2001年 10月17日 水曜日

三日月


 『アフガニスタンの星を見上げて』(フルグラ・コヒィ 小学館 1989)を読んだ。ソ連軍のアフガニスタン侵攻時代の話である。旧政府の役人をしていたフルグラの父親は日本に留学していたが、ソ連軍侵攻という政変によって帰国できなくなってしまった。フルグラは12歳になった。14歳になると政府軍に徴兵 される。それがいやなら、ゲリラ隊「ムジャヒディン」の戦士にならなければならない。どちらにしても命がけだ。「どうせ戦争で死ぬのなら、その前に一度日本にいるお父さんに会おう」とアフガニスタン脱出を決心する。1987年1月に故国を脱出、艱難辛苦の足取りの果てに翌年2月に無事日本に到着して父親に再会する。その決死行の記録である。現在18歳、今も日本に暮らしているのではないかと思うが確かめていない。

 この本の中で拾った印象深い挿話。

四季
ぶどうの恋人
財産の一割
三日月

四季

 
 

 マイマナ地方(フルグラの故郷、アフガニスタン西北部でソ連国境に近い)の四季は日本のようにはっきりしていて、春になると色あざやかな花が咲き乱れる。僕の家の庭にも、ばら、カーネーション、ゆりなどの草花がたくさん咲き、よく妹と庭の花を摘んでは、部屋に飾ったり髪飾りにして遊んだ。夏はとても暑く、昼間の気温は三十二、三度にも上昇する。冬は厳しい。マイマナ地方でも積雪は五十センチぐらいになり、寒いときは氷点下二十度になることもある。

 

昨今のニュース報道でみるアフガニスタンの印象とはかなり隔たっている。

ぶどうの恋人

 
 

ブドウ畑の中にはチュウーリップ畑があり"チューリップはぶどうの恋人"と昔からいわれるほど、それが咲き出すと、澄みきった青空のしたでは、まるで巨大なペルシア絨毯のように美しかった。 

 

このぶどうはワインではなくて、主に乾しぶどうやジャムにして保存されるらしい。チューリップが咲く頃は美しいだろうなあ。

財産の一割

 
 

"ラマザーン"という1ヶ月にわたる断食習慣がある。このときは"ザカート"といって、土地以外の財産の一割にあたる金額の布地を、恵まれない人々に配るという宗教上の教えもあった。 

 

 私の場合、土地以外の財産の一割というといくらぐらいになるのだろうか。

三日月

 
 

月と言えば、アフガニスタンでは

  • 満月には「完成」
  • 新月には「達成」
  • 三日月には「希望」というような意味がこもっていて、家族がはなればなれのときは、三日月の月に向かってお祈りする習慣があった。
 

 

イスラム諸国の国旗には「三日月」がよく描かれている。「希望」のシンボルなのであろう。

  

 


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