「國語改良部」の設立と佐藤仁之助の送假名法 (四の6) 明治三十一年七月、加藤弘之、井上哲次郎、上田萬年、矢田部良吉、嘉納治五郎、石川倉次、田中秀穗などによつて「國字改良會」が組織されたが、翌三十二年十月、帝國教育會(二十九年設立、會長辻新次)の「國字改良部」に合併された。同改良部は「國字國文ノ改良ヲ圖ルヲ以テ目的トス」るもので、部長は前島密、幹事は大槻文彦、小西信八、後藤牧太、岡田正美、那珂通世、三宅米吉であつた。「國字改良部」は、假名字調査部、羅馬字調査部、新字調査部、漢字節減調査部の四部を設けて調査を開始したが、その調査結果については後に觸れる。 同三十二年十二月、佐藤仁之助は『新撰送假名法』を刊行した。本書の特徴は、「例言」に「本書は、宗と、普通文の送假字法を述べたり。故に、官府の願屆文、及、日用書簡文の送假字法をば論ぜず」とある通り、普通文に限つたことと、例證に、源氏物語、平家物語、神皇正統記、徒然草など、數多くの古典を引用してゐることである。一例を示せば、名詞は「本成名詞及、動詞の變成名詞には、送假字を附けず。但、形容詞の變成名詞には、送假字を附く」、動詞は「動詞には、其の語尾の活用を送假字とする。但、一字の動詞には、送假字を附けず」となる。
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