメしているのは確実だ。振り落とされかけた古い観客として、新しいバランスに戸惑っているだけなのだ。ただし、こうした再構築には作り手側にもいくばくか混乱をもたらしたようで、意地悪く見れば劇中でソフィーが城を崩壊させたと思ったら速攻で再建築させる慌てぶりに、バランスの崩れが集約されているようである。
従来のパターンを逸脱しているといえば、「もののけ姫」以後の宮崎アニメに共通した特徴なのだが、「脱ストーリー的」である。たとえば戦争というタームについて、港に帰還する多砲塔戦艦に群衆が集まるシークエンスでは、晴天の空爆の恐怖感、「敵のビラを拾うな」と憲兵が注意して回る描写の積み重ねだけで、深刻さと厭戦気分が短時間に活写されていた。これに戦局激化で街中が紅蓮の炎に包まれる災禍が加わり、戦争の恐怖イメージが力強く伝わる。だが、その戦争がまさか「あんなかたち」で終わろうとは……。ハリウッド映画的ストーリー文法ではあり得ないことで、正直ラストには非常に驚いた。
だが、時間の流れの中で「ものの見え方」は微妙に変わるものだし、西洋的論理優先の価値観だけでは成し得ない貴重なことにも見える。しかも、まさに「アニメーション的」なものを示していると思い至って慄然とした。
そのヒントは、ソフィーのヒロイン描写に示されている。彼女の第一印象は「魔法をかけられる前からお婆さんっぽい」だった。恐らくソフィーは、母親の長所をすべて受け継いだ妹に対するコンプレックスに悩んでいる。それに起因するネガティブな言動も見え隠れする。だが突然九〇歳になったことを契機に、彼女の物事のとらえ方は急速にポジティブに変わる。それはまさに「禍福はあざなえる縄のごとし」という諺のとおりである。
以後のソフィーの場面ごとの変容にぜひ着目し、意味を類推してほしい。最初は腰は最大限に曲がり、関節はポキポキ鳴って声もしわがれていた彼女は、目的が明確になるたびに姿勢や発声が若返る。最終的には映画冒頭とは容姿の印象まで変貌してしまう。「呪いはかけることはできるが、誰も解くことはできない」という設定が実に象徴的で、呪いは結局は自分で解くしかないということなのだ。
ソフィーが「人と世界」をどうとらえるか――本来の意味での世界観が、外見を変容させる。メタモルフォーゼはアニメーション独特の得意技とはいえ、この使い方の着想は卓越している。内面変化を外見的変容にシンクロさせつつ、ソフィーという一人の人格と心を統一的に見せる――こうした手業と発想のリンクは、バラバラのポーズを描く中で一連の「動画」に仕立てて人を描くアニメーターならではものだ。その意味において、映画全体から見える「ソフィーの変容」とは、実は壮大なる「アニメーション」なのである。
この行為は、「生命を吹き込む」という「アニメーション」の語源そのものだ。そしてここで言う「生命」とは、単に生き物の動きをデッドコピーすることではなく、「生きる歓び」のベクトルを示すことと思えてくる。だから、この映画は「宮崎駿の老境」と片づけてしまえるほど簡単なものではない。人類全員、「生まれてから老いて死ぬ」という定めは共通して背負っている。死や老いを呪いと受け取るのも、積極的に生きて人生を歓びでアニメートして全うしようと思うのも、各自の自由。だが、人とは迷うものだ。そんなときの指標が見てとれることこそ、この映画最大の普遍的な価値ではないだろうか。
人の一生がそれぞれ心のキャンバスに描く「アニメーション」であるとしたら、それをどう幸福色に彩るのか……「ハウルの動く城」には、その根源的な秘密の一端が示されているに違いない。
【初出:キネマ旬報『ハウルの動く城』特集 脱稿:2004.11.22】
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