大岩・佐伯の綴字論爭 (六−21) 昭和十年四月、岡倉由三郎、石黒修などにより「言語問題懇話會」が設立され、五月より『言語問題』(月刊)が創刊されたが、翌十一年一月、大岩正仲はモの『言語問題』に「日本式及び標準式の理論を吟味しつゝ」を發表し * 例へばジ・ヂの頭子音は全く同一の音なのであるからもちろん意味の區別も表はし得ず全く同じ位置にあり得たりして、彼等のフォネーム説から観ても同一のフォネームをなすものであることは火を見るよりも明らかな筈であるのに、何の彼のと屁理窟をこねてジ・ヂが音聲意識として區別されてゐるなどと馬鹿なことを言ふのなど、私はむしろ彼らのために惜しむものだ。 と、日本式ローマ字の缺陷を指摘し、ジ・ヂをzi・diと書分けるなら、ヰ・ヱ・ヲも wi・we・woと書分けるべきだと主張したのに對し、三月の同誌に佐伯功介が「大岩氏のローマ字論を讀んで」を發表して、「問題はジとヂ、ズとヅ等を夫々別箇の音韻單位と見るべきか」にあり、「田丸博士が從來日本語を表す唯一の音標文字であつた假名のやり方の權威を尊重して居られるのは穩當な態度である」として * ジは と反論してゐる。次いで大岩が五月に再批判を、七月に佐伯が反駁文を書いてゐる。
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