「羅馬字會」の結成 (三の6)

  さていよいよ明治十七年十二月二日、羅馬字會の發起人會が開かれ、外山正一、寺尾壽、矢田部良吉、小川健次郎、松井直吉、北尾次郎、隈本有尚などが創立委員となり、翌十八年一月十七日に「羅馬字會」が設立された。その發起人會で、外山正一は「この漢字といふ強の敵を前に控へ乍ら、假名者流と羅馬字者流と喧嘩をするのは、同士討と同じことで、思慮ある者の當に爲す可からざることで御座る」と、「かなのくわい」との協力を希望してゐるが、その後兩者の間にしばしば喧嘩が起つてゐるところを見ると、兩者共に思慮ある者ではないといふことであらうか。

   「羅馬字會」の發會式には、時の英國大使が來て挨拶を述べるなど、英國人の影響を強く感じさせるものであつた。同會の役員(事務委員)には、右に記した七名の創立委員の外、後藤牧太、櫻井錠二、土方寧、箕作佳吉、巖谷立太郎、神田乃武、山田堯扶、テヒョーが選出され、幹事には、矢田部、神田、會計方には高松豐吉が就任した。また同會の目的は、規則第一條に「本會ハ日本語ヲ書クニ是迄用ヒ來レル文字ヲ廢シ羅馬字ヲ以テ之ニ代ヘンコトヲ目的トス」とある通りである。