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統一協会では家庭の重要性を強調しています。
それでは文氏本人の家庭は、私達の手本になるのでしょうか? イエス様は、氏族基台を得ることができず、結婚されませんでした。そのことをはっきり知らなければなりません。 ヨセフの家庭とザカリヤの家庭です。 洗礼ヨハネの家庭を中心としてその使命を果たして氏族的基盤がつくられた場合には、イエス様は伝道しなくても、大工さんをしていても、天国はつくられました。 騒がれながら、信じられない大衆を引きずりながら、いろいろやる必要はありませんでした。 自動的にコツコツと家庭を中心として、子供を生んで四位基台をつくれば、それでおしまいです。 四位基台を中心として理論的歴史の蕩減の内容を解明するのを、基台をつくりながら徐々にやっても、死ぬような悲惨な運命には遭いませんでした。 家庭基盤をつくって子供がいたら、その後のキリスト教は大分違っていました。 イエス様の直系の子孫を中心として、世界がのみ込まれていたことでしょう。 そのような基台がみんな流れてしまいました。分かりますか。 (「祝福を迎える一日」 1978年9月22日 埼玉 神川村) そうこうするうちに、見ると三時を過ぎたのです。それで「では、このように遅くても、あなた方の娘さんがどうか一度見ましょう」と言ったのです。 夜三時に見合いをするという花婿候補は私くらいで、歴史的なことです。 それで、呼んで座らせておいて、「みな出ていくな」と言うのです。「出ていくな」と言って、一つ一つ面白く押し進めるのです。学校はどうでこうでと。 そうしてから、「ではあす会おう」と言って、その翌日、本格的な試験をするのです。 その次に三日目です。見合いをしに来て、三日間も留まっていけば悪口を言われるのです。 それでその翌日、私が統一教会のこのような道を行くことを話しながら、全部条目ごとに尋ねてみたのです。 そうしながら、少なくとも五年間、七年になるかもしれないが、結婚しても一人で生きる覚悟をしなければならないことなど、その時にみな話をしたのです。 「くれ」と言うとおりに、代価をみな支払うようになっているでしょう。彼女は「何でも、そうします」と言いました。 このようにして婚約をしたのです。そして婚約式をきっぱりして、家に帰ってきました。 そのようにして十二月に婚約をしたのです。 二十歳を越えていない、十八歳未満、韓国の年齢でいえば十九歳にならない人でなければなりません。 聖進のお母さんも数えの十九歳で婚約したのです。 (真の御父母様の生涯路程 1) イエス様は氏族の協力を得られず、結婚できなかった為に死んだと文氏は語ります。 氏族的基盤があれば、家庭を中心として、子供を生んで四位基台をつくれば、伝道しないで大工さんをしていても、天国はつくられたそうです。 日本から帰国した頃には既に原理を究明済みだと語った文氏ですが、わざわざ氏族基盤のない京城(ソウル)で結婚したのは何故でしょうか? せっかくコツコツと家庭を中心として、子供を生んで四位基台を完成したけれど、それでおしまいにはならず、妻子を捨てて北に行ってしまいました。 「十八歳未満、韓国の年齢でいえば十九歳にならない人でなければなりません」と言いながら、1954年には24歳の女子大生、金明煕さんと不倫関係になり妊娠させました。 文氏は姦通罪で告発されるのを恐れたのか、身重の彼女を日本に追放、当時は国交が無かった日本に島流しにします。 身寄りの無い日本で、文喜進さんが生まれました。(1955年生まれ、中学時代に列車事故で死亡) 堕落はエバから始まった。何歳の時か。十六歳。未青年。天が信頼すべき父母の基準を女性が犯した。 だから復帰の原則によって、真の母になるべきそのお方は二十歳を越えてはいけない。そういう原則なんだよ。 そして、先生の聖婚式は四十歳を越えてはいけない。そういう理由で先生は若いお母様を迎えて、娘のように愛した。 それで最初の七年間は何をする時期であったか。お母様を育てる時期なんだね。 (「理想相対」 1969年2月4日 東京 東京教会) 24歳の金明煕さんと不倫関係になり、喜進さんを産ませたことはすっかり忘れてしまったのか、1969年には「真の母になるべきそのお方は二十歳を越えてはいけない」と語っています。 日本統一協会では、金明煕さんが2番目の夫人だったと嘘を教えていますが、結婚式もしませんでしたし、文氏本人も妻だとは思っていなかったようです。 1957年1月8日、崔先吉さんと離婚 1960年4月11日 学生だった韓鶴子さんと聖婚式。 1961年1月27日 長女、文誉進さんが誕生。 同年 12月27日 文誉進さんの出生届けを提出。 同年 12月29日 長男、文孝進さんが誕生。韓鶴子さんとの婚姻届けを提出。 盛大に行われた結婚式から2年近くが過ぎ、長女の出生届けよりも遅く婚姻届を出して入籍したことには、どのような理由があるのでしょうか? 昔の朝鮮は不衛生と食糧不足の為、乳児の死亡率が高く、出生届を出してすぐ死亡届を出すことになるのは面倒なので、1年位生きてから出生届を出すのは普通でした。(合理的とも薄情とも言えます) 婚姻届も同様で、相性が悪ければいつでもやり直せるように、後から婚姻届を出す人もいました。(合理的とも薄情とも言えます) 現在でも入籍前に“お試し期間”として同棲するカップルもいます。 文氏の場合も同様で、もし長男が産まれなければ韓鶴子さんと別れて、別の女性と結婚するつもりだったとも考えられます。 韓鶴子さんとの結婚後も崔元福さんを近くに侍らせ、食口には「崔お母様」と呼ばせていました。 堂々と浮気する父親を見て、文氏の子供達は父親に反抗的だったと言われます。 朴普熙氏の息子として育てられた朴サムエルさん(1968年生まれ)が、実は異母兄弟だった知って、ますます父親不信になったとも言われます。 韓鶴子さんとの間には14人の子供がいます。 私は二日間、日本で一六〇〇双を約婚してあげてきました。十二時間半で全部組み合わせてあげました。 そうだとしても、でたらめに目をつぶってしたのではありません。 性格を合わせ、後孫と一生を見て決定しました。 先祖を見て寿命まで計算して、死ぬしかない立場でも、二人が一つになる時その死を免れるように相手を組み合わせたのです。 風がぶつかり合えば、零点になるのと同じです。 このような内容を知って組み合わせてあげるので、先生が合わせた相対が、各自が選んだ相手よりも勝るというのです。 (祝福家庭と理想天国(1)) 統一協会の組織が大きくなり、合同結婚式の規模も大きくなると、写真によるマッチング祝福になりました。 文氏は候補者の写真を見ただけで性格、後孫、先祖、寿命まで分かると誇大宣伝していましたが、実際にはどうでしょうか? 文誉進(女)洪珍輝さんと離婚 文孝進(男)犯罪歴あり、洪蘭淑さんとと離婚、崔妍娥さんと再祝福婚、2008年に45歳で病死 文恵進(女)生後7日で死亡 文仁進(女) 文興進(男)1984年に17歳で自動車事故死 文恩進(女)朴珍憲さんと離婚、1998年にRodney Jenkinsさん(乗馬のコーチ)と普通の再婚 文顕進(男) 文国進(男)劉順珠さんと2003年に離婚、朴智鋭さんと再祝福婚 文権進(男) 文善進(女) 文栄進(男)離婚直後の1999年、ネバタ州リノでホテルから転落死(警察発表は自殺) 文亨進(男) 文妍進(女) 文情進(女) 文夫妻には先に霊界に行った 恵進さん、興進さん、栄進さん、孝進さんを含む14人の子供達がいて、他にも母親の違う子供達がいます。 先に霊界に行った息子さんからは、皆で責任を果たしていくと言う手紙もあります。 地上の全ての祝福家庭と霊界の祝福家庭が、一つの心、一つのみ旨となって、そのような全ての御心が成就することができるように最善を尽くします。 霊界にいる栄進と喜進、それから恵進の私たち直系子女と、大母様、忠母様、大兄様の直系家族、それから四大聖賢と賢哲たち、絶対善霊祝福家庭全てが力を合わせて、与えられた責任を更にまめに果たしていきます。 真のご父母様!私たちを信じて下さい。そしてこれからは楽に休んで下さい。どうぞご身体をお大事になさって下さい。 2002年1月1日 天宙清平修錬苑から、息子、興進がお捧げ申し上げました。 (文興進様「真のご父母様に捧げる霊界の報告書」より) この「霊界の報告書」を真面目に信じている食口も多いと思います。 私と夫は13人の子供と20人の孫と一緒に、神と人類の為に絶対的な信念を持って献身しています。 (韓鶴子女史講演「真の父母と成約時代」1993年9月14日 東京ドーム) 13人兄妹と20人を越える孫たちがいますが、私たちは、家族単位の休暇を一度もきちんと過ごしてみたことがありません。しかし、私たちの家族は、神様のご加護の中で、感謝の生活をしています。 (韓鶴子総裁講演 2002年2月15日 WCSF2002開会式 ソウル・ヒルトンホテル) ところが何故か、韓鶴子さんは自分の子供は13人だと言い続けます。 彼女には14人目の我が子は見えてはおらず、「霊界の報告書」も読まなかったようです。 昔の風習の為か、生後すぐに亡くなった恵進さんは、出生届を出していなかったそうです。 過去の統一協会からの出版物に、韓鶴子さんの子供は13人と書かれているのはそうした理由からですが、しかし、自分がお腹を痛めて産んだ子供の人数を間違える母親が存在する事実には驚きを隠せません。 きっと子育ては世話係に任せて、韓鶴子さん自身は旅行やショッピングに忙しく、我が子を数えた事さえも無かったのでしょう。 こんな薄情な母親なら、文氏の家庭で問題が生じるのも無理はありませんが、彼女を「人類の真の母」と信じなければならない食口は大変です。 この写真の文書は、子供達が産まれた時間まで記してあるので、側近か元側近の情報だと思いますが、以下は下部分の和訳です。 文鮮明の夫人と女人達(6マリアを超える女人達・・・) 最初の夫人 崔先吉 1945.4.28結婚 息子 文聖進 出生 1957.1.8 文鮮明の血統復帰儀式 崔先吉と離婚 2番目の夫人 金鐘和 女性血統復帰儀式により 夫 鄭明善告訴 文鮮明は懲役5年を受ける 平壌大同(保安署) 興南監獄 3番目の夫人 金明煕 1955.6.30 文喜進出生 死亡 Y大 処女 血統復帰儀式により姦淫 1969.8.1 列車事故 4番目の夫人 崔元福 統一教の伯母 5番目の夫人 韓鶴子 1960.4.11 文鮮明と結婚 14名の子女出生 3名死亡 11名生存(当時) 6番目の夫人 崔順花 処女 血統復帰儀式により 朴サムエル出生 これ以外にも米国で血統復帰儀式によりサミーと言う娘を産む この記事のトラックバックURL:
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/kanteishoku800/diary/200809210000/b9622/
美味しいところを持っていかないように、まず質問から入ります。
・・・重婚と姦通は違うと思いますが、金明煕との関係は? ・・・サミーはサミュエルの愛称ではありませんか? (2008.09.22 21:24:58)
>・・・サミーはサミュエルの愛称ではありませんか?
----- わたしも気になります。わたしらのブログの暫定的なではありますが、サムエルはサミーのことじゃないかと思ってました。 新証言とかあれば、ご教示を。(2008.09.22 22:09:03)
サミーは、韓国語では「セミ」で、また、美(ミ)が付く名前は女児の名であるので、娘と解したのかと。(2008.09.23 15:48:16)
韓定食さん
お疲れ様です。 折角の力作ですが、一つだけ反論させて頂きます。 原理で言う『メシヤの為の基台』が出来なかったとは、 あくまでも『ヨハネが責任分担を全う出来なかった』事に起因すると認識しています。 … 即ち『カイン圏の不信仰』に依るものだと。 そして、それにより『摂理の延長』がエンドレスに行われる… … 永遠に終わらない摂理を『カイン、日本』に責任転嫁する事により、 『メシヤ家庭は勝利したのに、私達の不信仰により〜』 絶対に抜けられない、蟻地獄に突き落とされる… そう認識しております。 メシヤ家庭が離婚するのも、酒やドラッグに溺れるのも、姦淫を冒すのも、 総ては食口の責任… 責任をなすり付けるのが上手い、詐欺師の手口です。(2008.09.23 18:25:26)
>重婚と姦通は違うと思いますが、金明煕との関係は?
ご指摘ありがとうございます。 たしかに恐れたとすれば「姦通罪」の方でしょう。 修正させていただきます。 >サムエルはサミーのことじゃないかと思ってました。新証言とかあれば、ご教示を。 ご教示なんてとんでもないです。 このような文書もあると参考までに和訳しましたが、それ以上の事は判りませんので、少し軽率だったかも知れません。 >サミーは、韓国語では「セミ」で、また、美(ミ)が付く名前は女児の名であるので、娘と解したのかと。 確かにそのような仮説も成り立ちますね。(2008.09.23 18:26:47)
韓国の通貨WONが派手に値を下げていますね。 日本でも物価は上がっていますがそちらではそれ以上に進行しているのではないでしょうか。
97年の通貨危機に際して日本では救国基金と称し一人いくらという金集めがはじまりそれ以後はこの一人いくらが常態化しています。 危機がくればまた派手になるのだと思いますが搾り取られる側にしたら迷惑な話です。 (2008.10.06 12:26:47)
夏休みに旅行した際には、1万円→約9万ウォンでしたが、現時点では1万円→約12万5千ウォンですね。
経済的に見ると、韓国は日本の子供です。 早く親元から自立して欲しいものですが、このままでは再度、日本が大規模な支援をする破目になりそうですね。(2008.10.07 00:43:15)
韓国は既に日本に事大を開始していますね。
97年の時は世界経済が順調だったが今回は韓国だけ特別扱いできるかは? このときのために竹島カードを温存していたなら日本政府はたいしたものだと思います。 今日もひどくWONは下げてますね、どうやら行くところまで行くようです。(2008.10.07 10:00:12)
これは事実ですか?(2009.08.01 21:49:35)
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