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vol.90 憲法第一条【天皇の地位・国民主権】B
 少し間が空いてしまいましたが、憲法第一条の続きです。@(一回目)は象徴の意味、A(二回目)は天皇の地位の根拠について説明してきましたが、B(三回目)は天皇と国民主権の関係について述べることにします。

 もう一度条文を見てみましょう。

 日本国憲法第一条
 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

 憲法は第一条で、天皇は日本国の象徴であること、そしてそれは国民の総意に基づくことを規定しています。これは「天皇の地位」と「国民主権」の両方を示しています。
 しかし、「天皇と国民主権は矛盾する」という考え方もあります。
 たしかにフランスや中国では、それぞれフランス革命・辛亥革命によって王制が打倒され、共和制が発足しました。
 このような共和革命により、君主を否定することによって成立したのが国民主権という考え方です。したがって、君主たる天皇が存在しながら、国民主権を謳うのは、矛盾しているようにも見えます。
 憲法が冒頭から大きな矛盾を抱えているとしたら大問題です。少なくとも憲法を解釈するときは、矛盾していないことを前提に読まなくてはいけません。ではどのように考えたらよいのでしょう。

 まず、国民の方から考えていきます。一般的に国民主権という場合の「国民」や、憲法第一条にいう「国民」というのは、鈴木君とか田中君とかいうような、一人ひとりの国民のことを言っているのではありません。日本国民を一つのグループと考え、それをまとめて「国民」と言っているのです。
 たとえば、3年1組に鈴木君がいるとしましょう。「3年1組の皆さん」と、「3年1組の鈴木君」では全く意味が違います。前者はクラス全体を一つのグループと考え、後者はクラスの中の一人と指しています。
 ですから、修学旅行で見学場所を決めるとき、「クラスごと自由に決めてよい」と「一人ひとり自由に決めてよい」では全く違うわけです。
 このように、日本国民を一つのクラスと考えると、国民主権という場合の「国民」は、集団としての国民全体を示すのであって、一人ひとりの国民を示すのではないのです。
 したがって、一人ひとりの国民は目で見ることができますが、ひとつの国民は目で見ることができません。

 国民主権というのは、集団としてのひとつの国民が、国家の意思を決定することを意味します。
 具体的には、選挙によって選ばれた国会議員が国会で法案を議決することによって、国家の意思が確定します。
 政策論では必ず多数意見と少数意見があります。結局は多数意見が国家の意思となりますが、多数意見というだけではまだ国家の意思ではありません。決められた手続に従って国会で議決されたときに、その多数意見は国家の意思になります。
 国家の意思は必ず一つです。国家の意思は国民の統一した意思なのです。

 では、目で見ることができる鈴木君や田中君といった国民は何なのでしょう。
 一人ひとりの国民は、国家の意思を決定するプロセスで一定の役割を果たすことができます。
 具体的には選挙で投票をすることがこれに当たります。またその他にも、テレビやラジオで発言したり、雑誌に記事を書いたりして言論活動を行うことも、国家の意思の決定に影響を与える可能性があります。我が国では言論の自由が認められていますから、政治的な発言をしたことで罰せられることはありません。
 しかし、一旦国会で決議されて国家の意思が決定すると、一人ひとりの国民はその決定に束縛されることになります。
 つまり、鈴木君や田中君という一人ひとりの国民は主権者ではなく、目に見えないひとつの国民(主権者)によって統治される国民なのです。
 先ほどの例でたとえると、修学旅行の見学場所を決めるとき、クラスの一人ひとりは自由に意見を言うことができますが、一旦多数決か何かでクラス全体の意思が決定したら、一人ひとりの生徒は、全員その決定に従わなくてはいけません。

 主権者たるひとつの国民は、一人ひとりの国民を見ても、その姿は見えません。しかし、一つだけそれを見る方法があります。
 それは天皇を仰ぎ見ることです。
 「天皇は日本国の象徴である」というのは、天皇は目に見えないひとつの国民(主権者)の姿を、目に見える姿で現しているということです。
 国会の開会式で、壇上でお言葉を述べられる天皇に、全国会議員が敬意を表する場面があります。日本は国民主権であるにも関わらず、なぜ国民の代表である国会議員が天皇に敬意を表するのでしょうか。
 それは、国会議員は、統治される国民の代表者だからです。それに対して天皇は、主権者たる国民(目に見えない国民)を象徴しています。ですから、統治される国民の代表者が、主権者たる国民を象徴する天皇に敬意を表することは、憲法上当然なのです。
 
 つまり、国民主権というのは、統一した国家の意志が最も尊重されるべきだとうことであって、国民が一番えらいという意味ではないのです。
 したがって、日本が敗戦して憲法が一新したことで、天皇主権が国民主権に変わり、国民が天皇よりもえらくなったという考えは、大いなる無知です。
 一人ひとりの国民は統治される存在であり、天皇は主権者たるひとつの国民を象徴する存在であるということになります。
 よって、天皇は主権者たる国民の主権を侵す存在なのではなく、主権者を象徴する存在ですから、天皇と国民主権は決して矛盾するものではないのです。


【まとめ】
■一般的にいう「国民」
一人ひとりの国民
目に見える
主権によって統治される国民
国家意思決定のプロセスで一定の役割を担う
(国会議員は統治される国民の代表者)

■国民主権という場合の「国民」
集団としての国民全体
目に見えない
主権者たる国民
統一された国家意思の主体
(天皇は主権者たる国民を目に見える姿に体現する)



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第14回、天皇は「元首」か?
第79回、憲法第一条【天皇の地位・国民主権】@
第81回、憲法第一条【天皇の地位・国民主権】A


出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
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作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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