第107回は憲法第二条【皇位の継承】@でしたが、今回は第二条の二回になります。はじめに、条文をおさらいしてみることにしましょう。
憲法第二条【皇位の継承】
皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範(てんぱん)の定めるところにより、これを継承する。
天皇の皇位継承について規定した条文です。前回は皇位継承についてのアウトラインを勉強しましたが、今回は「皇室典範」について掘り下げることにしましょう。
条文では「国会の議決した皇室典範」と書かれていて、皇室典範は、国会が決議した法律と理解されています。
皇室典範は日本が大戦に敗れた後の昭和二十二年五月三日、日本国憲法と同時に施行(しこう)されました。
日本国憲法が施行される前は、旧憲法、すなはち大日本帝国憲法の体制にあったわけですから、皇室典範を議決したのは現在の国会ではありません。帝国議会が議決したことになります。
とすると皇室典範は、厳密には条文がいう「国会の議決した」法律ではないのですが、憲法第100条2項に「この憲法を施行するために必要な法律の制定(中略)は期日よりも前に、これを行ふことができる」と規定していますので、この限度において経過的に「帝国議会の議決」を「国会の議決」と読みかえられています。
ところで、皇室典範が施行される前日まで、「皇室典範」という法規範がありました。同じ名前だと混乱するので、ここでは「旧皇室典範」と呼ぶことにします。
旧皇室典範は明治二十二年二月十一日に制定され、皇室典範施行の前日である昭和二十二年五月二日に廃止されました。
皇室典範施行以降、新たに法律として「皇室経済法」「宮内庁法」「国事行為の臨時代行に関する法律」「元号法」などが、また政令では「皇統譜令(こうとうふれい)」が制定されました。
しかし、皇室の基本事項を定めた旧皇室典範の下には膨大な数の皇室令があり、宮中儀礼・宮中祭祀・陵墓などの細かいことを規定していました。それらの皇室令は、旧皇室典範と共に全て廃止されたのです。
そこで、皇室制度は伝統的なものですから、廃止された皇室令の多くは慣習法(かんしゅうほう)として存在しているものと考え、廃止された法令に代わる法令が制定されていいない場合でも、旧皇室典範下の皇室令に準じて扱われています。
慣習法とは、法規範性(ほうきはんせい)を認める慣習のことです。たとえ国会が制定した法令でなくとも、慣習としての規範が長年存在していれば、それには法令と同じように法規範性を認めるというものです。
新しい皇室典範は憲法第二条が示すとおり、国会の議決した法律ですが、旧皇室典範は天皇が直接制定したものであり、憲法と同等の規範でした。
旧皇室典範は、天皇家の家族法であると考えられていましたから、制定当初は公布すらされていませんでした。国民は内容を知る必要がないということだったのでしょう。
しかし、皇室典範の内容を知りたいという要望が高まったことで、初めて公布されたという経緯があります。
憲法第二条は、皇室典範について「国会の議決した」と規定することによって、旧皇室典範のような、天皇が国会を経ずに直接制定可能な規範ではないことを明確に示したことになります。
次に、皇室典範の構造を見てみましょう。皇室典範は五章・三十七条と附則・三項から成ります。
第一章は皇位継承の資格者、皇位継承順位、皇位継承の時期など、皇位継承に関する事項が規定されています。
第二章は、皇族の範囲について規定されています。皇族には皇族としての特権が与えられるほか、著しく人権が制限されますから、皇族と民間人の違いを明確にする必要があり、皇族の範囲は厳格に法律で規定されているのです。
第三章は摂政(せっしょう)について規定されています。天皇が病気などで長期間執務が行えない状況になったとき、天皇を代行して国事行為を行う立場を摂政といいます。
第四章は成年、敬称、即位の礼、大喪の礼、皇統譜及び陵墓などについて、そして第五章は皇室会議について規定されています。
詳しくは憲法の条文を読み進めるときに、必要に応じて解説することにします。