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十字架の犠牲とカインの罪
[ カテゴリ未分類 ]    

真のご家庭は5人のご子女様が昇華されていますが、それぞれに摂理的な深い意味があります。
興進様の時は1945〜1985年までの40年荒野路程を全うするための最後の3年間の2年目、お父様の韓国8大都市勝共大会の最中、お父様の身代わりとして祭物となられました。
榮進様の時は1993年から始まった成約時代の2000年までの7年路程が終了する前の年、1999年、天一国時代を出発させるための祭物として昇華されました。
そして孝進様は2001年から始まった天一国時代の第2次4年路程の最後の年2008年、
長成期完成級を越えようとする時であり、天一国の実体的出発を為すための祭物として、ハワイでの大会の1周年記念の日に昇華されたわけです。
(釧路教会 3月30日 聖日礼拝 「孝進様との因縁」)



統一協会では文氏の家庭の不幸には摂理的な意味があり、食口(カイン)の不信仰の責任をとる為に、真の子女(アベル)が文氏の身代わりとして、イエス様の十字架のような犠牲となり、○○路程に勝利する為の祭物になったと教えています。
原理では十字架の意味を下記のように教えています。


神がメシヤを送られたその目的は、選民をはじめとして全人類を救おうというところにあったので、神は、イエスをサタンに引き渡してでも、全人類を救おうとされたのである。
また、サタンは、自分の側に立つようになった選民をはじめとする全人類を、たとえ、みな神に引き渡すようになったとしても、メシヤであるイエスだけは殺そうとしたのである。
その理由は、神の四〇〇〇年復帰摂理の第一目的が、メシヤ一人を立てようとするところにあったので、サタンはそのメシヤを殺すことによって、神の全摂理の目的を破綻に導くことができると考えたからである。
こうなると、神は、イエスに反対してサタンの側に行ってしまった、ユダヤ民族をはじめとする全人類を救うためには、その蕩減条件としてイエスをサタンに引き渡さざるを得なかったのである。
サタンは、自己の最大の実権を行使して、イエスを十字架で殺害することによって、彼が四〇〇〇年の歴史路程を通じて、その目的としてきたところのものを、達成したことになったのである。
(原理講論 後編 第二章 第三節)



原理では、サタンがその最大の実権を行使して、イエス様を十字架で殺害したのだと教えています。
ではサタンはどのようにイエス様を殺害したのでしょうか?

イエス様が誕生して間もなく、自己の地位に不安を感じたヘロデは、イエス様を殺そうと企みますが、その企みは天使の啓示によって未然に防がれました。(マタイによる福音書 2章1〜15節)

イエス様はサタンによって「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。」などと三度試みられますが、サタンを退けました。(マタイによる福音書 4章1〜11節)

イエス様の前から離れたサタンは、お金をごまかしていて、イエス様を裏切ろうとしていた(ヨハネによる福音書 12章4〜6節)ユダに入りました。(ルカによる福音書 22章3節)
ユダはイエス様を銀貨三十枚で祭司長や律法学者に売り渡しました。(マタイによる福音書 26章15節)

イエス様に反感を抱いていた祭司長や長老達は、バラバを赦してイエス様を殺してもらうように、群衆を説き伏せました。(マタイによる福音書27章17〜26節)

イエス様の十字架への道には、目に見えないサタンの業があったと聖書から読み取れます。
それでは原理では、目に見えないサタンの業をどのように説明しているのでしょうか?


サタンは、ヨブを神の前に訴えるように(ヨブ一・9)、絶えずあらゆる人間を神の前に訴え、地獄に引いていこうとしているのである。
しかし、サタンもその対象を取り立てて、相対基準を造成し、授受作用をしない限り、サタン的な活動をすることはできない。
サタンの対象は、霊界にいる悪霊人たちである。
そして、この悪霊人たちの対象は、地上にいる悪人たちの霊人体であり、地上にいる悪人たちの霊人体の活動対象は彼らの肉身である。
したがって、サタンの勢力は悪霊人たちを通して地上人間の肉身の活動として現れる。
それゆえ、ルカ福音書二二章3節には「イスカリオテと呼ばれていたユダに、サタンがはいった」と記録されており、
またマタイ福音書一六章23節を見れば、イエスはペテロを指してサタンと言われた。
さらにまた、このような悪霊人体を「悪魔の使者」と記録しているところもある(マタイ二五・41)。
(原理講論 第二章 第四節)



サタンもその対象を取り立てて、相対基準を造成し、授受作用をしない限り、サタン的な活動をすることはできない。

サタンの対象は、霊界にいる悪霊人たちである。

そして、この悪霊人たちの対象は、地上にいる悪人たちの霊人体であり、

地上にいる悪人たちの霊人体の活動対象は彼らの肉身である。したがって、サタンの勢力は悪霊人たちを通して地上人間の肉身の活動として現れる。


善神というのは、神と、神の側にいる善霊人たちと、天使たちを総称する言葉であり、悪神というのは、サタンと、サタンの側にいる悪霊人たちを総称する言葉である。
善と悪とがそうであるように、善神の業と悪神の業も、同一のかたちをもって出発し、ただその目的のみを異にするものなのである。
善神の業は、時間がたつにつれてその個体の平和感と正義感を増進せしめ、その肉身の健康をも向上させる。
しかし、悪神の業は、時間がたつにつれて不安と恐怖と利己心を増進せしめ、また健康をも害するようになる。
それゆえに、このような霊的な業は、原理が分からない人にとっては、それを見分けることが非常に困難であるが、時間が経過するに従って、その結果を見て、その内容を知ることができるのである。
(原理講論 第二章 第四節)



例えばイエス様が誕生して間もなく、自己の地位に不安を感じ、イエス様を殺そうとしたヘロデ(マタイによる福音書 2章3節)にも、悪神の業があったと考えることができます。
祭司長や長老たちが、強盗であるバラバを許して、罪の無いイエスを殺してもらうように、ユダヤの群衆を説き伏せたのは、「ねたみのためである」(マタイによる福音書 27章18節)と聖書に記されているように、これも悪神の業と考えることができます。

原理では、サタンは対象である悪霊人を取り立てて、相対基準を造成して授受作用をし、地上の人間の霊人体に不安と恐怖と利己心を増進せしめ、その肉身を通してサタン的な活動をするとしており、原罪のないイエス様はサタンに讒訴されませんが、弟子達やユダヤ民族には原罪があるので、絶えずサタンに讒訴され悪神の業を行うとされます。


原理で説明するなら、文孝進が仲間に勧められて麻薬を吸い始めたことも、その後も麻薬を常用し続けたことも、悪神の業が地上の人間の肉身の活動として現れた結果です。
サタン→悪霊→仲間→文孝進の順で悪神の業が行われたのであり、サタンと相対基準を造成したユダがイエス様を売ったように、文孝進自身がサタンと相対基準を造成した結果と言えます。
「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイによる福音書4章4節)と言って、誘惑を断ち切ったイエス様とは対照的です。

文栄進がホテル17階のバルコニーから飛び降りた事件も、サタン→悪霊→文栄進の順で悪神の業が行われたのであり、サタンと相対基準を造成した結果と言えます。
「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。」と試みられて、「主なるあなたの神を試みてはならない」(マタイによる福音書4章6〜7節)と言って、サタンを退けたイエス様とは対照的です。

本来この世界は神様が創造した世界であるにも関らず、末端食口の財産を「サタンの所有」と呼び、あくまで自分達の名義の所有のみを「神の所有」とし、“サタン世界”にお金を払って土地や利権を買い漁り、韓国の他の財閥企業の真似をしてリゾート開発にのめり込む文氏の姿は、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」と試みられて、「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」(マタイによる福音書4章9〜10節)と言ってサタンを退け、「神と富とに兼ね仕えることはできない」(マタイによる福音書6章24節)と言われたイエス様とは対照的です。


統一協会では文氏の家庭の不幸を、食口(カイン)の不信仰が罪となりサタンに讒訴されて、真の子女(アベル)が文氏の身代わりとして、十字架のように犠牲になったと教えています。

しかし原理によれば、上記したように悪神の業というのは、サタンと相対基準を造成した結果、悪人の霊人体と肉身の活動として現れるそうですから、もしも食口の不信仰が罪とされてサタンに讒訴された場合には、罪を犯したユダがイエス様を裏切った事と同様に、罪を犯した食口自身が悪なる行動を起こすようになるはずです。

ですから原理によれば、文氏の子供が悪を行うのも、病死や自殺のように悪なる結果が現れるのも、自身の霊人体が悪神と相対基準を造成し、それが自身の肉身に現れた結果と言えます。

統一協会では文夫妻を、神と一体であるとしています。


このように、個性を完成して神の宮となることによって、聖霊が、その内に宿るようになり、神と一体となった人間は神性を帯びるようになるため、罪を犯そうとしても、犯すことができず、したがって堕落することができないのである。
個性を完成した人間は、すなわち、神の創造目的を成就した善の完成体であるが、この善の完成体が堕落したとすれば、善それ自体が破壊される可能性を内包しているという、不合理な結果になるのである。
そればかりでなく、全能なる神の創造なさった人間が、完成した立場において堕落したとするならば、神の全能性までも、否定せざるを得なくなるのである。
永遠なる主体としていまし給う、絶対者たる神の喜びの対象も、永遠性と絶対性をもたなければならないのであるから、個性を完成した人間は、絶対に堕落することができないのである。
このように、個性完成して、罪を犯すことができなくなったアダムとエバが、神の祝福なさったみ言どおり(創一・28)、善の子女を繁殖して、罪のない家庭と社会とをつくったならば、これがすなわち、一つの父母を中心とした大家族をもって建設されるところの天国であったはずである。
(原理講論 第三章 第一節)



原理によれば、神と一体となり神性を帯び、個性完成して罪を犯すことができない「真の父母」から生まれた「真の子女」は、罪の無い家庭と社会を創るはずであり、全能なる神の創造なさった人間が、完成した立場において堕落したとするならば、神の全能性を否定せざるを得なくなるので、個性を完成した「真の子女」は、罪を犯そうとしても犯すことができない立場なのです。

上記のように、罪の無い立場で生まれたはずの「真の子女」が罪を犯すことは、原理の矛盾になります。
もし原理が真理ならば、「真の父母」からは、罪を犯すような「悪の子女」が生まれるはずがないのであり、罪を犯す「悪の子女」が生まれたとすれば、その父母もまた「悪の父母」であり、決して神と一体であるはずがありません。

もしも原理が正しいなら、「悪の子女」の父母は「悪の父母」であり、「悪の父母」がキリストを名乗るならば、それは偽キリストです。
もしも原理が誤りならば、早急に正しく書き換える必要がありますが、誤った理論を教えて世を惑わすならば、それはやはり偽キリストでしょう。





Last updated  2008.10.25 00:17:12
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