アチソン・ライン
[渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針 第551号 - 平成18(2006)年08月30日(水) -「マッカラム・メモ」と日本:古澤 襄」 ]の結論部分である下記について感想を記します。 (2006年8月30日(水)10時 N.H.)
(引用@) 「日本と英国は超大国アメリカの戦略拠点になったというのが厳しい現実である。
(引用A)アジアでいうなら韓国は戦略拠点ではなくなっている。米ソ冷戦時代には朝鮮半島において共産主義の防波堤として韓国の存在意義があった。冷戦崩壊後は米兵の犠牲を冒してまでも在韓米軍が駐留する意義が薄れている。
(引用B)その現実の中で日本がどう強かに生きるか、米国から押しつけられた日本国憲法を逆手にとって、日米同盟を維持しながら、自立の道を歩む難しい道が前途にある。米国の方が日本を必要としているという観点を持つ時代にさしかかったのではなかろうか。」
(感想) 引用@関連。日本と英国を基本戦略拠点とするのはアメリカ合衆国の一貫した戦略である。 これを、デイーン・アチソン国務長官(1949〜1953)は、1950年(昭和25年)1月ナショナル・プレス・クラブの演説で明らかにした。「共産主義勢力」が、これを自己に有利に解釈し、南下して始ったのが「朝鮮戦争」である。
引用A関連。韓国への米軍駐留は、「朝鮮戦争」を起因として、上記の原則を部分修正したことによるものである。「共産主義の防波堤」としての韓国の価値は、今も、今後も大きい。しかし、これを自覚しないか、意図的にか、破壊しようとしているのが、ノムヒョン政権である。同政権の行動は米国に安定的な基地使用に疑念を持たせ、これに、戦略的関心地帯の南下と兵器性能の高度化が加勢して、在韓米軍の縮小を選択させている。
引用B関連。「日米同盟を維持しながら、自立の道を歩む難しい道」は、1950年代から防衛・安全保障政策の現場の大きな課題であり続けている。米国が日本を必要とする度合いを高めるべく努力し、日米同盟を深化させてきたのがこれまでの歴史である。今も、国際戦略環境などの変化を勘案しながら、この努力を続けている。
「米国の方が日本を必要としているという観点を持つ」ことが、自らの防衛努力・コストの削減を意図したり、米軍基地の廃止を求めるものであれば、「自立の道」どころか、別の陣営に入ることを選択することに等しい。
共産主義の防波堤としての朝鮮半島の力が弱まれば弱まるほど、共産主義勢力による日本支配の工作が強まれば強まるほど、日米同盟を深化させるための努力・コストの増大が必要である。このような姿勢を「対米追従」などと批判する方々には「ではあなたは中国の影響下に入る道を選択するのですか」と反問し続けよう。
(参考) アチソン・ライン=アリューシャンー日本ー琉球列島ーフィリピン。これは、米軍が駐留し、基地を持ち、重大な利害を持っている絶対防衛線であり、アメリカ合衆国が特に「完全な行動の自由」を持とうとする線と言える。 さらに、太平洋の北と南とで米国の負う責任の度合いが異なり「日本」と「朝鮮」ではより直接的な責任を持つが、南太平洋では、米国は関係国の一つであることを指摘した。「その他の地域」が攻撃を受けたら、頼るべきはまず「攻撃を受けた国民自身」、ついで「国連憲章のもとにおける全文明世界のコミットメント」となる。中国本土と“アチソン・ライン”の中間部分に直接の「燐邦」を見るとすれば、北の韓国と南のインドシナとは、米国の責任の度合と国連名目の支援と“自助”との組み合わせのケースと言えた。(「戦後国際政治史」(1944〜1958)93頁より抜粋)