神社には入口から本殿までの間に、必ず手水舎(ちょうずや)があります。ここで手と口をすすぎましょう。これが「手水(ちょうず)」です。手水をすると穢(けが)れが祓(はら)われ、心身が清浄な状態になります。
手水は禊(みそぎ)の一種です。本来ならば全身を水で清めるのが禊(みそぎ)の基本ですが、参拝者が全員それをするのは現実的ではありません。
そこで、手と口を水ですすぐことによって、全身が清められると考えられているのです。
手水は好きな方法でやっても構いませんが、作法があります。せっかくですから、作法に則ってやってみてください。
@ 右手で柄杓(ひしゃく)を持って、水を汲み、左手をすすぐ。
A 柄杓を左手に持ち替えて、右手をすすぐ。
B 再び柄杓を右手に持ち替えて、左手に水を注ぎ、口をすすぐ。
C 再び左手をすすぐ。
D 柄杓を立てて、残った水で柄の部分を洗い流す。
途中で柄杓の水がなくなったら汲んでもかまいませんが、基本的に水を汲むのは一回だけです。
一見、面倒に思えるかもしれませんが、実はとても利にかなった方法です。
つまり、左、右手を順番にすすぎ、清浄になった左手に注いだ清浄な水で口をすすぎ、そのときに左手には口をつけたのですから、再び左手をすすいで清浄な状態に戻すという順序なのです。
そして、次に使う人のために、残った水で柄の部分を洗い流してお手水が終わります。
これらの動作には意味があるので、ただ順序を暗記するのではなく、その意味を理解すると自然に覚えられるものです。
たとえば、まだすすいでいない穢れた手に水を汲んで口をすすいでも、口は清められません。ですから先に手をすすぎ、次に口をすすぐのです。
また、せっかく左手をすすいでも、口をつけた段階で手は穢れるので、再び左手をすすがないと、左手だけ穢れが残ってしまいます。
ですからこの動作は無駄がなく、完成された動作なのです。作法に則ってお手水を済ませると、きっと清清しい気分になることでしょう。ぜひ試してみてください。
いよいよ本殿に参拝しますが、その前にもう一度服装を整えます。冬であれば、コートやマフラーをつけたまま参拝するのは神様に失礼に当たるので、脱いでから参拝すべきですが、初詣で人混みが激しければ、着たままで参拝しても結構です。ただし、本来は失礼であることを知っておくべきでしょう。
神社参拝は神様のお宅を訪問するようなものだと思ってください。もし目上の方のお宅を訪問してご挨拶する場合、玄関に入る前にコート、マフラー、帽子などはあらかじめ外しておくのが礼儀です。着たまま玄関に入り、しかもそのまま目上の方に挨拶するのはとても失礼なことでしょう。神社参拝もそれと同じことだと思ってください。
好きな方法で参拝しても差支えはありませんが、参拝にも作法があります。日本人として、参拝の作法を知っておくべきではないでしょうか。
まず、礼(れい)と拝(はい)の違いについて説明します。礼も拝も、挨拶をするときなどにお辞儀をするような動作なのですが、それぞれ意味が異なり、腰を曲げる角度も違います。礼は軽い挨拶、会釈に当たり、拝はまさに拝む動作で最敬礼(さいけいれい)に当たります。礼は三十度程度。拝は九十度です。
拝を二回続けて行うことを再拝(さいはい)といいます。ここでは分かりやすくするために、二拝と表記することにします。
礼や拝のさいには、腰から上は湾曲させずに、ピント伸ばし、すべての動作はゆっくりと落ち着いて行います。
また、拍手(はくしゅ)とは、拍手(かしわで)を打つことで、両手を叩いて音を出す動作です。
作法としては「二拝、二拍手、一拝」が基本になります。そして、参拝の最初と最後に「一礼」をつけると、より丁寧になります。
礼は、動作の前後にする相手への思いやりの表現で、この場合は、「これから参拝をさせていただいます」という気持ちと、「これで参拝を終わらせていただいます」という気持ちを表現する動作です。
礼を含めると、「一礼、二拝、二拍手、一拝、一礼」となります。
もし、祈念をするならば、「二拍手」の後にやや頭を下げて、日ごろの感謝や、報告、今後の抱負、お願い事などを、声に出して、もしくは心のなかで唱えるとよいでしょう。
もしくは、祈念の代わりに「唱詞(とねえことば)」を述べるという方法もあります。唱詞は
「祓いたまひ 清めたまひ 守りたまひ 幸(さきは)へたまへ」
(「ひ」は「い」、「へ」は「え」と発音する)
というものです。罪穢(つみけがれ)を祓い清め、神によって守って頂けますように、幸福を頂けますようにという内容です。
唱詞または祈念を含めると、全体では「一礼、二拝、二拍手、唱詞(もしくは祈念)、一拝、一礼」となります。また、唱詞を述べたうえで、さらに祈念することもできます。
何か特別な祝詞(のりと)を用意している場合は、二拝の後に奏上し、祝詞の後に再び二拝しますので、その場合は全体では「一礼、二拝、祝詞奏上、二拝、二拍手、一拝、一礼」となります。
では、二拝二拍手一拝という作法は、どのような意味があるのでしょう。
拝が最敬礼であると述べましたが、最敬礼を二回続けて行うことにより、より深い尊敬の意を表すことになります。現在でも目上の人に挨拶をするとき、何度もお辞儀を繰り返している場面を見ることがありますが、二拝もそのようなものと理解できます。
奈良時代までは、貴人に挨拶をするとき、この二拝と二拍手が行われていたところ、平安時代からはこれを略して二拝だけを行うようになったと伝えられています。しかし、神様に対しては二拝と二拍手が両方とも残りました。
その後、地方や流派によって作法のばらつきが生じましたが、明治時代になって「二拝二拍手一拝」の作法を基本とする旨が定められ、現在に至ります。
ただし、神社によっては、神職がこれとは異なった別の作法を継承していることがあります。たとえば、伊勢の神宮の八度拝や、出雲大社の四拍手などです。しかし、これらの神社でも、一般の参拝者が「二拝二拍手一拝」の基本の作法で参拝することは問題ありません。
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