vol.166 孝明天皇の御聖徳D―明治維新により失ったもの
私は、孝明天皇(こうめい・てんのう)の崩御(ほうぎょ)(天皇が亡くなること)の真相よりも、むしろ当時から暗殺の噂(うわさ)があった事実が重要だと考えます。
これまでの江戸時代の天皇には暗殺説はありませんでした。
孝明天皇の暗殺説がまことしやかに囁(ささや)かれたということは、孝明天皇の御存在は、お一人の生死によって日本の国のあり方が全く違うものになったと信じられていたことを示します。
これは孝明天皇が暗殺されるほど重要な存在、あるいは討幕を狙う者にとって邪魔な存在だったことを意味するのです。
孝明天皇がそのような存在になったのは、天皇が一貫して「公武合体による鎖国攘夷(じょうい)」を貫いたからでした。
討幕への機運が高まる中、天皇の存在はその障害となったと考えられます。
孝明天皇崩御によって、討幕への最大の障害が外れ、間もなく討幕が実現し、明治維新政府が成立しました。
いま維新の英雄は日本の英雄、歴史の英雄といわれていますが、果たして明治維新は、成功だったのでしょうか。
確かに、朝廷が残ったのですから、私はあえて失敗だとは言いません。
一歩間違えば朝廷の存在が失われた可能性すらあるわけです。
しかも、維新がもたらした開国、文明開化、鹿鳴館(ろくめいかん)へと続くグローバリズムは我が国に様々な恩恵を与えてくれました。国は富み、兵は強く、日本は列強の仲間入りを果たしました。
日本の繁栄の基礎を築いた明治維新には一定の価値があったといえるでしょう。
しかしながら、そこには光だけでなく、影もありました。
それらの恩恵の代償として、私たちは最も大切なものを置き去りにしてきたのではないでしょうか。
日本は明治維新後、欧米と肩を並べて世界に通用する強国になるため、日本の伝統・文化・精神など我々の先祖が大切に育み守ってきたものを「古臭いもの」としてことごとく捨ててきました。
そのことが今になって社会に様々な歪みを生じさせています。
近年、我が国の歴史や文化を見直す風潮がありますが、このような流れは、明治維新により失われた日本の大切な部分を取り戻すことではないかと私は理解しています。
それは今だからできることですが、あと五十年も経ったら取り戻すことは無理かもしれません。
本当の保守を失ったことは、日本人の心を置き去りにしてきたようなもので、そこに明治維新の影の部分があるのです。
孝明天皇、あるいは会津藩といった維新の「負け組」は、本当の保守でした。
孝明天皇は、歴史と伝統に依拠して、グローバリズムという激流にただ一人立ち向かった、孤独の天皇だったのです。
今そこに光を当てると日本の進むべき道が見えてくると私は思います。
明治維新以降、とりわけ大戦後の日本は、歴史と伝統を顧みず、改革を進めることに価値を見出す社会になってしまっています。
しかし、本来の日本人の気質は、新しいものを作り上げることよりも、むしろ古いものを守ることに重きを置いていたのです。
いま、明治維新前夜に立ち返ることを考えなくてはなりません。
維新以来の歩みを見つめ直し、孝明天皇が守ろうとした日本の姿を、そして日本人の気概を取り戻すことが肝要です。それが守るべき本当の日本の姿なのです。
それにしても、よくぞ大和王朝(やまと・ちょうてい)が今日まで二千年以上も続いてきものです。
そのおかげで現在も日本語が存在し、また日本文化は二千年間一度も途切れることなく積み上げられてきました。
一つの王朝の元で、二千年以上積み上げられた文化を持っているのは世界でも日本だけです。
それを明治維新の時に置き去りにしてきたことは、子孫に対する罪だと考えるべきでしょう。
伝統に裏打ちされた文化、これを取り戻さなければ、未来の日本はありません。それは今しかないわけです。
現代に生きる我々は、維新の頃よりも激しいグローバリズムの波に翻弄されています。
我々が心に刻むべきは、伝統や文化を軽視する人や、個人主義や拝金主義に走る人の姿ではなく、ただ一人でグローバリズムの大波に立ち向かっていった孝明天皇の姿ではないでしょうか。
〈「孝明天皇の御聖徳」完〉
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