私が、実家に舞い戻ったころの父は、
ひどくいらいらとしていて、
私にも母にも当たり散らし、
大変な思いをしました。
もともとが、仕事一徹の家庭を顧みない人で、
『家族旅行』というものを経験したことも
親子3人で近所のお祭りなどのイベントにも
参加したことなど、ありませんでした。
ただ、家族にお金の心配だけはさせたくないと思ってくれていて、
給料は全て母に渡してくれていました。
平日は、朝早くから夜遅くまで働き、
休日は、寝ていて、起きているときは、会社の話ばかりをする父。
当然、私と父との関係性は薄れていったのです。
今から思えば、私が実家に帰ったころの父は、
認知症であるがゆえの
『感情のコントロール』がうまくいっていなかったのではないかと思われるのですが、
私としては、私のウツもひどかったせいもあり、
父の怒鳴り声が聞こえないよう布団をかぶっているしかありませんでした。
それでも、私にとって父は父。
あきらかに認知症の疑いを持つような言動に、
なんとか早く病院に行ってもらおうと、
無い知恵を母と絞りながら『健康診断』に乗じて、
総合病院の内科に連れ出すことに成功しました。
前もって用意した『認知症では?本人は興奮して怒りっぽい』との手紙を受付でたくし、
幸運なことに、偶然その日は『神経内科』の担当医の登板日で、
認知症診断をその場ですることができました。
あれから1年半。。。
早めに薬を飲み始めたこともよかったのか、
周囲からは『認知症だとはわからない』と言われています。
最近は、少し子供返りし始めているのか、
今までにないほど、自分の思ったことを率直に口にしている父の姿があります。
『昔からそうだとよかったのにね。』
最近、母と話している事です。
父も自分の両親との確執があり、
『見返してやる』といった復讐心に燃えている部分が少なからずありました。
その両親、私にとっての祖父母も亡くなり、
子供のように、思ったことをそのままの形で口にする父。
『本当の父の姿は、今のココにあるんだろうなぁ』
そう思う今日この頃。
別居し始めの頃は、大変な思いをしたけれど、
そんな父と一緒に生活ができる時間が持てることは、
よかったんだと、思うようになっています。
父の死までのカウントダウンは始まっています。
父の頭がはっきりしている内に、
離婚できて、さらに幸せになった私の姿を見せるのが、
今の私の夢、といっていいのかもしれません。