國語課の新設(その六の37) 昭和十五年十一月二十八日文部省圖書局内に國語課が新設され、大岡保三が課長に任命された。文部省分課規程によると「國語課ニ於テハ左ノ事務ヲ掌ル」として「一 國語ノ調査ニ關スルコト」「二 日本語教科用圖書ノ編輯ニ關スルコト」「三 國語審議會ニ關スルコト」の三項目が擧げられてゐる。ここで國語課が設置されるまでの文部省内の主な歴史を振り返つて見ると、明治四年七月に文部省が生まれ、五年八月學制が發布され、五年十月に「中小學校教科書籍編成ノ爲メ」に教科書編成掛が設けられ、六年三月に編書課と改稱、七年十月に廢止されてゐる。明治十三年三月新たに「學務上所要ノ圖書編輯印行等ニ關スル一切ノ事務ヲ掌ル」編輯局が設置され、十九年二月に「編輯局ニ第一課第二課及び第三課ヲ置キ其事務ヲ分掌セシム」とされ、また明治二十三年六月につくられた總務局内に圖書課が置かれ「教科用圖書ノ檢定及教育上必要ナル圖書編纂ノ事ヲ掌ル」とされ、二十六年一月「參考圖書ノ管理ニ關スルコト」といふ一項が附加された。次いで明治三十年十月に圖書局が置かれ、その第一課が「文科ニ屬スル教科用圖書ノ檢定及認可ニ關スルコト」及び「教育上必要ナル圖書ノ編纂及飜譯ニ關スルコト」を分掌し、第二課が「理科に屬スル」方面を、第三課が「他課ニ屬セサル事務」等を掌ることになつた。その後多少の變動はあるが、教科書の編纂檢定などは主に圖書局が擔當してきてをり、「國語ノ調査ニ關スル事項」といふ一項が加へられたのは明治四十四年五月のことである。次いで大正十三年十二月に至つて、圖書局の第一課が「編修課」、第二課が「發行課」とされてゐるが、昭和十五年十一月に右二課の外に「國語課」が加へられたわけである。
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