1970年代、ニューヨーク駐在の頃、サンフランシスコには仕事があり良く行った。
航空会社の担当で、CM撮影や747の導入広告のことだった。
社の窓口は、何と日本食レストラン「蝶々」の坂田さん(故人)だった。
彼はアメリカ生まれだが戦争中シンガポールでインド独立軍を訓練していて「反乱罪」でアメリカに戻るのが大変だったと言う人だ。
日本軍兵器の収集家だった。当時、海岸にドライブして八九式擲弾筒に実弾を入れ、沖の岩向けて発射させてくれた。やはり耳に響く凄さだった。その他、後に私の収集に彼のものは多く入った。
さて、坂田さんのところに平岩 弓枝という作家が滞留していた。坂田さんは面倒見が良いのだ。
彼女の小説は、筋が全て「偶然性」で構成されているような無理のあるストリーだが、テレビ局が好んだ。
彼女がニューヨークに来たときか、坂田さんかに、「女の顔」と言う、それこそ、偶然のたまもののような筋の小説をいただいた。
そのモデルが、当時坂田さん夫人だ、その弟の嫁が由記夫夫人だった。
おかみは坂田夫人で、板前がその弟の幸さんの夫、幸さんはウエートレス頭みたいな構成だった。毎晩訪れる客のひとりが由記夫さん。
当時、生まれた息子が30代、時代の流れを感じるが、また平岩さんお得意の「偶然」と言うものも感じないわけにはいかない。平岩さんの夫、代々木八幡の神主は航空部の先輩だった。これも「偶然」のひとつだ。
日本レストランで「いらっしゃい」とやっていた人がファートレディだから、日本の階級性はなくなったと判断してよいだろう。画像は文春文庫、平岩 弓枝著『女の顔』
こんな内容は書きたくないが、日本のメディアの人間と話していても取材不足か知ってる人間はいなかった。
なおこの話はケイスケ先輩が詳しい。当時、板前のシンさんに同情し憤慨していた人間の一人だった。
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