2009-09-09
久しぶりだなオタアミさん・前篇。
1番の歌詞にするとさすがにマズいと思いましたw
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岡田斗司夫・唐沢俊一・眠田直『オタクアミーゴス』(ソフトバンク)を読んだところ、3人の味わい深い発言が満載だったので、とりあえず唐沢俊一の発言に絞って紹介してみたいと思う。
まず、P.11〜12掲載の「タブーのエンターティナー」唐沢俊一の自己紹介より。
昔はこんなじゃなかった筈だ。これでも、中学・高校のころはいっぱしの文学少年であった。中学生時代は図書委員なんて仕事をしていて、
「最近の図書館の貸し出し傾向を見ると、青春小説やSF、探偵小説ばかりだ。われわれ学生はもっと文学作品を読まねばならない」
などと、図書新聞に論説を書いたりしていた。いやなガキだったわけだ。
もちろん、そんなことを言いながらも、自分ではSFやミステリもちゃんと読み、かなりのファンを自認してはいたものの、やはり読書の本道は純文学にあり、と思っていた。
SFの貸し出しが増えたのは唐沢少年が大量購入したからじゃないか。自分のことを棚に上げるあたり、中学生の時から性格が全く変わってない。
『オタクアミーゴス』の続き。
オタクの道を意識して志したのは高校時代。こづかいの全額を古本に費やし、高校1年のときにマンガだけで蔵書が二千冊あったというキ×ガイぶり(原文ママ)で親を嘆かせる。
唐沢の高校時代に「オタク」という概念はなかったから「マニア」を志したということになるんだろう。しかし、高校生がマンガだけであっても二千冊揃えるのは大変だっただろう。まあ、弟と一緒に集めていたのなら、多少はラクだったかもしれないけれど。
そのころ、『宇宙戦艦ヤマト』に出会い、最初期のファンクラブを結成。再放送嘆願、地元ラジオ番組へ『真っ赤なスカーフ』リクエストの葉書攻勢などをかけ、レコード会社や出版社がその活動に注目、しまいには西崎プロデューサーまで飛んできた。そのときのY.NISHIZAKIというサインは青春のあやまちの記念(笑)として大切に保管してある。
毎度おなじみの話だが、唐沢俊一が所属していたのは『ヤマト』のファンクラブではなく、アニソンの同好会。そして、唐沢は途中で入会したのであって、自らサークルを結成したわけではない(詳しくは2008年10月28日の記事を参照)。なお、『ヤマト』の話は『オタクアミーゴス』の別の箇所でも出てくるのでお楽しみに。
大学に入って上京、海外アニメ研究の会『アニドウ』に所属、とたんに日本のアニメを徹底してコキおろす超イヤミな論客となる。当時雑誌『ぴあ』の投稿欄で、『機動戦士ガンダム』をクソミソにけなした発言がきっかけで、半年におよぶ大論争に発展し、とうとう最後には富野喜幸氏がひっぱり出されて
「こういう発言を僕は歓迎します」
というメッセージまでする騒ぎとなった。このとき、関係もないのに口をはさんできて
「ひとが苦労して作ったアニメにファンが口を出す権利などない」
と言い切った手塚治虫氏の発言に感動し、その後の心の師とする(笑)。
以上の発言が大嘘であることは2008年11月23日の記事を読んでいただければわかる。富野監督は唐沢俊一に苦言を呈しているし、手塚治虫は『ぴあ』の取材にコメントを求められたのであって、コメントの内容も全然違っている。…「手塚治虫に罵倒された」というのは、ライターとして活動を始めたばかりの唐沢俊一の持ちネタだったわけなのだが、その後『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』を書くために当時の『ぴあ』を読み直したところ、「手塚に罵倒された」云々が自分の記憶違いだったことを知って以降は、自分からあまりネタにすることはないようだ。…まあ、大学生当時の唐沢俊一が「論客」だったのなら、2ちゃんねるの荒らしだって立派な「論客」になってしまうんだけど。
自己紹介に続いて、P.12〜13には唐沢俊一による「オタアミファンへのお願い」という文章が載っている。唐沢は自分が「古本オタク」であると告白したうえでこのようなことを書いている。
ただ、僕がそういう人たちとはどこか違っているとするならば、それは、そのように集めた知識、集めた本の面白さを、どうにかして他人に教えてあげたい、という欲望があることでしょう。せっかくこんな苦労して集めた本です。それを独り占めしていてはあまりにモッタイないじゃありませんか。そう思って『脳天気教養図鑑』という本の中で古本のことを書いたら、いつの間にか古本評論家みたいな肩書がついてしまいました。僕は評論ができるほど古書に詳しいわけではありません。ただ、入れた知識は出さねばならない、オタクの窓は常に開いていなくてはならない、と思っていたのです。手に入れた本を誰にも見せずさわらせず、自分の書庫の奥にずっと沈めておく、そういう閉じたマニアたちの行き方(原文ママ)に不満を持っていたのです。
実は僕は、岡田斗司夫、眠田直のお二人と出会うまで、アニメや特撮オタクという人々は、こういう閉じたオタクばっかりだ、と思っていました。外に向かって、自分の知識を放出するような、そんな気前のいいオタクが存在するとは思ってもいなかったのです。
ところが、このお二人は違いました。惜しげもなく、その濃ゆいだけ濃いウンチクをブチまけ、みんなを笑わして、実に満足げな表情をしているんですね。
「これは自分と同じ人種だ」
と直感しましたね。
この文章はかなり重要なので詳しく考えてみたい。まず第一に、唐沢俊一が何かを表現したいという強い願望を持っていたことが明らかになっている。実は唐沢の経歴を見ていればそのことは明らかで、札幌のサークルでスペース・オペラの知識を披露して会のイニシアチブを握ったこと、「アニドウ」の同人誌や『ぴあ』に投稿したこと、イッセー尾形の前説をやったこと、すべては表現したい願望によるものなのだろう。唐沢の場合は「表現することによって他人に認められたい」という願望が強くあったのだと思うが、そのこと自体は別に問題ではない。「他人に認められたい」という気持ちをモチベーションにして素晴らしい表現をすればいいのだ。素晴らしい表現をしていたのなら、検証されることもなかっただろう。唐沢俊一が問題なのはガセビアやパクリなど拙劣な表現をくりかえし行っていることなのである。
第二に、唐沢俊一がオタクやマニアの閉鎖性に不満を持っていたことについてだが、元来オタクやマニアというのは閉鎖的なものだと思う。なぜかというと、他人に対して知識を披露している暇があったら、その時間で新たな知識を仕入れておきたいと考える、それがオタクやマニアというものなのだ。唐沢は岡田斗司夫や眠田直の「濃さ」を称賛するが、「閉じられている」からこそ「濃い」のだ。外の世界に開かれていたのでは薄くなってしまう。そういう意味では、唐沢俊一の考え方は矛盾していると言わざるを得ない。
しかし、唐沢の「オタクの窓は常に開いていなくてはならない」という問題意識は正しかった、と自分は考えている。一般人向けに多少薄めながらも意見を発表し、オタクやマニア以外の人々との通路を作っておく、その考え自体は間違いではないし、そういった意味ではオタクアミーゴスの活動にも確かに意義はあったのかもしれない(オタアミのイベントに一般人がどれだけ来たのかは不明だが)。ただ、問題意識は正しかったが、唐沢は「オタクの窓」を開くどころか、最新刊『博覧強記の仕事術』でオタクへの偏見を助長するような発言をしている有様なのだが。
オタク文化と今、呼ばれているものは、この、前準備を全部取っ払い、いきなりオタク情報を投げ掛け合う、というところで成立している。
アキバという、歩いている人間のほぼ九割が自分と同じフォーマットで会話している場所に集まり、一目で同族とわかるファッション(チェックのシャツに肩掛けカバン)に身を包んでいれば、前置きなしに
「○○たん、萌え〜!」
これだもの(詳しくは8月31日の記事を参照)。…結局のところ、唐沢俊一にしろ「と学会」にしろ、理念は正しいけれど実践が伴っていないからこそ批判されているんだろうなあ。そもそも両者に理念は今でも残っているのだろうか。
そして、第三に、唐沢俊一は「オタクアミーゴス」を結成してから「自分はオタクである」と表明するようになった、ということも上記の文章からは推測することが出来る。そもそも、唐沢俊一はオタクとしてデビューしたわけではない(『ようこそ、カラサワ薬局へ』→『薬局通』がデビュー作)。で、オタアミで活動しているうちにオタクも取り扱うことにしたのではないか、と思うのだ。オタアミが結成されたのは1995年らしいが、同年に発売された『超人画報』(竹書房)に唐沢は参加しているのである。もちろん、『星を喰った男』の影響もあるのだろうが(『超人画報』でも潮健児について書いている)、オタアミが決定打であることは間違いないところだと思う。ちなみに、オタアミ結成の翌年に『オタク学入門』が出ている。
「いつかこのトリオで金を儲けて、その金が元でケンカ別れとかしてみたいなあ」
みなさん、一日も早く、われわれにケンカ別れをさせてください。それが結成以来の、われわれの目標なんですから。
実はひとつ心配していることがあって、とある筋から「唐沢俊一と岡田斗司夫が最近うまく行っていない」と聞いたのだ。そういえば、『創』の「オタク対談」も全く再開の兆しがないし、『ひとり夜話』というイベントを始めた岡田が、唐沢との対談を再開したいと考えるだろうか?とも思う(そもそも「オタク対談」でも岡田は唐沢の話を全然聞いていない)。「唐沢と岡田の不仲説をどうしてお前が心配するんだ?」と思われるかもしれないが、簡単に言えば、岡田が唐沢に距離を置いてしまうと「唐沢俊一検証blog」としては検証がやりづらくなってしまうからである。だいぶ前に予告していながら『オタクはすでに死んでいる』検証もまだできないでいるし(ちょっとした論文まがいになるはずなので正直気が進まない)、岡田斗司夫という人もなかなかの面白物件であるように思うのでいつか検証してみたいとは考えているのだが。まあ、不仲説が間違いであることを信じたい。ちなみに、「と学会」は唐沢俊一と良好な関係を続けているようなので、相変わらず検証対象に入ってます。
話が長くなってしまったので、続きは次回。…っていうか、まだ本論に入ってないや。
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yonoco 2009/09/09 16:03 個人的には、自分が賞賛されたくてたまらないからあれこれ表現をしている感じがします>唐沢さん
それが根っこにあっての「ぴあ騒動」その他軋轢でしょうし
だから自分で表現するより手っ取り早い「ガセパクリ」にいった気がします
岡田さんと仲悪くなったのですねえ
まあ両雄(-_-)並び立たずという事でしょうか?
次郎 2009/09/09 16:23 唐沢兄がオタクっていうのは、何か違和感があります。彼はマニアでしょう。いや、マニアとオタクはどう違うかって言われても言語化できないんですが...
774 2009/09/09 21:47 岡田氏も唐沢氏も「俺が俺が」的自慢話が大好き、つまり磁石でいえば同じ極がくっついてるようなものでいままで仲良くされていたのが不思議です。
のえ 2009/09/10 19:15 > 元来オタクやマニアというのは閉鎖的なものだと思う。
それは考え違い。
昔からマニアは内に籠るタイプと外に出るタイプに分かれていて、外に出るタイプは積極的に他人と関わり「自分が必要としている何か」を手に入れようとしてました。一般人は相手がマニアだと分かると意外と簡単に彼らには意味の無いしかしマニアには価値のあるモノをタダ同然で譲ってくれたりと、外に出た方がおいしい事がいっぱいあったんですから。自分の知識を披露する事が自分のためになったんですよ、昔は。今は気持ち悪がられるだけですが。
kensyouhan 2009/09/10 19:58 コメントありがとうございます。
>yonocoさん
誉められたくて仕方ないというのは見ていてわかりますけどね。あと、唐沢・岡田の不仲説は「こういう話を聞いた」のであって、事実とは決まったわけではありませんので。念のため。
>次郎さん
「オタク」の定義については『オタクはすでに死んでいる』検証のときにするつもりです。
>774さん
自分もあの2人が仲がいいとは思えないんですけど。
>のえさん
のえさんが仰っていることは記事の中にある
>他人に対して知識を披露している暇があったら、
>その時間で新たな知識を仕入れ
という部分に含まれていますので、自分は考え違いをしているわけではないと思います。
774 2009/09/10 22:14 >唐沢俊一は「オタクアミーゴス」を結成してから「自分はオタクである」と表明する
>ようになった、ということも上記の文章からは推測することが出来る。
そもそも、岡田斗司夫氏も眠田直氏にしても『オタク(族)』という言葉が出現した1980年代に商業誌にデビューし一定の地位を得ていたわけですが、その当時にみずから『オタク(おたく)』を自称する事があったのか?という疑問があったりします。このエントリの後編で引用されているように、SFファンという強い自負を持っていたのは間違いないのですが。
774 2009/09/11 18:29 >774さん
え?そうなんですか?
知りませんでしたね。
やまだ 2009/09/11 22:22 いつも楽しく拝見しております。
私が最初に「オタク」という言葉を知ったのは、85、6年頃(レイズナーとかの頃です)の眠田氏のマンガでした。
OUTかアニメックだったと思います。
そこでは、今で言う「痛い」マンガ・特撮・アニメファンに対する蔑称として、「オタク」という言葉が使われていたように思います。
(コミケに行くような人種のみを限定していました。今のように、広く趣味人を刺す言葉ではありませんでした)
とにかく、マンガ・特撮・アニメファンが、自分よりも「痛い」ファンを見下して、馬鹿にしている状況が不快に感じました。
それが、「全ての趣味人はみんなオタクなんだ」みたいに扱われるようになったのは、80年代末頃だと思います。
唐沢氏の感覚では、現在でも「オタク」という言葉は、この最初期の「蔑称」のままなんではないかと思います。
古賀 2009/09/12 11:00 >岡田斗司夫という人もなかなかの面白物件であるように思うのでいつか検証してみたい
>とは考えているのだが。
岡田さんを検証することはオタク史を検証することにも繋がるので是非やっていただきたいと思います。
>簡単に言えば、岡田が唐沢に距離を置いてしまうと「唐沢俊一検証blog」としては検証
>がやりづらくなってしまうからである。
少なくとも一時はコンビをくむほど親しかったのだから、多少疎遠になっても検証の対象にすることには差し支えないのでは?