皇室のきょうかしょ 皇室のあれこれを旧皇族・竹田家の竹田恒泰に学ぶ!
vol.76 崇神天皇A(古事記、第二十五話)
 崇神天皇は、第八代孝元(こうげん)天皇の御子(みこ)である大毘古命(おおびこのみこと)を高志道(こしのみち)(北陸道)に派遣し、大毘古命の子である建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)を東方十二道(ひむかしのかたとおあまりふたみち)(東海道)に派遣して、大和朝廷に従わない人々を和らげて平定させました。
 また、崇神天皇の兄弟にあたる日子坐王(ひこいますのおう)を旦波国(たにはのくに)に遣わして玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を殺させました。
 大毘古命が高志国(こしのくに)に行く途中、腰に短い裳(も)を着けた少女(おとめ)が、山代(やましろ)の幣羅坂(へらさか)(奈良と京都の間にある坂のことか)に立って次のように歌っていました。

 「御真木入日子(みまきいりびこ)はや 御真木入日子はや 己(おの)が緒(を)を 盗み殺(し)せむと 後(しり)つ戸(と)よ い行(ゆ)き違(たが)ひ 前(まへ)つ戸(と)よ い行(ゆ)き違(たが)ひ 窺(うかが)はく 知(し)らにと 御真木入日子はや」

 (現代語訳)
 御真木入日子(崇神天皇)よ。御真木入日子よ。自分の命をこっそりと殺そうとする者が、後ろの戸から行き違い、前の戸から行き違い、すきを窺っているのも知らないで。御真木入日子よ。

 これを聞いた大毘古命は奇妙に思って馬を返し、その少女に「あなたが言うのは、いったいどのような意味か」と問いました。
 少女は「私は何も言っていません。ただ歌を詠んでいただけです」といって、たちまち姿を消して行方がわからなくなりました。
 そこで大毘古命は、直ぐに都に戻り、崇神天皇に報告すると、崇神天皇は

 「これは、山代国(やましろのくに)に住む、あなたの庶兄(まませ)(腹違いの兄)の建波邇安王(たけはにやすおう)が、邪心を起こしたことの記しではないかと思う。伯父上、軍を率いて行きなさい」

 といい、丸邇臣(わにのおみ)の祖である日子国夫玖命(ひこくにぶくのみこと)を従わせて遣わせました。この時、丸邇坂(わにさか)に忌瓮(いはひべ)(神を祭る清浄な瓶)を据えてから出発しました。
 山代の和訶羅河(わからがわ)(木津川)に着くと、やはり建波邇安王が軍を率いて待ち構えていました。そこで両軍は河を挟んで向かい合い、戦に挑みました。そこでその地名を伊杼美(いどみ)といいます。(現在の京都府木津川市木津町)
 はじめに日子国夫玖命が、「そちら側から、まず忌矢(いはひや)(戦のはじめに互いに射合う神聖な矢)を放ちなさい」といいました。そこで建波爾安王が矢を射るも、何にも当たりませんでした。
 次に日子国夫玖命が放った矢は、建波爾安王を射殺しました。これにより、建波爾安王の軍勢はことごとく戦に破れて逃げ散りましたが、逃げる軍勢を追い詰めて久須婆の度(くすばのわたり)に着いたとき、皆追い込められ、苦しめられて糞(くそ)をもらして袴(はかま)にかかりました。そこでその地を糞袴(くそばかま)といいます。
 また、その逃げる軍をさえぎって斬ると、鵜(う)のように河に死体が浮きました。そこで、その河を名づけて鵜河(うかわ)といいます。
 さらに、その兵士を斬り放(はふ)ったので、その地を名づけて波布理曾能(はふりその)といいます。
 大毘古命と日子国夫玖命は、このように平定し終えると、参上して崇神天皇に報告しました。

 さて、その後大毘古命は、最初の命令の通りに高志国に向かいました。途中相津(福島県の会津)で、東方に派遣されていた子の建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)と行き会いました。それでその地を相津というのです。
 このようにして遣わされた国を平定したので、崇神天皇にそのことを報告しました。これにより天下はとてもよく治まり、人々は富み栄えました。
 ここに初めて男の弓端の調(ゆはずのみつぎ)(男が弓矢で獲った鳥獣を納めること)、そして女(おみな)の手末の調(たなすえのみつぎ)(女が作った絹・糸・綿布などを納めること)を納めさせました。これが徴税のはじまりです。
 ゆえに、その御世(みよ)を称えて、崇神天皇のことを「初国(はつくに)知らしし御真木天皇(みまきの・すめらみこと)」といいます。
 また、この御世に依網池(よさみのいけ)(大阪市住吉区)を作り、また軽の酒折池(かるのさかおりのいけ)(奈良県橿原市)を作りました。
 崇神天皇は御年(みとし)百六十八歳で、戊寅(つちのえとら)年十二月に崩御し、御陵(みはか)は山辺(やまのべ)の道の勾(まがり)の岡の上にあります。(奈良県天理市柳本町の行燈山古墳(あんどんやまこふん)、纒向遺跡の北東に位置する)


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出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
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作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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