「羣青」終了について
講談社の雑誌「モーニング・ツー」で『羣青』を連載していた中村珍氏が、連載終了=中断=打ち切りについてのいきさつをブログに書いています。
下記は今回の問題に関する記述の目次ページとなっています。
●絵とか漫画とか仕事とかの雑記-御愛読ありがとうございました。(「羣青」連載終了に関する記事の一覧)
「モーニング・ツー」はわたしが定期的に買ってる数少ないマンガ誌で、かつ『羣青』は楽しみにしていたマンガなのでずいぶん複雑な気持ちになりました。
中村氏のブログ記事はそれぞれすごく長文ですし、多くは担当編集者に対する恨みつらみが書いてありますので、第一の問題点は作家と編集者の人間関係のようにも読めます。ま、どの職場でもトラブルの第一は人間関係なので、ありふれているといえばそのとおり。
しかしそれだけで終わる話ではなく、現在のマンガ制作システム上の欠陥がいろいろと指摘されていると思うのですがどんなもんでしょ。
まずマンガ制作の場において編集者対マンガ家の力関係は、編集者側が圧倒的に強いこと。
一般的な商慣習として、マンガ家側が売り手、編集者側が買い手と考えればこれは当然といえば当然なのですが、双方が協力してひとつの作品を創造する関係と考えれば、これはちょっとどうか、なんて思っちゃうわけです。
第二に、マンガの方向性をいろいろとマンガ家に「指導」する立場の現場の編集者が、最終決定権を持っているわけではないこと。その上には編集長がいて、それまでの方針をあっさりとひっくり返したりもするのですね。
出版業ではないわたしも、こういうことで仕事上いろいろと腹のたつ経験があったりしますから、社会人にとってはよくある不満かもしんない。
そして第三にして最大の問題点は、マンガ制作の費用が、原稿料だけではまったく補填できなくなっているということ。
中村氏によりますと、月刊連載13回ぶんのマンガ制作経費は1000万円におよび、多くはアシスタントの人件費だそうです。すでに連載初期に原稿料の前借りをしていましたがそれでは足りず、作者は数百万円の借金を抱えることになったといいます。
中村氏は収入確保のため早期の単行本出版を希望しますが、編集部との合意にいたらず。結局『羣青』の単行本は「上巻」として本年10月発売が決定されたようです発売中止になったようです。
月刊連載でマンガの作画レベルを落とさないためにはアシスタントが必要。ところがその間の制作経費を確保するには原稿料ではまったく足らない。作者にとっても単行本が発売されないとペイしない。
マンガ売り上げが低迷している現在でもこのシステムが続いていることは、最終的にマンガ作画上の質を低下させる方向に向かっているように思われます。これはまずいのじゃないか。
中村珍氏のブログ記事が公表されてからかなりたちますが、世間ではあまり注目されていないようなので、あえて記事を書かせていただきました。
Comments
初めまして、よくブログ拝見させていただいてます。
群青ですが、ブログによると単行本は発売中止になったそうです。
――残念ながら、連載終了と同時に取り消しとなりましたが、
単行本は話し合いの末『上巻450ページ・10月発売』
第1話~第10話及び番外編を収録、で決定しておりました。――
http://works.1525.boo.jp/?eid=1285690
より引用
okazuという百合漫画専門?のブログで絶賛&インタビュー記事が載っていたので、単行本を買って読みたいと思っていたのでとても残念です。(下記、インタビュー)
http://okazu.blogspot.com/2009/08/interview-with-gunjos-nakamura-ching.html
Posted by: pilloty | September 06, 2009 at 09:43 PM
ご指摘ありがとうございます。単行本発売中止についてはブログ記事を読み違えていました。修正しました。
Posted by: 漫棚通信 | September 06, 2009 at 10:22 PM
連載回数は13回じゃなくて15回です。
去年のモーツーに番外編が全編と後編の2回のって、
それと1話から13話なので15回ですよ。
Posted by: rizly | September 07, 2009 at 03:27 AM
まったくの誤解だったようですが、漫画家のマネジメントまでが編集の仕事だと思ってました。
漫画家の生産性をあげるためには金勘定からスケジュール管理までできるやつをつけたほうが効率はいいでしょう。売れていれば自前でそういった人材を雇えるかもしれませんが、駆け出しには無理、そこでフォローしないんだなぁ……。
Posted by: yocc | September 07, 2009 at 12:42 PM
アシスタントを減らして作画レベルを落としてみるのはどうでしょうね。
こまごました描きこみがないと本当に面白くなくなるのか、実験してほしいような気もします。
線自体の美しさってのもありますからね。
Posted by: lucia | September 07, 2009 at 02:26 PM
<そんなに売れない、ちょい変ったマンガ雑誌>
ツーは、マンガ雑誌がじゃんじゃん売れていたら
「講談社」が出すわけなど無い!!雑誌ですよ。
ですから、書き手には大いに同情したい!!!が
そんな状況に<コストを掛けたマンガ>を製作する
ことは、こうしたキケンは、充分想像出来ます。
でも「新人賞」直後の作家さんですから
そうした状況判断は<リアルには出来ない>
ということでしょうかね。
ですから、御同情申し上げます!!!!
「経費じゃんじゃん」的な<会社員編集者>。
事情を知りつつ、(ウチはメジャーだ。支払いは
出来る)と自信は持ってますよ。
でも『原稿料』については、違っていた。
ツー・編集長は、講談社敵コスト計算をしない
雑誌製作を上から言われていたはず。
下の担当も知っていたはず。
(でも、自分はメジャー誌編集時のクセ>で
じゃんじゃん使っていい気分。
作家に、その金が還元されないという
貧しいゼイタク根性。
出世!の方が大切だから、失敗だ!と
分ったら「はい、サヨナラね」。
こういう人物ですかね。
こんな方なら、講談社にはウジャウジャいますよ。
(小学館&集英社も…)
いやはや、大変な時代ですな。
(でも、ぼくらの70年代よりも、作家さんは
恵まれている???感じもしないでもないです。
いや、製作システムに、そういうことが、思い
付くだけでも…。どうなんでしょうか。間違って
いるのかもボクが…。)
Posted by: 長谷邦夫 | September 07, 2009 at 09:05 PM
こういう問題は、まんが家側が声を上げることはたまにあっても、編集者・出版社側はまずほとんど口にしません。だから結局、ただ不満の声がやり過ごされるだけで、編集者・出版社側から具体的な問題意識が表明されることもなく、広く一般の問題として検討されたり見直されることもほとんどないのが実態だと思います。
こういう問題に限らず、基本的に編集者は自分の仕事を語りません。だから、編集の実態そのものも外から見てきわめてわかりにくいと思います。
なぜ語らないかというと、語りにくいのです。その理由はいろいろあって、それを書くだけで本1冊くらいになってしまいますが、中でも重要なポイントは長谷さんもおっしゃるように、編集者がサラリーマンであるという点にあると思います。
サラリーマンという立場上、語りにくいというだけでなく、自分自身のサラリーマンとしての欺瞞性も含めてとらえないと、問題がはっきり見えてこないのです。しかも問題を直視しようとしたら、同僚や先輩やまんが家などが、いかに怠惰であったり無能であったりするかを、自分自身を棚上げすることなく指摘しなければなりません。
私自身は、元サラリーマンで現在はフリーランスのまんが編集者ですが、自分自身の過去の仕事を回想すると、甦ってくるのはほとんどネガティブな記憶ばかりです。それを全部棚上げして、自慢話のようにいい話や成功談ばかり語ったり回想録を書いたりするのは、不可能です。だから、編集者の回想というのは、史料としては貴重だとわかっていはいても、書いたり話したりしようとすると、とても苦しい気持ちになるのです。
でも、編集の現場のあり方を検討しなおすことは、たぶん現在のまんが出版全体にとって必要なことだし、あえてそれを考えるべき時期に来ているのかなとも思います。
Posted by: ササキバラ | September 08, 2009 at 12:15 PM
はじめまして。中年弁護士です。倒産処理とかよくやっているのでコストパフォーマンスの観点から。
現在発売中の日経エンタテインメント!2009年10月号でエンタ界のお金の稼ぎ方の特集があります。マンガについてはあつかわれていませんが、とくに演劇の前田司郎先生の例が参考になるかとおもわれます。劇団五反田はチラシやセットのコストパフォーマンスをかんがえぬいてやすいチケットでたくさんのひとにみてもらうことに成功しています。
いままでの小劇場システムはセットやチラシや衣装が過剰品質だったわけですね。
絵についてはなんで手書きやスクリーントーン使用の精密描写にこだわっているんだろ?というのが感想です。背景はパブリックドメインのものをコピーしてつかうとか、CGの活用とかでコストダウンは可能だったようにおもわれます。苦労していたお札のところ、デジカメとパソコンで簡単だったんでは?とか素人ながらおもってしまいました。(現在の印刷技術でなんでペンいれが必要なのかも素人的には疑問におもっております)
青木雄二先生の「ナニワ金融道」は、背景をもっと手抜きでも売れたと思います。
Posted by: madi | September 10, 2009 at 03:07 AM
コメントありがとうございます。マンガはもちろん読者のところに定期的に届けられるべき商品でもあるのですが、作者の情念というか思い入れの産物=アートでもありますので、自分が求める作画レベルを下げるというのは苦しい選択だと思います。このあたりのバランスをいかにとるかは作家=個人の内面の問題になるのでしょうね。
Posted by: 漫棚通信 | September 10, 2009 at 11:14 AM