vol.103 成務天皇・仲哀天皇
若帯日子天皇(わかたらしひこのすめらみこと)(第十三成務天皇)は近淡海(ちかつあわみ)の志賀(しが)の高穴穂宮(たかあなほのみや)(現在の滋賀県大津市)において天下を治めました。
この天皇(すめらみこと)が、穂積臣(ほづみのおみ)等の祖である建忍山垂根(たけおしやまたりね)の娘、名は弟財郎女(おとたからのいらつめ)を娶(めと)って生ませた御子(みこ)は和訶奴気王(わかぬけのおう)。一柱(ひとはしら)。
しかし、日本書紀には后や御子についての記述はなく、また御子が皇位を継承した記録もないことから、古事記に記される一柱の御子も若くして亡くなったものと考えられています。
そして、建内宿禰(たけしうちのすくね)を大臣(おおおみ)(宮廷の臣のなかでも最高位の臣に対する尊称)とし、大小の国々の国造(くにのみやつこ)を定めました。
また、国々の境界、及び大小の県(あがた)の県主(あがたぬし)を定めました。
天皇の御年(みとし)は九十五歳。乙卯年三月十五日に崩御(ほうぎょ)(天皇が亡くなること)されました。
御陵(みはか)は沙紀の多他那美(さきのたたなみ)(現在の奈良県生駒郡)にあります。
古事記は第十三代成務天皇について、この程度のことしか記していませんが、国境を画定し、国造・県主を定めたことは、第十二代景行天皇の時代に倭健命(やまとたけるのみこと)が遠征したことで大和朝廷の支配領域が拡大したことを彷彿とさせるものです。
さて、これまで皇位は直系によって継承されてきましたが、倭健命の御子が即位して第十四代仲哀天皇となったため、直系継承は途絶えました。仲哀天皇は景行天皇の孫に当たります。
では、古事記の仲哀天皇の記述を見てみましょう。
帯中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)(第十四代仲哀天皇、倭健命の子)は穴門の豊浦宮(あなとのとよらのみや)また筑紫の訶志比宮(つくしのかしひのみや)で天下を治めました。
この天皇が、大江王(おおえのおう)の娘、大中津比売命(おほなかつひめのみこと)を娶(めと)って生んだ御子(みこ)は香坂王(かごさかのおう)。忍熊王(おしくまのおう)の二柱です。
また、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)(大后(おおきさき))を娶って生んだ御子は品夜和気命(ほむやわけのみこと)。
次に大鞆和気命(おほともわけのみこと)。またの名は品陀和気命(ほむだわけのみこと)の二柱。
この太子(ひつぎのみこ)の御名を大鞆和気命(おほともわけのみこと)とした理由は、生まれた時、鞆(とも)(弓を射るときに、左ひじにつける武具)のような形の肉が腕にありました。そこで、その御名に付けたのです。太子は、後に示すとおり母親の胎内(たいない)にいながら国を治めることになります。
この御世(みよ)に淡道之屯家(あわじのみやけ)を定めました。
その大后(おおきさき)の息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)はある時、神を帰(よ)せました。「神を帰せる」とは、自らの体に神霊を乗り移らせて神の言葉を求めることです。
天皇が筑紫の訶志比宮(つくしのかしひのみや)で、熊曾国(くまそのくに)を討とうとした時、天皇は琴(こと)を弾き、建内宿禰の大臣(おおおみ)は忌み清めた祭場で神の言葉を求めました。
このとき大后が帰神(かみよせ)をして次のように神託を告げました。
「西の方に国がある。そこには金銀をはじめとして、目の輝くような種々の珍宝が多くある。私が今から、その国を帰服させよう」(日本書紀はその国が新羅国であると記している)
しかし天皇は、「高い所に登って西の方を見ても、国は見えず、ただ大海があるだけだ」といい、偽(いつわり)をなす神だと思って、琴を押しやって弾こうとせず、黙って座っていました。
すると、その神は大いに怒っていいました。
「およそこの天下は、おまえが治める国ではない。おまえは一道(ひとみち)(人が向かう道、死の国)に向かえ」と告げました。
そこで建内宿禰の大臣は、「畏(おそ)れながら、我が天皇(すめらみこと)よ。やはりその大御琴(おおみこと)をお弾きあそばせ」と申し上げ、そろそろとその琴を引き寄せると、天皇はしぶしぶと琴を弾きました。
すると、間もなく琴の音が聞こえなくなったので、火を灯(とも)して見ると、すでに天皇は崩御(ほうぎょ)されていました。
仲哀天皇は、神の怒りにふれて、呪い殺されてしまったのです。
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出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
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作家 プロフィール
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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