絵と漫画と仕事とかの雑記

ほとんどの場合、ブログを書いた日付ではなくて記事の出来事の日付です。実際は記事を公開しても問題ない時期になってからの後日記です。
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Written By 中村珍
好きな本は電話帳
http://ching.tv
ちn

 
電話済んだ(単行本のこと。)
関連記事:「羣青」連載終了に関する記事の一覧

写真は電話で先方に聞きたいことを書いたメモ。

担当さんとの電話終わった。単行本の話。すっごい長いから
多分私か羣青かどっちか大好きな人とか、同業者の人とか
じゃないと読む気が起きないかも知れないけど、
私もう、色々憶測で話されるのは嫌だし、正直に書くから
何でまだ単行本出てないかとか、いつ連載再開するかとか。
(過去の仕事関係の記事では書ける範囲のことだけを書いている。
様々な事情があるので多少の相違点には目を瞑って欲しい。)
今までここで私が「単行本発売のタイミングは決まっている」
って言ってたのは本当。『連載終了後に全巻同時発売』って
昨年の頭から編集部に言われてた。

昨年上半期当時、担当編集氏は「厚めの1冊で完結させたい」
編集長は「上下巻とかで。ナンバリングはしない」と話していた。
私は正直、そんな分厚いものになるまで原稿を溜めて待つよりも、
「200ページ溜まった時点でさっさと出してくれればいいのに…」
と思っていた。売る企業側の事情はともかく、そう思っていた。
(実績無しの新人にとって単行本は一刻も早く、物凄く欲しい。)

羣青は第5話でちょうど200ページ溜まっている。
今後、編集部が方針を変えてナンバリング(普通の厚さで
1巻、2巻、3巻と出す方法)で出してくれる気になった場合の
ことを考えて、5話目の最後は単行本1巻目を意識した、
1冊の巻末に堪え得るネームで終わりにしてある。

がしかし、昨年頭から時々打診はしてみているものの、
ナンバリングした単行本を連載中に発行することに関して
真剣に検討して貰えた事はなく、話は全て、その場で流れている。
雑談のような軽いものとして受け流されていたとも思えるので、
先方が打診と捉えてくれたか否かからして、判らない。

最初に打診した折には、
「単行本は基本的に担当編集者が"出す"と決めれば出るが
羣青の場合はそういう出し方をしないことが決まっているので
連載終了後です」という返事を貰っている。
(これに関して、私は決まっていたものだと思っていたのだが、
最近になってそういった経緯があったことを上層部に伝えた折に、
「決まっていたわけではないんだから、絶対だと思われては困る」
との返事を貰った。驚いた。)


その後も、タイミングを計っては打診をしてみたが
(それを打診と捉えていたかどうかはやはり判らないが)
「羣青は薄いナンバリングの単行本で出すべきストーリーではない」
という理由で幾度か断られている。

仰ること(ストーリーの性質上小分けすべきではないという理由)は
尤もであって、私もまたその意味を理解していたと思う。
とは言え、現実的に経済が苦しかった。人件費どころか生活費が無い。
当時の私は特に、漫画のクオリティよりも自分の生活のほうが
心配だったので、幾度も話を振ってみたのだった。
(今年になってからは「今更上巻だけ出しても無意味ですよね」と
いうようなことを言われたが、何がどう無意味なのかは解らない。)
売れなければ意味のない単行本でも、ないよりは絶対にあるほうがいい。

こんな遣り取りを繰り返しながら、そのうち私は、
ナンバリングで薄い単行本を数冊…という選択肢を諦めることにした。
いずれにせよ、薄い単行本が出ないなら出ないで、
連載終了まで現場を維持する資金を工面する覚悟も必要だったし、
厚い本の読み応えを保証できるだけのネームを構成する力も
必要だった。そのために考え方を切り替える必要もあった。
無駄な期待は捨てて、単行本になった時に後悔しないように、
厚い一冊のクオリティを最優先に考えて話を展開するように努めた。

2冊の薄い単行本をなんとなく1冊に纏めただけの厚い本などは
絶対に出すべきではないと思った。厚い一冊として出すからには
厚い一冊にならなければいけない理由が必要不可欠であると思うし、
理由というのは即ち物語、ネームであるから、理由を確かなものに
するためには、構成の方法を変えなければいけないと思った。

以来、『1巻、2巻…』という体裁で出す
薄い単行本を意識した細かいネームの切り方を一切やめて、
分厚い単行本に纏めた時の読み味を最重要視して話を作るようにした。
ここで私は羣青を、厚い単行本で読むための漫画に変えた。


ところで昨年夏、
私が羣青の休載中に他誌で読切を載せたことで
編集部からも羣青の読者諸氏からも、だいぶお叱りを頂いた。

読切を描いていたからモーニング2を休載したのではなく、
読切制作の後に休載が決まったことはお伝えしておきたい。
イラストの仕事もたびたび請けている。最近で言うと、今回の
『劇団、本谷有希子』さんの件(羣青の休載期間に全部被った)、
それから毎月ある挿絵の仕事。別名義の仕事や
ノンクレジットの仕事もスケジュールが合えば描いている。

こうしたことに関して度々
「本業をおろそかにしてイラストばかり」又は「他社の読切を…」
と、言われてしまうことがある。
「イラスト業や他社の読切が"本業の連載"を邪魔している」と。

だけどこの、人が『中村珍の本業』と呼ぶこの連載に
私は未だかつて食わせてもらったことがない。
今やっている連載で黒字が出たのは15回の掲載うち、たった3回。

第2話が30,945円の黒字。
第3話が50,890円の黒字。
第9話で2,970円の黒字。

これが全て私の"本業による月収"である。
但し、2〜3話目当時は隔月連載であったので
厳密に言うと、2007年8〜9月の月収が15,472円5銭。
2007年10〜11月の月収が25,225円であった。
2年間の黒字総額は84,805円。
私の、この連載による平均年収は4万2402円5銭だ。

但し、この黒字額を算出した経費に、家賃は
含まれて居ないので、家賃(年間36万円)を引いてしまうと
何も残らない。

平均月収が3533円。家賃の目安は月収の1/3らしいので、
本来私は月々1200円弱の賃貸物件を探さないといけない。
木造建築に住みたいが、この予算だと厚紙建築だろうか。


他誌の読切(掲載当時は、羣青より数千円原稿料が高かった)
が無ければ、翌月の生活費は借りてこなければならなかったし、
そこで稼がなければ羣青はもう一ヶ月休まないといけなかった。

ちょうど休載続きの時期だったから散々言われてしまった
本谷さんの件も、イラストの仕事だから人件費が一切掛からない。
貰ったお金はそのまま残るのだから、連載に比べて大黒字だ。
(イラストは私一人が描けば済むので、人件費が掛からない。)
本谷さんに声を掛けて貰えたから助かったけれど、その時の
ンンン万円がなかったら、私の本業と呼ばれている「羣青」の
第13話の6月掲載は絶対に叶わなかった。

一回こうした悪循環が始まると、羣青の制作費や私生活費を
別の場所で稼ぎ出す時間が絶対に必要になる。
(私の場合は連載開始当初からいきなり原稿料の支払いを
忘れられてしまったり、大幅にさばよんだ〆切を真に受けて、
間に合わせるために1話目からアシスタントを数名
雇ってしまったので、そのための人件費や交通費、設備投資が
避けられず、連載開始早々既に他でお金を稼いで来ないと
やっていかれない状態にあった。)
そういう暮らしをしていると、私が羣青に割ける時間は減る。
結局それでまた人手が必要になる。赤字が出る。赤字を埋める
ために他所で働く。羣青に割ける時間が減る。人を雇う。
お金が減る。生活費が必要になる。働く。時間が減る。
合間に羣青を描く。背景を人に任せる。赤字が出る。また働く。
わけがわからなくなる。単行本をヒットさせる以外の方法で、
この悪循環からどう抜け出せばいいのか、もう分からない。

私にとっての漫画の仕事っていうのは
(羣青に限らず私が描くすべての漫画の仕事。)、
暮らしていくための仕事ではなくて、
漫画家であり続けるためにやっているだけの仕事。
漫画家でいるために漫画家でいるだけ。
お金を稼ぐために漫画家でいることは出来ていない。
(だったら辞めればいいのに、意地が邪魔する。)

羣青の制作費は羣青の原稿料では絶対に足りない。
私の生活費や小遣いも他社の仕事でどうにかしているし、
それでも足りない分は、割の良いアルバイトをしたり、
講談社の連載作家である素性を隠して、在宅のデジアシや、
他の漫画家さんの現場でアシスタントをしている時もある。
デビューするためのノウハウ、良い漫画とは何かという話、
漫画家になるのがいかに大変かという話を延々聞かされる。
連載経験のない新人作家さんのアシスタントに行った時は
「デビューしてからが大変だけど頑張ってね」と言われた。

会社までの交通費が足りないからアルバイトを始める
サラリーマンが居るだろうか。
お店の食材が足りないからと言って、
家から牛肉を持ち寄る吉野家のパートが居るだろうか…。


ここまで想像してくれる人は少ないと思うが、
制作費(その大部分が人件費と呼ばれる)が足りずに休載する月は、
羣青のスタッフが1ヶ月分の職を失うことになった。
私の懐の事情だけで急に「今月は休みです」となるので、
スタッフたちは他の仕事を探す。ある者は他の漫画家の現場に。
ある者はアルバイトに。兼業スタッフばかりであるとは言え、
スタッフの暮らしの予算の中に中村の現場で稼げるであろう金額は
計上されている。その数万円が突如無くなるのだ。
スタッフにはスタッフの生活がある。
私は今までそれを保障してこなかったし、保障できなかった。
休載の一ヶ月、他の現場やアルバイトでお金を稼いだスタッフは
次の月、また私の事情で「今月は多めに入って」などと、
無茶を言われる。いくらなんでも可哀相だと思っていたけれど、
そうでもしないと現場を回せなかったので、無神経なふりを貫いて
現場を回してきた。知らないふりをする以外、遣り過し様が無い。

今年上半期までの羣青の制作チーム(私を含む)は
羣青を続けるために(或いは羣青の現場に入るために)
それぞれ羣青の原稿料が出どころではないお金を使って暮らしてきた。
私の現場の賃金が安い為(スタッフが稼ぎたい額を稼げる訳ではない)
アシスタント業の傍らで、アルバイトを始めるスタッフまで居た。
私は、"仕事"というのは、一人の人間が社会人として
自立して暮らしていくために行う行為だと思っていたのだが、
漫画業界(の一部)においてはそうではない。

打ち合わせの最中にも給与が発生している編集者と
一銭も出ない打ち合わせを何度も何度も真剣にする。
安定収入を得ている編集者に「二人三脚で一緒に作りましょう」
と口説かれ、失敗すると、作家の暮らしだけ崩壊する上級賭博。
生活の保障はされないが、原稿を保証をする必要がある。
社会人クラスの責任を問われながら、
社会人以下の生活を強いられる。
たった一晩の食事が数万円という接待を受けつつ、
ひとたび接待が終われば時給300円以下の日常を送る。
富裕層と貧困層の生活をいっぺんに味わえるし、
借金に震える生活と、従業員を雇用して社長気分も同時進行。
これ程スリリングな体験が出来る職業を私は他に知らない。


「編集部だけが悪い!」…などとは思っていない。
予定していたよりも連載期間が延びたのは事実だ。
さっきの電話でも担当氏から
「ここまで延びると思ってませんでしたからね!」
と言われた。ご尤もだと思う。
連載開始前に、担当氏は「この漫画で人気を取るのは
難しいから3話ぐらいで終わるでしょう」と言っていたし、
連載開始当初も、「もし人気が出たら5話くらい
続けられそうですね」と言っていたから、連載開始当初の
予定よりは3〜5倍の期間、連載が続いていることになる。
連載が続くような空気になって以降は、昨年一杯で
最終回にしようと(私が個人的に)思っていたが、
結局私がそれを覆してしまった。

漫画というのは、定期的に来る健康な即戦力スタッフと、
それを保つ資金があれば(且つ漫画家の心身が健康であれば)、
よほど無理な量の仕事を同時に引き受けない限り、
それなりの数描けるものだが、毎月必ず人が揃うとは限らない。
前もって来れないことが分かっていれば代わりを探すが、
(とは言え私は地方在住なので、首都圏でさえアシスタントが
不足している昨今、簡単に即戦力スタッフは見つからないが…)
勤務開始の直前にキャンセルされてしまうとそうもいかない。
前もって探したところで、必ず描ける人が見つかる保証も無い。

レギュラースタッフ(毎月必ず作家の望む日数、現場に入って
仕事をこなす、社員のようなスタッフのこと。)の雇用条件は
『スタッフの暮らしを作家が保障する』というのが大前提なので、
そんな贅沢なスタッフは、私には雇えなかった。


スタッフが雇えないと、大きいページ数の話を消化できない。
『大きいページを掲載できれば、あと○話で終わらせられる』
という展開でも、その時期の現場のキャパが小さかった場合には、
小さいページしか描くことができない。
そうなると、ページ数の変更が生じる。
「大きいページ数の話を小分けすれば?」と思う人が
居るかもしれないが、1話のページ数が大きいものには
大きいなりの理由があって、小分けできないから大きいのだ。
二時間近くのアニメ映画のストーリーが、
毎週放映される30分のテレビアニメとしてではなく
映画として撮られるからには、やっぱり理由がある。

「大きいページ数を消化できない」という事態に直面した時、
漫画家や原作者には選択肢が3つぐらいある。と思う。
("ぐらい"…としたのは私の知り得る選択肢が3つだからだ。)


ひとつめ。
大きいページ数を、エピソードやストーリーを
一切変えずに小分けして描く方法。
これは例えば1時間半のアニメ映画を、
展開を考えずに30分ずつぶった切って、全3回に分けたものを
想像して貰えれば、あまり良くない方法であることが
ご理解頂けるのでは…と思う。
本来、1時間半で『1つの話』であるから、
起承転結であったり、伏線やクライマックスも、
30分ごとに訪れるわけではない。
それらはすべて1時間半の中の、所々に配置されている。
無神経にぶった切ってしまうと、最初の30分などは
特に何が起きるでもなく終わるかも知れない。

1話あたり90頁のストーリー漫画に例えてみる。
クライマックスが60ページ頃からだとすると、
無造作な三話に分けたとき、1ヶ月目と2ヶ月目に掲載される
30ページずつ(計60ページ)は特に何も起きず、
伏線や、新しいキャラクターが居れば人物紹介だけで終わる。
『第○話はこういうストーリー』という紹介もしにくく、
計算された山や谷は無い、何もない話になってしまう。
その挙句、3ヶ月目に掲載されるストーリーは、
冒頭から突然クライマックスシーンが始まることになる。
クライマックスに至るまでにスムーズに読者の気持ちを
昂ぶらせてクライマックスシーンを読ませることは難しい。
というかこれではクライがマックスにはならない。

私は今まで、この方法を使ったことは無いが、
これに近い方法を使ったことがある。
(後述する三つ目の方法とも似ている。)
60頁程度の話を一度に描けなかったので、4つに分けた後、
(まさか適当に分けた15頁を4回載せる訳にはいかない為)
小分けした話に改めて肉付けをして、各話に山場を作って、
30〜40頁の4話構成に変えて掲載した。

羣青第6話〜第9話がそれに当たる。
本来6話から9話は、第六話として一話で完結する構成だったが、
60頁を超える原稿を期間中に仕上げることが現実的でなかったので、
(二等分しにくい内容であった為)β版の第六話を4分割し、
第6話〜第9話の基礎とした。結果的に第六話のストーリーを
一回、一ヶ月だけで片付けることが出来ず、
ホテルに入ってから出るまでのクダリだけで、計3ヶ月分
連載期間を延ばしたことになる。


ふたつめ。
ストーリーやエピソードを変えずにページ数を短くする方法。
この方法は、表面上のあらすじは変わらないが、
ストーリーダイジェストになるので人物の細かい心の動きや、
ストーリーの進行には然程関係ないが、あったらおもしろくなる
要素(登場人物の癖や私生活が垣間見えるようなマニアック描写)
は一切排除される。絵で説明し切れない場合は
「それから私たちは…」「あれから○日…」等のモノローグで
説明を済ませる。読切では時々やる方法だが、
あまり使いたい打開策ではないので、連載に用いることは無い。

どうしても38ページにしなければならない回のネームが
40ページになってしまった時などは、苦肉の策で用いる。
客観的に見て作者の自己満足でページが増えてしまった場合の
頁数を削減する方法として用いるには、悪くない方法だと思う。
時々自分でも使うし、編集部側に使われることもある。
60ページを40ページに縮めるために使うと、残念な事になる手段。


みっつめ。
読後感は変えず、ストーリーの進行自体を変更する方法。
この方法で最重要視するのは、元々やりたかったほうのネームの
読後感を守ること。
ページ数の大きい、元々やりたかったネームを破棄して、
新たに小さいページ数のネームを起こす。最終的には、
小さいページ数のネームを数本繋ぎながら当初やろうとしていた
大きいページ数のネームと同じ読後感を読者に持たせることを
目的としている。
一つ目の方法との決定的な違いは、ページ数が大きかった当時の
ストーリーを基礎としないこと。この方法では予定していた
ストーリーを一旦無かったことにして、当初予定していた
ストーリーの読後感だけに気を遣う。読後感に気を遣う理由は、
その次に続くストーリーを読む前に必ず、今回のストーリー
(ページ数が大きいほうのネーム)の読後感が必要であるから。
キャラクターの感情は変えずに、起きる事件、出来事を変える。
(ストーリー自体を変えることにより、
一話完結で手短に済む短いネームが切れれば勿論そうするけれど、
最初からその選択肢がある場合は、端からそちらを選ぶので、
「大きいページは描けないし…」という事態には陥らない。)

この方法は一つ目の最後に挙げた羣青第6〜9話の例と似ている。
(あの例は一つ目の方法と、三つ目の方法の中間にあたる。)
第六話β版のネームを基礎にせず、新たに起こした
小さなページ数のネームを数本積み重ねて、当初辿り着きたかった
(第六話β版の)読後感に読者を連れて行く方法が、これに当たる。

乗り換え無しの新幹線で行きたいけど高い。
だからまったく別の場所を走っているローカル線を乗り継いで
同じ場所に辿り着くようにする方法。…とでも言えば良いか。
自分は今、沖縄に居る。この後一旦、北海道に渡ってから、
北海道からではないと行かれないどこかに行こうとしている。
とする。本当の意味での目的地(これを最終回と呼べる)が、
北海道からでないと行かれない場所であった場合には、私達は
何が何でも一度、北海道に辿り着かなければいけない。
北海道に辿り着いた時の感覚が漫画で言う読後感である。

沖縄発の飛行機に乗って一回の移動で北海道まで行きたいが、
そんな資金はないから、まずは沖縄から九州に渡る。九州の、
博多でお金を貯めて、博多から大阪まで頑張って、大阪で働いて、
大阪から東京まで行って、東京で働いてまたお金を貯めて、
仙台まで行って、仙台でまたお金を貯めて、やっと北海道へ。
北海道に辿り着きさえすれば、この後の行動は、飛行機で
沖縄―北海道をひとっ飛びしたケースと全く同じで構わない。
同じどころか、博多の景色、大阪の景色、東京で出会った人々、
仙台での思い出、それらもすべて新たに手に入れた上で、
真の目的地に辿り着ける可能性まである。
この手段を選ぶこともあるが、この手段を選んでも、
同じ読後感に辿り着くまでにはやはり連載期間が伸びる。


…これら3つのうち、どの手段も選べない場合には、
もう読後感や予定していた展開を諦めるか、一ヶ月休んで
大きなページを描かせて貰うか何かするしかないと思う。
羣青第11話目などは、小分けのしようもなく(分けると
雨の中を歩くだけの、何も起きない回が出てしまう。)、
かと言って、新しいキャラクターを登場させる良い手段が
他に見つからず、結局ああした長い一回になってしまった。



必要人数のスタッフが揃わない等の理由で、尚且つ
休載は出来ず、大きなページに臨めない…という場合には
上記した手段のうち(併せ技の場合も含めて)いずれかの
手段を選ぶことになる。
(又は、本編を休んで、ページ数の短い番外編で
間を繋いだこともあるが、結局ページ数が短すぎると
コストパフォーマンスが物凄く悪いことが分かった。)

但し、これらの手段を毎度毎度身勝手に選べる訳ではない。
編集側に、「単純に小分けすべきか、いっそページだけ削るか」
「それとも読み応えのある小さいエピソードに変更すべきか」
最低限の確認は取ったほうがいい。
確認を取らずに載せた後で、「あんたが勝手に延ばした」等と
言われたら嫌なので、私はそのためだけに確認を取るようにした。
確認を取っていても「延びることを知らなかった」等と
言われるのだから、やっぱり取っておくべきだと思う。

こうして、羣青は「全○話」のうちの、"○"の部分が
少しずつ増えていってしまった。連載が延びた理由の1つである。

それからもう一つ、あまり大きい声で話したい事ではないが
連載を延ばした、延ばさざるを得なかった理由がある。
実のところ羣青は、数話分の原稿料を前借りして制作されている。
「今回と次回の制作費が足りない…!」「今月の人件費が無い!」
「でも今月は他の仕事や別件の入金がない…!」という場合、
(現場に慣れたアシスタントが1人、風邪で休んだだけで、
その穴埋めに数万円〜十数万円かかったりすることもある。)
何が何でも目先の1〜2回をやり過ごすだけのお金を作るしかない。
正直な話、その場限りであろうと何であろうと、
編成に羣青が入ってしまっている限り、とにかく今回。
もう来月私が死のうと再来月スタッフが解散になろうと、
なんでもいいから目先の〆切に必要な原稿を仕上げるしかない。

(目先の原稿を消化しようとした結果こうなってしまったので、
「こうなる前になんとかできなかったか」と問われるかも知れないが
目先より先の、将来のことばかりを考えて安全策を講じたら、
それはそれでまた別の要求をされたであろうから、どちらを選んでも
編集部側と私の関係に差は生じなかったに違いないと思う。)

最終話までの原稿料を借り切ってしまった場合には、
もうお金の宛てが無くなる。そうなったら延ばすしか手段が無い。
一回分延びれば一回分借りられるから延ばす。ヘルプスタッフを
多く入れてしまった時期は特にどうしようもないので、
この手段を幾度か取る。闇雲に延ばすことは出来ないけれど、
描くべくして描いたと思って貰えるネームであれば載る。
そこで終わるよりも続けたほうが面白くなる展開ならば、
(多分、)載せてもらえる。それに賭けて延ばしてきた。

物語の進行上の理由、それから現場の進行上の理由。
両方が相俟って、羣青は結局、昨年一杯で終わらなかった。
単行本が出ない以上、そして他で働く時間に限界がある以上、
その月の原稿その月の原稿に対峙していた私は、
もうこうするしかなかったし、他の手段も持っていなかった。
それが絶対にしてはいけないことだと言われてしまったら、
印税も無い、何も無い。お金を貸してくれる身内も居ない。
「バイトをして貯金してくるので待ってください」としか
私は言えない。どうしようもない時はどうしようもない。
開き直るようで悪いけれど、どうにかできないときは
どうしようもないし、どうしようもないときに
どうにかしますとも言えない。

漫画は紙とペンがあれば描ける、と言い切る人は、
背景ないし人物でデフォルメを極めた漫画家か、
面倒くさいから嘘をついている編集者か、
漫画を描いたことが無い人だと、私は思っている。
漫画は(作風によって)、人海戦術で描くものであり、
人海戦術とは金で繰り広げるものだと思う。
人望が必要になるのは、まだその先だ。


そこそこ描き込む作風の漫画の制作費を原稿料だけで
賄えるわけがない現実は編集部も分かっているだろうし、
単行本を出して貰ってはいないから、穴が埋まっていないことも
当然承知の上と思うけれど、それでもやはり、雇われて、
毎月きちんとお金を貰うという行為しか経験が無い人
(要するに自ら人を雇用して、賃金を支払って人を生かすという
経験の無い人)には、現場を想像できないのかも知れない。
私は来月も多分来年も生きていなければならないし、
私のスタッフも、(決して裕福な家の生まれではないから、)
親の面倒を見る将来と自分の人生に、今後どんどん直面していく。
極端な話、私達は誰一人、漫画なんて描いている場合じゃない。
漫画を辞めれば生きていける。(形振り構わず辞める勇気が無い
他でもない私が、私の生活に於ける諸悪の根源だとは思っている。)



…ところで作風やクオリティと言えば、
私は今まで担当編集氏に、作画クオリティに関する相談を
幾度かしている。

今やっているみたいに、生真面目に背景を描き、
貼れる限りトーンを貼り、重ね、削り…
綿密な取材を行い、資料を揃え、それらの時間を消費し…
こんなことを続けていたら、常勤スタッフは(良い事だけれど)
どんどん上手くなっていく。上手くなったら昇給させる。
スタッフが上手くなることも、昇給も、
私個人の気持ちの上では大歓迎だが、スタッフの昇給に
私の原稿の昇給が追いつかないと現場は持たない。

(そして私の現場より好条件な現場を見つけた場合、
そちらに移っていくスタッフが出てしまうのは仕方がない。
しかし人手が減ってしまうと私はやっていかれない。
減らさないためには、実力相応の賃金を払う必要がある。)

写真を貼り付ける作風に変えるか。少し雑な画面にするか。
トーンを貼り込むのを辞めて、いっそ真っ白い画面にするか。
(夜のシーンを全部昼間に変えれば漫画の雰囲気は壊れるが、
トーンを貼らなくて済むので作業量も人件費も半減する。)
というかそもそも、そんな風になっちゃっていいのか。
自分の名義で出す漫画のクオリティが落ちるのは不本意だけれど、
赤字で死ぬわけにはいかないので、不本意ながらも、聞くのだ。

いずれにせよ、今の作画を続けていたら制作費が足りないし
コンスタントに毎月載せることは出来ない。
かと言って私は漫画家という立場の人間である以上積極的に
クオリティを落とすという姿勢を貫くことはできないので、
あとは(どこまで落としていいのかは、)編集部の意向次第だと
思っている。(し、クオリティを現場の独断で下げるのは
漫画家にとってリスキーなことでもある。編集部が高画質を
切望していた場合には、それは充分、自殺行為になり得る。)

早い話、
(私のような主張の激しい人間であっても)編集部は怖いのだ。
出版社は恐いのだ。実績のない新人時代は特に、
読者の顔色以前に編集部の顔色を窺って、
上手に言う事を聞かないと掲載すら叶わないし、
読者諸氏が思う以上に、編集部は強大な壁なのだ。
担当編集者一人が相手でも、編集部全体が相手でも、
(誰に担当されるかという部分や属する編集部にもよる為
壁が思ったより薄かったり低かったりする場合もあるが…)
結局、漫画家個人が対峙する敵は大きいのだ。

編集部が「こうだ」と言ったら、
(それがネームに対する、よほど頓珍漢な指示であれば
何が何でも捻じ伏せにかかるが、それ以外の面では)
可能な限り編集部の意向を受け止める方向で考えるほか無い。
(ように思えているだけの場合もあるし、実際無い場合もある。
いずれにせよ活路を見出すためには強靭な精神力が必要である。)


作画と連載期間、制作資金面での話しをした際に、
編集側は「クオリティを落とされては困る」と言った。
(私はこれを編集部の総意と捉えた為、後々悲しい事になる。)

クオリティが落ちたら編集部が困るのだから、
クオリティを落として編集部を困らせた私はもっともっと
困る事態になるに違いない、と思った。
結局、連載が終わるまで、クオリティと現場を守って、
乗り切るほかないのだろう、と思い、腹だけは括ってみた。

腹をグイグイきつく括って、口から金でも吐ければいいが
人間そう上手くはできていないので、時間が経つにつれて
腹を括ったつもりが首を括ったような状態になってきた。



そうこうしているうちに、現場で色々あって
実は私、プロ作家の証明とも言える『〆切』というものを
この春、なくしている。

(…ちなみに年明けから育てていた新人は、この前バックレた。
本番の原稿に触れる実力がまだ全然無い子だったから
何にも使わない絵をただただ練習のために描いて貰って、
交通費もお給料も滞りなくその場の手渡しで支払ったけれど、
なんだか結果的に生徒にお金払って習い事をして貰ったみたいに
なって終わった。けれどこれはよくあることなので仕方無い。)

不測の事態が続いた結果、編集部側から(当然だけど)
「今後こういうことがあっては非常に困る」と言われて、
"印刷の〆切までには今月分の原稿が仕上がるだろう"
と思われる人数のスタッフが仮に揃っていても、
ネームが早くに仕上がっていても、準備に早く取り掛かれても、
今までみたいに「次も載る」「載るから原稿をこれからやる」
ということが一切無くなった。毎月載せてもらえるという
月刊連載の約束が無くなって、この措置について私は、ここで
発表をしていなかったから読者諸氏は勿論知らなかっただろうし、
毎月待っていたかも知れないし、月刊連載が休載していると
思っていたのだと思うけど、実は私はもう、事実上
モーニング・ツーの月刊連載作家の扱いではなくなっている。

今年4月以降の掲載条件は
『載せる原稿が仕上がった段階になるまで編成には入れない』
『羣青は原稿が仕上がるまで掲載の約束はしない』というもので、
(編成っていうのは、つまり「○号には何が載る」みたいな事。)
勿論私には作者としての責任があるから、抗う理由は無いし、
この措置に関しても決して厳しい措置だとは思ってないけれど、
だからと言って、一人の漫画家として、思うところがないわけでは
ない。でも、だからと言って、最近の人手不足に関しては、
誰かが努力すれば、スタッフの家族が死ななかったというわけでは
ないし、誰かがいい加減だったからスタッフの家族が倒れたという
わけではない筈。なるようになっただけだ、と諦めている。
私にモーニング・ツーの〆切はもう無い。


スタッフが立て続けに居なくなった一件があって以降、
要するに4月以降の話だが、それ以降に関しては
いくら私がキャラクターだけ描いても載らなくなった。
ある程度のクオリティで原稿が、(印刷の〆切ではなく)
『次号の編成を決める日までに』完成していない限り、
羣青の掲載は不可ということ。
だから最終的な載るか載らないかっていう部分に関しては
背景やトーン…つまり、露骨に言うと、スタッフが左右する。
んだけど、今までも書いてきたように、私は、私の漫画の
背景やトーンを請け負っているスタッフの生活を、今まで
きちんと保障してきたわけではない。から、私のスタッフも、
私の原稿(これを私の生活と呼んでもいい)を保証する筋合いは
本当の意味では、実のところ一切無い。

だからって「保証しなくていいよ〜」とか言うと何か変に
勘違いされちゃうだろうから、言わないけど、仮にスタッフが
私の現場が嫌になったり、休みたくなったり、逃げたくなったら
そう言って出て行っても全く悪いことではない。ということ。
(感情的な面では、まあ、そりゃやっぱり、変なタイミングで
急に仕事を放棄されたら「え?何すんの!?」って思うけど。)
本当のところは、私にはアッサリ手放す以外の選択肢なんて
元々無いわけ。

かと言って、その結果「はいスタッフ全滅です。また休載です。」
だなんて開き直るわけには勿論いかないし、最近はもう人手不足と
長い休載のせいで、現場が余りにも不安定になってしまったから、
スタッフの暮らしの不安定ぶりも深刻になってきて、
本当にもう、このままでは現場解散に追い込まれるぐらいに
(…これに関してはスタッフの個人的な事情もあるんだけど。
でも人が生きていると、その人が悪いわけではないんだけど、
どうしようもない事情に直面することって、あると思うので、
解って欲しいな、と思う。今これを読んでる人の日常に突然、
あなたが悪いんじゃないのにあなたにはどうしようもない出来事が
起きるかもしれない。そうなった時、あなたは決して誰からも
責められるべきではないと思う。ので、スタッフに起きたことも
スタッフが責められるべきではないと思っている。)
にっちもさっちも行かなくなってしまったので、(私一人が
どう動いたところで、スタッフ個人の事情も解決しないことには…。)
スタッフの生活と、現場の両方をいっぺんに立て直すために
原稿料を上げるか、単行本を出すか、何かして欲しい。
先月末、講談社まで直談判に行ってきた


今までのスタッフとの日程の組み方…
例えば「アルバイトがあるから3日しか入れない」とか
例えば「今月はバイトが少ないから多いと助かる」とか
そういうスケジュールの組み方では私は月刊連載はできないし、
何日来て貰えるかわからないのに、お金の面を私ばかりが
保障することも現実的ではない。でもお金の保障がなければ
スタッフも私の現場に来れない。この悪循環が止まらないので
今年の下半期から、現場とスタッフの生活を立て直したい、
ということを伝えた上で、毎月いくら欲しいのか、
いくらだったら纏まった日数、毎月きちんと来てくれるのかを
6月半ばに話し合った。
『スタッフの生活を保障する』ということを私が実行する。
引き換えに『毎月必ず纏まった日数仕事に来る』という約束を貰う。
これを確実にしないとお互いに不利益だし、気持ちが荒むし、
生きていくことが全然現実的ではない。

もし今後、私がスタッフの生活を保障できなかったら。
もし今後、スタッフが私の原稿を保証できなかったら。
双方の事情を加味すると「これ以上は限界…」というのが
8月〜9月だから、この夏で今の現場を解散することに決めた。
(現在の制作チームを解散する、ということであり、
連載をすぐに打ち切るという意味ではない。)

念のため書き添えておくが、新規常勤スタッフの募集を
していたことを御存知の皆さんも多いと思う。
漫画未経験者である応募者に対しては課題を提出して貰い、
選考するようにしている。漫画そのものの未経験者が
対象なので用紙やインク、ペンの種類は問わない。
〆切は、敢えて設けていない。急かせたくないからである。
(こちらが急かせないとやらない人では仕事をこなせない。)
「やる気だけはあります」「何でもします」という締め括りの
言葉を使う応募者が9割以上だが、100件程度の問い合わせの中
1ヶ月以内課題を提出した人が1名。この割合が普通である。
1ヶ月以上かかって課題を提出した人は1人もいなかった。
大抵の場合、1ヶ月を過ぎたら熱が冷めるものだから仕方無い。
課題をこなした唯一の人は、昨日からここで作画練習をしている。
(私が初めて地元でアシスタントを未経験者可能で募集した際、
やはり100件程度応募があったが、ちゃんと自身の原稿を描いて
いた人は、1名のみだった。きちんとやっている人自体が
少ないので、全くの未経験者の場合は、こちらが指定した書類を
きちんと揃えてきただけでも充分採用に値すると思っている。
2年前、地元で採用したその1名は現在私の現場のチーフで、
当時は投稿者だったが、昨年デビューして現在は漫画家でもある。)
現場及び漫画経験者である応募者諸氏(応募件数は5件程度)の中で、
勤務条件と作風が合う人が1名だけ居たので、採用を決めた。
今回の新規スタッフ募集で、採用になったのは上記2名であり、
私自身も、(上記したような理由から)書類選考を突破するのが
多くても2〜3人だろう、と思っていたので、現場の経済力に
見合わない人数の採用を検討したりはしていない。
この2名に関しては今後きちんと給与と必要経費を支払った上で
約束通りの雇用をするので、例えば「破談にしたのではないか」
「給料を支払っていないのではないか」等の邪推は控えて欲しい。

色々あって今年二月から六月までに主力スタッフ5人中
3人が戦線離脱した。内1名が7月から復帰したので
現在現場に居るスタッフは3名。現場を解散せずに済めば、
従来の常勤スタッフ3名+新規スタッフ2名の5人体制に
戻ることになる。新規2名は即戦力ではないので、
全員が戦力…という状態になるのは来年の春先頃だと思う。


(話しの本筋に戻る。)

人気が無いなら、打ち切りという措置を取って貰うことが出来る。
(思い入れのある漫画を自分の手で打ち切ることは出来ないので、
引導を渡して貰うしか諦める術が私には無い…。)
人気があるなら、単行本を出してもらうことが出来る。
(だから漫画家は連載を続けることができる。ストーリー漫画で
週刊連載なら半年以内に数冊、月刊連載なら半年前後で1冊程度
単行本が発行されるのが大手出版社では普通のケース。)
私にはどちらも為されていないし、もはやどっちなのか解らない。
羣青は人気があるという話も聞くし、私の知らない場所で
話題に上がることも多い。人伝てに評判を耳に出来ることもある。
一方で、別に単行本が出ているわけでもないし、特別誌面で
話題になるようなのでもないし、人気ないんだろうなぁ、とも思う。
部屋に篭って、ネームを描いて、原稿を描いて、他の仕事もして、
領収証の整理をして、地味に暮らしていると、ある時ふと
私が何者で、何をして暮らしているのか分からなくなる。
何のためにこんなに何百万もお金を借りて、年々貧しくなって、
誰とも会わずにいるのに、多くの人に漫画と名前は晒されて、
何だこれ、と思う。
漫画家が(一握りの人しか)食っていけない職業だ、と知識として
なんとなく知っていながらも、この世界に飛び込んで、
目先のものに飛びついて、その場しのぎを繰り返した
成れの果てがこれだから、自業自得と言うか、自己責任というか、
多分みんなもそう思っているよなあ、なんては思うんだけど。

今までは、それでも私が作者だし、羣青が物凄く大事だから
私の手で打ち切ることもしなかったし、話のクオリティだけは
守ろうと思ってきたけれど、現状のままで死守しようとすると、
死守という文字通り私生活を死に追いやって話の質を守るのか、
むしろこの熟語、守るより先に死が来てるよねー…みたいな
事態になるから、なんかもうダメ…ごめんなさい私もうダメ…
と思って、先の事を色々考えた。
養ってくれる人も居ないし、これといった財産も無い上に、
スタッフの生活もきちんと立てていかなければいけないし、
個人的に養っていかなければならない人もいるからもうダメ…。

(何度も言うからくどいと思われると思うけど…)私自身が
私の漫画を見限って自主的に終わらせることは凄く難しいし、
羣青に諦めがついてるわけじゃないから、援助が不可能なら、
この際、編集部の権限で強制的に打ち切って欲しい。
介錯して欲しい。生殺しは痛いし苦しいし。
連載を続けて「羣青は良い形にして終えろ」って言うなら、
単行本出すなり賃上げするなりで助けて欲しい。
「クオリティを下げられちゃ困る」というなら、
クオリティを保つだけのお金がないともうやっていけない。
でも、命が助かるレベルで助けてくれないなら
いっそのこともう私の漫画家生命を奪って欲しいと思う。
(自分で漫画家生命を絶てと思われるのかも知れないけど、
私はまだ漫画家生命を失いたくはないから、自害は嫌だ…。)


直談判の結果、
賃上げは「単行本実績がないと不可」との事だった。
そりゃそうだ…と思う。そりゃそうだ…と思うけど、
単行本は連載が終わらなければ出せないから今は無理。
との事だった。

連載は「単行本が出ないなら賃上げがないと無理」という現状。
賃上げは「単行本の実績がないと不可」との事。ループ。
今まで仕事をしたことのある、又はこれから仕事が始まる
他誌の原稿料のほうが1000〜7000円高いんだけど、
そういうのは判断材料になるか?と聞いたら
「数千円上がっても何の解決にもならないでしょ」との事。

私も連載を辞めたいわけではないし、スタッフも積極的に
私の現場を出て行きたがっているという風でも(多分)ないので、
手ぶらで帰るわけには行かず、押して押して押して押して押して
『上巻だけ先に出す』という苦渋の決断をしてもらった。
(物凄く辛いか嫌か、とにかくそういう顔で決断してくれた。)

実際に単行本を売り出すことはなかなか決断して貰えず、
「制作費が無いなら印税を全巻分、先に貸すのはどうだ」と
問われたが、(印税を借りるだけなので単行本の加筆修正作業、
カバーイラスト作業には勿論入らないし、単行本自体は
予定通り、連載終了後に全巻発売)、1000頁超の大きい単行本、
しかも発売日が決まっていない、形になっていない架空の本の
印税に手を着けてしまうなんていう恐ろしいことは、それこそ
付き合いたての彼氏に結婚前だっていうのに中で出されて
妊娠してしまうのと同じくらい恐いことで、将来はどうなるの?
みたいな不安が物凄く強い事態で、もしも途中でまた何か
不測の事態が起きた場合に、私は一体どうやってこの借金を
(前借りというのは出版社に借りたお金、借金であるからして)
無事に返済するというのだろう…と考えるとそれはもう、
あまりにも恐ろしい選択肢で、(稿料1話分を借りることさえ
恐いのに一冊単位のお金を借りるだなんて冗談じゃない…。)
それだけはどうしても、絶対にしたくないということを伝えて
『上巻だけ先に出す』…というところで合意して貰った。

売れなければ意味のない単行本だから易々喜べないが、
それでもやっぱり、初版分の印税だけでもあったほうが良い。

ちなみにこの話し合いの時もまた、「羣青は、話の性質上、
ナンバリングはすべきでないから、必ず1冊目が"1巻"ではなく
『上巻』である必要がある」…ということを伝えられた。
私もそのつもりでネームを切っているので、何も問題はない。

「最終話まであとどれくらいか」を尋ねられ、
終わらせることが可能な箇所が何箇所かある事を話した。
私自身、羣青を描けば描くほど暮らしが苦しくなるので、
万が一の時の予防線として、いつでも終わらせられるように
考えてはある。今後使う伏線も、打ち切りになった場合に
後味が悪いので、目立つ張り方は一切しないようにしている。
又、今までの話し合いで「終了時期よりも、その場その場の
読み応え、クオリティを取る」という事に幾度もなったが、
編集側の考え方がいつ覆るとも限らないので、万が一突然
「そろそろもう終わらせてよ」と、言われた時のためにも、
すぐ終わりにする準備だけはしてある。

だいたいからして私自身、これだけ休載を重ねておきながら
今後も必ず載る筈だなどと甘く考えてはいなかったので、
最悪の場合、この直談判に乗り込んだ時点で話し合いの前に
打ち切り宣告をされて返り討ち…という果て方も考えていた。
この直談判自体、「もう現状を維持して連載を続けることが
できないから、私を切るか助けるかどちらかにしてください」
というお願いに出たものだったから、
何の措置も取ってもらえない場合にはいずれにせよ私は
この連載をあと数回で終わりにしなければいけない。
終わりにできる準備は、一応してから話し合いに来ている。

連載を延ばしてしまった手前もあるし、
編集部側に早く終わらせろと思われている可能性も大いにあるし、
様々な角度からの可能性を考えて、いつでも終わらせる用意は
必要だったと思う。終わらせる場合には、あと4回程度。
(2本を1本に纏めれば3回でも終わる。)

「それで全部?」と問われたので、
かと言ってそれが全部というわけではない旨も正直に伝えた。
休載したり、ネームを転がしている間に新しいアイデアは
生まれてしまうものなので、ネタ、というか、エピソードの
ストック自体は、まだ結構ある。元々私の連載は
ナンバリングしない、という条件下で進行しているので、
上下巻の連載が更に延びても上中下の3冊にしかなり得ない。
変なところでストーリーをぶった切ることはできないので、
新しく出来てしまったエピソードを描く場合には、
変な場所に足すのではなく、上下の隙間に丸ごと中巻として
挟めるように、単行本1冊分を想定して構成してある。
だから、これらの追加エピソードが、無ければ無いで、
物語の本筋に支障があるかと言うと、然程でも無い。

中巻があったら、この事件を起こした人間が誰だったのか。
誰、というのはつまり、その人物がどこの誰さんという
表面的な意味ではなくて、どんな人生を送った人の
成れの果てがここに描かれているのか、という意味での、
誰、というのが、彫りの深い形で仕上げられる、というぐらい。
(なので、話の輪郭だけ分かれば良いという人にとっては、
迷惑な連載期間の延長であるようにも思う…。
逆に、好きで読んでくれる人にとっては、きっと…多分、
「このエピソードが抜けたらダメ」というものだと思う。)

結局どうなったかと言うと、その場にいた担当者の上司から
「存在したエピソードを削ることだけはやめて欲しい」
「早く終わらせることに徹するためにネームを変えるのは止せ」
と言われ、(「かと言ってディレクターズカットもダメだ」
とも勿論言われ、要するに、無駄を削ぎ落とした状態で、)
中巻分のエピソードもすべて連載に盛り込むことになった。


原稿料の賃上げは叶わなかった。
これは最初から殆ど、見込みはないだろうと思っていた。
ただ、意思表示と、他社のほうが高いということだけは、
どうしても伝えてみたかった。
「他社より安い稿料なら描かせて貰える」という条件で
載せて貰っていただけだったんだ、ということは判ったので
そういうことなら、私も羣青の責任だけ取ったらもう、
その後の身の振り方は決まったようなもんだから楽だ。
…と、苦し紛れに思った。

賃上げの要求の数字は、闇雲な数字を提示した訳では無い。
1ヶ月あたりの家賃(3万円)、
必要スタッフの人件費と交通費(これは個別に書類を用意)
食費(1食あたり自炊で120〜200円/人)
そこに、画材・資料・取材費の平均額を加え
総額を算出して見積もりを出した。
感情論だけでは動かない話なので、事務的な書類を作った。

欲を出して、自分の人件費として月収2万5千円入れて
見積もってしまったので、(決して少なくはない数の
漫画家が月収0円前後に耐えているのだと思うから)
この我侭はだいぶ印象を悪くしてしまったかな、と思う。


今まで、「金のことなんか全部こっちでどうにかする」
「とにかくちゃんとしたものを仕上げ続けてくれればいい」
「中村さんはいい漫画を描くことを第一に考えてください」
と、幾度も編集部から言われたことを思い返せば
(別に、そんな言葉を真に受けて、お金の問題を必ずしも
何もかもどうにかして貰える筈だなんて思っていなかったし
それに甘え切る気もなかったから、私名義の赤字が出ている
んだけど、そうは言っても、まあ、)「なんだかなぁ…」と
感じてしまう。それは、金なんかのことを全部そっちで
どうにかしてくれなかったから、ではなくて、お金のことを
「金のことなんか全部こっちでどうにかする」と勢いだけで
言える軽々しさ。棲む世界が違うのだろうなとつくづく思う。
現場の人間がそれこそ身を削って、色んなものを犠牲にして
捻出するお金を、すぐどうにかできるような軽さで言うこと。
多くの漫画家が、金のことなんか、で、生活を壊しているのに。


私は、単行本発売月までの休載を改めてお願いし、
その間に原稿を描き溜めたい旨を説明し、
単行本発売と同時に月刊連載に復帰したい意思を伝えて
その日は講談社から引き揚げた。

翌日、スタッフと会い、単行本発売決定の旨を伝え、
今後の雇用についての前向きな話し合いに付き合って貰い、
又、発売と同時に月刊連載に復帰したい旨も伝えた。
刷り出しの束を広げて、単行本直しの対象箇所を確認した。
今年下半期からは常勤してくれている主戦力スタッフに限り
従来の日給制を廃止して定額月給制を採用。
(この夏から入る新規スタッフに関しては現場経験が少ない為
育つまで日給+出来高の計算方法を採用して数ヶ月間の研修。)
スタッフの経済が安定して、あとはスタッフ自身の健康面と、
スタッフの身内に何か起きたりしなければ、毎月現場に入れる。
今年の真ん中を境に、私は小さな改革が出来ることになった。
スタッフは給料日と安定収入を手に入れ、
私はレギュラー化したスタッフの存在を手に入れた。


回想シーンや、単行本修正で使うため、原稿の返却を依頼し、
7月に入り、私は暫く単独で第14話の原稿作業を進め、
区切りがついたので、追加取材に出向いた。

講談社での話し合いが先月23日、
スタッフとの打ち合わせが先月24日のことだった。
取材に出たのはちょうど先週、14日のことである。

午前中から昼過ぎにかけて1本、打ち合わせがあり、
日が落ちる前の取材を終えてからまた別に1本打ち合わせ。
今後の仕事に関してを相談し、晩御飯をご馳走になり、
再び夜景の取材に戻った車の中で
モーニング編集部から電話。タクシー車中では落ち着いて
話せないので、車を降りて清洲橋の袂で再度電話をする。


「やっぱりナンバリングの薄い単行本じゃないと
 出すのが厳しいみたいで…中村さんそういうのは嫌ですか?」

……………………と、電話口の担当編集氏。
他の部署と話したら、新人にしては厚すぎると言われた為、
やっぱり普通の1巻2巻というナンバリングで、
1冊200ページ程度の薄い単行本を出したいと思う。
という旨の報せである。

驚いた。
今までも度々驚かされてきたけれど、今回もまた
本当に驚いた。

売る企業側の事情はともかく、
「200ページ溜まった時点でさっさと出してくれればいいのに…」
と思っていた私は昨年、1巻2巻というナンバリングで、
1冊200ページ程度の薄い単行本で出せないかどうかを
幾度か打診して、幾度か断られている。適当に流されている。
というのに、今度は200ページで出すことにしたなんて凄い…。

「とりあえず5話目までを収録して、1巻を先に出し、
2巻以降は数ヶ月後に追って発売したいと思います。」との事。
しかし5話目の掲載は2008年、昨年の2月発売号。
昨年春には出せたものを、今年の終わりに出すというのは
一体なんだろう、と思うし、私は「1巻」を断られている。
5話目までを収録した単行本を出した時点で、
雑誌に掲載されているのは第14話。
6話〜13話と番外編を収録した巻は結局発売されないまま、
14話…15話…16話…と進むのだと思う。
例えば16話時点で2巻が発売されたとしても、
9話あたりまでの収録になってしまうわけだから、
やっぱり10〜15話までは読めないままになってしまう。

だいたいからして、200ページ溜まった段階で
敏感な読者諸氏は「そろそろ一冊目が出る」…と思う筈だ。
今月でかれこれ1年5ヶ月。発売までに時間が掛かることを
考えると1年半以上待たせて待たせて、

お待たせしましたやっと第1巻発売!!!!!!
え、内容!?
1話目から5話目まで!!だけだよー!!!!!

…って、
私、読者さんの感覚がそこまでハッキリ分からないんだけど、
どうなんだろう。バックナンバーは
今日現在8話目以降の在庫はあるようだが、
1〜7話と番外(前・後)編までの掲載号は売り切れている。
頂いたお便りを見るとオークションで全て集めたとか、
買えるものだけ雑誌を取り寄せたとか、嬉しいお便りが
多いけれど、単行本があるに越したことはないと思う。

ここまで引っ張っちゃったせいで、
「映像化が決まってるんじゃないか」とか、想像している
読者さんまで居る始末だというのに、なんだか申し訳ない。
…違うよ。何もないよ。
何もないからせめて厚い、読み応えのある単行本を出して
詫びようと思ってたんだけど、普通のやつが出遅れて出るだけで
終わるかも。

電話を受けたのが出先だったということもあり、
あまり長話はしなかった。
私はとりあえず、2つだけ、
「ナンバリングは駄目だと言ったのはそちらですよね。」と、
「完結した時に、3冊に纏めなかったことを悔やみますよ。」
ということだけ手短に伝えて電話を切り、取材に戻った。
校了もあるし連休に入ってしまうから、
詳しい話は週明け21日(要するに今晩だ。)に話します、との事。
以降の取材中は愚痴が多かったと思うので、
同行したスタッフには申し訳なかった。

翌15日、単行本をナンバリングした場合の不都合点
(金銭的面や感情的面の話ではなく、一冊一冊の質や、
物語の進行上での不都合点)を9枚の書類に纏め提出。
昨日とはまた別件の打ち合わせの後、上野でスタッフと合流。
スタッフを連れて仕事場に戻る。原稿を開始。
単行本の件については、「参ったね」と話しつつも、
連絡を待つ以外別にどうしようもないので具体的な話はせず、
通常通り働くことにする。(私の愚痴は増えたように思うので、
スタッフにしてみれば通常業務より少し大変だった筈である。)

17日金曜日午後、担当編集者の上司より電話。
ナンバリングにしたい事情の説明を受け、
編集長自身の思うところを話して頂く。
こちらからは、過去にナンバリングでの発行を
断られている経緯と共に、この件に関しては
全く納得がいかないので、申し訳ないけれど
最後まで抗う立場を貫かせて頂きたい
という旨を伝えて電話を終える。
週明けにまた連絡を頂けるとの事。

週末から週明けにかけては通常通り仕事。
以上を経て、今晩に至る。


(以降、本日の話。)


先ほど再び担当編集者の上司より電話を受ける。
電話の冒頭で、
「色々考えたが、中村さんの希望通り、
 上中下巻で出すことにしようと思う。」と告げられる。

但し、各巻の発売時期が開きすぎると読者が待ち切れず、
途中で読むのをやめてしまうから、下巻の発売時期から
逆算して、全巻が半年以内に発売できるように
(要するに下巻発売の3ヶ月前に中巻が発売される。
中巻の3ヶ月前に上巻が発売される、というスケジュール)
上巻の発売を来年以降に延期するのが条件であった。
「この後、担当編集者に連絡させるから
下巻発売時期から逆算して、上巻の発売時期を決めて」との事。

それから、
「どうしても上中下巻がいいっていう希望を
 中村さんが下げてくれたら、こっちはすぐにでも
 1巻を出してあげるから。なんなら1巻と2巻同時でもいいから、
 上巻の発売が来年だとやっぱり苦しいってことだったり、
 気が変わったりしたときは、遠慮なく言って。」との事。

先月の直談判自体が、事態が改善できなかった場合、
この夏で現場を解散せざるを得ない。
(私自身も漫画家を辞めて転職しないと借金を返せない。)
という条件下のものなので、上巻発売が来年というのは当然苦しい。
これは二択ではなく、一択なんだな、と思った。

まだこの後、担当編集氏との話し合いの電話があるので、
「では、×氏からの電話を待ってみます」とだけ伝えて
特に込み入った話はせず、担当者の上司との電話を終えた。
作業場に戻ってスタッフに状況を話す。
こんがらがった話を整理した。
「3冊出るのが決まっただけで、何も変わらないんですね」と
スタッフが言ったのを聞いて、改めて、「そうか…」と思った。


暫くして、担当編集氏より電話が入る。
「中村さん的には、ナンバリングが嫌なんですよね?」
と言われたので「私がナンバリングが嫌というよりも、
羣青がナンバリングが嫌です」と伝える。

そうしたら、
「わかりました、じゃあまたこちらで話し合ってみます。」
と、10分も話さないうちに、アッサリ電話が終わりそうに
なってしまって、そもそもそちらで何を話し合ってくれるのか
(ナンバリング対上中下で話し合うのかそれとも中村を黙らせる
方法を話し合うのか)わからないので、話を引っ張ることにする。


「薄い単行本でも出せないかどうか、
今まで打診したことがありましたよね」という問いには
電話の向こうで、「あ」だったか「え」だったか
「お」だったか失念したが、そうした声が漏れ聞こえたのみで
特に答えて貰えなかった。私が結構な剣幕で捲くし立てたから、
答えるタイミングを逃しただけかも知れないが…。

「ここまで単行本なしで連載を引っ張った前例はありますか?」
の問いには、ありません。との事だった。続いて、
「ここまで延びるとは思っていませんでしたからね!」と言われた。

連載が延びたこと自体は誉められたもんではないと思うが
今日に至る前に、とうに当初の予定より連載は延びているので
「ここまで延びるとは思っていなかった」という言葉が、
今更言われる言葉ではないように思えた。(最近延びたのではないし、
連載終了時期と漫画自体の質とどちらを取るかの確認は幾度も
しているし、その上で、「質だ」と口で言われたのだが、更に
書面でも交わしておかなければいけなかったのだろうか。)
最初に『延びている』という状態になったのは彼是1年以上前の話
なので、なんだか、「昨日今日連載が延びることが突然判って
愕然としていますよ」みたいな言われ様が少し気になった。


延びたことに問題があったのであれば
以前ストーリーが延びることを相談した段階で、
厳密に「いつ終わらせろ」と私に告げるということは
難しいことだったんだろうか。打ち切る権限は持っている筈だし
担当編集者には私をコントロールできるだけの権威が
(特に時間を遡れば遡るほど、)有り余っていたのだから。
「羣青は、そんなに長く続く話ではないと"思う"ので…」とは、
いつも言われていたが、羣青が
いつ、どう終わると思ってそれを言っていたのかは分からない。

「今始まった連載期間の延長ではないですよね」と伝えると、
「中巻分が増えたのを知ったのは最近です」との事だった。
それはそうだと思う。
先月の直談判の席で、最終回までの残り話数を問われて、
「終わらせようと思えば近々終わらせることができるし、
新しく思いついたエピソードを足せば、もう1冊分は描ける」
と答えたら、じゃあ全部描いて。と言われたのだから、
私も中巻分を描いていいことの確認を取ったのは最近のことだ。
すぐ終わらせろと言われたら、すぐ終わるほうのネームに
差し替えるか、新しくネームを起こすし。(仕事だから。)
描いていいと言われたら描きたいものを描く。(漫画家だから。)

ただ、休載期間のような余裕が無ければ思いつけなかった
エピソードは、最初から無かったものだと思う事もできはする。
当初予定していた100%の質が120%になるだけの話なので、
100%を割りさえしなければ構わない(というか、し様がない、
あとは編集部の一存に任せ、諦めるべきことだ)とも思っている。


結局、単行本なしで、私のような(数名のスタッフを必要とし、
背景やトーン処理に緻密なアナログ作業を要する)作風の
新人作家がどの程度連載を続けたか、という前例については、
「連載がここまで延びるのを知らなかった」という言葉に
掻き消されてしまい、聞くことができなかった。
「ありません」というだけではなく、私と近いケースの
具体的な前例があったかどうかも聞きたかったのだが…。

…念のため付け加えると、私は(例えば掲載誌の廃刊等で
莫大な人件費をかけて制作した漫画の単行本が発売されなかった。
借金しか残らなかった。というような、)私以上の苦労を
強いられた漫画家さんを多く知っている。そういった
「更に悪い状況下に居た漫画家がいる」ということを無視して
こうしたことを話しているわけではない。
単純に、講談社モーニング編集部に於ける話を聞きたいだけだ。
「おたくの編集部では今までにもこういう前例があって、
 その上で、"この程度の借金で漫画家は首吊ったりしないだろう!
 だって今までみんな同じ事をしてきているんだから!"っていう
 確信と前例があって、私に同じことやらせてるんですよね?
(…それともこれ実験?)」と、聞きたかった。

(編集者に「もっと苦しい思いをしている漫画家さんや、
もっと運の悪い目に遭った漫画家さんも居るんだから」などと
言われる筋合いは無い。)

くどいようだが、
連載期間を延長したことに責任を感じないわけでは無い。
けれど、連載期間が延びることと、
今回の単行本を出すことには何の関係もない。
連載が延びたから生活苦になったのではなく
赤字は1話目からの事だし、連載期間が延びたから、
単行本が出ることになったわけでも決してない。
私が賃上げをするか単行本を出すかどちらかにしてくれ、と
今騒いだから出ることになったというだけのことで、
私が今現在何も言っていなければ言っていないで、
編集部はそれに越したことは無かったと思うし、
ストーリーの質さえきちんと保っていれば、この連載自体は、
(恐らくは、たとえ中巻分を含む長い内容であったとしても)
「ここまで長引くなんて思わなかった」というようなことは
言われずに、穏便に終わったのではないかとも思う。


しかし「今始まった連載期間の延長ではないですよね」の答えが
「中巻分が増えたのを知ったのは最近です」との事であれば、
先月までの分は、連載期間の延長にはカウントされていないという
解釈でもいいのだろうか?増えた中巻分以外には触れられていない。
現在雑誌に掲載されている部分は、仮に中巻を作って中巻に
収録しても、下巻に収録して最終回に向かわせても、いずれも
問題のない内容である。中巻の存在を左右するのは
次に掲載される原稿の、終盤の台詞(のみ)からであるので、
(だからこそ私はこのタイミングで講談社に出向いたのだから。)
今なら引き返せる。連載をこれ以上延ばさず、止める必要があれば、
一言「打ち切りですよ」と言ってくれれば、漫画は打ち切られる。
(上層部の確認を取った上で、中巻分のエピソードもすべて
連載に盛り込むことになった。という段取りを踏んではいるけど。)


ところで、
分厚い本でドカッと出す理由を、当時は
「新規の(雑誌連載を知らない)消費者が手に取りやすいように」
と説明されていた。
今回ナンバリングに変更した理由は
「新規の(雑誌連載を知らない)消費者が手に取りやすいように」
という理由だそうだ。

編集部の認識と、
市場の現状(一層数字に関わる部署の認識)が違った、という
解釈で合っていると(多分)思う。市場の現状がそうである以上、
私もそれに異を唱える気には本来なれないが、
今までの経緯が今までの経緯であるし、販売部や連載の進行に
関係がなかった編集部員諸氏には本当に申し訳ないと思いながらも、
言う事言う事、一々真に受けてきた果てが今のこれなので、
いずれにせよ私は「いい加減にしてくれ」という主張をしたい。
もはや私には意地しか残っていない。
生活費ぐらい残っていたら、意地が矜持のまま、空虚が余裕のまま
私の中に残っていたのかも知れないが、今となってはもう
よく分からない。考える気もしない。この連載での主な業務は、
今思い返してもいつ思い返しても昨年思い返しても、
平常心を保つことと、苛立ちを抑えること、自棄にならないこと。
それだけだったと思う。心底思う。
新人に対する待遇だから仕方無い、という部分は差し引いても
それにしてもどんなもんだったろうかと思う。
借金暮らしに私だけが耐えるからには信頼関係は欲しかった。
(私達は「一緒に漫画を作っている」などと言われるのだから。)
赤字が出ることを前提とした仕事を漫画家だけが請け負うのだから
貧乏に耐えられるだけの信頼を、編集者に対して持ちたかった。
こればかりは非常に残念に思う。

羣青は昨年の半ばから打ち合わせが無い状態で作っている。
私から打ち合わせを拒んだ憶えはないが、
いつの間にかネーム前の打ち合わせがなくなった。
ストーリーについて事前に何か聞かれることはないし、
話は私が勝手に描いている。ネームチェックが一回あるだけだ。
話運びや台詞自体は(あちらの独断で変更になった部分と、
新人故にどうしても断れなかった担当編集者の希望を除けば、)
連載開始当時から私だけが作っている。(ので、時々貰う、
「一緒にお話を考えている編集さんは凄いですね」
というお便りにはお返事を書きたくてたまらなくなる。)
一昨年から昨年の夏頃までは「次のお話はどんなの?」という
打ち合わせが、ネームに入る前の段階で行われていた筈だが、
以降はずっと無い。(私が個人的に同人誌で羣青を描いても、
講談社のモーニング編集部を通して羣青を描いても、
まったく同じクオリティのネームが載ることになると思うと、
それもどんなもんだろうな、…と思わないでもない。)

ページ数の変更や確定の相談、近々の掲載回数の相談、
会社で切って貰う領収証の件や、スタッフ応募書類の回送など、
事務的な話に関しては必要最低限の連絡を取っているが、
物語そのものの展開に関して、編集部はノータッチである。
こうなる以前は、異常なまでに細かい部分に至るチェックがあり、
漫画のタイトルからキャラクターの設定、物語の細部に渡って
担当氏の好み、例えば担当氏の好きなものや、担当氏が
なりたかった職業の要素を取り入れるかどうか、
つまり担当氏の人生であったり、担当氏の味わってきた感情
(それは作者である私とは違う感情)であったり、
たくさんの意見を貰ったものだった。
担当氏は、自分の好きなものがいっぱい出てくる漫画を作るため、
私は、担当氏が個人的に読みたいだけの漫画を拒むため、
無意味で実り無く且つ、粘り強い攻防戦を繰り返してきた。
(連載開始当初は、不戦敗もカナリ多かったが…。)
ある時ふと、それが無くなって、ある時ふと、打ち合わせも
なくなった。断ったことは無いのだが、いつの間にか無くなった。
現在は放し飼いと言えば放し飼いの状態だ。(餌は他所で食う。)
放し飼いになっている状態で、日頃のコミュニケーションも
特に取らない(これは私のほうから積極的な連絡を入れないという
理由もあるが、なにも最初からそうだったわけではない。)ので、
万が一、羣青の担当編集者が、羣青がこの先どうなっていくかを
知っていたら、私は驚かされる。
(連載終了時期についても、今後の展開についても、
真剣に問われた記憶はないが「焦る必要はないですよ。」と
言われたことはある。)


ナンバリングの単行本にせず、分厚い上巻を先行発売した
ことによって失敗が起きても、私の損害はこれ以上何もない。
得をしないだけで、損はしない。
原稿を描きさえしなければ赤字は絶対に出ない。今更
失うほどの財産も何も持っていないので、構わないというか
もうよくわからない。
今まで読んでくれて、応援してくれた人たちの手元に、
私がちゃんと描いた漫画が、ちゃんと纏まった形で届けば
もうそれでいい。それ以上のモチベーションはもうない。
最終回まで最善を尽くすというモチベーションを保つのが限界。

とにかくもう、当初の予定通り、
『ナンバリングの単行本が出せる枚数が揃った』頃から
編集部がずっと言い続けていた
『厚い単行本を出す。ナンバリングはすべきではない。』
という方向でお願いしたい。

最近編集部は「中村さんが希望している上中下巻」と
さも最初からそうだったかのように言い張るようになったので
この際もうそれでいい。



『上巻の発売を来年以降に延期して、上中下の全3巻』
『ナンバリングをして薄い単行本をすぐに発売する』

この2択以外ありませんか?
と問うと、「そうですね」との事なので、最後に
「講談社さんから出す場合、その2択しかないのであれば、
(決して本意ではないけれど、)私も他の選択肢を考えます。」
という意思を伝えて電話を切った。

この場で結論は出ないので、明日夜にまた連絡をくれるとの事。
電話を終えて手元のメモ用紙を見ると、なんだか分からないが
漫画のコマが割ってあった。
憶えていないが、手持ち無沙汰に書いたのだと思う。


「金のことなんか全部こっちでどうにかする」と言われた日、
漫画業界ってのは凄いところだなーと思った。


「クオリティを落とされては困ります」と言われた日も、
漫画業界ってのは凄いところだなーと思った。




直談判に行った日、言われた言葉が印象的だった。

「モーニング・ツーはさあ、
"金がなくても面白い漫画ができる"ってことを
証明するために作ったんだよ。ネームが良けりゃいいんだよ。
お金ないのに何で絵にお金掛けちゃったの?」



漫画業界ってのはあははははアあハハあはだな、おい。
あはははあ

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