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<1面からつづく>
日本年金機構に求められてきたのは、社会保険庁に代わって国民の年金記録を厳重に管理する任務だ。民主党は記録漏れを追及して07年参院選に大勝し、政権交代への流れをつかんだ。しかし、政権に就きながら年金記録の解決を遅らせた場合、国民の批判は民主党に向かう。年金問題は、民主党にとって追い風にも逆風にもなり得る「両刃の剣」だ。
3日午後、民主党の「ミスター年金」こと長妻昭政調会長代理は、国会内で厚生労働省の二川一男官房審議官らと向き合っていた。「消えた年金」の記録を回復させる法案を提出した場合について長妻氏は問い詰めた。
「法案が成立したら、救済範囲が広がる。その時、厚労省はどう対応するんですか」
同法案は、保険料を払った証拠書類がそろっていなくても、一定の要件で本人の申し立てで消えた年金記録の回復を可能にする内容だ。民主党は先の通常国会に提出したが、衆院解散で廃案になった。民主党の野党時代、厚労省は「不正受給を招く」と歯牙にもかけなかったが、二川氏らは「努力します」と答えた。長妻氏は政権交代を実感した。
民主党は記録問題の解明を国家プロジェクトと位置づけ、2000億円をかけて2年間で集中的に取り組む方針だ。ただし、実態の把握は容易ではない。中でも最大の難問は、旧式の紙台帳に手書きで残された8億5000万件もの記録すべてを、コンピューター内のオンライン記録と突き合わせる照合作業だ。
同党は政策集に「全件照合を速やかに開始し、コンピューター上の記録の訂正・統合を行う」と明記している。だが、紙台帳が全部正しいとは限らない。照合の結果、オンライン記録を誤ったデータに書き換える恐れもあり「全件照合は無駄」(野村修也・中央大大学院教授)との指摘もある。
厚労省は、全件照合を完了するには7000人を投入しても10年かかると見積もる。
「もしその作業を2年でやるんなら、3万5000人が必要になる。東京中の派遣会社から人をかき集めても足りるかなあ」
厚労省幹部の一人は冗談まじりに言った後、新政権にクギを刺した。「さらに主力職員を2年間も記録問題に充てたら、本業をできる人間が育たず、組織が壊れてしまう」
高すぎる目標で自縄自縛に陥ることを恐れた民主党の一部幹部は「全件照合は無理かもしれない」と別の「出口」を模索するサインを社保庁に送っている。社保庁幹部は「民主党が『これが解決』と言えるアイデアを示してくれれば、対応する」と話している。
社会保険庁の組織改革を巡り、民主党は民間人内定者の扱いとは別に、もう一つのリスクを抱える。仮に「歳入庁」創設に向けて社保庁を当面存続させた場合、社保庁労組を救済したとの批判を招く可能性があるためだ。
そもそも年金機構には、不祥事まみれの社保庁を解体・非公務員化し、「民間発想」に体質改善させる狙いがあった。社保庁の職員は約1万3100人。うち年金記録ののぞき見などで懲戒処分を受けたことのある職員約850人について、政府は年金機構に移さず、他省庁などに受け入れ先がない場合、「分限処分」にする方針だった。公務員の人員整理であり、事実上の「首切り」につながる。
850人の多くは、民主党支持の自治労傘下労組に加入している。社保庁存続ならほぼ全員の首がつながる。九州地方の社会保険事務所に所属し、のぞき見での懲戒処分歴のある40代の職員は「職を奪われるまでのことをした覚えはない」と期待を寄せる。
社保庁幹部は「民主党は内定者を取るか、労組の利益優先と批判されても処分歴のある職員を取るか、という選択になる」と指摘する。年金機構設立を認めれば「官僚に屈した」と言われかねず、民主党幹部も「どっちを選んでも自民党には批判される」と頭を抱える。
年金機構移行が本音の厚労省は、民主党に水面下で複数の「打開策」を提示。「将来、年金機構から記録業務を切り離し、保険料徴収部門を国税庁に統合する」とした上で、(1)機構の職員を公務員身分に改めて歳入庁に移す(2)歳入庁を特殊法人化--などだ。
自らが望む方向に誘導しつつ「歳入庁も実現可能です」と民主党をくすぐる、官僚らしい手法だ。一方で歳入庁構想には財務省が強く抵抗している。「歳入庁などそうそうできっこない」(幹部)との想定で、社保庁改革を中ぶらりんの状態に置く構えのようだ。
民主党内では先送り論も浮上している。日本年金機構法は、設立時期を「10年4月1日までの間の政令で定める日」とし、政令で「10年1月1日」になっている。法改正なしに3カ月間結論を延ばすことは可能だ。民主党幹部は「結論は新内閣で責任者が決まってからだ」と漏らす。【野倉恵、鈴木直】
毎日新聞 2009年9月11日 東京朝刊