vol.91 景行天皇A(古事記、第二十九話)
西の方にいる熊曾建(くまそたける)兄弟を征伐するように天皇から命じられた小碓命(おうすのみこと)(後の倭建命)は、早速大和の地を旅立ち、九州南部に遠征しました。
この時代、交通手段がないばかりか、街道もまだ整備されていませんから、近畿から九州までの旅は、大変長い道のりだったに違いありません。
熊曾建の家に着いて様子を伺っていると、周囲は兵士が三重に守り固めていて、その中に頑丈な家を建てていました。
丁度その頃、その家の新築の宴(うたげ)をしようと、食べ物などを準備したりして、人々は騒がしく動き回っていました。
そこで小碓命は、家の周囲を注意深く観察しながら、その宴の日を待ちました。
ついに宴の日になり、小碓命は若い女性の髪のように結んだ髪をたらし、叔母の倭比売命(やまとひめのみこと)から借りた女性物の服をまとい、すっかり童女(おとめ)の姿に変装して、女性たちの間に混ざって、その新築の家の中にまんまと入り込みました。
熊曾建兄弟二人は、童女に変装した小碓命をすっかり気に入ってしまい、二人の間に座らせて宴を楽しみました。
そして、縁もたけなわになったころ、小碓命は懐(ふところ)から剣を取り出し、兄の熊曾(くまそ)の着物の襟をつかみ、胸に剣を突き刺しました。
弟の建(たける)はそれを見て驚き、恐ろしくて逃げ出しました。小碓命はすぐに追いかけて、その家の階段の下までいくと、その背中をつかみ、尻から剣を突き刺しました。
すると熊曾建は「その剣を動かさないでください。私は申し上げたいことがあります」といいました。
そこで暫くとどめを刺すのをやめて、押し伏せておくと、「あなた様はどなたですか」といいました。
小碓命は「私は纒向(まきむく)の日代宮(ひのしろのみや)で大八嶋国(おおやしまのくに)を治める景行天皇(けいこう・てんのう)の御子(みこ)、名は倭男具那王(やまとおぐなのおおきみ)である。貴様ら熊曾建二人は、我々に従わず、礼もわきまえないとお聞きになり、討ち取るように命じて遣わされたのだ」といいました。
それを聞いた熊曾建は「まさにその通りです。西の方には私たち二人を除いて、猛々(たけだけ)しく強い人はいません。しかし、大倭国(おおやまとのくに)には、私たち二人よりも猛々しい方がいらっしゃいました。そこで、私があなた様に御名(おんな)を差し上げたく思います。これからは、倭建御子(やまとたけるのみこ)と称えましょう。」といいました。
熊曾建がそれをいい終えると、すかさず、熟した瓜(うり)を切り刻むように、小碓命は熊曾建体をずたずたに切り刻んで殺しました。
この時から、御名を称えて、倭健命(やまとたけるのみこと)といいます。
こうして途中、山の神、河の神、また海峡の神を、皆説得して、平らげながら大和の地に向かいました。
かつて小碓命が兄を切り刻んで殺したように、この時も熊曾建を切り刻みました。古代では死者の復活を恐れて、そのように死体を切り刻むことがあったと考えられています。縄文時代・弥生時代の遺跡には、解体された人骨も発見されています。
さて、倭健命は大和に帰る途中、出雲健を殺そうと思い、出雲国(いずものくに)に入りました。倭健命は、すぐに出雲健とは友達となります。
倭健命はひそかに樫(かし)の木で偽の太刀を作り、それを腰に佩(は)いて、出雲健と共に斐伊川(ひいがわ)に沐浴(もくよく)にでかけました。
倭健命は先に河から上がると、出雲健が外した太刀を佩いて、「太刀を換えよう」といいました。
そして、出雲健は河から上がると、倭健命の偽の太刀を佩きました。
そこで倭健命は、「いざ太刀合わせをしよう」といいました。
それぞれが太刀を抜こうとすると、出雲健は偽の太刀を佩かされているので、太刀が抜けません。倭健命は太刀を抜くと、すかさず出雲健を打ち殺しました。そして次の歌を詠みました。
やつめさす 出雲建が 佩ける刀(たち) 黒葛多纏(つづらさはま)き さ身無(みな)しにあはれ
(現代語訳)出雲建が腰に佩いた太刀は、アオカズラの蔓(つる)がたくさん巻きついていて、刀身(とうしん)がなくて、ああ気の毒だ。
倭健命には有り余る力だけでなく、このような悪知恵も備わっていたようです。出雲健と親しくなっておいて、事前に偽の太刀を作っておくなど、用意周到に出雲健殺害を準備していたわけです。
その手口は、あまり共感を持てる方法ではありませんが、まだ少年の倭健命が父親である天皇に認めてもらいたい気持ちで、必死になって西国の平定に当たっている姿であると理解することにしましょう。
また、昭和五十九年(一九八四)に出雲の荒神谷(こうじんだに)遺跡から三五八本の銅剣が出土し、二世紀頃に祭祀によって統治された出雲国家が存在していたことが有力となりました。
倭健命は、こうしてことごとく平定し、大和の都に帰り、天皇に報告しました。
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出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
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作家 プロフィール
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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