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復帰原理による洗脳(1)
[ カテゴリ未分類 ]    

以前、神秘神霊集団の教義には共通の特徴があると書きました。
1、罪の根は何であるか。原罪の根は、果実を取って食べたことにあるのではなく、淫行関係によって堕落したのである。
2、イエスは十字架で殺されるために来たのではない。
3、再び来られる主は、雲に乗って来られるのではなく、肉身を持って来られるのである。
4、再び来られる再臨主は東方の日出ずる国、朝鮮に来られる。

文氏の発表した原理が、いくつかの神秘神霊集団の影響を受けたであろうことは、先に書いたとおりです。
もちろん全てを真似したわけではなく、統一協会独特と思える部分も多くあり、その一つが復帰原理の教理です。

復帰原理とは堕落したのと反対の経路をたどって再創造する原理と言うことで、再創造の為にはまず「信仰基台」と「実体基台」が必要とあります。


もし、アダムが堕落しなかったならば、彼は前述したとおりの経路によって創造目的を完成したはずであったから、堕落人間もまた「メシヤのための基台」を造成するためには、それと同じ経路をたどって、次に述べるような「信仰基台」を立て、その基台の上で、「実体基台」をつくらなければならないのである。
(1)信仰基台
アダムは神のみ言を信じないで堕落してしまったので、「信仰基台」をつくることができなかった。したがって、彼はみ言の「完成実体」となることができなかったので、創造目的を達成することができなかったのである。それゆえに、堕落人間が創造目的を成就し得る基準を復帰するためには、まず初めに、人間始祖が立てることのできなかった、その「信仰基台」を蕩減復帰しなければならない。そしてその「信仰基台」を復帰するためには、次のような三種類の蕩減条件を立てなければならないのである。
第一には、そのための「中心人物」がいなければならない。・・・・その第二は、そのための「条件物」を立てなければならないということである。・・・・その第三は、そのために「数理的な蕩減期間」を、立てなければならないということである。・・・・
(原理講論 後編 緒論)



つまり最初に信仰基台が必要で、その為に必要なのが1「中心人物」、2「条件物」、3「数理的な蕩減期間」と書いてあります。

しかし聖書をよく読んでみると、復帰の為の中心人物アベルは、献祭をしましたが、「数理的な蕩減期間」は、どこにも書かれていません。
復帰の為の中心人物アブラハムも、献祭をしましたが、「数理的な蕩減期間」は、どこにも書かれていません。
復帰の為の中心人物ノアは、箱舟を造りましたが、「数理的な蕩減期間」はやはり書かれていません。


(一)信仰基台
・・・・ノアは、世が神の前に乱れて、暴虐が地に満ちたとき呼ばれ(創六・11)、一二〇年間あらゆる罵倒と嘲笑を受けながらも、神の命令だけには絶対に服従して、平地ならばともかく、山の頂上に箱舟をつくったのである。それゆえに、神はこれを条件として、ノアの家庭を中心とする洪水審判を敢行なさることができたのである。
(後編 第一章 第二節)



原理講論では120年の「数理的な蕩減期間」があったように書かれています。
では聖書には何と書かれているでしょうか?


創世記5:32
ノアは五百歳になって、セム、ハム、ヤペテを生んだ。
創世記6:3
そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。
創世記6:13
そこで神はノアに言われた、「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。
創世記7:6 
さて洪水が地に起った時、ノアは六百歳であった。
創世記7:17 
洪水は四十日のあいだ地上にあった。水が増して箱舟を浮べたので、箱舟は地から高く上がった。
創世記8:4
箱舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。



「120年間あらゆる罵倒と嘲笑を受けながら、山頂に箱舟を造った」との内容の記述は、聖書からは見つけることができません。
ノアは500歳で、セム、ハム、ヤペテを生み、その後、神様がすべての人を絶やそうと決心したとあり、600歳の時に洪水が起きたとあるだけですから、「ノアの信仰基台120年」は聖書に書かれていない統一協会の捏造です。

アララテ山は箱舟を造った場所ではなく、水が引いて箱舟が留まった場所だと書かれており、標高5615メートルです。
頂上付近は、夏でも溶けない万年雪と氷河におおわれて、気軽に登れるような山ではありません。
統一原理では、聖書に書かれていない内容を主張しているのですが、さらにこんな捏造もしています。


神様の命令に従って箱舟を造るのに、途中で心が変わり得ないでしょう。
変わるなら、神様の命令ではなかったと疑うべきでしょう。
私は百二十年という歳月を覚えていません。精誠を尽くして造るのが、おもしろかったからです。
子供たちも妻もたくさん協助してくれましたが、一〇〇パーセント協助したのではありません。
人々は、いつも目に見えるものだけ追いかけるでしょう。目に見えない神様には、顔を背けることが多いです。
それで、彼らは熱心に箱舟を造っていた私の心を何度も揺さぶりました。
「洪水が起きればみな死ぬのに、我々だけどうして生きるのでしょう」、「神様が何のために我々だけ生かしてくださるのか。雨が降り始めれば、そのとき神様に再び尋ねてみて、確実ならまた始めましょう」、「神様が人間をみな滅ぼされれば、人間の後孫がいなくなるのに、そんなことをなさる方ではないでしょう」などと言われ、あらゆる誘惑がたくさんありましたが、私はただみ言に従順に従うこと以外、知りませんでした。
それでも子供たちや妻が、背を向けなかったのは有り難いことでした。
(「霊界で会った人たち ノア」 1997年8月19日 霊界の実相と地上生活)



統一協会の自称霊能者が、ノアの言葉だとして「霊界で会った人たち」を捏造しました。
しかし文氏は次のように語っています。


ノアには親戚もいて、民族もいましたが、それよりも神様のみ旨の国を追求していった人です。
ノアに願われた神様の希望は、理想の国と理想の義を求めて個人的環境を屈服させていくことでした。
彼が春夏秋冬、一日も休まずに百二十年の試練の過程を越えるその苦衷は、どれほどのものだったでしょうか。
家庭までも彼を捨てましたが、ノアは、どのような矢でもすべて受け止めて百二十年を切り開いていきました。
(「神様の祖国と天一国王権時代」 2003.02.05 ロッテホテル)



文氏は「家庭までも彼を捨てましたが・・・」と語り、ノアは「子供たちや妻が、背を向けなかったのは有り難いことでした」と語ったとされています。
証言が見事に食い違っているので、どちらかが嘘をついている事になります。(笑)
聖書を捏造して、新しい物語を創作するのが好きな統一協会ですが、自称霊能者が余計な作品を書いた為に思わぬボロが出ていまいました。

以上のように「信仰基台」は聖書とは関係の無い理論であり、聖書を捏造し曲解した屁理屈であることは明白でしょう。
しかし原理講論ではこう続きます。


(二)実体基台
ノアは、箱舟を神のみ旨にかなう供え物としてささげ、「象徴献祭」に成功することによって「信仰基台」を蕩減復帰した。
これによってノアは万物を復帰するための蕩減条件を立てると同時に、人間を復帰するための象徴的な蕩減条件をも立てたのである。
この基台の上で、ノアの子セムとハムとが、各々カインとアベルの立場から、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて、「実体献祭」に成功すれば、「実体基台」が成就されるようになっていた。
ノアが「象徴献祭」に成功したのち、この家庭の「実体献祭」がみ意にかなうようにささげられるためには、まず、「実体献祭」の中心となるべき次子ハムが、アダムの家庭の「実体献祭」の中心であった次子アベルの立場を、復帰しなければならなかった。
アダムのときには、アベル自身が、アダムの代わりに「象徴献祭」をささげたので、アベルがその献祭に成功することによって、「信仰基台」を蕩減復帰すると同時に、「実体献祭」の中心となることも、また、決定されたのである。
しかし、ノアのときにはハムではなく、ノア自身が「象徴献祭」をささげたので、ハムが「象徴献祭」に成功したアベルの立場に立つためには、「象徴献祭」に成功したノアと、心情的に一体不可分の立場に立たなければならなかったのである。
それでは、我々はここで、神がハムをしてノアと心情的に一体となる立場に立たせるために、いかなる摂理をなさったかを調べてみることにしよう。
創世記九章20節から26節までの記録を見れば、ハムは自分の父親ノアが天幕の中で裸になって寝ているのを発見し、それを恥ずかしく思ったばかりでなく、善くないことと考え、彼の兄弟セムとヤペテとが恥ずかしい気持ちに陥るように扇動した。
このとき、彼らもハムの扇動に雷同して、その父親の裸体を恥ずかしく思い、後ろ向きに歩み寄って、父の裸を着物で覆い、顔を背けて父の裸を見なかった。
ところが、これが罪となり、ノアはハムを呪って、その兄弟の僕となるであろうと言ったのである。・・・・


(三)ノアの家庭が見せてくれた教訓
ノアが一二〇年間もかかって山の頂上に箱舟をつくったということは、だれでも容易に理解できるものではなかった。
しかしながら、そのために激しい非難と嘲笑を浴びても、正にそのことによって、ノアの家庭が救いを受けたという事実は、ハムもよく分かっていたのである。
このような過去の事実から推察して、ハムはたとえノアが裸になって寝ているのを自分では善くないことだと思ったとしても、(かつての箱舟の建造の場合のように、ここには何か深い訳があるのだということを賢明に悟って、分からずとも)あくまでそれを善いこととして見なければならなかったのである。
しかしハムは、自己を中心として(自己の基準で)天の側に立っているノアを批判し、またそのことを行動に表したので、神がアダムから一六〇〇年も待って、四十日洪水審判を行使して立てられたノアの家庭を中心とする摂理は、結局成し遂げられなかったのである。
これは、我々が神への道を歩むに当たっては、どこまでも謙虚と従順と忍耐の心がなければならないということを見せてくださっているのである。
(後編 第一章 第二節)



統一協会では、ノアは人々の激しい非難と嘲笑を浴びながらも、120年かけてアララテ山の頂上に箱舟を造ったと、聖書に書かれていない嘘を教えます。
そしてそれは神様のみ旨に従順に従い「信仰基台」を立てる戦いであり、家族や世間の激しい非難や嘲笑は、み旨を妨害する為の「サタンの業」だったのだから、現在、食口の皆が世の中から批判を浴びていることは、ノアの時と同じようにみ旨を妨害する「サタンの業」であり、決して「サタンの声」に屈してはいけないと教えます。


つづく 


Last updated  2008.09.07 00:29:26
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