叔母は裕福な米屋の長女であった。戦後、米屋が倒産する前に嫁いで、それなりのいい暮らしをしていたので、弟にあたる父やほかの妹には妬まれていた。
<とはいえ、戦争の頃疎開先で(庭に立派な池や川・滝のあるような生活から)皆と一緒に、それなりに貧しい生活もした。 もちろん、父や他の妹みたいに枕元に雪が積もるようなどん底の生活はしてはいない。(父らは物心ついた頃からどん底生活なので麻痺していると思われる。)>
やはり叔母は孤独だったと思う。葬儀の時、娘と孫と私以外、誰も泣かなかった。(泣いても仕方ないし諦めがつくというのは分からなくもないが、それにしても葬式らしい「暗い雰囲気」というのが無かった。誰も悲しんでいないというような雰囲気だった。)私は少し呆れたし、とても悲しい気持ちになった。
確かに叔母は裕福な暮らしをしていたとは思う。茶道の先生で自宅に立派な茶室をかまえ、旅行にも行ったり、1970年代当時最新鋭で高価だったクオーツ時計を購入した。晩年にはロレックスも愛用していた。しかしそういった趣味というのは生きていく上で必要なものの一つだと私は思う。趣味を持つ、旅行に行く、いいモノを買って永く使う。これって生きていく上で大切な事だと私は思う。叔母と私はそういったところで、暗黙のうちに通じあえていたと思う。
私は思う、人間というのは弱いものだと。最初からどん底生活をしている人は、それに麻痺していて、物質的、金銭的に豊かな人間の心の傷・弱さ・苦悩や孤独がわからい。(また、言うまでも無く、初めから裕福な生活をしている人は、少し貧しくなっただけでも辛いし、ましてやどん底生活なんて耐えられない。)叔母はあれでも、質素な生活に心がけ、周りにも気を使っていたほうだと私は思う。それでも姉妹や親父には妬まれていた。。。。
叔母は孤独だった。その孤独を理解できる人間は実の子供と孫、そして私以外誰もいなかった・・・
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