新路口事件とは、1937年12月13日の南京陥落を前後して起きた南京大虐殺における市民集団虐殺の事例の一つ。
1937年12月の南京陥落当時、南京城内南部の中華東門新路口5号の長屋には、家主である哈(ハァ)夫婦と子供2人の4人と、夏(シァ)夫婦と子供5人、母方の祖父母の9人、合計2家族13人が住んでいた。この2家族13人のうち、日本軍によって11人が殺害され、1人が銃剣で刺される重傷を負った。
夏淑琴さんの証言によると、日本兵が来たのは13日午前10時頃だったという。玄関のドアが激しく叩かれた為、大家の哈夫婦と夏さんの父が応対に出たところ、約20人の日本兵が立っていた。日本兵は哈に何かを話し掛けた後、彼を撃ち殺した。その後、日本兵は、その場から逃げようとした夏さんの父を背後から撃ち殺した。
夏さんの母は、生まれたばかりの赤ん坊とテーブルの下に隠れていたが、日本兵に見つかり、強姦された後、赤ん坊と共に殺害された。
夏さんは、祖父母と姉妹4人と共に奥の部屋に逃げ込んでいた。日本兵がこの部屋にやってくると、子供たちを庇おうとした祖父母を撃ち殺した。その後、日本兵は2人の姉を強姦し殺害した。
夏さんはこの惨劇を目の当たりにし、泣き叫んだところを日本兵に銃剣で刺された。3ヶ所も刺されたが、幸い何れも致命傷にはならなかった。意識を失った夏さんは、その後の記憶がない。妹の泣き声で意識を取り戻した夏さんは、哈夫人とその2人の子供が殺害されていることを知る。
その後、無傷だった妹と共に、鍋巴(保存食で一種の焦げ飯)を食べて過ごしているところを、養老院の人々に発見され保護されたという。 |