ガッチャマンと0テスター
題名:ガッチャマンと0テスター
--巨大ロボットの出ない巨大ロボットアニメ--
◆ルーツサーチ◆
巨大ロボットアニメは、永井豪原作・東映動画製作「マジンガーZ」(72年)の登場で70年代にブームとなり、今日まで連綿と続く一大ジャンルを形成した。これは常識だろう。だが、巨大ロボットアニメの基本フォーマットもすべて「マジンガーZ」が登場することで生み出されたものなのだろうか?
本文では「科学忍者隊ガッチャマン」「0テスター」と2本の作品を取り上げる。巨大ロボットが主役ではないのに巨大ロボットアニメのオーラを強く感じる作品だ。これを分析することで、「巨大ロボットアニメらしさとは何なのか」「それはどこからきたのか」という素朴な疑問に、従来とは別の視点からアプローチが取れるだろう。
まず、ここで言う巨大ロボットアニメらしさ、70年代中盤に定着したとおぼしきその基本フォーマットとは何だろうか?確認のため、ここで「王道」とも言われるその要素を箇条書きで挙げてみよう。
◆巨大ロボットアニメのフォーマット◆
(囲みでレイアウトした方が良いか?)
1.悪の組織
(1)首領は実体がなく、声だけで指令を下す謎の存在
(2)首領の下に幹部がいるが、必然的に失敗続きで首領に怒られてばかりいる
(3)幹部は毎週、巨大なメカ怪獣を作り送り込んでくる。「○○獣」というネーミングがされている。
(4)メカ怪獣は動植物をモチーフにしている。例えばアリが巨大化したメカ怪獣。
(5)仮面と制服の無表情な戦闘員が幹部の配下にいる。無個性であり、いくら倒しても続々と出てくる。
2.味方のキャラクター
(1)すべてを統括する博士がいる。メガネかヒゲをたくわえてスーツか白衣を着用
(2)主人公は熱血漢。後先を考えないで行動する。
(3)斜に構えた二枚目がいる。主人公に批判的。
(4)太って体のデカイやつがいる。失敗しがちだが憎めない。
(5)小さい子供のようなキャラ。頭脳明晰で小回りがきく。
(6)紅一点がいる。活動的で男勝り、密かに主人公を心憎からず思っている。
(7)以上の5人がチームの主要メンバーである。彼らは制服に身を包んでいて、役割ごとに色分けされている。
3.基本プロット
(1)敵のアジトで、首領に指示を受ける幹部。
(2)怪獣メカは動植物の特性を反映した武器を使って大暴れする。例えばアリのメカ怪獣なら蟻酸をはくなど。
(3)博士が密かに作り上げた巨大な基地がある。メカは奥深い格納庫に収納され、エレベーターで移動するなどややこしい手順で発進する。
(4)出撃したメカは分離状態でも攻撃力があるが、合体し、パワーアップして主役メカになる。
(5)主役メカは敵のメカ怪獣と何戦か交える。お互いの技をじっくりと見せたあと、フィニッシュとしてひときわ派手な必殺技でトドメを刺し、爆発させる。
(6)メカ怪獣が破壊されると、乗り込んでいた幹部は「おのれ、またしても」などと捨てぜりふを残して脱出カプセルで去る。
(7)自分のアジトに帰った幹部は首領に叱責される。
(8)主人公たちが基地に集まって会話し、「もうアリはコリゴリだよ」などと言って一同笑い、でエンド。
◆その名はガッチャマン◆
70年代のアニメを見渡したとき、この基本フォーマットに一番近い作品は何だろうか?それは巨大ロボットアニメブームを起こした「マジンガーZ」ではなく、「科学忍者隊ガッチャマン」なのである。
「ガッチャマン」には巨大ロボットは敵のメカ鉄獣しか登場しない。主役メカはゴッドフェニックスという万能戦闘機だが、本当の主役は5人の特殊チーム科学忍者隊だ。先のフォーマットに照らし合わせてみよう。ギャラクターの総裁Xはスクリーンに映る不気味な姿だ。最高幹部ベルクカッツェは毎週ムカデラーや電子レンジラーといったメカ鉄獣で攻めて来る。ゴッドフェニックスの必殺武器バードミサイルまたは科学忍法火の鳥に敗退し、捨てぜりふを残して去る。科学忍者隊のコスチュームと性格づけも、このフォーマットに忠実で、子供のキャラが天才メガネ君だったら完璧だったかもしれない。科学忍者隊と無数にいるギャラクター戦闘員の立ち回りは、G3号白鳥のジュンのパンチラを差し引いても見ごたえがあったし、何かとカッコを付けたがる南部博士はメガネとヒゲの二刀流装備でバッチリだ。
なぜ、こんな風に巨大ロボットの集大成のような作風になっているのだろうか?
まず、時間的な関係をおさらいしてみよう。
「ガッチャマン」は「マジンガーZ」と同じ72年にスタート。前者は10月、後者は12月と、二ヶ月のタイムラグはあるが同期の作品だ。「マジンガーZ」は少年ジャンプに先行して連載されており、世に出たのは「マジンガー」の方が多少早い。
キー局CX(フジテレビ)では、「ガッチャマン」と「マジンガーZ」の放映日は同じ日曜日。「サザエさん」をはさんで、6時と7時の共同戦線だ。いずれも高視聴率をはじき出し、2年間続いて同じ74年の秋に終了を迎えている。このタイミングで、「マジンガーZ」は続編「グレートマジンガー」に移行。「ガッチャマン」の後枠は川崎のぼる原作のファミリー路線「てんとう虫のうた」だ。これは「ガッチャマン」の前が同じ川崎原作の生活ギャグアニメ「いなかっぺ大将」ということを考えると、そう違和感のない選択だ。だが、ロボットの出ないSFアニメとして、王道的要素を薄めてさらに本格的な作品「宇宙戦艦ヤマト」(よみうりテレビ)が「ガッチャマン」と入れ替わるようにしてスタートした。これも偶然とはいえ象徴的だ。
◆導入された共通要素のルーツ◆
時間的な位置づけを念頭において、「ガッチャマン」「マジンガーZ」の共通要素、あるいは当初は「ガッチャマン」にのみ現れ、後に影響を与えた要素を分析することで、我々の考える「巨大ロボットアニメらしさ」がどんなルーツを持つのか、探ることができるだろう。
「メカ怪獣と戦うヒーロー」という要素はルーツを探れば、第一次怪獣ブームにさかのぼる。円谷プロによる「ウルトラQ」(66年)で怪獣ブームが起き、それは続編「ウルトラマン」(66年)で大爆発となった。「ウルトラマン」では毎回毎回新しい怪獣が登場した。正義のヒーロー・ウルトラマンがどうやって新怪獣と戦い、いつ必殺技のスペシウム光線で止めを刺すかが見所だった。特に子供の関心は「怪獣」に集中した。番組が終わっても怪獣アイテムをそろえたり図鑑で再整理せずにはいられなかった。
「ウルトラマンパターン」とでも言うフォーマットが、後の子供向け番組の作り方に決定的な影響を与えている。巨大ロボットアニメも、その延長線にある。
児童番組のコンセプトの源流は、忍術もの、少年探偵もの、秘境冒険ものに見ることができる。シリーズを安定させるために敵を決まった組織とすることは、その時代から一般的に行われてきた。「○○団」「○○党」というようなネーミングで。だが、悪が怪獣を送り込むという複合技のルーツは「ウルトラマン」と同時期のピープロ特撮「マグマ大使」(66年)だろう。この作品では悪の支配者ゴアが次々と怪獣を送り込んで来た。
映画の時代に悪の側に固定した組織を置いた児童作品を数多く手がけてきた東映は、任侠もので屋台骨を支えている関係か、首領-幹部-(怪獣/怪人/妖怪)-戦闘員といった組織のラインを描くことが得意だった。そのノウハウが顕著に出たのが、特撮もので巨大ロボットが毎回怪獣と戦う初の作品「ジャイアントロボ」(67年)だ。この作品ではBF団という戦闘員を擁した組織とともに、恐い容貌だがどこか憎めず魅力あるレギュラー幹部が登場した。幹部と悪の帝王とのかけあいによる会話で作戦を説明する、といったパターンも確立した。作戦に失敗し、帝王に叱責される幹部、というシーンももちろんある。これは第二次怪獣ブームをリードした同じ東映の「仮面ライダー」(71年)ではより顕著に現れ、時代劇と同様に下っぱの戦闘員との立ち回りがまずあって真打との対決、というパターンにつながっている。
つまり巨大ロボットアニメの「怪獣をあやつる悪の組織の幹部」という要素は、第一次第二次両怪獣ブームの総決算であり遺産なのだ。
◆ガッチャマンのみの要素◆
今度は「マジンガーZ」に出てこない要素を見てみよう。
悪の頂点に位置する首領。これが不定形で実体を見せない、というのは先の「仮面ライダー」だ。原作者・石ノ森章太郎の代表作「サイボーグ009」のブラックゴーストの首領がやはり正体不明で、人類の内包する悪そのものだった、という設定の援用だろう。さらにルーツをたどれば、ジェームス・ボンド007シリーズだ。悪の首領であるブロフェルドをカメラは決して正面から写さず、「見せてしまえばそれだけのものにしか見えない」という映画ならではの逆説的な演出法で悪の大きさを出していた。これをさらに正体不明にすることで「悪意」という抽象的なものを描くことに成功した。
巨大な秘密基地からメカが複雑な手順で発進し、合体する。これは英国の人形劇「サンダーバード」の影響だ。日本では「ウルトラマン」と同時期にNHKで全国放映され、大ブームとなった作品だ。主人公たちが秘密基地のエレベーターに乗って乗り込むプロセスを細かく追ってメカの本物らしさを強調した演出がポイントだった。円谷プロが続いて制作した「ウルトラセブン」(67年)では、「ウルトラマン」には見られない細かい出撃プロセスが描かれ、リアルタイムな影響が明らかに見られる。
「サンダーバード」ではメカ同士は3号5号のドッキングを除けば合体パワーアップしたりしないが、1号の可変翼は変形メカのはしりだし、2号の取り外し可能なコンテナには合体のルーツと言える。劇場版に登場したゼロエックスはズバリ合体メカだ。サンダーバードメカの影響で、東映特撮「キャプテンウルトラ」(67年)のシュピーゲル号、円谷プロ「ウルトラセブン」のウルトラホーク1号は合体分離メカになった。
「マジンガーZ」にも出撃シーン、パイルダーやスクランダーの合体シーンはあるのだが、どうしてもマジンガー単体のヒーロー性が際立っており、作品が進むにつれて強調したり、取り入れていったものという印象がある。
味方側のキャラクターシフト。特に主人公格5人の性格と特長づけは、「忍者部隊月光」(64年)の5人がベストな組み合わせだろう。「月光」の原作は吉田竜夫、そうタツノコプロの創始者だ。「ガッチャマン」直系のご先祖なのだ。
◆ガッチャマンの正体◆
以上のように、怪獣ブーム・サンダーバードショックにおいて、主として特撮作品で開拓され普遍化した王道要素を積極的に取り入れ集大成したもの。それこそがタツノコプロの「科学忍者隊ガッチャマン」の正体であり、「巨大ロボットアニメらしさ」のルーツなのだ。60年代のSFアニメと70年代のSFアニメの間には大きなミッシングリンクがあるように見えるが、それは実は怪獣ブームの頃の特撮作品が間をつないでいたというわけだ。
傍証を挙げておこう。怪獣ブームをリードし、子供たちのバイブルだったケイブンシャの「原色怪獣怪人大百科」には、「ガッチャマン」のページもあったのだ。イラストはエンディングにのみ登場する恐いメカ鉄獣ダイネッコ。当時の出版社と子供たちが「怪獣もののアニメ版」という位置づけで見ていたのはこの本によく現れている。
◆タツノコプロの挑戦◆
「ガッチャマン」と同時期にスタートした作品に「アストロガンガー」(72年)がある。「マジンガーZ」より二ヶ月早くスタートした巨大ロボットアニメだが、ヒットせず、歴史の表舞台から消え、あたかも「マジンガーZ」が突然変異的に登場したかのような錯覚すらある。
形態学的に見ると、瞳と鼻がない点が画期的なデザインだったウルトラマンに対して人間的なマグマ大使がいるように、黒目のない初のロボット・マジンガーZに対して人面むき出しのアストロガンガーはデザイン的に古風すぎた。設定やキャラクターも手塚治虫の「魔神ガロン」のようで、60年代SFアニメ丸出し。しかし、それ以上に画面におけるエフェクトのレベル差が大きすぎたのではないだろうか。
タツノコプロは「ガッチャマン」の前年にアニメンタリー「決断」(71年)を発表している。アニメンタリーとは「アニメ+ドキュメンタリー」のことだ。劇画ブームに呼応して導入されたトレスマシンがアニメの画風をリアルにした。その頂点が戦記をアニメで描くことすら可能にした「決断」だ。もともと「マッハGOGOGO」「紅三四郎」などタツノコの画風はリアルだが、それを究極まで進め、ドキュメンタリーまで描けるという自信をつけたものだ。第二次世界大戦の実体験者も多く生き残っているころに、アニメでもウソだと思われないようにするだけのアニメ技術が登場したということなのだ。タツノコプロのチャレンジ魂の成果だ。
具体的な技術を挙げてみよう。動画を鉛筆で汚すように塗って鋼鉄のザラザラの質感を出し、それをそのままセルにトレスする。筆で描いたような肉太の描線、影の塗りわけも3段階に細かく、爆発や煙もブラシやタッチで熱を感じさせる質感に仕上げる。戦闘機の機銃は透過光で曳光弾の軌跡を描く。セル画に背景の質感を与えるハーモニー作画。こうした後の基礎技術となるようなエフェクトが「決断」では実験もかねて積極的に導入されていった。
「決断」では、いまではなじみのある「キャラクターデザイン」「メカニックデザイン」というクレジットが日本のアニメ史上で初めて出現した。この一点を取ってもタツノコプロの意気込みが判ろうというものである。
この流れを受けた「科学忍者隊ガッチャマン」第1話放映では、視聴者は映像的に大ショックを受けた。アニメの技術進歩は誰の目にも明らかだった。メカ鉄獣タートルキングが持つ鋼鉄の重量感、貯蔵庫を破るレーザー光線の輝き、目に焼き付く鮮やかな爆発。高度なSFテクノロジーが高度で見ごたえのあるアニメ技術で表現されぬいている。「決断」で実験的に導入されたアニメ技術が、SFアニメという飛躍した設定を得て、新しい花を咲かせ、さらに大きく実を結んだ瞬間だ。
華麗な映像表現、実写合成まで行う実験精神。これを支えるために用意された頑丈な受け皿が、時代とともに様々な作品に受け継がれることで強固になった王道要素だったのではないか。それが「ガッチャマンパターン」のもうひとつの見方だ。
◆ガッチャマンのインパクト◆
こうして完成した「ガッチャマンパターン」は、完成度が高いだけに周囲にあたえたインパクトも大きかった。
その影響度を知るため、「マジンガーZ」に続く東映動画のロボットアニメ第二作「ゲッターロボ」を見てみよう。合体メカに乗る主人公は「マジンガー」の単独操縦から3人のチームに進化している。もちろん3体のゲットマシンが合体して3種のロボットになるのが最大の見せ場だ。敵の首領は影のような大魔人ユラー。こういったマジンガーにはない要素がすでに現れている。いや、そのマジンガーですら続編「グレートマジンガー」では人間だったドクター・ヘルに代わって不定形のミケーネ闇の帝王になってるのだ。おそるべし、ガッチャマンパターン。
完璧なる「ガッチャマンパターン」を継承した巨大ロボットアニメは東映+サンライズの「超電磁ロボ コン・バトラーV」(76年)まで待たねばならない。「コンV」は後の作品に新たな影響を多々与えることになるが、これももしかしたらガッチャマンパターンの安定度の御利益かもしれない。そして、特撮でもガッチャマンパターンの「秘密戦隊ゴレンジャー」(75年)が始まる。戦隊シリーズのカラフルな5人の集団ヒーロー。石ノ森原作なのに9人でなく5人である点は、ギャラの兼ね合いもあるのだろうが、要チェックだ。戦隊シリーズは、やがて巨大ロボットを取り入れるようになるが、これもアニメからのフィードバックと見て間違いないだろう。
◆0テスター登場◆
この時期、もう一作「巨大ロボットの出ない巨大ロボットアニメ」がある。それは「0テスター」(74年)だ。アニメ制作にあたったのは、東北新社の子会社・創映社サンライズスタジオ。現在のサンライズの母体だ。つまり、後にロボットアニメの覇者となるサンライズの出発点とも言える作品というわけだ。
生命維持度ゼロの限界に挑戦するテストパイロット、それが「0テスター」の名前の由来である。実際には3人の主人公たちが知恵とSF的な武器でアーマノイド星人の侵略から地球を守るという、やはりヒーローものを意識したメインプロットだった。主役メカは、テスター1号から4号。1号機は3体に合体分離可能である。
この作品は「ガッチャマンパターン」を感じるものの、どこか中途半端だ。中には「少年ロボット ユウキの秘密」のような傑作も生まれたが、どちらかというと「アストロガンガー」のように60年代のSFアニメの尻尾を残したような作風だった。
つい先日ビデオソフト化された最終回。後にサンライズのロボットアニメをリードする富野由悠季(当時は喜幸)演出によるものだが、とにかく凄いインパクトだ。アーマノイドの本星が地球に直接乗り込んでくる。彼らは科学が進歩しすぎて脳髄だけとなった生命体で、地球人の肉体を欲していたのだ。地上に爆弾がふりそそぎ、人類は危機に陥る。0テスターたちは地球を死守するため、極秘裏に地球上の核爆弾ずべてを月面に配置し、テスター一号機のシグマゼロビームでいっせいに爆破。その衝撃で月をアーマノイド本星にぶつけて破壊する。ここまでは、どっかで聞いたような話だが、良しとしよう。しかし、ラストのメインキャラたちの会話で、突然この作品はトンデモになるのである。
「あのお月さんは大丈夫ですか?」「軌道が少し遠くなったが、まぁ大丈夫だろう」(一同笑)。
「大丈夫じゃないわいっ!」とみんなツッコミを入れること請け合いである。「ぶつけておいて何を言う!」という富野ゼリフでも可。
◆0テスターの新機軸◆
「0テスター」ではメカアニメの後の方向性を生み出すいくつかの新要素が生まれている。まず「0テスター」の企画は「サンダーバード」の日本代理店である東北新社がサンダーバード的メカブームの再来を起こそうとして立てられたものだ。
「マジンガーZ」はマンガ家・永井豪がデザインした。「ガッチャマン」のゴッドフェニックスはアニメ美術の中村光毅のデザインだ。ゴッドフェニックスは実際には合体というよりは各メカを収容しているだけである。「0テスター」テスター1号機のデザインは、スポンサーサイドからの意見が取り入れられ、画面どおり合体できることを考慮した最初のものではないだろうか。
デザインの実務を行ったデザイナー集団クリスタル・アート・スタジオは、後にスタジオぬえとなる。「宇宙戦艦ヤマト」で松本零士メカを見事な設定資料に仕立て上げていたのとほぼ同時期のことだ。SFデザインを専門に手がけるスタッフによるものという点も、この作品の大きな特長だろう。
サンライズのスタッフはもともと虫プロ系で、「ヤマト」も虫プロスタッフが中核になっている関係で、「0テスター」と「ヤマト」の間には共通点も多い。しかし、その後のたどった道は大きく分かれている。
パターンを抑制した「ヤマト」は視聴率的に苦戦し、一度は敗退するものの、後に劇場版でヒットし、アニメブームを巻き起こす。
「0テスター」は放映途中で何度か路線変更になりながらも1年続いた。おそらくスポンサーサイドのテコ入れだろう。サンダーバード秘密基地のような「人工島」が登場したり、「0テスター地球を守れ!」と改題されたり、ガロス7人衆という巨大な敵サイボーグが続々と攻めてきたり、ゼロボットという四足歩行メカが登場したり。そんな展開の多い作品だ。それだけ作品全体の印象もふらついている。
放映終了後は、同じ代理店・スポンサー・制作会社で、マジンガー以後、東映動画以外では初の巨大ロボットとなる「勇者ライディーン」が作られた。これが大ヒットしてアニメファンの支持も受け、今に続く「ロボットもののサンライズ」の地位を固めることになる。「サンダーバード」の血を直系でひく作品「0テスター」は、アニメのメカとしては画期的な工夫があったが、それだけではヒーロー性に乏しく、「ライディーン」という巨大ロボットアニメに変容を余儀なくされた。それが結果的にはこのジャンルの存続につながったということである。
歴史に「もし」は禁物だが、「0テスター」が大ヒットしていれば、巨大ロボットアニメの代わりに「合体メカアニメ」というジャンルができていたのだろうか。いや、そうではないだろう。そのジャンルは「巨大ロボットアニメ」の部分集合で作れるからだ。それだけ様々な要素を加えて強靭になったジャンルだということなのだ。
◆最後に……◆
恐竜が進化するにつれて環境の変化に追従できず、滅亡に瀕し、鳥類へと進化することで新たな覇権を得たという学説がある。
巨大ロボットアニメとは怪獣もの変身ものメカものなど特撮作品が世代がわりするときに生んだ新しい進化の形態で、様々な「受け」の要素を複合したジャンルである。環境の変化に応じて、その時代時代で特撮・アニメのどちらが主流が決まるように見えるが、それは表層的な錯覚だ。作品は単独では成立し得ず、アニメ・特撮と互いに二重螺旋を描くように影響を与えあって進化するもので、根は同じものなのだ。
「ガッチャマン」はビジュアルエフェクトの進歩という新しい翼を得て、特撮作品の王道要素の骨格を継承した巨大ロボットアニメの先駆けだ。さらに「マジンガーZ」の要素と合体した「ゲッターロボ」で巨大ロボットアニメの基本フォーマトは完成する。
「サンダーバード」や60年代SFアニメ感覚を引きずっていた「0テスター」は、進化の主流とはなれなかったが、「ライディーン」で巨大ロボットものとして再生し、新たな流れの源を作った。
同じメカものであっても松本零士なる新鮮なビジュアルイメージクリエイターを得た「宇宙戦艦ヤマト」は、青年層にも見ごたえのある世界観と設定という点で、新しい観客を開拓し、さらに新たな種となった。「ヤマト」の血を得て、巨大ロボットアニメが「機動戦士ガンダム」というさらなる進化にいたるには、「ライディーン」以降の富野・長浜両監督の活躍があるのだが、それはまた別の話である。
「マジンガーZ」が巨大ロボットアニメの礎であることには異論を唱えるものではないが、我々の考える「巨大ロボットアニメらしさ」の真の潮流に一歩でも迫れたのなら、これに優る喜びはない。
【初出:動画王(キネマ旬報社)第1号 1996年11月脱稿】
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