皇室のきょうかしょ 皇室のあれこれを旧皇族・竹田家の竹田恒泰に学ぶ!
vol.169 天皇と日食〜天皇はなぜお籠りになるのか
 平成21年7月22日、日本列島で観察できる四十六年ぶりの皆既日食がありました。全国各地からトカラ列島などに観察客が押し寄せ、関連図書や観察用のサングラスが売り切れたそうです。皆既日食に多くの人が関心を持ったようです。
 私は興味があることについては、世界中どこへでも見に行く性質があるのですが、今回の日食は、どうしても観察に出かける気になりませんでした。
 なぜなら、宮中で日食は穢(けが)れとして忌(い)み嫌われてきたからです。
 現在の日本社会ではそのような観念は薄らいでいますが、もし日食が穢れならば、日食を見ることで穢れが降りかかることになります。わざわざ日食を観察しに遠方まで出かけることは、昔の人から見れば「狂気の沙汰」ということになるでしょう。
 私は孝明天皇(こうめい・てんのう)の研究者なのですが、孝明天皇の生涯にわたる膨大な記録が収められている『孝明天皇紀』を読んでいると、度々日食の記事を目にします。
 日食の日は、宮中祭祀(きゅうちゅう・さいし)は中止され、公卿(くぎょう)の参朝(さんちょう)が停止されるのです。
 
 第八十四代の順徳天皇(じゅんとく・てんのう)が、天皇のあるべき作法をはじめ、宮中の儀式・祭祀・行事・政務などについて記した『禁秘抄(きんぴしょう)』には興味深い記事があります。
 そこには「日月蝕(にちげっしょく)」という項目があり、日食と月食の日、天皇は特に重く慎まなければならず、御簾(みす)を下げ、その光を天皇に当ててはいけないと書かれています。
 しかも、日月食の光に当たってはいけないのは、天皇だけではないそうです。御所も席(むしろ)でつつみ隠したといいます。あの大きな建物を席でつつむというのは、想像しただけでも大変な作業です。
 そして、日月食の日には、歌舞音曲(かぶおんきょく)が停止され、僧侶が御修法を奉仕し、御殿では読経が行われたそうです。
 また、その日が雨などによって日月食が遮られた時には、読経などを終え、その席を取り除くこととされていました。
 『禁秘抄』は中世に書かれたものですが、幕末の孝明天皇の時代にはその作法もかなり変化しているように見えます。しかし、日月食を穢れとして忌み嫌う考え方に変更はないようです。

 ではなぜ日食は忌み嫌われたのでしょうか。『禁秘抄』にはその理由は書かれていませんが、私は次のように考えます。
 陰陽道(おんみょうどう)には、天体の運行によって吉凶を判断する考え方があります。
 天皇に穢れがかかれば、日本全体に穢れがかかると信じられていたため、特に天皇と関係の深い天体に異変が起きることを畏れました。
 たとえば、彗星は妖星(ようせい)として忌み嫌われる存在で、彗星の出現は国家動乱の前兆とされていましたが、そのなかでも、天帝のいる場所とされる紫微垣(しびえん)(北極星周辺)に彗星の尾がかかることは特に不吉とされました。
 それと同じように、太陽は皇祖神(こうそしん)であられる天照大神(あまてらすおおみかみ)を象徴する天体であるため、太陽が月によって覆い隠される日食は、一種の天変地異であり、不吉なものとして忌み嫌われてきたのです。

 ところで、平成21年7月22日、東京地方では午前9時55分から日食が始まり、11時12分に食の最大を迎えましたが、厚い雲に覆われ、日食を観察することはできませんでした。
 科学の知識によれば、ただ雲がかかっていただけであって、雲の上からは観察できたはずですから、日食が中断されたはずはありません。
 しかし、中世の『禁秘抄』では雲で覆われたことによって、日食が防がれたと考えるのです。ですから、当日雨などに見舞われると、読経は中止され、その席は取り払われました。
 たしかに、曇ったことにより、少なくとも東京地方が日食の穢れを受けずに済んだことになります。また、トカラ列島をはじめとする、皆既日食の観察適合地とされた多くの地域でもほとんどが曇りで見えなかったそうですから、これは天皇の徳の為せる業だったのではないかと私は信じています。

 日食の日が近づくにつれ、私が気にかけていたことがあります。それは、衆議院の解散と日食が重ならないかということです。
 衆議院の解散は憲法第七条に記された天皇の国事行為であり、天皇の発せられる解散の詔書がなければ、衆議院が解散されることはありません。
 解散時期を決めるのは内閣ですが、実際に解散をするのは、内閣ではなく天皇ということになります。
 日食の日は宮中祭祀も滞り、天皇は政務を行わないという古い考え方によれば、日食の日に詔書が発せられることは絶対に避けなければいけないのです。
 日食の日、天皇は御簾の奥で御慎みになるのであり、内閣がその御慎みになっていらっしゃる天皇を御所から宮殿にお連れして、詔書の煥発を要請することは誠に畏れ多いことです。
 天皇が穢れないための御慎みですから、それを解くことは、天皇を穢れさせることになるからです。
 しかも、衆議院解散は国政の一大事であり、これが穢れた日に行われ、穢れた選挙が行われたならば、我が国の将来は不安です。
 衆議院の解散は、日食前日の7月21日でしたので、ほっと一安心した次第です。

 もし日食の日に、内閣から宮内庁に詔書煥発の要請があったら、宮内庁は「日食の日は天子は政務をおとりになりませんので、詔書の煥発はできません」ときっぱりと断るべきですが、いまの宮内庁はそこまで言えるでしょうか?


出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
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作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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