思考と選択肢
どんなに姿や気配を隠しても、それを相手に覚られる事はあるものです。
そしてそういう人に限って「私はここに隠れて居ます。」と、自らそこに存在している事を相手に知らせたがるものです。
私は「波動」をただ、受け身的に感じ取る事をしません。
多くのヒーラーやセラピストたちがそうしている事は知っていますが、 光か闇かに関わらず、その相手に臭いを感じた時は必ず、相手を確かめるようにしています。
人間は高次の生き物ではありません。
そしてその人の高次がその人自身のマインドとフィットした存在であるとも、言い切れないのです。 現世で自分自身の行動や思考を決定しているものは、現世の肉体内の脳なのです。
ですから「高次ならば相手が視えるでしょう?」などという開き直りも、
その人の現世の人格と脳がそう、言わせているものだと言えます。
よく「邪気を感じる」などと言い、自分とは価値観の相容れない相手を拒絶する人を見かけますが、
そういう人の心理背景には「その相手を自分の思い通りに操れない」などのコンプレックスが、必ず潜んでいます。 つまり「邪気」というレッテルを先に相手に貼り付けて、自分自身を武装し、 その相手に対し理を通せない自分自身を、妄想の殻に閉じ込めているだけの事なのです。
物事を決定しているものは、あくまで自分です。
その事に対し論議を吹っかけんばかりに、私の過去の日記に或る人がHNを隠してコメントをつけて来ましたが、 その人の真意は単純に主導権の取り返しという一点のみ・・・。
先日或る経済学者の先生とお話しをしていましたが、
この世は「戦術」と「実戦」で成り立っていると仰っていました。 どんな奇麗事でも、勝たなければそれは通せないものだという意味で、 私もその学者の考えに対し共感しています。
それは武器を取るという事ではなく、その武器のひとつとして思考する事、
選択する事、ジャッジをする事が挙げられます。
今のスピ系に於いて、上記三事項をポジティブに解説している文献、著作物は殆どお目にかかりません。
つまり本来人々を啓発に導く筈の、スピ系の文献が、実は人間を骨抜きな生命体に誘導していると言っても過言ではないという事を、これはよく顕していると思います。
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太ってると、躯体が、骨太ではないと、苦労するよな、おいっ!
◆「人を呪い殺す宣言」に近しい発言をしている者が居るのだが、その殺害がどのようにして完成するのか、観察をしている昨今だ。本当にオカルトはどうしようもない馬鹿者ばかりだ。個人的にはオカルトなゲームをプレイするくらいで丁度いいと思うが、最近の平杜カノンには開いた口が塞がらないかも。 ◆平杜が殺したいと望んでいる「一個の人間の中の存在」はFASIDの関係者。FASIDは創価的な繋がりが強く、そして平杜が殺したいと思っている者には「実体がない」と言うのに、アカウントを分裂させて「自作自演」をしてま
2009/9/12(土) 午前 4:08 [ じはーん あはーん あぼーん ]
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