vol.173 皇室典範議論の行方A〜出来レースだった有識者会議
男系維持派の情熱を込めた言葉は、世論を確実に動かしました。
平成16年に皇室典範改定への動きが見られると、新聞各社は女性天皇の可否(当時まだ女性天皇と女系天皇の異動についてほとんど認識されていなかった)について、九割以上の国民がこれに賛成しているとの結果を報道しました。
ところが、平成17年秋頃から皇室典範改定を巡る本格的な論争が始まると、テレビ・新聞・雑誌などで特集が組まれるようになり、ここで初めて女性天皇と女系天皇の違いなどが解説されるようになりました。
それに従って国民世論は微妙な変化を見せ始め、女性・女系天皇を容認する皇室典範の改定に対して、慎重な意見が増え始めたのです。
私にとって最初の著書となった「語られなかった皇族たちの真実」を出版したのもこの時期です。
そして、平成18年春頃には、ついに国民世論は皇室典範改定に賛成する比率が五割五分にまで落ち込み、改定の可否は国論を二分するところにまで至りました。
一時は国民の絶対多数の支持を得ていた女性・女系天皇論も、わずか数カ月で約半数の支持を失ったことになります。
これは、約四千万人以上の国民が、当初は女性・女系天皇に賛成していたところ、途中で意見を変えたということを意味します。
そのような状況の中で、秋篠宮妃殿下の御懐妊が報道されたのです。
小泉総理は平成16年12月27日、私的諮問機関として「皇室典範改正に関する有識者会議」と称する会を立ち上げました。
本来であれば皇室制度史の専門家を集めるべきでしょう。
しかし、委員となったのは素人ばかりで、皇室に関する専門知識を持った者は一人もいませんでした。
どうやら、専門家が入ると都合が悪かったことと思われます。
なぜなら、この有識者会議は完全な出来レースであり、発足以前から結論が先に決まっていたからではないでしょうか。
専門家が集まって本腰を入れた議論を始めたら、官邸の思う通りに議論が進められるとは限りませんし、結論に至る保証もありません。
実際に行われた有識者会議では、必要な資料は全て事務局が用意し、議論の筋道は事務局が決めた通りに進められたといいます。
素人が集められた有識者会議は、一か月に一回程度の頻度で計十七回開催され、立ち上げから約十一か月後の平成17年11月24日に答申が出されるまで、僅か三十時間程度の審議が行われただけでした。
道路公団の民営化ですら、公の場で三千時間以上議論されたといいます。
皇位継承の基本原則を変更せしめる重大な命題について、僅か三十時間程度の審議で済ませてしまうところからも、当初から実質的な審議をするつもりもなかったことを示しています。
あまつさえ、有識者会議では、その三十時間ですら素人たちが皇室制度について基礎的な勉強をするための時間に充てられ、実質的な審議をしたのはほとんどゼロに近かったのです。
有識者会議には、女系天皇容認論に反対意見を持つ委員もいたものの、「皇室に関する法律に指針を与える決議であるから、満場一致が望ましい」という事務局の強い意向により、満場一致で答申が決定されました。
そして出された有識者会議の答申は、女性・女系天皇を積極的に推進する、驚天動地の結論でした。
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