科学エッセイ2006

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ぼくの動物図鑑 2005/12/23 2006/5/4
ぼくのサル図鑑 2005/12/23 2006/9/4
人間の本能と性行動 2005/12/5 2006/11/9
言語の起源 2005/11/26 2006/4/30
フローレス原人の発見 2005/11/24 2006/6/30
目の色 2005/11/7 2006/4/30
クイズ ライフヒストリー 2005/11/4 2005/11/4
ヒトのライフ・ヒストリー 2005/11/4 2006/4/30
静脈はなぜ青い(補足) 2005/11/1 2006/4/30
静脈はなぜ青い 2005/10/28 2006/11/16
味覚という文化 2005/10/27 2006/4/30
シラミと人類進化 2005/10/24 2006/6/14
許容 2005/10/20 2006/11/2
食人 2005/10/12 2007/2/21

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ぼくの動物図鑑


哺乳網 CLASS MAMMALIA

食肉目 ORDER CARNIVORA

ネコ科 Family Felidae

ライオン Panthera leo

コンゴ民主共和国 カフジビエガ国立公園

ライオンは、東アフリカや南アフリカの自然公園なら、たいがいのところで観察できる。
ライオンは、姉妹のライオンとこどもたちのグループに、一頭〜数頭のオスが加わる集団(英語でpride)で暮らす。


ライオン Panthera leo

ケニア アンボセリ国立公園



ハイエナ科 Family Hyenidae

ブチハイエナ Crocuta crocuta

ケニア アンボセリ国立公園
巣穴から出てきたところ。

ブチハイエナも、数は少ないが、多くのアフリカの自然公園で観察できる。



奇蹄目 ORDER PERISSODACTYLA

ウマ科 Family Equidae

サバンナシマウマ Equus zebra 

ケニア アンボセリ国立公園

多くの自然公園で観察できる。



偶蹄目 ORDER ARTIODACTYLA

ウシ科 Family Bovidae

 

 アフリカスイギュウ Synceros caffer

 タンザニア アリューシャ国立公園



 オグロヌー Connochaetes taurinus

 コンゴ民主共和国 カフジビエガ国立公園
 ヌーは大群をつくる。

 ケニア以南の自然公園で観察できる。


オグロヌーConnochaetes taurinus

ケニア アンボセリ国立公園


トムソンガゼル Gazella thomsoni

ケニア アンボセリ国立公園



カバ科 Family Hippopotamidae

カバ Hippopotamus amphibius

コンゴ民主共和国 カフジビエガ国立公園
夜行性で昼は水に入っている。



キリン科 Family Giraffidae

キリン Giraffa camelopardalis

タンザニア アリューシャ国立公園

ここは多少開けているが、この公園では、森の中にキリンがいる姿が観察できる。草原にいるキリンより、少し背(首?)が低い。



長鼻目 ORDER PROBOSCIDEA

ゾウ科 Family Elephantidae


アフリカゾウ Loxodonta africana

ケニア アンボセリ国立公園



イワダヌキ目 ORDER HYRACOIDEA

ハイラックス科 Family Procaviidae

ハイラックス Procavia spp.

ケニア山の標高3500mの地点で。



翼手目

大翼手亜目

オオコウモリ科

オオコウモリ

インドネシア・ボゴールのボゴール植物園にて。種は不明。

 オオコウモリが枝にたくさんぶら下がっている。

ボゴール植物園は、広大な敷地に数々の熱帯植物が茂っている。木生シダやこのオオコウモリが売りだ。
 日本からのツアーはない。ジャカルタの旅行社に頼んで車とガイドを手配してもらうのが良い。ジャカルタから車で1時間足らずで行ける。

爬虫綱 CLASS REPTILIA

有鱗目

オオトカゲ科

コモドオオトカゲ Varanus comodoensis

インドネシア コモド国立公園
体長3メートルになる大型のトカゲ。肉食。

コモド島には、日本からツアーは設定されていない。わたしは、インターネットを通じて、ジョグジャカルタにある日本人が支配人の旅行社に手配を頼んだ。
 デンパサール(バリ島)からスンバワ島かフローレス島へ飛行機で飛び、観光船に乗り換えてコモド島に行く。3〜4日の行程になる。



作成:2005年12月23日   最終更新:2006年5月4日


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ぼくのサル図鑑

 サルは霊長目に属す哺乳類の一群で280種ほどが含まれる。動物のなかでも優れているとするヒトを含むので、学名の命名法を決めたリンネがPRIMATES(第一のもの)という名前をつけた。しかし、歯が多く指も5本あるなど、先祖の原哺乳類に最も似た原始的な動物である。(ちなみに、歯や指は原哺乳類では多かったのに、後の動物では進化するほどに数が減っている。たとえばウマの指は1本しかない。)現生のサルは、すべて樹上性のサルに由来する。そのため、親指と他の指とのあいだで枝をつかむことのできる手を持ち、目が顔の前面について立体視ができるのが特徴である。


哺乳網 CLASS MAMMALIA

霊長目 ORDER PRIMATES

ヒト上科 Superfamily Hominoidea

ピグミーチンパンジー(ボノボ、ビーリャ) Pan paniscus

コンゴ民主共和国ワンバの森で撮影(*1)
雄が雌を交尾に誘っている。

 コンゴ民主共和国のコンゴ川左岸だけに生息する。絶滅危惧種で、すでに1万頭を割っている。
 チンパンジーとは、150万年前に系統が分岐した。その共通祖先と人類の祖先とが分岐したのが600万年前。現生人類に最も近縁の動物である。
 複雄複雌の集団で生活する。雄雌とも8歳くらいで青年になる。雌は、生まれ育った群れを出て他の集団に移籍する。
 チンパンジーと形は似ているが、行動面で大きく違う。雌同士の同性愛行動が発達し、人間にとっての「おしゃべり」のような役割を果たす。
 野生のものを観察するには、ワンバ、ロマコなどの調査地に行くしかない。行きたければ、研究者に連絡しなければならない。飼育しているものでは、ベルギーのアーネム動物園や米国のサンディエゴ動物園が有名である。
 日本人の研究者としては、加納隆至、黒田末寿など。


ヒト Homo sapiens

 二本足で立って歩くサルを人類と呼ぶ。人類は、600万年前に誕生した。それ以来、数多くの種が生まれては絶滅していった。ヒトは20万年前、アフリカに誕生した。5万年前には、地球上にヒトのほか少なくとも3種の人類がいたがすべて絶滅し、現在ではヒト一種になってしまった(「食人」「シラミと人類進化」参照)。
 地球上のほとんどの陸地に棲息する。このサルの観察は容易だが、観察するという行為自体が観察される個体の行動を変えてしまうので注意を要する。また、特定の個体を「個体追跡法」で観察した場合、「ストーカー」とか「痴漢」とか呼ばれて、警察のご厄介になる危険も伴う。
 動物行動学者の日高敏隆さんは、若い頃、ある女子大のテニスコートの周囲に植えられたカラタチの葉に集まるアゲハチョウの幼虫の観察をしていたら、テニスウェアを着た女性を見るデバガメと間違えられ、よくお巡りさんにとがめられたと言って、いまでも腹を立てていた。観察対象がヒトである場合は、なおさら危険が倍加する。


ヒトの動物としての特徴は、


ゴリラ Gorilla gorilla

コンゴ民主共和国 カフジビエガ国立公園カフジ山の麓の明るい林で。
大人の雄(シルバーバック)

 3亜種ある。一夫多妻のグループで生活する。700万年前に、ヒトとチンパンジーの共通祖先と枝分れした。
 カフジビエガ国立公園(コンゴ)のカフジ山の山麓でヒガシテイチゴリラが、またブウィンディ国立公園(ウガンダ)でマウンテンゴリラの観察が可能である。ただ、人気が高く、保護のため観光客の数を制限している。ブウィンディでは、公園入口の町バララで直接予約しなければならず、何日も待たされる。カフジへは、足の確保のため、ブカブの旅行社に頼むのが良いだろう。どちらも、欧米人に比べ、日本人観光客は少ない。
 シガニー・ウィーバーが主演した映画「愛は霧の彼方に」は、マウンテンゴリラの研究者、ダイアン・フォッシーの半生を描いたものだ。ゴリラ研究のかたわら、その保護にも精力を傾けたが、現地の人によって殺害された。フォッシーは、それまでのジョージ・シャラーによる研究とは違い、荒々しいゴリラの姿を描き出した。ただ、その研究の詳細は、彼女の死によって、「霧の彼方に」消えてしまった。彼女の調査地は、ルワンダ西部のカリシンビ山とビソケー山のあいだの鞍部で、ここも国立公園に指定されている。ただ、治安に難があり、アプローチが良くない。
 また、コンゴ共和国(コンゴ民主共和国の隣国)のンドキの森も保護区に指定され、チンパンジーとニシテイチゴリラが共存するので有名だが、ここもアプローチがたいへんだ。「巨人ゴリラ」の項を参照。
 日本人研究者としては、山極寿一が第一人者である。


オランウータン Pongo pygmaeus

マレーシア・サバ州のセピロックにて

オランウータンは、それぞれボルネオ島とスマトラ島に棲む2亜種がある。1400万年前に、ヒト、チンパンジー、ゴリラの共通祖先と枝分れした。左の写真は、雌の青年で、ボルネオのP.p.pygmaeusである。雄も雌も、大人になると集団をつくらず単独生活をする。強姦(レイプ)をするサルとして有名だ。また、オランウータンは、哺乳類でもっとも出産間隔の長い動物である。8年に一頭しか産まない。

 セピロックには、オランウータンのリハビリテーションセンターがあり、日本からも多くのツアーが設定されているので、観察は容易である。サラワクのクチンにもリハビリセンターがある。ボルネオ島(カリマンタン島)インドネシア領にもリハビリテーションセンターがあるが、一般公開していない。
 サバ州のキナバル山の周囲の山林で「キャノピーウォーク」(樹上の散歩)をしたとき、レンジャーに聞いてみると、オランウータンがいると言うが、実際には見ることはほとんどないようだ。サバ州のダナン・バレーでもオランウータンが観察できる。わたしは行きたいと思っているが、まだ機会がないので、様子はわからない。。

 

オナガザル上科 Superfamily Cercopithecoidea

ニホンザル Macaca fuscata

志賀高原 地獄谷野猿公苑
交尾している(*2)

 2亜種ある(ホンドニホンザルとヤクシマザル)。中型のサルで、複雄複雌の群れをつくる。北海道と離島を除く日本列島に分布する。
 野猿公園が大分の高崎山など、各地にある。これは餌を与えているサルだが、ほんとうの野生のサルを見たければ、けっこうたいへんだ。屋久島の西部では、自動車道路をめぐるだけで観察できる。わたしの地元の丹沢山では、日向薬師のあたりや広沢寺温泉のあたり、それに仏果山でよく見かける。山梨県では、甘利山の麓や西沢渓谷の入り口でサルを見かけた。最近では、サルも人を恐れないので、数十メートル離れた場所からゆっくり観察できる。いずれにせよ、出会えたらラッキーだ。
 日本は、野生のサルの棲む唯一の先進国である。ニホンザル研究は、世界の霊長類学をリードしている。その一端をにないたい人は、性・年齢・経験を問わず、歓迎である。丹沢山塊では、福田史夫氏を中心にして調査が進んでいる。参加したい人は、福田氏にメールを(ホームページはこちら)。
 最近、人里にサルが出没する。かつては、猟師が狩っていたので、サルは人を恐れていた。しかし、いまではサルを食べる文化が失われ、むしろ人がサルを恐れるので、サルが傍若無人に振る舞う。サル対策に頭を悩ませている方は、伊沢紘生らの『サル対策完全マニュアル』を読むといい。人里に現れるのは、若い雄が多い。めったに人間を攻撃することはないので、だまって見ているのがよい。ただし、後ろを見せるのは、厳禁だ。その攻撃は、犬と違って、突然がぶりと噛みつくことはない。必ず噛む場所(脚など)を両手でつかみ、噛んでいいかい?という風に顔を見上げる。臆病なのだ。そのときにけっ飛ばせば、噛まれない(*3)
 ただ、飼っていたサルを「自然に返す」と称して放す人がいる。そんなサルは、社会行動を学習していないから、このルールによらず危険だ。ニホンザルは、群れ生活をしていて、優劣の序列がある。飼い主に対して劣位に(従順に)振る舞っていても、他の人に対しては威嚇するし、相手が逃げたりすると、優位を確認しようと噛みついたりする。人に飼われたサルは、社会的なつきあいを学んでおらず、野生の群れに入れない。飼っていたサルに対して、そんなむごい仕打ちは許されない(*4)



カニクイザル Macaca fascicularis

インドネシア南カリマンタン州パラウ・ケンバンにて

 カニクイザルは、インドネシア、フィリピン、東南アジアに広く棲む。複雄複雌群をつくる。
 野生のカニクイザルは、インドネシアのバリ島のウブドなどの寺院で、いくらも観察できる。わたしはまた、ジャワ島のパンガンダランの動物保護区でも観察した。つまり、東南アジアでは、極めてありふれたサルと言うことである。
 繁殖力がおうせいで、医学実験用に使うため、各所に繁殖コロニーがつくられている。かつて、医学実験に血液型のRh因子にも名前をとどめるアカゲザルrhesus macaqueがよく使われたが、これはインドに棲む野生のサルが捕獲され輸出されたものだ。今では捕獲が禁止されているので、実験用にはあまり使われなくなった。かわりに、カニクイザルが多用されている。
 実験動物として利用される割には、野生のカニクイザルの行動や社会の研究は少ない。




ブタオザル Macaca nemestrina

マレーシアのボルネオ島サバ州にあるセピロックにて

雄が「大あくび」をしているのを子ザルが見つめている。「俺は偉いのだぞ」と雄が言うのを、「へえ」と子ザルが見ているような雰囲気だ。
 「大あくび」は、マカカ属のサルに広く見られる軽い威嚇の表情である。
 飼育下での観察は、かなりされているが、野生のものの行動観察は、比較的限定的である。そのひとつには、このサルは体が大きく、緊密な群れをつくるので、観察者が攻撃されたとき、かなりの危険があることもある。
 武蔵大学の丸橋環が、1998年から、タイ国カオヤイ国立公園でブタオザルの調査を始めている。



クロザル Macaca nigra

インドネシア タンココ国立公園にて。大人の雄。

 アクセスについては、「タンココ」を参照。

 日本人は、まだ研究していない。わたしの観察した印象では、餌のなる木に複数の大人雄が同居できるなど、優劣階層が顕著でなく、比較的平和な群れをつくるように思えた。ニホンザルでは、大人オスどうしのコミュニケーションはかなり限定的だが、このサルでは、頻繁に交わされる。とにかく、興味深いサルである。



オリーブヒヒ(アヌビスヒヒ) Papio anubis

コンゴ民主共和国 カフジビエガ国立公園

 公園のゲストハウスの前の道で、若い雄が「取っ組み合い遊び」をしている。
 複雄複雌の群れをつくって生活する。サバンナでは、草、アカシアの実や塊茎などの植物の地下部分など、もっぱら植物性のものを食べる。まれに小型のカモシカ類を狩って食べることもある。夜泊まるときは、木か崖を使う。

 カフジビエガ国立公園には、ゴマの旅行社でツアーが設定されている。ただ、ヒヒは東アフリカから南アフリカの乾燥地帯のどこでにでも棲息するありふれたサルだ。自然公園に行けば、どこでも目につく。わたしは、ケニアのアンボセリ国立公園でも見かけた。

 オリーブヒヒと呼ばれるのは、体色が濃い褐色であることによる。また、学名にもあるアヌビスとは、古代エジプトで金狼犬やこれの頭をもつ人体をした神で、死者の神である。

人類は、200万年ほど前、森を捨ててサバンナに進出した(*5)。その過程を探ろうと、やはり森林からサバンナへと版図を広げたヒヒが詳細に研究されてきた。アヌビスヒヒについては、日本人の本格的な研究はない。エティオピアのマントヒヒについては、森明雄らが研究している。




ハヌマンラングール Presbytis entellus

 インドのアグラ城で。若者たちが遊んでいる。

 もっぱら木の葉を食べる。そのため、お腹が膨らんでいる。一夫多妻の集団をつくる。雌の血縁を核とする集団に、一頭の雄が加わる形である。
 ハヌマンというのは、古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に出てくるサルの軍神。このサルは神の使いとして人びとから大切にされ、人里にもこうして出没する(*6)
 乾燥地帯に適応したサルである。杉山幸丸が「子殺し」を初めて報告して話題になった。 雄が群れ雄を追い出し乗っ取ると、雌の抱える赤ん坊を殺すのである。



クロシロコロブス Colobus angolensis

タンザニア キリマンジャロ国立公園

 写真は、キリマンジャロコロブスと呼ばれる亜種。キリマンジャロ登山の1日目の宿舎、マンダラハットのわきの森ですぐ見つかる。



キンシコウ Rhinopithecus roxellana

中国 陜西周至自然保護区(*7)
まだ若い雄

和田一雄をはじめとするキンシコウ協会のメンバーが研究している。
一夫多妻のユニットがいくつか集まる形の集団をつくる。しかし、その詳細は不明で、研究が待たれる。



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テングザル Nasalis larvatus

インドネシア南カリマンタン州のカゲッ島にて

「バンジャルマシン」の項を参照



メガネザル科 Family Tarsiidae

スラウェシメガネザル Tarsius spectrum

インドネシア タンココ国立公園(*8)


常に体軸を垂直にしていて、移動の際はぴょんと跳ぶ。
配偶者や子どもたちといっしょのねぐらを持つが、採食の時、集団はつくらず、単独で移動する。

日本人による本格的な研究はない。




(*1) ワンバについては、「コンゴ」参照。その詳細は、わたしの本『ボノボ』を参照されたい。
(*2) ニホンザルの交尾については、「性交の時間」参照。
(*3) ニホンザルに噛まれた場合、 Bウイルスになる可能性がある。噛まれないことが先決だ。
(*4) イヌやネコは、未熟で生まれ成長が遅い動物で、親に依存する傾向が強い。人間になつくので、家畜化されたのだろう。ところが、サル類は一般的に発達して生まれてくる。そのため、なつかない。某サル軍団のサルは、なついているのではなく、飼い主が優位にたって劣位者(サル)の行動をコントロールしているのだ。ニホンザルのような野生動物は、安易に飼ってはいけない。
(*5) 以前は、人類はサバンナに進出することで二足歩行をするようになったという説が有力だった。しかし、今では、人類が二足歩行をするようになったのは、500〜600万年前であるのに、森を出たのは200万年前だと考えられている。というのも、200万年より前の時代には、人類の化石骨といっしょに森林性のコロブスザルの化石が出てくるからである。つまり、人類は300万年ものあいだ、森のなかを二足で歩いていたということになる。
(*6) インドの北部では、アカゲザルが市街地に進出している。わたしは、ヴァラナシ(ベナレス)の街中で、アカゲザルの群れを見かけた。また、タイやインドネシアのバリ島などでは、カニクイザルが街中に棲む。サルは、神の使いとして、人間と共存している。しかし、日本ではニホンザルが害獣として嫌われる。野生の動物と共生するという思想が失われているのだ。悲しいことである。
(*7) アクセスに関しては「玉皇廟村」を参照。
(*8) アクセスは、「タンココ」を参照。


作成:2005年12月23日   最終更新:2006年9月4日


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人間の本能と性行動

 わたしは、いろんな場所でヒトの精子競争の説明をし、「人間はよく浮気をするものだ」とか、「実態として配偶者が一人に決まっているわけではない」とか、「それは遺伝的に決まった人間の性質だ」などと言ってきた。それで理解してもらえると思っていたのだが、どうも舌足らずだったようである。あるときある女性から、「先生は、本能のままに生きたら良いと言われるのですね」と言われて絶句した。相手が女性なら「わたしと浮気しよう」というメッセージを発していることになる。そう受け止められるのは、たいへん困るし、はっきりとした間違いでもある。ここで本能と行動との関係を説明しておこう。

 あなたは、お腹がすいたとき、ご飯を食べるだろう。血糖値が下がると、それが視床下部の食欲中枢に作用し、摂食行動を引き起こす。これは、遺伝的に決まった本能行動である。遺伝的に決まっていて、ある特定の状況で文化によらずだれもが同じような行動をする場合に、それを本能行動とよぶのである(*1)
 しかし、何を食べたらおいしいかという感覚は、ある程度までは遺伝的だが、文化によって違っている。どのように食事を手に入れるかも、文化的な制約が大きい。さらに「好み」のようなものは、個人的にも違う。どんなにお腹がすいても、レストランでお金を払わずに食べると、それは社会的に罰せられる。だから、状況によっては、本能のままに「食べる」という行動をするのは、うまく生きていく上で損である。われわれは、本能行動であろうと、ちゃんと行動をコントロールしているし、そうせざるを得ないのである。ちなみに、これは他の動物の行動にも言えることである。

 もうひとつ例をあげてみよう。われわれヒトは言葉を喋る。言語は、ヒトならだれでも使い、その基本的な文法構造が文化によらず一定で、「言語の遺伝子」があり、発達の特定の時期に特定の音韻のみを学習する能力をもつ。明らかに本能行動の要件を備えているのである。しかし、ヒトがいつ、誰と、何を喋るかを、遺伝子が決めているわけではない。日本語を喋るかフランス語を喋るかは、文化によって決まる。

 高校の生物の教科書を見ると、学習と本能が対立する概念とされているが(*2)、それは単純化のしすぎである。

 わたしは、セクソロジーのセクションで、人間の性行動について述べてきた。人間は、配偶者を一人に限定しない傾向があり、精子競争も認められると説明した。しかし、これは、読者に向けて「そうすべきだ」というメッセージを込めているわけでは、決してない。浮気をすると、社会的に不利益を被ることが多い。好きでもない人と、ねんごろなセックスをする気にもならない。それぞれの状況を見定めつつ、人間は臨機応変に行動しているのである。

 行動を決めるのは、本能ではなく、あくまで本人である。たとえ人間にレイプの遺伝要素があるとしても、レイプして良いことには、ならない(レイプの項を参照)。レイプは、日本では、女性の人権を踏みにじる犯罪とされる。犯罪は、社会的なコストがかかりすぎる(つかまると、重い刑罰をくらう)ので、遺伝的な要素があろうとなかろうと、実行しないのがもっとも良い行動戦略なのである。


(*1)「本能」は、コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンらによって創設されたエソロジー(動物行動学)の中心テーマである。エソロジーは、「刷り込み」「信号刺激」の解明など、現在でも通用する非常に重要な成果をあげた。だからこそローレンツとティンバーゲンは、ミツバチの尻振りダンスの研究で有名なフリッシュとともにノーベル生理学賞を受賞したのである。しかし、半世紀前の理論は、今ではやや古くさい。彼らの本能理論である「水力学モデル」(俗に「水洗トイレモデル」)では、「衝動」がたまってきて域値を超えると本能行動が解発され、衝動が低いレベルまで低下するとする。エソロジーの柱となるこのモデルは、現在ではほぼ否定されたと言って良い。したがって、ここで言う「本能」という言葉は、エソロジーによる厳密な定義ではなく、あくまで一般用語である。

(*2)「本能」vs「学習」というのは、エソロジーで頻繁に使われた対立概念だが、実際の行動を解釈するときには、注意が必要である。実際には、その両者が複雑に入り組んでいる。エソロジーが出現する前は行動心理学が主流で、赤ちゃんは真っ白な心で生まれて来て、そこに学習で情報が書き込まれていくと考えられた。これに対抗するパラダイムとしてエソロジーが提出され、一世を風靡したのである。現在では、行動生態学が主流の行動理論になっていて、「本能」ではなく「行動戦略」というキーワードが多用される。


作成:2005年12月5日   最終更新:2006年11月9日


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言語の起源

 われわれ人間は、言葉をあやつる。人間だけが、あやつる。人間が人間であるところの、最大の特徴だろう。そんな言葉を、いつしゃべるようになったのだろうか?
 言語の起源を知るには、ことだまの化石が見つからないかぎり、状況証拠を集めて推察するしかない。これまで、のどの形、脳の言語中枢の形、宗教や装飾など抽象的な思考の証拠から、ああでもない、こうでもないと、議論されてきた。そんななか、言語の遺伝子が発見されたのである。

言語は本能だ

 言葉を憶えることは、子供の心の真っ白なキャンバスに経験したものを書き込むだけの作業ではない。いつ、どのように学ぶかは、生まれつき決まっている。たとえば、ピンカーは、ヒトが普遍的な心的言語で思考することや、文法のスーパールールが生得的であることなどをあげて、言語が本能であると主張した(*1)。もしそうなら、言語を学ぶのに関係する遺伝子があるはずである。

言語遺伝子 FOXP2

 そんな言語の遺伝子、FOXP2が、言語の学習や文法の理解がうまくできない人の家系を調べて見つかったのである(*2)。この遺伝子が突然変異を起こして正常に働かない人は、ちゃんとした発声ができないし、聞き取りの発達が遅れる。

言語遺伝子の進化

 エナードらは、この遺伝子の塩基配列を、ヒトやチンパンジーなどで比べてみた(*3)。すると、ヒトでは、チンパンジーと系統が分かれたあと、二つの場所の塩基が変化していたのである。この突然変異を起こした遺伝子が、強い淘汰を受けて、短時間のうちに現生人に広まった。現生人がこの遺伝子を獲得した時期は、20万年前より現代までのあいだだという。20万年前というのは、まさしく現生人がアフリカでうぶごえをあげた時である(*4)

ネアンデルタール人と言語

 言語の起源に関連して、ネアンデルタール人に言語があったかどうかが、議論されてきた。のどの形から見て、あまり多くの母音を出せなかったことから、言語はなかったと言う人があれば、死者を埋葬したことから、それを宗教の芽生えと見て、言葉だってあったに違いないと言う人もいる。最近になって、ネアンデルタール人の骨のミトコンドリアDNAの分析に成功し、彼らが現生人類の先祖ではなく、50万年ほど前に枝分れした人類であることがはっきりした(*5)。とすれば、現生人類が20万年前以降に言語遺伝子を獲得したのだから、ネアンデルタール人に言語はなかったことになる。

 言葉は、社会集団のなかで働くコミュニケーションの手段である。そして、この言語遺伝子は、自閉症に関わる染色体領域にあるのだという(*6)。この言語遺伝子の働きを詳しく調べていけば、言葉が社会のなかでどんな働きをもっているのか、言語とは何かが、だんだんと解明されていくだろう。これからの研究が、楽しみである。


(*1) ピンカー(1995)『言語を生みだす本能(上)(下)』NHKブックス。
(*2) Lai CSL, Fisher SE, Jurst JA, Vargha-Khadem F, Monaco AP (2001) A forkhead-domain gene is mutated in a severe speech and language disorder. Nature 413: 519-523.
(*3) Enard W, Przeworski M, Fisher SE, Lai CSL, Wiebe V, Kitano T, Monaco AP, Paabo S (2002). Molecular evolution of FOXP2, a gene involved in speech and language. Nature 418: 869-872.)。
(*4) エティオピアのキビシュで、20万年前の現生人類Homo sapiensの化石が見つかっている。
 McDougall I, Brown FH, Fleagle JG (2005) Stratigraphic placement and age of modern humans from Kibish, Ehiopia. Nature 433: 733-736.
(*5) ネアンデルタール人のミトコンドリアのDNAに関して、これまでに3通りの報告がある。
 Krings M, Stone A, Schmitz RW, Krainitzki H, Stoneking M, Paabo S (1997) Neandertal DNA sequences and the origin of modern humans. Cell 90: 19-30.
 Krings M, Capelli C, Tschentscher F, Geisert H, Meyer S, von Haeseler A, Grosschmidt K, Possnert G, Paunovic M, Paabo S (2000) A view of Neandertal genetic diversity. Nature Genetics 26: 144-146.
 Ovchinnikov, IV, Gotherstrom A, Romanova GP, Kharitonov VM, Liden K, Goodwin W. (2000) Molecular analysis of Neanderthal DNA from the northern Caucasus. Nature 404: 490-493.
(*6) Li H, Yamagata T, Mori M, Momoi MY (2005) Absence of causative mutations and presence of autosm-related allele in FOXP2 in Japanese autistic patients. Brain & Development 27: 207-210.


作成:2005年11月26日   最終更新:2006年4月30日


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フローレス原人の発見

 われわれ人間の脳は、大きい。600万年前にチンパンジーと系統が分かれてから、脳は拡大の一途をたどった。脳が大きいほど知能が高くなり、より多くの子どもを残せるようになったからだ。それは、人類進化の必然的な道だった……。
 これがこれまでの定説だった。しかし、単純にそうは言えないことがわかってきたのである。

フローレス原人の発見

 2003年、インドネシアのフローレス島にあるリアン・ブア洞窟で、成人女性の化石骨が見つかった。ほぼ完全な頭蓋骨のほかに、骨盤や下肢、上肢のかなりの部分が残っていた。2004年になってこれが報告されるや否や、彼女は人類学界のスターになったのである。
 彼女は、びっくりするほど小柄だった。身長は、わずか1メートル。脳を入れる頭蓋骨の容積は、初期人類のアウストラロピテクス類と比べても小さい380立方センチだった(*1)。形をみると、これまでのどの人類とも違っているので、ホモ・フローレシエンシス(フローレス原人)と名づけられた(*2)
 フローレス原人が最初にリアン・ブア洞に現れたのは9万5000年前で、1万3000年前まで生存していた。最後の年代は、日本で縄文時代が始まるころである。原人が、こんなにも最近まで生存していたことには、まったく驚かされる(*3)

小頭症……ではない

 その年代があまりに新しくて、しかも体や頭がとても小さいので、小頭症になった現生人ではないかと疑問視する人もいた。しかし、フローレス原人の頭蓋内の形を見るかぎり、小頭症の人ではなくホモ・エレクトゥスに似ていた。小頭症の現代人ではないことが、わかったのである(*4)

高度な文化をもつ

コモドオオトカゲ
体長3メートルにもなる大型のトカゲである。現在は、フローレス島の西隣にあるコモド島に生息する。肉食で、1972年には観光に来た子どもが食べられている。ちなみに、コモド国立公園は、自然遺産に指定されている。(コモド島で撮影)

 フローレス原人の遺跡からは、見るからに精巧な石器がたくさん出土した。鋭利で薄い石器も出てくる。これを槍の穂先に使ったと考えられている。石器といっしょに、小型のゾウであるステゴドンゾウ、コモドオオトカゲ(右図)、カエルや魚などの骨が出てくる。これらの動物を狩っていたのだろう。骨の一部は焦げていたから、料理をしていたらしい(*5)(*6)
 フローレス島は、動物地理区で言うとオーストラリア区に属している。いまだかつて、アジア大陸と陸続きになったことがない。それなのに、フローレス原人がこの島にやってきた。海を渡ったのである。泳いでわたるわけにはいかないから、船かイカダのようなものを発明したに違いない(*7)


 もともとジャワ島などに住んでいた原人(ホモ・エレクトゥス)が、フローレス島にやってきたのだろう。ホモ・エレクトゥスの脳は1000立方センチくらいである。それが、フローレス島に来て生活するうちに、1/3にまで小さくなったのだ。これはゴリラよりも小さい。そんなちっぽけな脳をもつ人類が、ホモ・エレクトゥスと比べても進んだ文化をもっていたのである。脳が常に拡大する方向に進化したというこれまでの定説を、完璧に打ち崩した発見だった。
 これは、なぜ人間がこんなにも大きな脳をもっているのかについて、新たに深刻な謎をもたらした。人間の大人の脳重量は、体重の1/40なのに、脳を潤す血流量は体全体の1/5に達する。脳が小さくても良いのなら、なぜわれわれ人間は、こんなにもエネルギーを浪費する器官を維持しているのだろうか?


(*1) オトナの脳の重量は、日本人の男で約1350グラム、女で約1250グラムである。頭蓋の内容積は、この数値より100くらい大きい。
(*2) Brown P, Sutikna T, Morwood MJ, Soejono RP, Jatniko, Saptomo EW, Due RA (2004) A new small-bodied hominin from the late Pleistocene of Flores, Indonesia. Nature 431: 1055-1061.
図はここのサイトに。
(*3) 現生人Homo sapiensは、約20万年前にアフリカで誕生した。そして、5〜6万年前にアフリカを出て、世界各地に広がった。一方、原人Homo erectusは、100万年以上前に現生人の祖先と枝分れし、おもにアジアに分布していた(分岐年代は、まだよくわかっていない)。北京原人やジャワ原人などが有名である。
 日本にも、約3万年前までに現生人が到達したらしい。それより前の人類については、遺跡の石器をねつ造した人がいたため、考古学の学界が大混乱に陥ったままで、よくわからない。もし本当に人類がいたとすれば、それは原人である。日本列島はアジア大陸と陸続きだったのだから、原人がいても不思議はないが、とにかく証拠があやふやだ。
(*4) Falk D, Hildebolt C, Smith K, Morwood MJ, SutiknaT, Brown P, Jatmiko, Saptomo EW, Brunsden B, Prior F (2005). The brain of LB1, Homo floresiensis. Science 308: 242-245.
(*5) Morwood MJ, Soejono RP, Roberts RG, Sutikna T, Turney CSM, Westaway KE, Rink WJ, Zhao J-x, van den Bergh GD, Due RA, Hobbs DR, Moore MW, Bird MI, Fifield LK (2004). Archaeology and age of a new hominin from Flores in eastern Indonesia. Nature 431: 1087-1091.
(*6) ステゴドンゾウは、小さいとはいえ、大きなウシくらいあるゾウである。ここまで大型の動物になると、ネアンデルタール人でも狩れなかったかもしれない。マンモスなどのゾウを狩れるようになったのは、現生人が出現してからである。
(*7) 東南アジアの地図を見ると、アジア大陸はマレー半島で終わり、それより東にジャワ島とボルネオ島がある。ジャワ島から東に向かって小スンダ列島の島々があり、バリ島、ロンボク島、スンバワ島、コモド島、フローレス島と並んでいる。アジアとオーストラリアの動物地理区を分けるウォーレス線は、バリ島とロンボク島のあいだのロンボク海峡を通る。この海峡は水深が深く、氷河期にも陸続きになったことはない。両島の距離は、50キロメートルくらいあり、ちょっと泳げない。だからこそ動物地理区を分ける障壁になったのである。ちなみに、ジャワ島やボルネオ島は、氷河期にはアジア大陸の一部だった。そのあいだの海は浅く、飛行機から見下ろしても海底がのぞける。これらが島になったのは、地球が温暖化した13000年くらい前のことである。


作成:2005年11月24日   最終更新:2006年6月30日


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目の色

 欧米の恋愛小説には、吸いこまれるような恋人の青い瞳を、うっとりと見つめる場面がよく出てくる。目の色は、人によって、青、緑、灰、茶、黒といろいろだ。人間の体の中でも、いちばんバラエティに富んでいる。なぜこんなに、いろんな色がついているのだろう?

虹彩

 目の色とは、実際には虹彩の色のことだ。虹彩を見ると、前の方の組織(虹彩支質)と、後ろの真っ黒な細胞層(色素上皮層)からなる。図では、倍率が低いので、虹彩支質の前の方が無構造に見える。支質の後ろの方には、メラニン色素や血管が分布している。

目の色のしくみ

 虹彩支質の前部の厚さが薄くほとんど色素を含まない場合、虹彩は青く見える。これは、光の散乱による(*1)

 虹彩支質がもっと厚くなると緑色になる。光の散乱は波長が短いほど顕著で、波長の長い赤は、もっとも散乱されにくい。つまり、青と緑の光が散乱を受け、赤が後ろのメラニン色素で吸収されて緑に見えるのである。

 虹彩支質の前部が厚く、メラニン色素をもたず、散乱物質がなければ、灰色になる。虹彩支質の後部の血管周囲にメラニン色素があるので、血の色は透けて見えない。

 虹彩支質の前部に茶色のメラニン色素をもつ。

 虹彩支質の前部に黒いメラニン色素をもつ。

アルビノ(白子) メラニン色素をもたないため、支質後部にある毛細血管の血が透けて見えて、眼がピンクになる。

「目の色」

 よく小説に「目の色が変わる」場面がある。これは、虹彩の色が変わるわけではない。瞳孔のサイズが変化するのだ。恋人を見たり、恐怖におののいたとき、瞳孔が大きく開く。交感神経の働きで、瞳孔を開く筋肉が収縮するからである。目の色の明るい西洋人は相手の目を見つめ、瞳孔サイズで相手の感情をはかりつつコミュニケーションする。しかし、日本人は、それが苦手だ。虹彩が黒っぽく、瞳孔の大きさがよくわからないからである。


(*1) 「静脈はなぜ青い」参照。


作成:2005年11月7日   最終更新:2006年4月30日


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ヒトのライフヒストリー

クイズがまだの人は、読む前にトライしてみてください。

クイズは、何点取れましたか? 生活史(ライフ・ヒストリー)とは、耳慣れない言葉かもしれない。生物が生まれてから死ぬまでの生活の過程をさしている。いわば、生物としての人間の人生の設計図である。

第1問 寿命

 哺乳類は、一般的に言えば、体重があるほど、寿命が長い。「ゾウの時間とネズミの時間」が違うのである。サルは、同じ体重のほかの哺乳類と比べると、寿命が長い。そして、人間は、他のサルと比べても、さらに寿命が長いのである。ゴリラやチンパンジーの最大寿命が60歳程度なのに、人間は120歳と、哺乳類で最も長くなっている。

第2問 妊娠期間

 人間の妊娠期間は、サルに比べて長い。 

図1 各種のサルの体重と妊娠期間の関係をとってみたものである。両対数グラフになっている。直線は、回帰直線。その直線より上にあれば、その体重としては、妊娠期間が長いと言える。そして、ピンクの点が人間である。

第3問 出産間隔

 出産間隔は、サルに比べて短い。人間より体重の少ないチンパンジーが5〜6年間隔であるのに対し、文明生活をしていない人間では3年半ごとに赤ちゃんを産む。

第4問 子どもの期間

 人間の子ども期の長さは、サルと比べて長い。

図2 雌の体重と初産年齢の関係を示す。左図の赤い点は人間だが、サルのなかで最も初産年齢が高い。

第5問 脳の発達

 人間の成人の脳に対する新生児の脳の大きさは、サルに比べて小さい。チンパンジーでは、大人の40%の脳をもって生まれてくるのに対し、人間ではわずか25%である。大人に比べて小さい脳で生まれるほど、大人になったときの脳のサイズは大きくなる。

第6問 新生児の成長の状態

 人間の赤ちゃんは、サルに比べて未熟で生まれてくる。ウマやウシは、生まれてすぐ立って歩くし眼も見える。この性質を早成性と言う。反対に、イヌやネコは、眼は開いていないし、ひとりで歩くこともできない。これを晩成性と呼ぶ。サルは、早成性の動物である。ところが、人間は晩成性なのである。アドルフ・ポルトマンは、これを「二次的晩成性」と呼んだ。

第7問 離乳の時期

 人間の離乳の時期は、サルに比べて早い。チンパンジーの離乳が5歳なのに対し、人間の離乳は2歳半だ。ピンクの点が人間を表している。回帰直線より低い。

図3 各種のサルの雌の体重と、赤ちゃんの離乳の時期との関係を示している。回帰直線より下は、その体重にしては、離乳の時期が早いことを示している。そして、ピンクの点が、人間である。

第8問 閉経後の期間

 人間は、ほかのサルと比べて、閉経後が長い。繁殖しない個体が長生きすることが、人間の特徴である。

第9問 子どもの死亡率

 もちろんこれは、文明以前の人間のことだが、サルに比べて高めである。人間の女性の初産(19歳)から閉経(40歳)までに、3.5年間隔で出産すると6人の子どもを産むことになる。人口が一定と仮定すると、その2/3は、大人になる前に死ぬことになる。

第10問 人類の誕生

 二本足で歩くサル、人類が誕生したのは、600万年前くらいである。そして、現生人類(ホモ・サピエンス)が生まれたのは20万年前。そのとき、われわれの先祖は、ここまで述べてきたような性質を獲得したのである。人類史を考えても、ごく最近のできごとなのである。

人間の人生の設計図

 人間は、未熟で脳がまだ小さいうちに生まれ、長い時間をかけて成長する。脳が長時間かけて大きく成長するため、多くのことを学習することができる。(大人になってしまうと、頭が硬くなるというのが、まさにわたしの実感だ)。そして、女性は未熟な赤ちゃんを産み、まだ未熟なうちに離乳させ、次の赤ちゃんを産んでいく。そのため、文明以前には子どもの死亡率が高かった。また、女性は閉経後も長く生きる。一説には、子どもがまだ世話のやける時期に離乳し、お祖母さんが子どもの面倒をみることにし、母親は次の赤ちゃんを産んで、子育てを分担をするためだという。そして、哺乳類最長の寿命をまっとうすれば、120歳まで生きられる。これが、人間のライフ・スタイルなのである。


 図は、すべてオリジナルである。引用する場合には、必ず出典を書いてください。


作成:2005年11月4日   最終更新:2006年4月30日


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静脈はなぜ青い(補足)


わたしは、静脈がなぜ青く見えるかについて書いてから、インターネットでこれがどう扱われているか検索してみた。とにかく、記載が多い。みんな、やっぱり不思議なのだ。あんまり多いので、全部見たわけではないが、以下のような説が見つかった。

(1)フィルター説: 赤い血の反射光が、皮膚を通過すると青くなる。(これは、さすがに納得できず、不思議だと書いている人が多い。フィルターでは、もちろん光の波長は変わらない。赤が青になるわけがない)

(2)乱反射説: 赤い光は乱反射して皮膚を通過できず、青い光だけが通過するので、青く見える。(それなら、手を太陽にかざしたとき、手が青く見えるはずだ。これは、散乱説のちょうど裏返しだから、どこかでまちがえただけかもしれない。それにしても、物理学を知らない!)

(3)静脈の壁は青い説: 中を流れる血は赤いが、血管の壁が青い色をしている。(なるほど!? これは、静脈を直接見れば、すぐにわかることだ。目の眼瞼結膜を見ても赤いから、まちがいがわかる。)

(4)散乱説: もちろんこれが正しい。これも書かれているが、かなりマイナーだ。多数決にかけられたら、確実に敗北する。散乱は、そんなに理解が難しいのだろうか?

 静脈の色のように、こんなにも不思議がられ、しかも、こんなにも間違った説明がされているものは、あまりないのじゃないだろうか。インターネットは、便利でもあり、恐くもある。静脈の色くらいなら、あまり害にならないから、いいけれど。みなさん、インターネットで調べ物をするときは、くれぐれも気をつけて!
 ところで、Googleで検索したら、例の記事がいちばん最初に出てきた。新聞社だけに影響が大きい。その分、散乱説は、さらに肩身が狭くなったようだ。「それでも地球はまわる」とでもつぶやくか。


作成:2005年11月1日   最終更新:2006年4月30日


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静脈はなぜ青い?

 腕の血管を見ると青く見える。これは、「皮静脈」と呼ばれる血管だ。静脈には、血が流れている。血は赤い。それなのに青く見えるのはなぜだろうか。体色の謎を解き明かそう。

静脈が青いのは光の散乱
 自然界に、青い色素がないのに青く見える現象は、数多い。光の散乱現象だ。


人間のもつ色の物質
 人間の皮膚色を決める色素は4種類しかない。
(1)オキシヘモグロビン(動脈血の色で、明るい赤)(*1)
(2)デオキシヘモグロビン(静脈血の色で、暗い赤)
(3)メラニン(褐色から黒。黒髪やホクロの色)
(4)カロチン(黄色。黄色人種のみ)
 これらをまぜあわせても、青い色はつくれない。

人間の体の青い色

  1. 蒙古斑、青あざ: 皮膚の下に黒いメラニン色素が沈着している
  2. ひげ剃りあと、丸坊主の頭: 皮膚に埋もれた毛根(黒)が透けている
  3. 青い目: 虹彩組織の奥にメラニン色素をもつ真っ黒な細胞層がある(*2)
  4. 青みがかった白目: 赤ちゃんの白目は青みがかっている。これは、白目の成分のコラーゲンの層が薄く、その奥のぶどう膜(=脈絡膜、赤黒い)が透けるためである(*3)
  5. 静脈: 皮膚を通して赤黒い静脈血を見る(*4

    いずれも手前に組織があって奥に黒(メラニン)や赤黒いもの(静脈血)がある。これが青く見えるのは、下図に示すように、手前の組織で青い光だけが散乱され、残りの赤や緑の光が向こうの色素に吸収されてしまうからである。(*5)
実際には、角質層でかなりの光が反射され(白)、また、真皮の毛細血管の色(赤)が加わり、さらに皮下脂肪のカロチンの色(黄)も加わるので、反射光は、いわゆる「肌色」になる。日焼けしていると、さらにメラニンの色も加わる。(*6)
 皮膚の図を参照

新聞記事の誤り
 以前、某新聞日曜版の子ども向け記事に、「血管が青いのはなぜ?」というのがあった。

 「白い光で照(て)らしたとき、血からは赤い光の成分(せいぶん)が反射してきて赤く見えるのだけれど、同じ白い光で照らしても、皮膚や血管の壁を通して反射してくると、光の色は少し青っぽくなるというわけ。」

というわけのわからない結論を出していた。そこで、わたしは新聞社にメールで「間違っている。空の青さと同じ光の散乱現象だ。物理の先生に取材すべきだ」と指摘した。その返事が、

 「内科の先生に再度問い合わせて、散乱ということで意見が一致した。しかし、空の青さとは違い、何が光を散乱させるのかが不明なので、(青く見える)原因がわからないと書いた(のが、間違いではない)

というものだった。「白馬は馬にあらず」。この詭弁が、新聞社の回答だった。

 静脈で光が反射されないから青く見えるのだが、記事は、「赤い反射光が皮膚のフィルターによって青くなる」という、よくある誤った見方に近い。科学記事を書く記者なら、簡単な実験で確かめられるのだから、その探求の姿勢を子どもたちに示すべきだ。その考え方こそ、科学なのだから。

なぜ角膜は透明なのか
 同じコラーゲンでできているのに、白目は白くて角膜は透明だ。角膜は、何枚もの板からなるが、その板をつくるコラーゲン繊維の方向が、きれいに揃っている。こうして、繊維が揃っていると、乱反射がなくなり、透明になるのである。
 目のレンズが透明なのも同じだ。クリスタリンというタンパク質がいっぱい詰まったレンズ繊維という細長い細胞でできているが、それがきれいに揃っている。
 透明な魚がいるのをご存じだろうか。この場合は、筋肉の繊維がきれいに揃っているのである。

体が冷えたとき唇が紫になるのは?
 プールで体が冷えたときなどは、表面に分布する毛細血管に血が行かなくなり、奥の静脈が透けて見える。だから、紫に見えるのだ。このとき、血液は、毛細血管を通らずに、動脈から動静脈吻合部を通って静脈に流れる。体表面の温度を下げ、内部の体温を維持するための仕組みだ。毛細血管への血流量は、毛細血管の入り口にある平滑筋によってコントロールされる。唇が冷やされて血管がちぢまり、流れにくくなったわけではない。
 皮膚の色が青くなるチアノーゼというのは、血液のデオキシヘモグロビンが増えることで起こる現象である。唇が紫になるのとは、青くなる原因が違っている(*7)
 


より専門的な記事が読みたければ、機能構造学HPの読み物を読んでください。ただし、内容的には同じです。

(*1) ケガをしたときに出る血は、動脈血と静脈血が混じっている。静脈血は、ケガのときのそれよりさらに暗い。採血のときの、あのどす黒い血だ。それに対して、動脈血は、ほんとうに明るい赤である。
(*2)虹彩の色は、「目の色」の項を参照。
(*3)骨の折れやすい骨形成不全症の人は、コラーゲンをあまりつくれないため、白目のコラーゲンの層(強膜)がとくに薄く、白目が青い(青色強膜)。
(*4)動脈は、管が丈夫にできているため、肉眼で直接見ても中が透けて見えず白っぽい。だから、皮膚を通しては、毛細血管に紛れて見えない。外科医は、動脈がどこにあるかをあらかじめ知り、拍動で確かめる。
(*5)ある学生と雑談したとき、この話をすると、「では、青を抜いた光を当てたら、静脈は青ではなく赤に見えるのか」とすぐさま反応した。偉い! こうして簡単に実験で証明できる。
 理科の実験では、皮膚みたいな光を散乱する膜を用意し、透過光ではオレンジ色に見えること、赤黒い紙を向こう側においた反射光では青く見えることを示せばよい。
(*6) より正確に説明しよう。皮膚は、表面の表皮と、その奥の真皮からなり、その下が皮下組織である。表皮の表面には角質層があり、ここで光が反射される。また、表皮基底層にはメラノサイトがあり、基底細胞にメラニンを供給している。真皮の浅い層を乳頭層と言い、ここに毛細血管が多く分布している。その血の色が透けて赤い反射光を加える。さらに、皮下組織には皮下脂肪があり、黄色人種の場合、ここにカロチンがある。この皮下組織に、静脈や小さな動脈が分布する。皮下組織の向こうには、筋肉や腱がある。これらは、丈夫で白い膠原繊維に包まれていて、すべての光を反射する。
(*7)チアノーゼcyanosisは、語源的には、皮膚がシアン色(cyan青)になるということを言う。某新聞の記事では、この語を唇が青くなるときにも使うとして、

 「寒(さむ)さで唇の血管がきゅっと縮(ちぢ)まって、血が流れにくくなったからよ。「チアノーゼ」というの。心臓(しんぞう)の病気などで酸素が不足して起こる場合もあるわ。」

とある。これでは、子どもたちは心臓病だと血が流れにくくなってチアノーゼになると誤解してしまう。


作成:2005年10月28日   最終更新:2006年11月16日


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味覚という文化

いろんな国に行ってみると、料理の味が違うと、つくづく思う。そこで、わたしの行ったことのある国を、独断と偏見で、以下のように3つに分けてみた。もちろん、わたしが行くレストランは、最高級ではなく、それより一段低いレベルである。

料理のおいしい国 中くらいの国 料理のまずい国
フランス
コンゴ
中国
香港
ベトナム
日本
インドネシア
ベルギー
イタリア
ペルー
カンボジア
タイ
インド
ネパール
パキスタン
マレーシア
米国
オーストラリア
ケニア
ウガンダ

 パリで食べたステーキのうまさには、感動した(ステーキは、もともとフランス料理だと聞いた)。おなじ中国系の人がつくる中華料理を食べても、コンゴではうまかったのに、隣国のウガンダやケニアはまずかった。オーストラリアの中華料理も、ひどくまずい(もっとも、田舎町のアデレードしか行ったことがない)。米国も、量は多いが、どうにも大味で、繊細さがまるでない。中国人のコックも、土地柄に合わせて、料理をうまくしたり、まずくしたりしているようだ。郷に入りては郷に従え、なのだろう。
 これは、味蕾などの化学センサーから受け取る信号は同じでも、脳での処理の仕方が、それぞれの文化で育った人で違うことを示している。味覚ばかりでなく、寒さの感覚、痛みの感覚も、文化的な背景が大きい。
 皆さんは、これまで、生理的な現象だから、だれでも感じることは同じだと思っておられませんでしたか? それは、間違い。
 感じるのは、脳である。人間は、かくも文化的な存在なのである。


作成:2005年10月27日   最終更新:2006年4月30日


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シラミと人類進化

 ヒトジラミは、人間だけにしか寄生せず、人類に寄り添って進化してきた。そのシラミの研究から、人類進化の様子が見えてくる。

ヒトジラミとは
 ヒトに寄生するシラミには、ヒトジラミとケジラミの二種類がある。ヒトジラミは、発疹チフス、五日熱、回帰熱などを媒介する吸血害虫である。以前は、ヒトジラミをアタマジラミとコロモジラミの二亜種に分けていたが、遺伝子の解析によって、今では同じ種類であることがわかっている。アタマジラミは、今でもときどき幼稚園や保育園の子供のあいだに流行する。
 シラミは寄生する動物の種類が厳密に決まっている(*1)。そのため、宿主(寄生する動物)の系統が進化の過程で枝分れすると、シラミも同じように分岐して、宿主に寄り添って進化してきた。たとえば、約600万年前、人類の系統とチンパンジーの系統が枝分れしたときには、シラミもヒトジラミとチンパンジーシラミに分岐したのである。

ヒトジラミと人類の系統
 ヒトジラミには、形や生態は同じだが、118万年前に分岐した2系統があることが、遺伝子の解析から判明した。このことからリードらは、ヒトジラミの系統が分岐した118万年前に、当時の人類であるホモ・エルガステルの系統が、2つに分かれたと推定した(*2)。ひとつがホモ・エレクトゥス(原人)の系統で、もうひとつがホモ・サピエンス(現生人)の直接の祖先である。
 ホモ・エレクトゥスは、アフリカを出て、アジアに広く住んでいた。今からおよそ3万年くらい前、ホモ・エレクトゥスのすむ東アジアの一角に、現生人の一群がやって来たのである。このとき、ホモ・エレクトゥスに寄生していた原人型ヒトジラミが、現生人にうつったのだ(*3)。ホモ・エレクトゥスは、現生人と接触してから、ほどなく絶滅してしまった。そして、原人型のシラミをもった現生人は、ベーリング地峡を通ってアメリカ大陸へと移動していった。だから、原人型のシラミは、アメリカ大陸に住む人のあいだにだけ見つかるのだと言う。

衣服の起源?
 リードの論文より前に、ヒトジラミのなかのコロモジラミの遺伝子を解析し、5、6万年前に今のコロモジラミが出現したと考え、衣服を着始めたのがこのころではないかという論文が出版された(*4)。しかし、それは、そのころシラミの数(虫口)が激減し、遺伝子のバラツキを失ったことを意味しているだけで(*5)、衣服の起源までは推定できない(*6)。われわれ人類は、遺伝子のバラツキが極めて小さい。それは、6万年くらい前に人口が激減し、遺伝子のバラツキを失ったからである。現生人に寄生していたシラミも、このときいっしょに激減してしまったと考えられるのである。

 人類進化の道筋を、寄生虫の遺伝子から解き明かせば、人類の化石の研究と突き合わせて、新たな角度から仮説の検証が可能になる。これは、とてもおもしろい研究だ。



(*1) 一般に、寄生体が寄生する相手を宿主と呼ぶ。シラミのように、寄生体と宿主の関係が一対一の関係である場合を宿主特異性があると言う。ノミは、ヒトノミでもネコにたかったり、ネコノミがヒトの血を吸ったりするので、あまり宿主特異性が高くない。だから、もともとネズミの伝染病だったペストが、ケオプスネズミノミに人が噛まれることによって、ヒトにもうつるようになったのだ。
(*2)Reed DL et al. (2004). Genetic analysis of lice supports direct contact between modern and archaic humans. PLoS Biology 2: 1972-1983.
(*3)シラミは、寄生しているところから離れることがない。そのため、うつるためには、服を交換するとか、頭と頭をくっつけるとか、物理的に接触する必用がある。Reedらは、ホモ・サピエンスが、殺したホモ・エレクトゥスの頭を割って脳を食べたときにシラミがうつったのではないかと推測している。(食人の項、参照
(*4)Kittler R et al. (2003). Molecular evolution of Pediculus humanus and the origin of clothying. Current Biology 13: 1414-1417.
(*5)ボトルネック効果という。
(*6)そもそも、アタマジラミとコロモジラミが同じものなので、その遺伝子を解析しても、服をいつ着たかはわからない。


作成:2005年10月24日   最終更新:2006年6月14日


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許容

 古くから、人びとは人間の本性が「善」か「悪」か議論してきた。しかし、人類の進化を考えるとき、「善」と「悪」の二元論は、あまり意味がないように思える。

攻撃の抑制

 ノーベル賞学者、コンラート・ローレンツは、本能の研究で有名だ。オオカミは、ケンカしたとき、負けた方が首筋を差し出し、勝った方はそれに噛みつきもせずに許す。彼は、相手を殺せるほどの武器をもつ動物は、負けた相手に対する攻撃を抑制するように進化したと主張した。おりしも、第二次世界大戦があり、人類は悪である攻撃を抑制できない動物だと、彼は絶望し悲嘆にくれたのである。

ゴリラのけんか

ゴリラの雄
大人の雄は背中が白くシルバーバックと呼ばれる。コンゴのカフジ・ビエガ国立公園にて。

 ゴリラは、一夫多妻の家族群で生活する。一家を構える雄、シルバーバックは、近くに雄がやってくると迎え撃つ。二頭は、鋭い犬歯で噛み合い、筋肉隆々の腕で組みつき、組んずほぐれつ、争う。争ったあとは、森の下生えが2キロにわたってなぎ倒され、むしり取られた毛が落ち、点々と鮮血が散っている。
 ゴリラは、一家を構えていなければ、雄どうしでも、けんかしない。雌どうしも、あまりけんかしない。つまり、雄は、自分の配偶者をとられないように、近づく雄に対してケンカするのだ。

チンパンジーのけんか

 チンパンジーの雄には、ゴリラほどの戦闘力はない。せいぜい、人間の2倍程度の筋力だ。集団の雄とのケンカは絶えない。しかし、同時に仲間でもある。
 チンパンジーは、雄と雌が複数いる比較的大きな集団で生活する。集団は、それぞれナワバリを構え、他の集団からそれを防衛する。他の集団が攻め込んできたとき、もし戦士の数が少ないと撃破され、殺されてしまう。たとえ殺されなくても、ナワバリを失っては生活ができない。だから、仲間でまとまらなければ、生きていけないのだ。

ネアンデルタール人

 ネアンデルタール人は、大集団では生活していなかった。それはそうだろう。食人のところで書いたが、彼らは仲間を食料にしていたのだ。家族を殺され食べられたものが、家族を食べたやつと仲良くできるわけがない。

現生人の特徴は許容にある

路(みち)がカラコルムの斜面を縫う。401年には
中国の求法僧、法顕が、クンジュラブ峠を越え、
このようなカラコルムの険路を通ってガンダーラ
に向かった。草木一つ生えない乾燥地帯である。

 ヘロドトスは、ギリシャを出てバビロンを通り、エジプトに旅行している。玄奘三蔵や法顕は、仏法を求めて長安を立ち、シルクロードを通ってインドへおもむいた。イブン・バツータは、北アフリカ、アラビア、東アフリカ、中東、バルカン、中央アジア、インド、東南アジア、中国を訪れた。彼らは、行く先々で言葉の通じない人びととコミュニケーションをしただろう。人びとは、見知らぬ旅人が路を通っても、それを許容するのである。もしこれが、ゴリラやチンパンジーの雄だったら、まちがいなく旅人の命はない。
 他のヒト科の動物と違う現生人類の最大の特徴は、許容(tolerance for unaquainted)である(*1)。仲間として迎え入れるわけでもないし、攻撃して排斥するわけでもない。かといって、オランウータンのように、無関心でもない。挨拶もするし、宿も提供する。ときには、食事も出す。


 善と悪、攻撃と和平、本能と学習など、世界を二つに分けて考えるのは、とてもわかりやすい。それはゾロアスター教やキリスト教の人びとの哲学でもある。しかし、それで自然を理解するのは、いかにも乱暴だ。わたしには、本能の研究で偉大な業績を残したローレンツも、思想的には、いささか短絡的だったという気がしてならない。


(*1) わたしの学会発表(2006)を参照いただきたい。この「許容」という概念は、わたしが提案しているものだが、善と悪の二元論で考える米欧の思想からは生まれない。だから世界的に受け入れられることは、期待できない。たとえ科学であろうと、行動学や進化学の領域では、文化に基づく思想が色濃く投影されるのだ。


作成:2005年10月20日   最終更新:2006年11月2日


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食人

 あのおぞましい映画『ハンニバル』をごらんになっただろうか。ハンニバル・レクターは、食人で知られる「悪徳科学者」だ。彼は、捉えた捜査官の脳を切除し(ロボトミー)、それをステーキにして、その捜査官に食べさせた。捜査官は、ロボトミーのため人格を喪失し、まるで知恵遅れのように「これ、おいしいね」と言う。(その部分をカットしたものが、テレビで放映された)。これをおぞましいとわたしは思う。だが、われわれ人類が食人していた証拠が、次から次へと見つかっている。

グラン・ドリナ遺跡

スペイン北部にある78万年前のグラン・ドリナの遺跡の研究では、当時この地方に棲んでいた人類であるホモ・アンテセソールが、頻繁に食人をしていた証拠が見つかった(*1)

ムーラゲルシ遺跡

フランスの南東部にある10万年ほど前のネアンデルタール人のムーラゲルシ遺跡からは、仲間のネアンデルタール人の骨が、シカや肉食類の骨と一緒に見つかっている。それは、あたかも獲物のように、シカの骨と同じように割られていた。脳は、脂肪分に富んでおいしい。彼らは、頭蓋骨を割り、脳をおいしく食べたようだ(*2)

現生人の食人

 900年前の米国南西部の遺跡から、明白な食人の証拠が見つかっている(*3) 。11世紀から13世紀にかけてヨーロッパキリスト教国の騎士団がイスラム圏に攻め込んだ十字軍は、住民を皆殺しにしたり人肉を食べたため、人びとから「野蛮人」として恐れられた。
 14世紀の大旅行家、イブン・バットゥータは、サハラ以南の黒人王国マリ王国に滞在したとき、国王のもとへ食人種の一群が来たときのことを書いている。国王は、贈りものとして侍女を与えたところ、屠って食べてしまい、その血を顔や手にぬって王のところへ礼をいいにきた、という。
胸と手のひらの肉がいちばん上等なのだそうだ(『三大陸周遊記』)。

クールー病

 1950年に、ニューギニアのある部族の人びとに蔓延する「クールー」という奇病が報告された。クロイツフェルト・ヤコブ病(人のBSE=牛海綿状脳症)と同じように、異常プリオンによって引き起こされる病気である。人の脳を食べることによってうつる。

均衡淘汰と食人

S・ミードらは、このプリオンの遺伝子を解析して、ニューギニアの人の遺伝子に、食人の痕跡が認められることを示した(*4)。そればかりか、日本人を含めて調べられたすべての現生人で、その遺伝子が強い均衡淘汰を受けたことを示したのである。均衡淘汰は、ホモ接合体を排除するべく、ヘテロ接合体をもつように選択をすすめる。このプリオンの遺伝子がホモ接合体になると、プリオン病を発症しやすい。そうならないよう均衡淘汰を受けたことが、食人の証拠になるのである。

 われわれは、食人をおぞましいと思う。ほかの哺乳類がしないというのに、人類だけが同種の仲間を食べていたのだ(*5)(*6)。とすれば、いま生きる人間は、食人をなぜおぞましいと思うのだろうか?


(*1) Fernández-Jalvo Y, Carlos Díez J, Cáceeres I, Rosell J (1999) Human cannibalism in the early Pleistocene of Europe (Gran Dolina, Sierra de Atapuerca, Burgos, Spain). Journal of Human Evolution 37: 591-622.

(*2) Defleur A, White T, Slimak L, Crégut-Bonnoure É (1999) Neanderthal cannibalism at Moula-Guercy, Ardèche, France. Science 286: 128-131.
 食人の時、脳は必ず食べられている。それだけうまいのだろうと思っていた。だから、トルコを旅行したとき見つけた羊の脳の料理をさっそく食べてみたが、妙な臭みがあってうまくなかった。これも慣れが必用なのだろう。

(*3) Diamond JM (2000) Talk of cannibalism. Nature 407: 25-26.

(*4)Mead S et al. (2003) Balancing selection at the prion protein gene consistent with prehistoric Kurulike epidemics. Science 300: 640-643.

(*5)チンパンジーの雄は、メスのチンパンジーが抱える雄の赤ん坊を殺して食べることがある。しかし、まれな出来事で、対象は赤ん坊に限られるから、栄養の摂取量は取るに足らない。一方、ムーラゲルシ遺跡では、同種の仲間の肉の摂取量が、肉のなかの1割を超えている。仲間の人類を、日常的な食料としていたのだ。チンパンジーの子殺しとは、この点で基本的に異なっている。

(*6)シラミと人類進化の項、参照


作成:2005年10月12日   最終更新:2006年8月9日

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