vol.128 井上(いがみ)内親王@無実の罪で捕えられた聖女
養老(ようろう)元年(717)に聖武天皇(しょうむ・てんのう)の第一皇女として生を受けた井上内親王(いがみ・ないしんのう)は、わずか五歳で伊勢斎王(いせ・さいおう)(「いつきのひめみこ」ともいう)に選ばれ、神亀(じんき)4年(727)に十一歳で伊勢の神宮に派遣されました。
伊勢斎王とは、神宮の重要なお祭りで内宮(ないくう)と外宮(げくう)に大玉串(おおたまぐし)を奉(たてまつ)る役を務める巫女(みこ)で、天皇に代わって天照大神(あまてらすおおみかみ)に仕える重大な役割を担います。
通称、その住む場所を示す斎宮(さいぐう)(「いつきのみや」ともいう)とも呼ばれ、その起源は『日本書紀』の神宮が創建された物語に記される、崇神天皇(すじん・てんのう)皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)や垂仁天皇(すいにん・てんのう)皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)にまで遡ります。また、制度としては天武天皇(てんむ・てんのう)の時代以降に整えられました。
斎王は天皇即位の初めに未婚の内親王(適任者がいない場合は女王)の中から占いによって決定され、二年間かけて潔斎(けっさい)(身を清めること)した後に天皇に別れを告げる儀式を経て、数百名を従えて伊勢に赴きます。
但し、井上内親王は斎王に選定されてから伊勢に赴くまで、例外的に六年を経ています。
斎王にとって清浄を保つことが第一で、いかなる穢(けが)れも近づけてはいけません。そのため伊勢では厳粛な潔斎生活を続け、動作や言語も厳しく制限され、その厳格さは他に類を見ない程だったといいます。
斎王は原則として、一旦その任に就くと、天皇の代替わりか近親者の死去があるまで交代することはできません。ですから、何十年も厳しい生活を続けなければいけない場合もあるのです。
井上内親王が弟の安積(あさか)親王の喪(も)に入ったことで斎王を退いたのは、選定から実に二十四年後の天平(てんぴょう)16年(744)のことでした。
都に戻った井上内親王は、やがて天智天皇の男系の孫に当たる白壁王(しらかべおう)と結婚することになります。
天武天皇系が支配する時代でしたから、白壁王に王子が誕生しても皇位継承に繋がることはなく、井上内親王が白壁王に嫁いだのは無難な結婚でした。
白壁王には既に妃と子女がありましたが、井上内親王は当時としては驚くべき高齢出産により、三十八歳で酒人(さかひと)女王を産み、しかも、その後に他戸(おさべ)親王を産みました。
他戸親王の生まれ年は明確には分りませんが、他戸親王の立太子での年齢を十一歳であったとの記録があるため、他戸親王は井上内親王が四十五歳の時の子と考えられます。
あまりに高齢での出産であることを理由に、井上内親王の子であることを否定する見解もありますが、当時としては驚異的な三十八歳での初産を経験した井上内親王が、四十五歳で第二子を出産する可能性はあるため、簡単に否定はできません。
本来であれば、井上内親王はこのまま円満で静かな生活を送ることができたでしょう。
しかし、神護景雲(じんごけいうん)4年(770)に皇位継承者不在のまま第48代称徳天皇(しょうとく・てんのう)が崩御(ほうぎょ)となり、皇統の危機を迎えました。
天武系の男系継承者が一人もいなくなってしまったのです。そして、皇統は天智系に戻す他選択肢はなくなりました。
そして、白羽の矢が立ったのが当時六十二歳になっていた天智系の皇胤(こういん)、白壁王だったのです。
白壁王は立太子(りったいし)(皇太子になるための儀式)を済ませると天皇に即位して、第49代光仁天皇(こうにん・てんのう)となり、井上内親王はそれと同時に皇后になりました。
しかも、翌年には皇后井上内親王の子である他戸親王が皇太子に擁立されました。
井上内親王と他戸親王は突如として歴史の表舞台に登場することになったのです。
ところが、間もなく悲劇が始まります。宝亀(ほうき)3年(772)、皇后井上内親王は巫蠱大逆(ふこ・たいぎゃく)の罪を着せられ、何と廃后(はいこう)(皇后の位を廃されること)とされ、その三ヶ月後には、皇太子他戸親王が廃太子(はいたいし)とされてしまったのです。
巫蠱大逆の罪とは、天皇を呪詛(じゅそ)、つまり呪ったという罪です。「皇后が天皇を呪詛している」と下級の官吏(かんり)が密告したことが事の発端でした。皇后が天皇を呪い殺し謀反を起こそうとしていたというのです。
果たして、井上皇后が天皇を殺す必要はあったのでしょうか。捕えられた井上内親王は、壮絶な死を遂げ、ついには怨霊になっていきます。
井上内親王の死と、怨霊となるプロセスは次回にしましょう。おたのしみに。
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