臨時ローマ字調査會
(六の5) 同五年一月二十九日、文部大臣田中隆三はローマ宇の綴方統一を目的とするローマ字調査會の設置につき意見を求めるために、ローマ宇論者を十名ほど官邸に招き懇談した。その結果、文部省はローマ字綴方統一の必要を認め、同五年十一月二十六日勅令第二百二十二號を以て臨時ローマ字調査會の官制を發布した。同會は「文部大臣ノ監督ニ屬シ國語ノローマ字綴方ニ關スル事項ヲ調査ス」るもので、委員は合計三十四名で、藤岡勝二、阪谷芳郎、櫻井錠二、鎌田榮吉、嘉納治五郎、田中館愛橘、田丸卓郎、幅永恭助、上田萬年などのヘボン式と日本式ローマ字論者各數名と、官廳代表者によつて構成され、會長は文部大臣が務めたため、昭和十一年七月に同會が廢止されるまでに、田中隆三、鳩山一郎、齊藤實、松田源治、川崎卓吉、潮惠之輔、平生釟三郎の七名が會長に就任し、また委員の半數以上が各官廳を代表する局長とか次官とか軍人であつたため、委員の交替が頻繁に行はれてゐる。
第一囘總會は同五年十二月五日に開かれ、官廳關係者から現場の状況説明があり、第二囘總會は翌六年一月十三日に開かれ、田中館の日本式ローマ字、鎌田・櫻井のヘボン式ローマ字についての説明があり、五月十五日の第三囘總會では田丸の日本式ローマ字の主張が行はれてゐる。その後、昭和八年十一月七日の第十囘總會において、主査委員會を設けて問題を討究することになり、第一次、第二次.第三次主査委員會を經て、十一年六月二十六日の總會で原案が可決され、十二年九月二十一日内閣訓令第三號を以て發表されたわけである。その委細については後述する。 |