vol.94 景行天皇B(古事記、第三十話)
倭建命(やまとたけるのみこと)が征西を終えて倭(やまと)に帰ると、父の景行天皇(けいこう・てんのう)は、「東方十二道(ひむかしのかた・とおあまりふたみち)(東の方の十二国の意味)の荒ぶる神、及び従わない者どもを説得して平定せよ」と命ぜられました。
この時天皇は、吉備臣(きびのおみ)等の祖である、御鋤友耳建日子(みすきともみみたけひこ)を副(そ)えて遣わし、比比羅木の八尋矛(ひひらぎのやひろほこ)を授けました。比比羅木の八尋矛は、柊(ひいらぎ)で作った長い矛のことで、邪気を払う力を持っていると考えられています。
倭建命は天皇の命令を受けて東に出かけるとき、伊勢(いせ)の大御神(おおみかみ)の宮(伊勢の神宮)に参り、神のおわすお宮を拝み、その地にいた姨(おば)の倭比売命(やまとひめのみこと)に次のように言いました。
「天皇(すめらみこと)は全く私が死んだらよいと思っておいでなのではなかろうか。なぜ西の方の悪人たちを討ちに遣わし、帰ってきてまだ時間が経っていないのに、軍勢も与えられないまま、こんどは東方十二道の悪人達を平定するために遣わされるのでしょう。これを思うと、やはり私など死んだらよいと思っておいでなのでしょう。」
このように言い、悲しみ泣いて出発しようとすると、倭比売命は草薙剣(くさなぎのつるぎ)を賜りました。そして袋を渡し「もし困ったことがあれば、この袋の口を開けなさい」と言いました。そして倭健命は東国(あづまのくに)へ遠征をはじめます。
尾張国(おわりのくに)に着いた倭健命は、尾張の国造(くにのみやつこ)の祖である、美夜受比売(みやずひめ)の家に入りました。
直ぐに結婚しようと思いましたが、また帰り上る時にしようと思い、婚約して東国に向かい、山河の荒ぶる神、そして従わない者たちを、ことごとく説得して平定しました。
そして、相武国(さがむのくに)にやって来たとき、その国造が偽って「この野の中に大沼があり、この沼の中に住む神は、とても道速振(ちはやぶ)る神です」と申し上げました。そこで倭健命は、その神を見るために、その野に入りました。
ところが、その国造は野に火をつけたのです。欺かれたことを知ると、倭健命は姨の倭比売命からもらった袋の口をあけました。見てみると、火打石(ひうちいし)が入っていました。
先ず剣で草を刈り払い、火打石で火を起こして、向火(むかいび)をつけて焼き退け、そこから脱出してから、その国造どもを斬り滅ぼして、火をつけて焼きました。ゆえに、その地を焼遣(やきづ)(静岡県焼津市)といいます。(したがって、「相武国」は「駿河国(するがのくに)」の間違いと思われる)
そこから更に東に進み、走水海(はしりみずのうみ)(浦賀水道、東京湾の入口)を渡ろうとすると、その海峡の神が波を起こして、船を翻弄して、進み渡ることができませんでした。
そこで、倭健命の后の弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)(婚約している美夜受比売とは別)が「私が御子(みこ)に代わって海の中に入りましょう。御子は遣わされた任務を全うし、天皇に報告されなければなりません」と言うと、海に入ろうとして、菅畳八重(すがたたみやえ)(幾重にも重ねた菅を編んだ敷物)、皮畳八重(かわたたみやえ)(幾重にも重ねた毛皮の敷物)、絹畳八重(きぬたたみやえ)(幾重にも重ねた絹の敷物)を波の上に敷いて、その上に下りました。
すると、荒波は自然と収まり、すねを進めることができたのです。
このときその后は、次のような歌を詠みました。
「さねさし 相武(さがむ)の小野(おの)に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立たちて 問ひし君はも」
(現代語訳)
相模(さがみ)の野原に燃える火の、その火の中に立って、安否を尋ねてくれた夫よ。
そして七日の後、その后の櫛(くし)が海辺で見つかりました。そこで、その櫛を取り、御陵(みはか)を作って納め置きました。
そこから更に進み、荒ぶる蝦夷たちをことごとく説得し、また山河のあらぶる神たちを平定して、倭に帰る途中、足柄(あしがら)(神奈川県足柄山)の坂の下に至り、乾飯(かれい)(旅行用の食糧)を食べていると、その坂の神が、白い鹿となって現れました。
そこで、食べ残した蒜(ひる)(食用植物の一種)のかけらを持って投げつけ、その目にあてて打ち殺しました。
そこで、その坂に登り立ち、しみじみとため息をついて、「吾妻(あづま)はや。」(我が妻よ)と言いました。
故に、その国を名づけて阿豆麻(あづま)(東)というのです。
そして、その国を超えて、甲斐(かい)に出て、酒折宮(さかおりのみや)で次の歌を詠みました。
新治(にいばり) 筑波(つくは)を過ぎて 幾夜(いくよ)か寝つる
(現代語訳)
新治や筑波の地を過ぎてから、幾夜くらい寝たろうか。
そのとき、かがり火を焚く老人(おきな)が、御歌に自分の歌を重ねて続けて次の歌を詠みました。
かがなべて 夜には九夜(ここのよ) 日には十日(とおかを)
(現代語訳)
日に日を並べて、夜は九夜、日は十日になります。
そこで、その老人を誉めて、東(あづま)の国造を与えました。
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第91回 景行天皇A(古事記、第二十九話)
出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
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作家 プロフィール
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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