vol.134 憲法第二条【皇位の継承】D皇位継承の資格
天皇になることができる権利のことを「皇位継承権」といいます。皇位継承権を持つ皇族の条件とその順位は皇室典範という法律で定められています。その条件とは、
@ 「皇統に属する男系の男子」であること (皇室典範第一条)
A 嫡出子(ちゃくしゅつし)であること (皇室典範第六条)
の二点です。
皇室典範は第一条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」と定め、第六条で「嫡出の皇子及び嫡男系(ちゃくなんけい)嫡出の皇孫」が皇族となることを規定しています。
「皇統に属する男系の男子」については第107回(憲法第二条【皇位の継承】@)で説明しましたので、今回はAの嫡出子であることについて考えてみましょう。
嫡出子というのは難しい言葉ですが、分かりやすく言うと、正妻の子供という意味です。嫡出子の対になるのは非嫡出子で、これは正妻以外の女性が産んだ子供を意味します。そして、嫡出子を嫡子(ちゃくし)、非嫡出子を庶子(しょし)とも呼びます。
また別の言葉で、嫡出子の系統と嫡系(ちゃくけい)、また非嫡出子の系統を庶系(しょけい)と呼ぶこともあります。
皇室典範は、天皇と皇族の嫡子を皇族として皇位継承権を与え、庶子は皇族とせず、皇位継承権も与えない、ということを規定しているのです。
しかし、昭和22年までの皇室典範は、庶子も皇族となり、皇位継承権を持ちました。
確かに嫡子が天皇となる例は多くありますが、歴史的には庶子が天皇となった例もたくさんあります。
例えば、現在の天皇陛下の生母は昭和天皇后の香淳(こうじゅん)皇后でいらっしゃいますので、陛下は昭和天皇の嫡子に当たられます。
また、現在の皇太子殿下の生母は現在の皇后陛下でいらっしゃいますので、殿下は陛下の嫡子に当たられます。
ところが、大正(たいしょう)天皇の生母は柳原愛子(やなぎはら・なるこ)で、父帝の皇后ではありません。したがって大正天皇は明治(めいじ)天皇の庶子ということになります。
また、明治天皇の生母も中山慶子(なかやま・よしこ)で、父帝の皇后ではなく、やはり庶子に当たります。
それどころか、明治天皇から順に遡ると、第121代孝明(こうめい)天皇、第120代仁考(にんこう)天皇、第119代光格(こうかく)天皇はすべて庶子の生まれであり、第118代後桃園(ごももぞの)天皇まで遡って、初めて嫡子出身の天皇にたどり着けるのです。
このように、歴史的には嫡子よりむしろ庶子が天皇になる例の方が多く見られるのです。
かつて医学が未発達の時代、出産は危険なものでした。無事に出産を終えたとしても、幼児の死亡率は極めて高く、生まれた子供が成人することは難しいものでした。
そのため、天皇は多くの女性との間にたくさんの子供を儲けることが求められたのです。
その点、現在では医療が発達し、出産の危険性と幼児の死亡率は極端に低くなりましたので、庶系に皇位継承権を与えなくても、皇位継承は可能であると考えられます。
一方、憲法は「生まれによる差別」を否定しています。憲法第14条は次のように規定しています。
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地(もんち)により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
皇位継承資格を嫡子に限定したことは庶子差別であり、「生まれによる差別」を否定する憲法に違反するという考え方もあります。
民法によれば、庶子にも相続権が認められていますから、庶子を差別しないことはむしろ民間では一般的なことです。
ですから、皇位継承を嫡子に限定したことは、社会的にも歴史的にも違和感があることなのです。
皇室典範の庶子差別が憲法違反かどうかについては諸説あります。皇位が世襲(せしゅう)であることの特殊性から、合憲であるという見解も存在します。
しかし、歴史的な皇位継承のありかたを考慮すると、世襲であるという特殊性からして、皇位継承を嫡子に限る合理的理由は見いだせません。
二千年間営んできた伝統的な皇位継承の方法を見直すことも必要かもしれません。
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