宝島
題名:ジムとシルバー、二人の宝
『宝島』は1978年10月8日から1979年4月1日まで、全26回にわたって日本テレビ系で全国放映されたTVアニメである。前番組『家なき子』に続き、出崎統監督(クレジット表記は演出)、杉野昭夫作画監督以下メインスタッフもほぼそのまま移行している。
同時期のアニメ作品は、劇場では『ルパン三世[マモー編]』、TVでは『闘将ダイモス』、『無敵鋼人ダイターン3』、『宇宙戦艦ヤマト2』、『新・エースをねらえ!』、『赤毛のアン』、『キャプテンフューチャー』など。時間枠は日曜の夜6時30分、つまり『サザエさん』の裏側で、視聴率的には苦戦したものの、多くの熱狂的なファンを獲得した。当時は月刊アニメージュが創刊されて間もない頃で、何度か特集も組まれている。この作品のジョン・シルバーという名キャラクターと出崎オリジナルの最終回で、いわゆる「出崎・杉野コンビ」のファンになった人間も多く、その点でも出崎作品を代表作する傑作と言えるのではないだろうか。
原作は、英国スコットランドの小説家ロバート・ルイス・スティーブンスン(1850-1894)による同名の海洋冒険小説で、初版単行本は1883年に発行されている。以後、100年以上にわたって、この小説は各国で翻訳され、ディズニー映画(実写)はじめ過去に何度か映像化もされた。日本でも手塚治虫のマンガ『新宝島』や東映動画の長編アニメ『どうぶつ宝島』(1971)などの翻案作品があり、雑誌・出版社の名前にも使われるほど「宝島」という名前はポピュラーなもので、「冒険」の代名詞とも言える存在である。
児童文学を材に取ったこの『宝島』では、少年のきらめく冒険心が物語を引っ張っている点が、出崎統監督が作品を越えて追い続けるモチーフにぴったりと適合していた。海賊シルバーという存在は、ジム少年のすこしだけ先を行き、彼を導くものとして位置づけられている。出崎作品の多くに共通する『あしたのジョー』の矢吹丈対力石徹と同じ構図が、この作品でも輝かしく描かれているのだ。
本作では、物語の求心力となる「宝探し」を中心にして、ジムとシルバーの関係が全編を通じてダイナミックに描かれている。ジムはシルバーと立場の違いから敵対し、裏切られたと思って反発する一方で、シルバーのことを男の中の男と認め、強くひかれていく。対するシルバーもジムに何度もじゃまをされながら、その中でジムのことを特別に思うようになっていく。この微妙に矛盾を抱えた関係が、ドラマを生み出すもとになって、強く観客を引きつけるのである。
シルバーの人間としての魅力は、実に奥深いものがある。人間に関する出崎統監督の深い洞察に基づく描写が、いたるところにちりばめてある。
遠眼鏡屋の「肉焼きおやじ」としてジムの前に現れたシルバーは、ジムの疑いを晴らすために黒犬という海賊をたたきのめした。戦いで松葉杖を失って、身体を左右に揺らしながらおどけた格好で帰る、その飾り気のない姿をきっかけに、ジムは心を開いていく。乗船後のシルバーは、ジムに明るく気さくで親しみあふれる態度をもって接する。それだけではない。毅然と亡霊に立ち向かい、神も悪魔も信じず、ただおのれのみを信じるシルバーの態度は、ジムの目には「理想の船乗り」いや「理想の男」として映るようになっていく。
シルバーはジムを何度もだましている。裏切りや、逆らう仲間を無情に殺す行動など、それだけを取れば海賊シルバーは、紛れもない「悪」を実行していることになる。ところが、実はシルバーの行動原理は終始一貫しているのである。目的を達成するため、強固な意志で挑戦を行い、つまらない理由で自分の行く手を妨害する者を排除している。それもユーモアをたたえながら……。彼の信念に基づく行動が、ある基準で「悪」と規定されているだけなのである。
シルバーに対して何度か手下が逆らうが、返り討ちにあってしまう。ジムも刃向かって行くが、シルバーはジムに対しては荒っぽいことをしない。その理由をシルバーが口にすることはない。第20話では、ジムをかばいだてしすぎたため、ジョージが反乱を起こし、シルバーは磔にまでなってしまう。だが、シルバーは人としての器量の差だけで騒動を鎮めてしまった。そのシルバーをあこがれの目で見るジム……。
続く第21話では、宝を前にして不自由な足で、どんな荒くれ男よりも早く進むシルバーに、ジムは感心する。シルバーはここで明言する。
「男はな……ジム。いったんやろうと決めたことがあればな、一本の脚だって、二本、三本になるもんだぜ。自分でいったん決めたことは、とことん最後までやる! いいも悪いもねえんだ。それがオレの流儀さ」
この描写で、シルバーがジムになぜ好意を持っているかが、はっきりする。
ジムは自分の頭で考え判断をして、シルバーに挑戦をしている。そこが刃向かってくる手下と違うのである。ジムの発言には「誰々がこう言っているから」とか「誰々が気に入らないから」ということはない。「ぼくがこう思うから」ということしかない。さらに「負けるかもしれないけど」という考えもないのである。
つまり、ジムの行動とは、「信念」がともなった「挑戦」なのだ。人はそれを「冒険」と呼ぶのではないか。そういうジムだからこそ、冒険者としてのシルバーにあこがれるわけである。シルバーもそんなジムの中にかつて冒険をしようと初めて旅に出た自分の姿を見ているのだろう。だから、果敢に向かってくるときには、もっと厚い壁になろうとするし、周囲の状況がジムにとって絶対の不利になるときにはシルバー自身を危うくしても、さらにもうひとつ大きい力でおさめ、ジムの未来を守ろうとするのである。こういう関係こそが、真の意味で「信頼」と呼べるものだ。それは敵味方をも超越してしまう、人間と人間の関係なのだ。
こういった部分に着目してジムとシルバーの関係を追っていき、最終回のラストシーンまでたどりつけば、この作品が追い求める「宝」なるものが、本当は何を意味するのかが、おのずから明らかになっていくだろう。そして一番大事なことは、ジムとシルバーにあこがれが持てる観客ひとりひとりの中にも、「本当の宝」が確かに存在する、という事実なのである。
さて本作品には、テレビ放映が終わってから製作された作品として、総集編映画と続編があり、DVDBOXの下巻に収録予定である。
総集編映画は、劇場興業ではなくホール・公民館用の上映のために作られたもので、1987年5月9日に共同映画全国系列会議配給で公開された。構成・監督はTV版で約半数の回でディレクター(各話演出)をつとめた竹内啓雄が担当し、全26話を1時間30分に圧縮しておさめている。メインキャストはシルバーが若山弦蔵から羽佐間道夫に、ジムが清水マリから野沢雅子に変更されており、印象が少し異なったフィルムになっているが、物語的に大きく変更されたところはない。ビリー・ボーンズがベンボー亭に現れてから宝島での争奪戦、最終回の後日談的部分にいたるまで、ストーリーのエッセンスとなるところを手際よくまとめた映画となっている。今回が初のビデオグラム化となる。
続編『夕凪と呼ばれた男』は、1992年にケイエスエスからLDBOX『宝島メモリアルBOX』が発売されたときに、新作映像特典として制作されたものである。わずか10分の短編であるが、出崎統監督によるオリジナル・ストーリー、杉野昭夫の新キャラクターが用意され、ファンの間で話題を呼んだ。ことにTV版最終回におけるラストシーンできれいにまとまった作品に、さらに新作をどう展開するかが興味の的になったが、出崎統監督は見事に期待に応えてくれた。
宝島の冒険から10数年後、一等航海士となったジム・ホーキンスは、立ち寄った港町ではぐれ鯨と戦う一本脚の男の話を耳にする……。『白鯨』にあこがれをいだく出崎統ならではの後日談であり、未来に向かって開かれた「宝探し」を予感させる作品である。
『宝島』は、疲れているときにこそ見て欲しい作品である。現実世界はいつも荒海で、われわれは嵐にもまれながら航海を続けている。だが、私たちも宝を求めて冒険の船出をしたはずなのだ。宝のイメージ、つまり地図は、疲れてくると見失われがちである。
宝の地図が、このアニメを見ることでふたたびはっきりと目の前に浮かんでくる……そう信じて、また冒険の旅を続けようではないか。
【初出:宝島DVD-BOX用解説原稿 脱稿:2001.06.10】
※旧DVD-BOX上巻用の原稿です。現在では以下のBOXが入手可能です。
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