★「パル判決書の真実」「南京事件研究の最前線」を世界に発信
「史実を世界に発信する会」
http://hassin.sejp.net/)
↑ホームページをぜひ、ご覧くださいませ
茂木弘道(もてき ひろみち)氏より 下記、ご教示いただきました。
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「パル判決書」の真実
渡部昇一氏のパル判決のまとめ
『パル判決書』の真実
著者:渡部 昇一
販売元:PHP研究所
『パル判決書の真実』(PHP)
の序文で渡部先生は「東京裁判についてはもう知る必要がない。
われわれが知る必要があるのは『パル判決書』のみである。」
と書いています。
『パル判決書』こそは、マッカーサー自身が認めた東京裁判の誤りを先行的に指摘した書であり、
大東亜戦争、昭和史の真実を述べた書でもあります。
700ページを越える『パル判決書』の重要なポイントを、判決書からの
直接引用によってまとめ上げたのが『パル判決書の真実』です。
この英訳版によって、世界の心ある人々に
『パル判決書』を知ってもらい大東亜戦争の真実を知ってもらえるものと期待しています。
発信する会のサイトに掲載するとともに、下記の案内を世界のマスコミ・学者・政治家等
に発信しました。 史実を世界に発信する会 茂木
The Tokyo Trials and the Truth of “Pal’s Judgment”
Of the eleven judges at the Tokyo Trials, only Radhabinod Pal had specialized in international law. Basing his position strictly on the law and rules of evidence,
he maintained that the Tokyo Trials were in error. He wrote a dissidenting judgment, in which he concluded that “each and everyone of the accused must be found tnot guilty of each and every one of the charges in the indictment and
should be acquitted of those charges.”
Prof. Watanabe introduces the major points of the 700 page “Judgment” by directly quoting Pal’s words in his book “The Tokyo Trials and the Truth of the Pal’s Judgment.”
You can read summary and the whole text at our site:
Summary: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/63_S2.pdf
The whole text: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/63_S4.pdf
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●本の内容
六年の歳月を閲した日本「南京」学会年報。所期の目的を達成し、本巻を以て最終完結版とする。着実に成果を積み重ねて前に進み続けた「最前線」は、南京「事件」研究上の揺るぎなき橋頭堡となり得たか、読者諸賢の判断を仰ぎたい。その便に供するため、全年報ならびに全会報の総目次一覧を巻末に附す。
●目次
日本軍の処刑をどう見るか
南京虐殺二万人説の虚妄-顧維鈞国際連盟理事会演説の正しい読み方
国際連盟理事会「第六回会議録」
戦線後方記録映画「南京」から見えるもの
南京戦参戦勇士の語る「南京の真実」
『報道戦線』と『紙弾』に読むシナ論-永井卯吉郎と馬淵逸雄の視点
●著者情報
東中野 修道(ヒガシナカノ シュウドウ)
昭和22年(1947)鹿児島生れ。鹿児島大学法文学部、大阪大学大学院博士課程修了後、西ワシントン大学客員教授(日本思想史)、ハンブルク大学客員研究員を経て、亜細亜大学法学部教授、政治思想史、日本思想史専攻。文学博士。日本「南京」学会会長
「日本南京学会」 は平成12年に設立され、精力的にに研究活動を展開してきました。
研究成果を年報『南京事件研究の最前線』(展転社)に発表してきましたが、昨年出版された最終号のあとがきに、杉原誠四郎元武蔵野大学教授が、8年間の研究成果の総括をのせました。
今や日本のみならず世界の南京事件研究の最先端を行く研究を行って
いる南京学会の研究成果の全体像がここに総括されているわけです。
これを英訳して「史実を世界に発信する会」のサイトを通じて世界に発信することは極めて有意義であると考えます。
このたびサイトにアップロードし、下記の通り、世界
のマスコミ、学者、政治家等にemail発信いたしました。
日本語版は上記の通り『南京事件研究の最前線ー平成20年度版』(展転社)のあとがき
(p.287-317)に載っていますので、是非ご覧ください。
「発信する会」 茂木
Front-line of Research on the “Nanking Incident” of 1937
The Japan “Nanking” Society was founded in 2000 to advance research into the “Nanking Incident.” The research results were published in an annual report titled “The Front-line of Research on the Nanking Incident” in six volumes in book form.
Prof. Sugihara Seishiro summarized the scholarly achievements as presented in those volumes in the Afterword to the final volume. An extensive review of updated research on the “Nanking Incident” can be seen there. You can read its summary and full text at our site as follows.
Summary: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/64_S2.pdf
Full text: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/64_S4.pdf
Author profile: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/64_S3.pdf
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2009-08-27 12:30
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中共の主張する三光作戦…どう考えても、何故、光という漢字が、〜しつくすという意味の日本語に宛はまめられるのか、日本人として理解に苦しむ者の一人でした
日本語の「光」には、破壊を連想させる意味はありません
日光、月光、閃光、蛍の光、つまり、まさにひかりを意味するのですから、中共の主張する「三光」の意味が日本語として、実におかしい
百人切りにしても、学生時代、歴史の教師から日本刀についての蘊蓄を聞いたのだが、時代劇の殺陣の場面のように実際は、何人もバッタ、バッタと斬る事は出来なかったそうな。血脂で、すぐに刀の刃の切れ味が鈍るとか
しかし、中国の民衆に長年人気の伝奇小説「封神演義」を読むと、呪を施した、仙人の必殺武器に、沢山の仙人の首を斬る特殊な刀が登場したりする。
日本軍に、修行を積んだ封神演義に出て来るような、呪力を持つ必殺の魔法の刀を持つ仙人がいたとでもいうのか
歪曲・捏造された歴史でなく、我々が知らなければならないのは、隠蔽された事実である
英語訳の登場により、世界に真実を知らしめるのは非常に重要である
もちろん、日本の正平協の主張する中共と左翼により歪曲・捏造された自虐的歴史観に、鉄槌を下す為にも
そうだよな、おつるさん
有難うございます!!!
>南京大虐殺については、その史実は、今まで歪曲、捏造された作
>られた歴史が横行していましたね
あの南京大虐殺の歪曲捏造のもととも言える 本多勝一は
最低です。
殿岡先生への卑劣な攻撃は、本当にサヨクの手口そのもの。
サヨクはどんな卑劣な手を使ってでも、
自分の思想のためなら平気。
●殿岡昭郎 - Wikipedia
ベトナム戦争終結後、ベトナムのカントー市にある永厳寺という寺で、共産主義政権に抗議するため12人の僧侶が集団自殺をした。本多勝一はこの事件を、「サイゴン当局の捜査によれば、色気違い坊主による単なる無理心中事件」と自著に発表した。これを受けて殿岡は、「諸君!」昭和56年5月号において、「本多氏はハノイのスピーカー役を果たしている」と批判する。ベトナム統一仏教会最高委員会に接触し、焼身自殺が共産主義への抗議の殉教である証拠、確証を得た上での批判だった。この批判に対し本多は、「諸君」編集部へ抗議の手紙を送り、自身の持つ連載に、暗に殿岡を中傷する内容の記事を掲載する。さらに本多は、当時殿岡が助教授を勤めていた東京学芸大学に、殿岡の罷免を求める公開質問状を送付するが、内容は人格攻撃そのものだったという。そのため学長、教授会は無礼な手紙に答える必要はないとこれを無視する。しかしその3ヵ月後、殿岡は同大学を退職する。その後本多は、「諸君」の発行元である文藝春秋と殿岡を相手取って、東京地方裁判所に損害賠償請求の訴えを起こす。本多は、ハノイ当局の発表を伝えただけなのに、それをあたかも自分の意見であるかのように書かれたことが名誉毀損に当たる、と主張した。しかし平成4年(1992年)2月25日、東京地方裁判所において「本多氏の取材内容の信憑性を疑ったことは相当の根拠があった」としたうえで、本多の請求を棄却する判決が下った。