vol.131 鬼になった菅原道真A−発動する怨霊
菅原道真(すがわらのみちざね)の怨霊は、これまでに誕生してきた他の怨霊と比べても、一段と恐ろしいものでした。道真の怨霊は、道真に無実の罪を着せた人たちを次々と殺していきます。
菅原道真が怨霊として恐れられるようになったのは、延喜(えんぎ)9年(909)に、道真を失脚させた中心人物である藤原時平(ふじわらのときひら)が三十九歳の若さにして病気で死んだ頃からです。
僧侶の浄蔵(じょうぞう)が藤原時平に加持祈祷を施している時に、浄蔵の父親である三善清行(みよし・きよゆき)が見舞いに行くと、藤原時平の左右の耳から二匹の青龍が現れ、その龍は清行に次のように話したといいます。
「私(道真)は天帝(てんてい)の許しを得て仇(かたき)を懲(こ)らしめようとしているのに、お前の息子の浄蔵が私を降伏させようとしている。加持祈祷を止めさせよ」
清行は青龍の言う通りに息子の浄蔵とともに時平の屋敷を出ると、時平は息を引き取ったそうです。
菅原道真が失脚して、その次に右大臣となった源光(みなもとのひかる)も、道真の左遷に加わった人物です。源光は道真の怨霊を恐れていましたが、延喜13年(913)、鷹狩の途中で泥にはまって死亡しました。そして死体も上がらなかったと伝えられています。
延喜23年(923)3月には、藤原時平の妹穏子(やすこ)が産んだ皇太子保明(やすあきら)親王が、病気でもないのに二十一歳という若さで薨去(こうきょ)(皇族が亡くなること)となりました。
この時、保明親王の死は道真の怨霊が原因であると、庶民の間で騒然となりました。これにより、道真の怨霊はますます恐れられることになります。
皇太子が犠牲になったため、ついに朝廷は菅原道真の怨霊を鎮める行動に出ます。皇太子薨去の翌月には、道真を右大臣に復帰させて正二位という高い位を贈り、太宰府左遷を取り消し、さらに翌月には元号を「延喜」から「延長(えんちょう)」へと改めました。
菅原道真の名誉を完全に回復させ、改元をすることによって、これまでの悪い流れを断ち切ろうという考えです。これにより、道真の怨霊が鎮まることが期待されたのです。
朝廷が菅原道真の名誉を回復させるということは、道真を左遷した朝廷の判断が間違っていたことを認めることになります。ですから、朝廷が道真の怨霊を真剣に恐れなければ、名誉回復が行われることはありません。
自らの非を認めてでも、道真の名誉を回復させなくてはいけないほど、怨霊による被害は深刻なものと考えられたのです。
しかし、菅原道真の怨霊の勢いは止まるところを知りませんでした。
延長3年(925)には、保明親王の次に皇太子となった慶頼王(よしより・おう)が僅か五歳で薨去となりました。慶頼王は保明親王の王子で、藤原時平の娘を母に持ちます。
そしてついに延長8年(930)6月26日、皇居で菅原道真の左遷に関係した公卿等五人が即死するという大惨事が起きます。荒れ狂う道真の怨霊は、もう誰にも止められない状態になったのです。
五人が即死した事件の詳細は、次回をお楽しみに。
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