|
|
|
|
│<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く |
よく言われることだが、「忙しい」と言う字は、りっしんべん(心の字を立てて偏にしたもの)に、
亡ぶと書く、心が、亡ぶである。 現代人は、「忙しい」ことが、一種のステイタスのように、思っているところが、ある。 かつての私もそう思っていた。 暇だと不安を、感じて、何かガサゴソ走り回っていないと、落ち着かない。 そんな感覚を、持って居た時が、あった。 今は、全然、そうは思わない。 食べて活けるのなら、もっと暇のほうが、良いと思うようになった。 暇だから、「小人、閑居して、不善を為す。」のように、パチンコやゲームに、飲酒に、溺れる事も無い。 いくら、りっしんべんに、生きるだからと言って、性欲に、溺れる事も無い。 若い頃のように、あの速い車が欲しいとか、美人な嫁さんが欲しいとか、思わなくなってしまった。 成るように、しか成らないし、成るように、成れば、それで、良い。と、他人ごとのように、思う。 自分が幸せだと思う、ハードルが下がっただけでなく、方向も、変わったのだと、思う。 いつのまにか、大人、老成?、してしまったのだろう。と言う、自分も、ある。 仏教では、暇である事は、貴重なことに成っている。 暇でなければ、人は、悟りに、向わないのだ。と言う。 「アセンション」と言うものが、まだ、どう言うものか、私には、解らない。 いつか、このゴミゴミした、騒々しい世俗の中に居ても、 最期は、蛹が、蝶になるように、美しく素晴しく、昇華したいと、思う。 そのための、人生だと、思うようになっている自分が、いる。 この記事のトラックバックURL:
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/ascensiontenani/diary/200802140000/45f33/ │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |