柳川春三の建議書
(二の2) 次いで、明治二年四月に、柳川春三は學校官(後の文部省)へ三ケ條の建白書を提出し、古今雅俗の言葉を網羅した日本辭書を撰ぶべきことを主張すると共に、「布告ノ書ニ假名文ヲ用ヒ且ツ板行ニス可キ事」を公議所に建議してゐる。それは次のやうなものでつあつた。 *
民間へ出ル布告ノ書面ニ細民ノ讀ミ難キ文字ノ多キハ、禁令ノ速カニ行ハルゝヲ妨グル二足ル。宜ク定三札ノ例ニ從ヒ、可成丈假名ヲ用ヒ、已ムコトヲ得スシテ字ヲ用フルトキハ、傍訓ヲ施ス可シ。又一局内ノ細務、一人身ノ進退二限ルコトヲ除クノ外、或ハ全國或ハ各府縣二普ク布告スヘキ文面ハ、始ヨリ傳寫ノ勞ヲ省キ悉ク上木シ、摺本ヲ以テ各府縣二分チ、遠隔ノ地ニテハ翻刻ヲ許スヘシ。此ノ如クナレハ、啻筆紙ノ費ヲ省クノミナラス、諸國ノ筆生以下町役人村役人其他各産業アル輩ノカヲ費スコトナク.傳寫ノ誤モナク一擧兩便ト奉存候。
また明治二年五月、前島密は「国文教育之儀二付建議」と別冊「國文教育施行の方法」「廢漢字私見書」を集議院に提出した。その内容はほぼ「漢字御廢止之議」と同様であるが *明治の御維新は實に千古未曾有の偉業にして志士皆奮然百事に向て革新の志を發起仕候此の機に乗じて文武各般の制度御改革可有御座は勿論の御事と奉存候而て其の御改革たる何等の事たるも今に當り朝廷の大號令を以てせられば成を期すべき疑を容れざる所に御座候 と、明治維新といふ新しい事態に即應した意見をも加へてゐる。 |