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つづき
・・・彼ら士師たちは、次の時代において分担された預言者と祭司長と国王の使命を、すべて兼任していたのであった。それゆえに、ユダヤ教の封建社会は、このときから始まったのである。このような士師時代を、実体的な同時性をもって蕩減復帰する時代である新約時代の教区長制のキリスト教会時代においても、教区長たちは、キリスト教信徒を指導するという面において、士師のそれに該当する職分を帯びていたのである。 ・・・教区長は、このような霊的な王国建設において、士師と同じ使命をもっていたので、ときには、預言者にもならなければならず、あるときには、祭司長の役割を、そして、またあるときには、教区を統治する国王のような使命をも果たさなければならなかったのである。 ・・・教区長制キリスト教会時代においても、キリスト教は、サタンの世界であるローマ帝国から解放されてのち、四世紀に、蒙古族の一派であるフン族の西侵により西ヨーロッパに移動してきたゲルマン民族に、福音を伝えることによって、西ヨーロッパの新しい土地で、ゲルマン民族を新しい選民として立て、キリスト教封建社会の土台を形成したのであった。 (後編 第四章 第二節 士師時代と教区長制キリスト教会時代) 原理では「教区長」とありますが、大司教(教皇)の事です。 大司教は教会を維持する為の農場や工場や商店を寄進され、しかも無税だったので大貴族のような世俗権力者でもありました。 395年にローマ帝国が東西に分裂すると、東の四人の大司教は東ローマ皇帝の下に置かれます。 西ローマ帝国が476年に滅亡するとローマ教皇はゲルマン民族に布教します。フランク王国の建国は481年で、異端と言われたアリウス派から国王自身が正統のアタナシウス派に改宗(496年)し発展します。 6世紀〜7世紀にかけてサーサーン朝ペルシアやイスラム帝国によりアンチオキア、エルサレム、アレキサンドリアが奪われると、残ったローマ(西方教会)とコンスタンチノーブル(東方教会)の両教会間の勢力争いが始まることになります。 原理では、教区長は士師と同じ使命をもっていたので、預言者、祭司長、そして教区を統治する国王の使命を果たさなければならなかったと言いますが、教皇や大司教は、国のトップである皇帝や国王の下にいたのですから、事実とは違います。 教皇が「教区を統治する国王のような使命を」果たしたのは、ピピン3世が754〜755年にイタリアに出兵し、教皇のためにロンバルド族を討伐し、ロンバルドから奪い取ったラヴェンナ地方を教皇に寄進した(ピピンの寄進)755年以降の事です。 また原理では800年から「キリスト王国時代」が始まると歴史を歪曲していますが、フランク王国は496年ごろからキリスト教王国ですから、「教区長制キリスト教会時代四〇〇年」も明らかに歴史の捏造です。 復帰摂理時代において、イスラエル民族が、サウル王を中心として、初めて国王を立てたのち、ダビデ王を経てソロモン王に至るまで一二〇年間の統一王国時代があった。したがって、この時代を蕩減復帰するために、西暦八〇〇年チャールズ大帝が即位したのち、後日、彼の王統が絶えて、選挙王制となり、九一九年ヘンリー一世がドイツ王位につくまで一二〇年間にわたるキリスト王国時代がくるようになったのである。ゆえに、この時代は形象的同時性の時代のうち、統一王国時代の一二〇年を実体的な同時性として、蕩減復帰する時代に相当する。 (後編 第三章 第四節(三)キリスト王国時代一二〇年) チャールズ大帝がフランク王に即位したのは768年です。800年には、ローマ教皇レオ3世から、かつて滅亡した西ローマ皇帝の帝冠を与えられ、形式上は西ローマ皇帝に即位しました。 「法王レオ三世は、紀元八〇〇年に、チャールズ大帝を祝福して、金の王冠をかぶらせることにより、彼を第二イスラエル選民の最初の王として立てたのであった。」 (後編 第四章 第三節) フランク王国は496年ごろからキリスト教王国ですが、原理ではこの時から「キリスト王国」が始まるそうです。 フランク王国は843年のヴェルダン条約により、ルイ1世の死後三子が抗争、王国を三分しました。 1、中部フランク・北イタリア(ロタール1世)875年にカロリング朝断絶、その後のイタリア 2、東フランク(ルードヴィヒ2世)911年にカロリング朝断絶、その後のドイツ 3、西フランク(シャルル2世)987年にカロリング朝断絶、その後のフランス http://www2u.biglobe.ne.jp/~k-hina/tyuu-2.htm 800年から始まった王国(笑)は「3代43年」で三国に分裂したので「キリスト王国時代120年」は明らかに歴史の捏造です。 しかし原理では三分した中で東フランクのカロリング朝が「7代110年」続いたのに目を付けます。 「彼の王統が絶えて、選挙王制となり、九一九年ヘンリー一世がドイツ王位につくまで一二〇年間にわたるキリスト王国時代がくるようになったのである。」 (後編 第三章 第四節) 東フランク<カロリング朝> カール(チャールズ)大帝(768年 - 814年) ルートヴィヒ(ルイ)1世 (814年 - 840年) ルートヴィヒ2世 (843年 - 876年) カールマン (876年 - 880年) カール3世 (肥満王) (876年 - 887年) アルヌルフ (887年 - 899年) ルートヴィヒ4世(幼童王) (899年 - 911年) <フランケン朝> コンラート1世(911年 - 919年) <ザクセン朝> ハインリヒ1世(919年 - 936年) オットー1世(936年 - 962年)※962年をもって神聖ローマ皇帝兼ドイツ王(東フランク王) http://classic.music.coocan.jp/etc/deutschland/roman-emp.htm 東フランクではチャールズ大帝の王統(カロリング朝)が絶えたのは919年ではなく911年ですから、これも小さな捏造です。 西フランクのカロリング朝は987年まで続きます。 しかし原理では、3代43年の「3代」と7代+1代119年の「119年」をミックスして、まるで「3代120年」の同時性の時代があったかのように捏造しました。 一応は宗教者でありながら、よくこのような卑劣な捏造ができるものだと感心します。 復帰摂理時代における統一王国時代に、神殿が摂理のうちで建てられなかったので、この王国が南朝と北朝に分裂され、四〇〇年間の南北王朝分立時代がくるようになった。ゆえに、復帰摂理延長時代においても、この時代を蕩減復帰する時代がなければならない。これが、すなわち、キリスト王国時代が過ぎたのち、西暦一三〇九年に、法王庁が南仏アヴィニョンへ移されるまでの、東西王朝分立時代四〇〇年であったのである。キリスト王国が分裂した当初は、東・西フランクとイタリアの三王朝に分立されていたが、イタリアは、東フランクを継承した神聖ローマ帝国の支配のもとにあったので、事実上、東西に両分されたと同様であった。ゆえに、この時代は形象的同時性の時代のうち、南北王朝分立時代の四〇〇年を、実体的な同時性として蕩減復帰する時代に当たるのである。 (後編 第三章 第四節(四)東西王朝分立時代四〇〇年) フランク王国は843年に三分した後、イタリアではルイ2世(ロタール1世の子)の死によってカロリング家が断絶。(875) その後、諸侯や都市が分立し、北イタリアは東フランクやビザンツの介入を受け、南イタリアはイスラムやノルマン人の侵入を受け、オットー1世が神聖ローマ皇帝になる962年までは、王や諸侯が乱立する分裂状態に陥りました。 なお分裂した一方の西フランク(フランス)は、滅亡するどころか、今日まで繁栄して、フランク以外のキリスト教国家(イングランド、スペイン、ビザンツ・・・)も多数存在したので、「東西王朝分立時代400年」も明らかな歴史の捏造です。 以上のように同時性再臨論はよくできた屁理屈であり、悪質なペテンです。 聖書を読まない人、世界史に詳しくない人、他人の言葉をすぐ信用する人は騙されます。(もちろん私のことです) ナチス宣伝相ゲッべルスは「嘘も百回言えば本当になる」と言いましたが、このゲッベルスの言葉を忠実に実践しているのが統一協会です。 そして現在では宗教の教科書まで作り、統一協会系の学校では純真無垢な子供達に、悪質なペテンである同時性再臨論を教えているようです。 この同時性再臨論を刷り込まれると「今が終末であり、終末にはメシヤが再臨する」と言う思考から抜け出すのが困難になります。 同時性の刷り込みが効果を発揮すると「文氏がメシヤでないなら誰がメシヤなのか?」と考えるようになり、「まだ再臨されてない」「再臨されないかも知れない」とは考えないようになるようです。 確かに世界中で、自分がメシヤだと宣言しているのは文氏だけかも知れません。 しかし原理では、イエス様は十字架で死ななければユダヤの王になったと言います。 もしも同時性が正しければ、文氏は生きていますから、韓国の王(大統領)にならねばなりません。 王(大統領)になれなくても、民族を統一し平和と繁栄をもたらすのが、(原理で教える)メシヤではないでしょうか? しかし現実にはそれはできませんから、自分を「平和の王」だとか「神自身」だと、宣伝にお金をかけているだけなのではないでしょうか? 韓国統一協会が、孤児院などの福祉施設の為にお金を使うことはまずありませんが、宣伝の為の大会やサッカーやホテル経営やリゾート開発にお金を使う前に、貧困に苦しむ世界の子供達の為に、お金を使う考えはないのでしょうか? そのようにお金を使う事が、神様の願いだと私は思います。 統一協会をキリスト教の異端と見るのは間違いです。 聖書解釈の違いで異端扱いされるのなら、イエス様もユダヤから異端とされ迫害されましたから、むしろ誇れるかも知れません。 しかし聖書の権威だけを利用して、聖書を歪曲した嘘と捏造した歴史を教えるのは、キリスト教と言えないどころかまともな宗教ではありません。 カルトと見られるのは当然なのです。 この記事のトラックバックURL:
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/kanteishoku800/diary/200809120001/05d5a/
私も同時性にやられて(笑)献身までしてしまいました。キリスト教に弱い日本人は、堕落論やメシア論ではボーってしていても、同時性でメシアの再臨を確信してしまう人が多かった事を記憶しています。
ですが、カトリック要理の勉強をはじめた時、同時性の内容が余りにもデタラメな事に愕然としてしました。それにしても、韓定食さん、本当によくここまでまとめて下さいました! >統一協会をキリスト教の異端と見るのは間違いです。 おっしゃる通りです。因みに、カトリックでは、初代教皇(聖ペテロ)からコンスタンチヌス大帝による313年の「ミラノ勅令」までが、迫害時代となっています。 http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/dogma/dog05.htm (2008.09.13 11:48:50)
韓定食さん
お疲れ様です。 同時性… 確かに、キリスト教の信仰基盤の無い日本人は 『これだ!』 と、錯覚するでしょうね。 日本には、厄介な宗教です。(2008.09.13 12:25:53)
よくここまで書いてくださいました。
同時性で今こそメシアの再臨の時だと思い込まされた多くの人に読んでほしいですね。 統一協に所属していたことがはずかしくなります。(2008.09.17 09:30:28)
霊の親が訪ねてきたので「同時性の嘘」を見せてあげました。彼はしばらく無言の後こんな風にいいました。
「原理講論は弟子が書いたのでマチガイもあるんだけどアボジはマチガイをわざとそのままにしている。完全な原理講論を読んでつまずいたら許しがない。でも不完全な原理講論でつまずいたのなら少しは許せる。アボジはつまずいた人を霊界で許すためにマチガイをそのままにしている。 だからこの人(韓定食さん)のように小さなマチガイを批判するのではなく大きな視点で見なければならない。ハムは神の深い事情を悟れずにノアを不信したので摂理は失敗した。だから僕らはたとえ小さなマチガイがあってもそこにはアボジの愛と深い事情があることを悟ってアボジを信じなければならない」 大体こんな感じですがどこかで聞いたようなことを言ってきましたw なので僕が「復帰原理による洗脳」を見せてあげたらしばらく聖書と見比べた後「用事があるから」と言ってそそくさと帰ってしまいましたw(2008.09.19 13:29:18)
サンシャインさん
>「原理講論は弟子が書いたのでマチガイもあるんだけどアボジはマチガイをわざとそのままにしている。完全な原理講論を読んでつまずいたら許しがない。でも不完全な原理講論でつまずいたのなら少しは許せる。アボジはつまずいた人を霊界で許すためにマチガイをそのままにしている。 ・・・・ 統一協会の宮崎台で開催された反対牧師対策のときに語られた原理の間違いがある「言い訳」と同じですね。(2008.09.20 17:52:37)
>アボジはつまずいた人を霊界で許すためにマチガイをそのままにしている。
霊界では文氏が私を赦してくれるのですか? それはありがたい・・・でも私は食口の皆様と同じ霊界には行きたくないので、お赦しは辞退させていただきます。(笑) ではこれからも遠慮せずに文氏の嘘を晒すことにします。(2008.09.21 13:52:47)
>「原理講論は弟子が書いたので
『原理原本』は文師自身がお書きになったのに、なぜ、弟子が別のものを新たに書く必要があったのでしょう。 原理原本を読んで批判している人は赦さないつもりですね。ぜひ読みたいものです。(2008.09.26 12:37:38) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |